早稲田祭での宮台真司の講演を聞きに人生で初めて早稲田大学というリア充の巣窟に足を踏み入れました。
宮台真司(Wikipedia)という人は社会学者でなかなか鋭い分析をしている方です。すこし年配の人にはブルセラの人、というと通じるかも。自分は大学院の頃に「日本の難点」という本がはじめてだったのですが、共同体と社会システムに関する示唆が優れていて気になっていた人です。(論理はちょっと不思議なところもいくらかありましたが・・
最近の彼の言論を追っていなかったことと、ちょうど誘われたということで行ってきたので簡単なメモをまとめて感想を書いてみます。いろいろ再構成してるので文脈や用語、もしかしたら意図まで誤ってとらえてるかもしれないです。あと講演というその場の雰囲気で話の方向が変わるもののため文字でまとめると流れは掴みにくいですがおもしろい示唆がちりばめられててなかなか圧縮できませんでした。当然、責任は自分にありますがなにか指摘してくれると嬉しいです!
感想は別途書きます。たぶん
問題:日本の不幸さとダメな社会システム
原発の事故によって日本の社会システムの問題がいっそうあらわになった。それはダメなものを変えられずに放置してしまうという性質だ。それと大きく関連するのものに日本国民に特有の不幸さがある。福島の事故後の選挙でドイツでは大きく議席の変動があったが、日本では反原発派が当選しない*1。原発をやめられない社会。政治史を見ればわかるが、この問題をうやむやにして惰性で進んでいくということが繰り返されている。
自殺や孤独死などの社会指標を見ても日本は異常だ。東大病院で死んだ人の3割が身寄りなしというデータがある。高齢者・家族の絆を調べる指標もどこよりも低い。幸福度調査で75位以内になることがない。なぜこれだけ先進国なのに不幸なのか。加えて企業への忠誠心も先進国最下位になっている。ものづくり大国が復権することはもうないだろう。統計を見ても日本産業の低迷さは明確だ。
そうした現代の日本でぼくたちが幸せになるにはどういう社会を築けばいいのかを示すのがこの講演の目的。
原因:自分たちで引き受けない文化と空気に迎合する文化
原発が効率的だというデータも安全だという根拠もデタラメだとわかったが原発をなぜやめられないのか。これは日本人の悪い心の習慣による。おそらく君たちが電力会社や省庁のなかにいても推奨する立場になってしまうだろう。
- 民主主義の基本を多数決と考える誤解。民主主義の本質はおまかせと批判ではなく自分たちで引き受けること。
- 合理性や知識を尊重せずに空気に支配される。 太平洋戦争時と同じ。*2
例えば世界ではもうどこもやっていない核燃料サイクル、いよいよ経産省が六ヶ所村などやめようとしていたが、おそらく電力会社・族議員の圧力により改革派は移動させられ頓挫した。
この問題のひとつの原因として補助金行政が挙げられる。特別措置法→特別会計→公益法人→天下り先→業界、とお金を配る。これによって市場の力、つまり効率化が働かずに古いままのやりかたが継続し、いかに補助金を獲得するかという政治にエネルギーが割かれる。他の先進国では補助金ではなくルールを作る方向にシフトしている。いいコトをしたところが儲かる仕組みががない。*3
日本には行政に従ってご褒美をもらう仕組みしか無い。そのために効率が悪く淘汰が進まない。行政が事業をやって失敗するところも多い。これはやる気もノウハウもないから、そのうえ行政コストも高くなる。そして運用されない風車だけ残る。持続可能性を考える必要がある。よいことをより効率的にやると儲かる仕組み、投資を呼び込む仕組みが必要だ。
日本の政治文化はなにも変わっていない。参加して引き受ける。空気に支配されずに知識を参照する。これができると自然に補助金を待つだけにはならない。
その原因:自治と共同体
この悪い習慣の原因として自治の伝統がないことも挙げられる。そのために滑稽な間違いを犯す。たとえばスローフードが有機食品とトレーサビリティと誤解されていること、これはスローフード運動を危機と感じたウォルマートのマーケティング戦略。スローフードの本質は食の共同体。消費者の顔が見えるから品質は高くなる。顔が見えるからコスト高くても買う。地域の動きを共有するということになる。
グローバル化を理解しないといけない。為替の自由化や資本移動の自由により従来と比べて国家が働かなくなる。そして企業が栄えて労働者は貧しくなる。グローバル社会では経済指標が改善しても国民は貧しくなるのは当然の帰結。その結果、行政が使えるお金が少なくなるために小さな政府しかありえないことになる。それに対してアングロサクソンでは市場化、ドイツでは共同体自治化で対処している。
日本は相変わらず市場か国家かの論争に終始している。欧米ではとっくにどちらの巨大なシステムも失敗すると認識し地域共同体にシフトしている。ヨーロッパではコミュニティ、アメリカではアソシエーション。そのときに日本は市場を開放し、お金をつかう公約を出し市場依存・国家依存を進めている。これで共同体は空洞化しっぱなし。どこのちほうも同じ風景にならざるを得ない。そして土地と人は入れ替え可能になりますます共同体から離れていく。
グローバルな市場主義での勝者はユダヤ系と中国人だがどちらも家族親族ネットワークが強い。家族がないビジネスマンは40代ですり切れるとされる。育休を取るような男は40代まではパフォーマンスわるいがそこからは向上してくる。ホームベースを持っている強み
共同体が空洞化しているので資本主義で勝つことはできない。アメリカではルーツのある人間が強い。日本の例外は血縁主義の強い琉球、ハワイや南米に渡って成功している人もここの人が多い。
原発の3つの問題
安全保障と正当性と尊厳。
まず安全保障。原発はリスクが予想不能・計測不能・収集不能である*4。そしてパラメータをすこしかえるだけで生起確率が大きく変わるためベイズ統計が使えない。つまり保険が使えないということだ。バイオテクノロジーも近い*5。フランスの会社が試算した結果、保険入れようと思ったら電気料3倍、ドイツでは1kwh8000円になった。
そういう問題のため原発は未規定なものであり、そういうものを中央集権国家が決めることはできない。決定の正当性がない。地域が決めないといけないが、原発では決定に携わらなかった地域にも影響が出る。結論として、民主的な決定には向かない。ドイツのメルケル首相は原発廃止を決定したがこの過程で安全委員会は原発にお墨付きを与えている一方で倫理委員会は正しくないとしており倫理委員会に従った。日本では安全委員会に相当するものしか無い・
3番目。幸福と尊厳問題
これほど快適なのにたくさんの人が死ぬ。これから自殺率上がるだろう。なぜ死ぬのか。まちづくりに秘密。
どこも同じような風景。便利で快適。同じようなショッピングセンター、で人が死ぬことが再生産。被災地もそうなるだろう。
この尊厳の問題に枠組みを与えたのはベアード・キャリコットだ。功利主義・帰結主義・義務論で解決できないものを考える枠組み。生き物を殺すかどうか。例えば代官山にある大きな木。うろがあって蚊が出るし陰もできる。功利的には切るべきとなる。キャリコットは、人間を主体に考えるな、場所を主体に考えろという。共同体自治の問題。ある場所を生き物を主体に考えることが出来る範囲はどうなのだろう。
価値への転換
ここで大事になってくるのは価値・価値を訴える存在。アドヴォケイト。アドバタイズメントからアドヴォケイトへ。Think Different 違うようにに考える、ではなくみんな間違っている。
BMWの農業貯金制度・時間貯金制度が興味深い。車は80年代から冷蔵庫のようなコモディティになった。このままではジリ貧になる。キーワードはプレミアムバリュー。つくるのは車ではなく、プレミアムカー。それを認めて買うような人間は、社会的価値を認める人間だろう。そこでバイエルンに根ざした制度をつくった。つまり儲けるためにやっている。
電気料金も、新しい価値を認めてもらい、利益をあげる方向を模索するべきではないか。電力会社は総発電量の3%を利益としている、つまり儲けまくっている。このお金で地方のマスコミの株主になったり交響楽団もっている。電力会社が地方を支えてきてるんだ、と公言しているがもう持たない。
良いことを認められるような設計。政策市場。フェアトレードも含まれる。70年代末、レーガンがNPO補助金を削除してほとんどのNPOは死んだけど一部は残った。それらは自分で利益をあげる術を身につけている。アメリカではNPOが公園をつくっている。世界の活動的なNPOのトップのほとんどはアメリカ人で自分で利益をあげている。ちなみに、日本でこれをやるとあんたお金しか頭ないのか、と言われる。NPOはまず企業のCSR活動からタネ銭を募って収益をあげたら事業に再投入。税金を国に払うかNPOに払うか選べる。税金も政策市場。社会の中でいいコトやろうとしている人、儲けたい人がいる。いいことやれば儲かるようになれば儲けたい人もいい事する。
その他メモ・質疑など
地方での共同体のために、まず地方議会を解散して顔の見える範囲でやっていく必要がある。委員会やワークショップ。特にものをつくるときに必ずワークショップ。なぜならみなさんの欲求は必ず間違っているから。価値を実装していく。ニーズに応じてはいけない、がそのニーズは見えていない。ワークショップを繰り返して個人の欲求ではなく社会の貢献にシフトしていく。ワークショップで重要なのはコアメンバーの動き。議会と違って反論がある。事前に綿密な打ち合わせ、根回しではない。価値の作りかえが必要。
文化をかえていくための解決策*6
- エリート主義 三島由紀夫 柳田国男 かえられない、かえてしまうのはむずかしい。礼儀正しさもその裏返し。一部の人間が、任せられる側が・・。
- 共同体自治・・みんな改造するのは無理。ちいさなところでなにかかえられるか。生々しさ。成功事例。
- 教育と芸術 心の習慣は変えられない。日本では超越神が存在しないから。存在すれば自分とは別の反省心。
ここで教育をする側が必要だがそれを確保するのは鶏と卵。メディアが重要になる。この世を仮の姿で、という実存、洗脳。新しい宗教を持つことはできない。KYと言われようが好きにできる。マタイの福音書。この世の苦難を別の位置における。こういったことは日本人にはできない。ホームベースがあるから仮の姿でもいける、これはメディアで簡単に。ナンパ→オタク。86年以降に生まれた世代。原理の変化を一度も経験していないから仮の姿でいけない。52年世代。ナンパが得意。シラケ。ゲームの変化を
エリートにしても共同体自治にしても引っ張っていく人たちの連携が必要。パーティとは違うアライアンス。目的を共有しながらも連携していく。