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うんこめも

自律分散うんこ製造システムについてのメモ

ディストピアと人間 「すばらしい新世界」「一九八四年」

人はSFになにを求めているのか。科学的興奮?少し不思議(SF)なものへの好奇心?緻密な設定と世界観?ただ物語を消費する?まあ、そういう小難しい理屈はなくてただそれがおもしろいからというのが理由だと思う。それを掘り下げていっても人間が何に楽しみを感じるかという主観的で哲学的な問題といくばくかのマーケティング的なトピックに帰着するだけだろう。

最近、自分はSFを読んでその描かれた世界から自分たちの世界への皮肉みたいなものを楽しんでいるかもしれない。別に学びを得るというわけではなく予言の占いがありえなくともどきっとするような感覚。


そんなことを思ったのは「すばらしい新世界」を読んでみたから。
1932年に初版がでたこの小説はいわゆるディストピア小説。反ユートピア。一見、平和で満ち足りた世界のようだけれど、それはかなりの制約のうえに成り立っているというものを描いている。


このSFの世界観を簡単に紹介する。まず、すべての人間は受精卵の段階から培養ビンで育てられ生まれながらに階級が分けられている。それも下級は意図的に酸素供給を減らして体格を小さくしたり知能を抑えたりするほど念のはいった階級社会。しかし睡眠学習と条件付け教育で、それには疑問を持たせないようにし、すべての階級の人間は自分はこの階級で良かったと思うようになっており上の階級を嫉妬することはないようになっている。また社会を安定化するために小説や宗教は忌避されるように条件付けられ、かわりにスポーツや娯楽消費、フリーセックスと爽快な気分になる薬剤ソーマが奨励されている。家族の解体は「親」という言葉が下品にとられたりするほどだ。

そんな社会に、不運から隔離された未開社会で育ち、たまたま現地に残されていたシェイクスピアを読んで育った野蛮人が入っていったらどう写るのか。その野蛮人と、現代社会の中でもつまはじきにされていた上位階級の男、そして世界統制官との対話はかなりシニカル。

その進んだ人間たちの末路はガリヴァー旅行記のラピュタの話に近い印象を持った。
これはかなり完成された平和で安定した社会。しかしその平和と安定と、自由と自立といういわば人間らしさのようなものは両立できないのだろうかと疑問を投げかけている。




さてそんな中で読んでみたのがいろんなところでオマージュされているジョージ・オーウェルの一九八四年。超有名ディストピア小説の新訳です。こちらは未来の全体主義的な監視社会での絶望とその絶望的な仕組みを描いている。

で、これもただの監視社会ではなく、安定と権力を求めた末の監視社会。人の考えをも取り締まるという思考警察、党の絶対的正しさを証明するために過去の歴史・資料をも改竄する国家。党を代表するビッグブラザースターリンを模しているし全体主義的だ。

主人公は党の発表や発生した事象に合わせて資料を改竄する真理省の役人。社会に反感を持つなか、自由な考えを持つ女性と恋に落ち、思考警察に知られれば即連行される状況でどうなるか・・・。

この抑圧の中での恋愛やその後の心理描写もいいんだけれど抑圧の方向がすばらしい世界とは大違いである。
例えば、すばらしい新世界で1行目から触れられる世界国家のモットーは”共同性”,”同一性”,”安定性”に対してこの一九八四年で5ページ目で触れられている国家オセアニアのスローガンは"戦争は平和なり","自由は隷従なり”,"無知は力なり”。
後者は抑圧社会ということに自覚的すぎて子ども向け作品の悪の組織かとも思えるくらい。

ただ、後半で明らかになるようにこのオセアニアのスローガンは世界と権力の維持のための必須な条件であることがわかる。そしてすばらしい新世界との大きな違いは、そのアプローチではなく求める安定が、「人類社会そのもの」か人間の権力追求によるものかだと思う。人間の業というか欲深さを制御する方向か、それによって制御される方向かと言ってもよい。

満ち足りた世界、というのはなにかを失わざるを得ない。コンドラチェフの波、繁栄と停滞と革命の循環を克服するべきなのかどうか。今の世の中のポピュリズムナショナリズムを見るとちょっと暗澹とした気分になるけれど・・・どうだろう。読んだ人同士で話をしてみたい。


すばらしい新世界は物語や人間像は古びるものではなく、ガリヴァー旅行記と合わせてこれからも読まれるだろうし、一九八四年はこの技術が発達し容易に監視社会が実現できるようになったいま、新たな風刺としての力が生まれているようにも思う。



ほかのディストピアとして思いつくのは貴志祐介の「新世界より」、「銃夢」のザレム、「Vフォー・ヴァンデッタ」、「未来世紀ブラジル」あたりだけれど、どれもSFのフィクション要素が強すぎてディストピア感はないかな。現実世界がすでに繁栄のピークを過ぎて退廃感があるからもう流行らないのかもしれない。


すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

どちらも新訳で読みやすいです。

蛇足1.

あと「すばらしい新世界」も「一九八四年」、「Vフォー・ヴァンデッタ」にしてもイギリスのロンドンが舞台というのは興味深い。ディストピア的発想は大英帝国の繁栄と大陸のファシズムへの恐怖にあったのかも。

蛇足2.

どちらも性的な表現があるのだけれど、すばらしい新世界のがよかったです。
フリーセックス社会に生きるレーニナ(レーニンのもじり)が未開の地でシェイクスピアを読んで育ったジョンに求愛しそれを拒否するシーンとか。