うんこめも

自律分散うんこ製造システムについてのメモ

後輩の死

メッセージ性なし。感想。

後輩が死んだという連絡をもらった。一時期は寝食をともにしていた、変わった考え方をする頭の良い後輩。このところ疎遠だったけれど尊敬してた。けど連絡を受けたとき、あまり悲しさは感じなかった。不感症かも。ただ空しさだけ覚えた。明日通夜に行ってくる。less than a minute ago via Tween


2つ年下の後輩が死んだ。22歳。
死因はあまり聞いていないが事件性は低い事故のようす。

彼はなかなかの大物だった気がする。
田舎出身で中高ではかなり荒れていたらしい、けれどいい先生と会って、話を重ねることで、ちょっとまともに生きていこうと決め、勉強し大学に進学した。彼はその先生の話を何度も引用して話してくれた。名前も話の内容も失念したが、生徒と対等にしっかり話してくれる、考え方もしっかりした市井の哲学者のような人なようで、大学生になってからも飲みにいくなどとても尊敬しているみたいだ。

彼は大学では理学部で化学を勉強していた。ぱっと見は、自分勝手な振る舞いも多く、軽いセクハラを繰り返したり、部活でのパフォーマンスも良いわけでなく、ちょっと軽く見られがちだった。ぼくは一緒に新入生を指導して試合に出たということと、わりと生き方みたいな問題にはまっていたこともあり話が合ったこともあって、2つ年下な割には尊敬していた。幼さと哲学者然としたところが同居した珍しいタイプの人間。けっこう影響を受けてる気がする。女性について。性について。人との話し方。人生についての捉え方。

話をするのがとてもうまく(特に女性と)、奥手だったぼくはテクニックだけでなく度胸や心構え的な部分でもいろいろ勉強になった気がする。

その内容は文脈依存過ぎるものや、非言語的なものだったり、公衆の面前で言えないものだったり、彼の言葉を(ぼくの咀嚼不足で)再現できないことからここでは書けない。


彼が死んだ。ということはいまもコーチをしている同期から夜中に電話によって伝えられた。虫の知らせはなかった。ぼくはこんな時間に珍しいなと思いつつ、暢気に「良い報せ?」と聞いてしまった。彼の死が伝えられたときも、あまり感覚がなかった。現実感の無さというよりは、あっけなさ、虚しさを覚えただけだった。

悲しさは感じることがなかった。けれど、「悲しくあらねばならない」という自分の内面からの圧力は感じた。不感症かもと自分をさげすむアイデアすらも沸いてきてちょっと自己嫌悪。


彼は大物だと感じていたので、それを見ることができなくて残念だな、少し惜しいな、とは思う。もう会えないことも悲しい、気はする。早すぎたとも思う。でもこれらは頭で考えた「感情」で、直感的なものではない。そこはちょっと残念だと思う。みんなはどう悲しさを感じるのだろうか。社会通念上のマナーとして悲しさを表明しているだけではないのだろうか。という気もする。邪推しすぎだ。人が死んだのに。

そう、人が死んだのに、だから笑ってはいけない、楽しんではいけない、仕事を持ち込んではいけない、弔意を示さねばならない。同調圧力だけど、この社会で円満に生きていくうえでは必要なのだろう。


さて、昨晩、お通夜に行ってきた。そのことについて少し書いてみる。
市のセレモニーホールに100人くらいの喪服を着た人が集まっていた、学生然とした人間が多い。交友関係が広いと思う。受付では、香典を渡そうとしたら、喪主の意志により辞去する、とのことだった。同期で集めたお金だったので、ホールの事務所でそのまま翌日のお葬式用に花をお願いした。記帳して、 控え室でメッセージカードを書いて、廻り焼香。懐かしい面々がいるが、目を伏せがちだし話せる雰囲気ではない。会釈だけする。

先ほど、悲しさは感じないと書いたけれど、彼と仲の良かった女の子が泣きはらしているのを見て、急にこみ上げるものがある。涙はでなかったけど、切なくなった。ミラーニューロンかもしれないが、だとするならそう思った自分の野暮さが恥ずかしい。

しかし、どういう顔をしていいのかわからない。なるべく感情を押し殺して、沈痛そうな表情をする。ずるい。

1時間ほどして、お坊さんのありきたりな講話が終わって、閉式。その後、棺の中を拝顔できるとのことで、覗いてみる。死んだという現実感を確認するためと見納めということと少しばかりの好奇心。

青白い肌の上に化粧して、目を閉じ、半開きになった口の中には白い綿が見える。


人は死ぬ。あっけなく死ぬ。
彼の交友関係・社会のネットワークから突然、消え落ちる。彼は、彼の持つ膨大な経験情報を消し去る。そしてそれを本人が認識することはできない。なにもない。
努力とか才能と関係なく死ぬ。

それだけを感じた。だから精一杯生きなさい、日々の幸せを大事にしなさい、なんてくだらない、薄っぺらなことは言わない。なんの道徳的な教訓も引き出せない。

人は死ぬ。ただ、それから目を逸らして生きるのはちょっと嫌な気分がする。それだけだ。

彼のことは徐々に忘れていくだろう。
彼が生きていたら「人生こんなものですよ。無情です。無常。」と言った気がする。


名前を書くかどうかは悩んだけれど、Googleで調べてもまともなことが出てこなかったので、手向け代わりに書いておこう。死者のプライバシーもあるだろうけど、この内容なら問題ないと思っている。

さようなら中窪くん
君から受けた影響はもうぼくの構成要素になっている。