最近、mixiやtwitterなどで飲酒運転やカンニングなどの犯罪をつぶやいてしまって、2chやtwitterで炎上して名前や大学が晒されるということが目立つ。怖いなあ、と思うので雑感としてすこし書いてみる。*1
ネットでの炎上
はてなブックマークで「炎上」タグを検索するとさまざまな事件がでてくる。
はてなブックマーク 検索 炎上
犯罪自慢のような、明らかに火種があるものもあれば、そうではないものもあるのがわかる。
火種があるものでも、より印象的にしてPVを稼ぐための拡大解釈があるのも散見される。
異議を挟めないようなひどいものもあるけれど、それにしてもかなり厳しいペナルティだと思う。中には内定を取り消されたり、停学処分になった人もいる。加えて、本人の名前でググると、その犯罪をまとめたページが半永久的にヒットするようになってしまっている人もいる。
直近だとこんな事例があった。
- studygiftという個人間の奨学金支援サービス。このサービスが良いか悪いかはさておき、これに利害関係のない第三者が、正義の代弁者であるかのように非難しているのがネットのそこかしこに見られる。(参考:「studygift」のまとめ - Togetter)
- ほかにも虚構新聞が「橋下大阪市長、小中学生にTwitterを義務化」というネタ記事を書いた際も炎上していたことも記憶に新しい。これは虚構新聞を叩く人と、叩く人を叩くという構造があった。http://matome.naver.jp/odai/2133695646766000701
- そして一番大きい問題である、個人の炎上。個人が名前を晒される具体的な事例はここでは引かないけれど、一連の発言のなかで、見方によってはひどい意味となる言葉のみが切り出されて叩かれている。
対象が個人かどうか、発信者の匿名性に違いはあるけれど、この、鬱憤を発散するかのような猛烈な炎上は予想以上のものだったという点では同じだと思う。
匿名の不特定多数からの攻撃
mixiなどclosedなサイトであっても、それが受け入れられなければ晒されて炎上する時代。
悪事が暴かれるのはすばらしいことかもしれない。センシティブなことはネットに書かないようになってよいのかもしれない。
けれど、不特定多数で対象をめためたに叩くというのは、かなり気味が悪い。悪を告発するというより、誰かの人生をだめにすることが目的になっているように見受けられる。正義を気取って正義を自任している分、たちが悪い。正義、社会的厚生のためにユダヤ人が密告されてアウシュビッツに送られたり、1923年の大正関東地震の際に、韓国人が殺された事件、KKKによる黒人迫害と似ている面がある。
社会状況もあって、殺されることこそないけれど、技術の進歩・ネットワークと端末の普及で匿名の不特定多数で一気に炎上する状態は社会的に抹殺されていると言ってもよいレベルだと思う。
ソーシャル1984
ソーシャルネットで個人が自由に情報発信できる社会はすばらしいのかもしれないけれど、それは個人が多くの人から見られ、監視されうることを意味している。
オーウェルが1940年代に全体主義国家を風刺して書いた「1984」は、国家(ビッグブラザー)からの監視・統制を念頭に置いていた。ただし、いまは違うものによって監視されている。個人が自発的に、相互に他者を監視し告発する社会。*2
江戸時代の五人組や、太平洋戦争中の隣組みたいなものも近いけれど、告発しなければ自分も危うくなるという部分が決定的に違う。Webというツールが加わって、自分に関係のない知らない人を、ほぼ匿名性を維持したまま一方的に叩くことができる。そこには五人組にあった、自分を守るために仕方なく、という面はなく、個人の攻撃性・抑圧の発散を目的にしているように感じられる。
この、ソーシャル1984(造語)による攻撃は、どういった契機で、どういった対象に起こるかは詳しく検討する必要はある。少なくともいくつかのパターンはあるように思える。が、ここではこういったものがあるのではないかという問題的にとどめておく。
課題としては、ソーシャル1984がどういった状況で顕在化するのか。ビッグブラザーという明確な敵がいない状況で、この現象をどうやって止めることができるのか(止める必要はないかもしれない・・)。何者かによってコントロールされうるのか。社会・行政はどうするべきか。
ネットは素晴らしい社会をつくったと思う。楽しいだけでなく個人の力を増幅し、社会に革命はもたらした。けれど、負の側面も増幅しているような気がする。
ネットを使用する際は、くれぐれも気をつけようと思う。炎上のすきを与えないように、自分が炎上に荷担しないように。