「現代経済学の直観的方法」(2020, 長沼伸一郎)を読んだので簡単に紹介してみます。
著者の「物理数学の直観的方法」が評判だと聞いていたなかで手に取ってみたのだけれど期待以上で楽しく読めた。これまで勉強しても腹落ちしてなかったマクロ経済や貨幣のことがわかったというのもあるし、ブロックチェーンについてもこれほど明快に書かれている本は知らない(構成の妙もあって要約しにくいので興味ある方は手に取ってください)。
一番刺さったのは、最初の章での金利によって資本主義が加速していかざるを得ないというメカニズムと、最終章での社会が縮退していることとその処方箋の検討。現代の資本主義社会に問題意識を持っていて脱成長などの概念に関心がある人が読むと得るものあると思う。
本書では「資本主義とはその外見とは裏腹に、実は最も原始的な社会経済システムなのであり、それ以上壊れようがないからこそ生き残ってきたのではないだろうか」と書いている*1。そして、金銭の力が社会を腐敗させることをいかに抑え込むかの知恵もあった、と。 例えば、イスラム教やカトリックでの金利の禁止と喜捨の文化は資本主義の暴走を抑える伝統的な知恵だったのではないかという分析。これまでカトリック教会が信者間で金利をとることを禁止していたなかで被差別民だったユダヤ人が金融業を営んで稼いでいたことを、教会がみすみす目の前の利益を逃していたように思っていたけれど実はそうじゃなかったのかもしれない。 これは「エンデの遺言」でのお金に関する危機感に通ずるものがある。
もし今後資本主義にとってかわる新しいシステムを作り出すのであれば、以下の3つの条件を克服するものである必要があるという。
①軍事力維持の基盤としての資本主義(旧英国型)
②人々に未来の夢を与えるための資本主義(米国型)
③資本主義から身を守るための資本主義(日本型)
1つ目について補足するとソ連の共産主義が倒壊した直接的な理由として経済効率が劣っていたことにあるというより、むしろ金のかかる軍事力を維持するためにはむしろ資本主義の力が必要だったとも補足されている。2つ目は夢があるからこそ人々が参加してそのシステムを支えていることだと解釈。3つ目は自国の産業と雇用を守るためには同じ土俵で戦わざるを得ないということ。
この条件を満たす社会システムはあるだろうか? SF(speculative fiction)の世界で考えてみても、全世界レベルの管理社会が実現したときに①③を克服して、②を力ずくで抑えられる、というディストピアなものしか思いつかない。
そして本書最終章で提示されている概念「縮退」について。
例えば、地中海世界を版図におさめて繁栄したローマは無産者の増加と格差の拡大で退廃が進み、ゲルマン人に倒されてからもそのゲルマン人も商業的退廃に染まって軍隊の力を失い、また次のゲルマン人に滅ぼされてしまうという流れがったけれど、こうした一度サイクルが進むことで外圧がない限り退廃の道を進むことを縮退と表現している。
そして、現代社会の富は、単に巨大企業自身が活発化しているというより、昔の時代からの伝統や習慣で長期的に整っていた社会生活のシステムが、壊れて縮退する過程でしばしば生まれているものだと指摘している。これは、権力を握る立場になった政党や官僚、巨大企業が社会を蚕食し自らの利益を確保してますます権力を強固にしている現代社会ともかぶる。
本書では、まずこの縮退のメカニズムを理解することがこれを抑える理論を見つけ出す一歩なのでは、と結ばれいくつかヒントがあげられている。自分の想像力の檻もあるけれど考えてみたい。
あと、連想したのは、「エンデの遺言」で紹介されていたこの考え。ただ、悪貨は良貨を駆逐するように、なんらかの力で導入したとしても、プラスの利子をもつ貨幣が広がりそうな気もするけれど。
もしお金がマイナス利子のシステムのもとにおかれるならば、社会が実現した富はなるだけ長期的に価値が維持されるようなものに投資されるということです。これと対照的に、プラスの利子の場合には、より短期の利益をあげるものへの投資が優勢になります。
本書で触れられていなくて気になるのは現代貨幣理論MMTとか、ドーマーの定理での財政破綻とかでここらへんも著者の見解も読んでみたいし、本書自体に対する経済学者の方々の評価も読んでみたい。
そのほかおもしろかった話題メモ
シュンペーターの言葉「資本主義とは、金儲けを目的とせずに働く少数の人間の存在によってのみ支えられる、金儲けのためのシステムである」
→ お金を儲ける人ではなくその行為のため、というのがミソですね。
一般的に洋の東西を問わず、農産物の価格というものは長期的に下落していく傾向にあり、生産物を安く買い叩かれて産業全体がだんだん儲からなくなってしまう。そのためこの産業に従事する人々の数は減ってしまう(ペティ・クラークの法則)
→ 農業経済は工業経済に敗北する理由。 原料産出国の側が反撃に成功した例は一つだけあって、それは1970年代の中東産油国の石油戦略とのこと。
(要約)経済理論はどの層が同盟を組むかで考えるとわかりやすい。 投資家層・起業家層(生産者層)・労働者層(消費者層)の3階層があるなかで、19世紀には投資家層と起業家層が同盟しアダム・スミスから進化した自由放任主義を主張する古典派経済学を信奉していた。これに対抗する形で労働者層のマルクス経済学が生まれた。それが20世紀初頭の世界恐慌を受けて生産者層と投資家層が手を組みケインズ経済学が20世紀中盤を制した。1980年代にはいると、労働者層はソフトな消費者層に変化し、新自由主義による国際化の流れになっている。この同盟ゲームの中でマルクス経済学は基本的に多数派になることができない。ソ連は、中身は軍事独裁制で投資家階層を抹殺することで成立していた。
(要約)アダムスミス流の神の手では、縮小均衡になる問題には無力。 ケインズの一般的な欠陥は、ピラミッド建設のような公共投資を行うため、「大きな政府」を要求する上、その財源としてしばしば国債発行という手段に頼るため、財政赤字とインフレの温床になりやすいことがある。インフレという副作用は投資家たちの富を蒸発させる点でプラスの効果も期待できる(しかし、現在の投資家層が土地や株式という形でもっている現物の強さの前ではインフレはそう影響ないのでは?)
(要約)貨幣は、必ずしも当局が紙幣を増刷せずとも「虚」のマネーを増殖させる性質を持っている(信用創造というやつ)。この増殖の限界を決めるのは準備率。この増殖メカニズムは、社会が好景気で拡大したがる際にはどうしても要求される。
(要約)国際通貨の困難の根源は、経済の拡大に合わせてゆっくり増やしていくことは自由にできるが、その一方、誰もが自分の勝手で急速に増やすことはできないという半ば二律背反な性格を要求されていることにある。ビットコインなどの仮想通貨もこの性質を満たせず国際通貨にはなりえない(むしろゴールドに近い性質のもの)。 こういう意味では、お金の問題に踏み込んだ「エンデの遺言」で紹介されていたゲゼルのマイナスの利子をもつ通貨、ケインズが1943年に提案したマイナスの利子を持つ国際通貨バンコールというのはありえないのだろうか?とはいえ、鋭くもこの自己増殖する貨幣に問題意識を持っていたエンデの本で、腑に落ちなかったところが本書ではすこし解消された。
インフレのもとでは「機動性の高い人々」が得をして「動きの鈍い人々」が損をする
資本家・労働者が損をして起業家が得をする、と。
自由貿易とは要するに「一番最初に二階に上がった者がはしごを引き上げてしまう」制度
それなのに平等っぽく見えてしまうのが罪深い・・・
英国が「オタワ協定」によって英連邦圏をブロック化したことに始まり、米国が南北米国全体で、フランスが旧植民地でそれぞれ排他的な経済圏を作った(またソ連はすでに共産主義経済圏を作っている)。そしてそういうものを作れず、寒風吹きすさぶ世界経済の中に宿無しのように放り出されたドイツと日本が、自分たちもそういうものを作ろうとして強引な軍事行動に出たということが、通常第二次世界大戦の原因として語られている。(中略)大変皮肉なことに、そのステップへ進むことを可能にした一つの原因は、まさしくそういう破局の中に一旦まともに頭を突っ込んだこと自体にあったと言わざるを得ないようである(中略)。当時の日本の状況では重工業の育成には膨大な初期投資が必要であり、まともな経済の論理からすれば到底元がとれず、そのため本来ならばこんなアジアの国が重工業化に成功するなど常識的にはほとんどあり得ないはずのことだった。ところがここで、これまた常識的に考えれば遂行不可能なはずの戦争を本気でやろうとしたため、結果的にそれが可能となったのではあるまいか
→ ちょっと道徳的には受け入れがたいけれど、ソ連の5か年計画とかも似たようなもので尋常の民主主義国家ではできないのかもしれない。
*1:これは、「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像するほうがたやすい」という言葉を想起したけれど、ちょうど今日見た Tweet で、原典ではこれに「それは我々の想像力の弱さに由来するのだ」が続くと知った。
フィッシャー以降こすられまくっているジェイムソンの「 資本主義の終わりより、世界の終わりを想像するほうがたやすい」というセンテンス、原典を読むと、あとに続く、それは我々の想像力の弱さに由来するのだ、という部分がより重要に思える。では想像力を陶冶するにはどうすれば…と進める。 pic.twitter.com/O9Rg1PAANP
— 柴崎祐二 (@shibasakiyuji) 2021年5月22日