ぜぜ日記

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年賀状のコミュニケーション契機とFacebook

もう2月だけれど年賀状についてすこし思うことを書いてみる。

年賀状の文化はすでにレガシーだと笑われている。
けれど、発行枚数は40億万枚弱で推移している。意外と減少傾向はないようだ。
年賀葉書の発行枚数の推移: のんびり生きる

ちなみに2011年2月のtwitterの投稿数は世界で1日1.4億らしいし、これと比べると年賀状まだまだ強いなと思える。
Twitter Blog: #numbers

たぶん、定年退職した団塊の世代が寂しさから誰かれ構わず送っているのか、厳しいノルマを抱えた郵便局員が死蔵しているのかどちらかだとは思う。

現に、自分には3枚しか来ていない。(ガッツ兄さん、返事出してなくてごめんなさい。)


たぶん、いまの20代で年賀状を書いて出す文化を守っている人は少ない。わざわざ郵便局かコンビニに1枚50円の年賀状を買いに行って先生が走りだすほど忙しい時期に書いていくなんてたいへんだ。それに代わって、携帯電話を使って送るのが多い気がする、昨今はmixitwitterfacebookを使用するのも増えているようだ。
もしかすると年末年始に死に物狂いで働く郵便局員さんの仕事を減らすという労りの気持ちがあるのかもしれない。


たしかに年賀状を出すのは面倒くさい、iPhoneiPadを片手に肩で風切って歩く現代の若者には古臭く映るのだろう。でも、年賀状というのは昔の友だちや違う道を選んだ知人、疎遠になった仲間と、1年に1回、定期的にコミュニケーションをとるわりとよいやり方な気がする。


筆まめとか便利なソフトの発達によりあまりに定型的で近況報告になっていないのすらあるけれど、父親世代(50代前半)の人間を見てると友だちには一筆メッセージを書いたりしている。
それがきっかけで電話したり、飲みに行ったりしているのを見ると、年賀状の持っている惰性でコミュニケーションを発生させる機能はすごいなと思う。

携帯電話もみんな持ってるし、年賀状に頼らずともコミュニケーションとるくらい余裕、かもしれないけど、いきなりしばらく会っていない知人からメールが来たら、マルチか宗教の勧誘かと疑うけれど、年賀状だとそうはならない。みんな出すという文化がある分、自然に連絡をとれる。


でも、最近の若い人はあまり年賀状を書かなくなって、代わりのあけおめメール、さらには誰宛でもないtwitterのメールになってしまっている。

これも激しい私見だけれど、メールでいかにもBCCでみんなに送ってるだろうなーというのにはあまり返信する気が起きない。ましてやtwitterのあけましておめでとうはなおさら。紙の年賀状でも同じデータのを印刷しているという点では同じなのだけど、自分宛かどうかが、指向性が違うように思える。


そうした、年賀状という弱い紐帯を保つコミュニケーション手段が失われて、SNSが広がっていることは時間軸で見ると代替のように見えるし、むしろ高機能化ではある。けれど、疎遠な友人に声をかけるきっかけは失われてるのではないだろーか。SNSで見えていてもリプライとか送るタイミングが合わない人もいるし、いつでもそこにいるがゆえに、きっかけがないように感じる。

と、だらだら思っていたら、年賀状に近い機能を持ったものがSNS上にもあることに気付いた。

それは誕生日。特にFacebookでは毎週のように今週誕生日を迎える人を通知してくれるし、アクセスすれば目立つ位置にだれが誕生日か掲載してくれる。年に1回という頻度は年賀状と同じで、わりとほどよいきっかけだろ思う。
そこでは、疎遠な人にも気軽に「おめでとう!」と書けるし、それだけでは味気ないとメッセージを添えてしまうし、相手からは返事もしやすい。
そこで盛り上がるだけでなく、勢いで飲みに行くことが決まることもある。
まあ、まだFacebookユーザに限られるのだけれど。


こういう、声をかけるきっかけ、コミュニケーションの契機をいかに提供するかはおもしろいし、ぼくがもっと女の子に話しかける機会を持ちたいのでもうちょっと深堀りしてみたい。

ちなみに、イケメンリア充な友人によれば、クリスマスというのは女の子を誘いやすい最大のチャンスらしいです。自分は逆に気兼ねして無理ぽです。