ぜぜ日記

ブログです

中3の僕がみた911

一日遅れだけど、僕が見た911を美化された記憶を手繰って書いてみる。

ぼくは中学3年生だった。遊びに出ていて22時くらいに帰ったら、父がテレビをかなり緊張した様子で見ていた。そしてこれを見ろ。と言った。どこかの国のビルが黒煙を上げている。あまりテロという言葉もわからず、火事かなあ、大変だなあ、と見ていた。アナウンサーが焦りと緊張が入り交じった声で、たいへんなことになった、みたいなことを言っていた気がするけど、ピンと来ていなかった。そうしてみていると画面の端から何かが飛んできて、ぶつかった。飛行機らしい。ここでこれはヤバイと思った。何百人も乗った飛行機が何千人(後で話を聞くと、何万人、だった)もいるビルにぶつかったんだ。ただ事じゃない。
そうして地球の裏側のビルが黒煙をまき散らすのをブラウン管から見続けた。見ても何も変わらないし、そのときはこれが歴史の一つの転換点になるとは思っていなかったけど、見続けた。

そうして見ていると、ビルが溶けるように消えた。あんな体積あるものがつぶれたわりに瓦礫の山は小さいな、と思った気もする。ここらへんの、黒煙が迫り来る衝撃的な映像はこのとき見たのか、翌日見たのかは定かではない。


ここらへんの感想は、イスラム教って過激なんだな。怖いな。日本もテロされるのかな。といった安直なものだった。
今考えてもよく分からない。ウサマビンラディンとは何者か。タリバンはなんなのか。陰謀説も未だにささやかれている。
真偽はわからない。

2つ気になったのは、

  • 命をかけてテロを起こした人がいる。彼らを洗脳できる思想、手腕を持った組織がある。
  • 無垢な人々も殺される。

ということ。

第二次世界大戦やオウムのときもそうだけど、人は簡単に命を投げ出して命を奪う。今の自分からは想像できないけど、意外と思考停止して、機械的に投げ出せるんじゃないだろうか。
きけ わだつみのこえ」は一部のインテリが書いたものだと批判されていた。そうした人間の愚かさ、単純さに嫌気がさしたのもこの頃か。中二病だ。

たぶん、この事件はそれまで安穏と「平和」に危機感無く思考停止で暮らしていた僕に考えるきっかけをくれた。

亡くなった方々のご冥福をお祈りします。