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「エネルギーをめぐる旅」、人類の未来を左右するエネルギー問題を考える

古舘恒介さんの「エネルギーをめぐる旅――文明の歴史と私たちの未来」を読みました。 SDGsが定められる以前から石油の残存量は人類の未来を大きく制約するものとして立ちはだかっており、原子力発電や再生可能エネルギーなどさまざまな取り組みがなされてきましたが、それらの問題について人類史とエネルギーの原理をもとに整理してくれる良作です。

著者は1994年に日本石油に入社して、現在JX石油開発株式会社の技術管理部長ということでアカデミアの人間ではないというのも興味深いところ。産業にいる人間がどういうプロセスで、こういう射程の広い本を書いたのか気になりました。

まず本書では人類が経験してきたエネルギー革命として、火・農耕・蒸気機関・発電・窒素固定の5つをあげています。どういうふうに取り上げられるのだろうと思ってた原子力発電は熱源の違いという意味で蒸気機関・発電のいちバリエーションという位置づけでした(後半、未来のエネルギー源の候補を検討する際には、現状の核分裂反応による原子力発電には否定的です)。

自分の特に関心のある農業に絡むところがいくつかあるのでそこについて気になったことについて取り上げます。

まず、第一のエネルギー革命、火について。この火による調理によって消化の効率が上がったことで体格に比して胃腸が小さくてすむようになって脳にエネルギーを割けるようになりました。例えばジャガイモや卵は加熱調理することで消化吸収できるカロリーが倍近くにまで増えます。これによって脳を使った活動が広がったということを最初の革命としています。

この考察で著者は、人の脳はより多くのエネルギーを得て賢くなりたいと望むものなのでは、と踏み込み、さらに、文明社会もエネルギーの消費量を増やしていくことで発展していくものとして似ているもので、エネルギー問題の根本は人間のあり方と不可分と考えています。

また、「地球上で普段我々が目にする火とは、その多くが私たち生物の成れの果ての姿」という視点も新鮮でした。

次の革命は農耕。これを「その地に自生している植物を追い出して、その土地に注ぐ太陽エネルギーを人類が占有するということ」と喝破し、農耕生活がもたらした闇として、土地をめぐる争いとしての戦争と、その敗者をつかう奴隷制をあげています。

そして、その間、森林資源が文明の興亡と関わっていることも。再生不可能なところまで森林を伐採し土壌環境を永久に変化させてしまう過ちは、古代メソポタミア文明古代ギリシア文明に限らず世界各地の文明で繰り返され、多くの古代文明が衰退する大きな要因となっています。最古の物語のひとつ、ギルガメシュ叙事詩での森を守るフンババ退治のあとのレバノン杉の伐採によって神の怒りにふれて飢餓が訪れたというのは、古代でも森林の大切さを感じていたこと、それでも止められなかったことに気付かされます。

また、ここで興味深いのは、森林資源の確保が大きな軍船をつくること、つまり軍事力と密接に関係していたこと。

そして時代はとんで産業革命(このあいだの蒸気機関の発明史も興味深いけれど省略)。おもしろかったのは産業革命以前のイギリスでは貴族である地主層が権力を握っており、その利益を守るために穀物の輸入を制限することで価格が高値にされていたこと。これに対し、もう一方の新しい富裕層である工場経営者にとっては工場労働者の賃金を低く抑えることが自らの事業利益に直結するため、食料品に代表される物価を低く抑える策につながったそう。この対立は最終的に工業経営者に軍配が上がり1846年に穀物価格を高値に維持していた穀物法が廃止され、安価な輸入品が流入するようになり、人類史上初めて工業活動が農業活動に優先するという政治判断が下されたことにより穀物はロシアをはじめとする東欧地域からの安価な輸入品が普及するようになったという。

※ これはちょうどはてなブックマークで話題になっていた、慶応の1994年の世界史の問題とも被るので紹介します。 http://history-link-bottega.com/archives/36932429.html

4つ目の革命の電気は、発電場所と利用場所を分離できることが最大の特徴。ここも科学史・産業史としてもおもしろいんだけれどさっと流して5つ目の窒素固定。これは、農業や食料問題について知っている人かどうかで印象が変わりそうな選択です。 窒素固定とはハーバー・ボッシュ法による空気中の窒素を大量のエネルギーで固定する技術。これは当時「水と石炭と空気からパンをつくる技術」と称されたもので、これを基盤の一つとする緑の革命などによって20世紀初頭には16億人に過ぎなかった世界人口は、20世紀末には60億人を越えるに至っています。

ここまでがエネルギーの発展史。 最後の窒素固定という革命について捕捉します。これによって農産物を大量に育てることができるようになり、トウモロコシを飼料とすることで、それまで出荷まで5年かかっていた肉牛は生後14-16か月で出荷されるようになっています。ただ、肉牛は1kgの肉を得るためにその11倍のトウモロコシが必要で、エネルギー収支比はそれなりに悪い。ちなみにコオロギは1kg得るためにエサは2kgでよく、全身が可食部なので効率が良いとのこと。自分はコオロギを代用食糧とするのは消費者文化と遠くてハードルが高いのでは、と否定的でしたがエネルギー収支という生産側の観点でみるとかなり優秀です。まだまだ効率化の余地はあって価格としてはペイしませんが、エネルギー源が限られてくると比重は増してくるかもしれません。

ここから本書はエネルギーとはなにかという考察に進んでいきます。さまざまな論点が出ておもしろいのですが、気になったものいくつかだけを拾ってみます。

・まず大切なのは熱力学第二法則。 中学校で学ぶ「エネルギー保存の法則」ではエネルギーは保存されるのに、世の中に永久機関はなく使ったエネルギーは戻らないようにみえる不思議への回答。これは、エネルギーには質があり人間が本当に必要なエネルギー源は低エントロピーのもので有限だということ。

・エネルギー効率はカルノーの定理から考えることができ、高温と低音の差で効率を計算することができる。 高温ほど効率が良い。火力発電は、さまざまな効率化で1600度まであげることで熱効率50%を越えている。原子力発電は、核燃料棒の被覆に使われるジルコニウムの耐熱温度の都合で280度までしかあげられず、熱効率は30%台。地熱発電はせいぜい150度の熱水なので効率はより悪いということがわかります。

→ 熱力学のカルノーの定理について、科学史上の文脈からわかりやすく解説されているので、自分が大学2回生のときの熱力学の授業を受ける前に読んでおくともっと理解が深まったはず。

・2018年末時点での可採年数は、原油天然ガスは約50年分、石炭は約130年分で現在確認されている埋蔵量は、2100年頃までにはすべてを使い切ることになる。著者の概算では、その間に大気中の二酸化炭素量は合計で300ppm以上増加するという結果が得られており、現在の大気中の二酸化炭素量は既に400ppmを超えているため足し合わせると2100年頃には700ppmを超える水準にまで二酸化炭素濃度が上昇する。

→ 80年後に使いきるということも、そうしたときに二酸化炭素濃度がとんでもないことになるということ・・・もちろん、海洋吸収などシミュレーションしきれないこともたくさんありますが、、

・気候変動問題の本質とは何か。これは、人類が謳歌している空前の繁栄が、地球が持つ利用可能な土地容量というキャパシティの限界に初めてぶつかったことからくる問題であるということ。

→ これはちょっと違和感。土地のキャパシティについてはちょっと数字がなさそう。別の個所では、エネルギー不足よりも先にくる限界というような説明もあってこちらは納得。

二酸化炭素を排出しないうえに大量の消費を継続しても実質的に枯渇の心配がないエネルギー資源を、将来の人類社会を駆動する中心的なエネルギー源に据えなければならない。その責を担うことができる可能性を秘めたものは、太陽エネルギーと原子力エネルギーのふたつ。ただし、現在実用化されている核分裂反応による原子力エネルギーを未来の社会を駆動する中心的なエネルギーに据えることは、もはや現実的とはいえない。原子力の中でも核融合発電が本命だが技術的ハードルが高く、今後数十年で実用化できるめどはたっていない。

→ うっすら思っていたころでもある。子どもの頃から未来の技術とされていた核融合発電の現状はどうなっているんだろう。

・地球には人類が使うエネルギーの1万倍を超える規模のエネルギーが太陽から降り注いでいるが、この太陽光の利用もハードルがある。一見理想的に思えるが、太陽エネルギー由来の発電方法は、単位面積あたりの発電量が小さく、火力や原子力よりも広い土地と多くの資材を必要とする。この土地の占有ならびに将来的な廃棄物の増加の点で環境に少なからぬ影響を与えてしまう。

・仮に日本の一次エネルギー供給量をすべて太陽光発電によって賄うと仮定した場合、季節差と昼夜も考慮した太陽光の平均強度を平米あたり150ワット、太陽光パネルによる電力へのエネルギー変換効率を20%と仮定すると、日本の土地の約5.5パーセント(四国全土よりやや広い!)に太陽光パネルを敷き詰める必要が生じる計算。

・また、発電効率が高さを期待されている洋上風力発電でも、風力タービン1基の発電容量を3メガワット、稼働率を30%と仮定すると、日本の一次エネルギー供給量をすべて賄う場合は約70万基必要。洋上風力発電を面で展開した場合に必要となる面積は、太陽光発電で必要とされる面積の19倍になる。

→ ここらへんはわりと衝撃的な大きさ。「主力」になれないのでは、という予感と、これを主力として現実的にできる規模に社会を縮小するという選択肢が頭に浮かぶ。

・水素も、単位質量当たりのエネルギー量が多く(エネルギー密度が高く)軽量であることから、貯蔵容器にかかる重量を勘案しても輸送が比較的容易にできることが挙げられる。

→ ただ、現在の工業社会でエネルギー源をかえるような、サプライチェーンをがらっと変えるようなことはちょっと想像つかない(イワタニ水素ステーション、どうまわっているんだろう・・・)

・省エネに関する技術は、エネルギー消費量が減ることでその機器を製造するコストや、機器を使用するコストを引き下げることになって、結果として、エネルギー消費総量は増えていく(車や家電の普及など)。このことは一九世紀のイギリスの経済学者ウィリアム・スタンレー・ジェボンズが初めて指摘したため、ジェボンズパラドックスと呼ばれている。

終章では、エネルギー問題を考えるということは、つまるところ「私たちはいかに生きるべきか」という哲学を考えるということだと書かれています。

持続可能な社会は、エネルギー消費量を抑制し、低エントロピー資源を大切にする社会への転換なしには立ち上がってきません。その実現を担保するのは、再生可能エネルギーの普及を促す政策の質にあるのでもなく、気候変動モデルの精度にあるのでもありません。私たちひとりひとりの意志を伴った行動にあります。未来がどのように切り開かれていくのかは、結局のところ、その多くが私たちの意志を伴った行動次第なのです。このことは、より多くのエネルギーを希求する本性を持つヒトの脳にとって、決して相性がよいものとはいえません。

これはほんと難しい問題。 ゴミの分別から、節電などの、ひとつひとつの努力をしていても、強大で無慈悲で成長を求めるマーケットの力は資源を食いつくすのではないか、という予感がある。そのダイナミズムのおこぼれで生活している自分を含む多くの先進国の人々の行動を変えるためには、強力な政治による、全体主義的な(生活的にも苦しくなるであろう)社会しかないのではないか、とも思うけれど、自由を尊ぶ現代人としては受け入れがたいところ。 もうちょっと前向きなマイルストーンを設定するなら、人類が利用できる石油などの低エントロピー資源が尽きるまえに核融合発電を実現できるかどうか、でしょうか。これで文明の寿命をもう少し伸ばせるとは思う(本書では、技術革新による問題解決への無邪気な期待を慎まなければいけないとも書かれているが)。そのタイムリミットを伸ばすために、人間生活の環境負荷を下げていくことは重要、と考えたいところだけれど・・・

前向きにまとめるのが難しいので本書でもうひとつおもしろい数字があったのを紹介して終わります。

「ほどほど」となるテンポを考えるにあたっては、ひとつの指針となりうる数字があります。それは年率二パーセントという数字です。これは杉やヒノキが成木になるまでにおおよそ五〇年かかることをもとに、その成長を年率に換算したものです。

この木の成長率(原理的に複利ではない)を、経済の成長率のベンチマークにするというアイデア。 どう当てはめるかはまだ想像できませんが、持続可能な生活と文明を考え続けていきたいものです。

エネルギーの専門家からみてどうかという書評は読んでみたい(ネット上にはなさそう)ところですが、わかりやすくとっつきやすい科学読み物なので、なんとなくエネルギーに興味を持っている方が読むのにうってつけですし、いまの若年・中年層であれば、生きているうちに直面するかもしれないエネルギー危機を考えるための基礎知識だと思います。

資本の力が駆り立てるエネルギー消費については、この本で読んだ、資本主義という強力でシンプルな現象を考えると、コントロールは難しいだろうな、という気もするところ。 dai.hateblo.jp