歴史学者が中高生(栄光学園の歴史研究部)への5日間の講義をもとにした本。口語で書かれ、質問と応答もあって歴史の本としては独特なんだけれど、日清戦争から国際情勢と日本のトップの判断を描いている本書は示唆も多くたいへんにおもしろい。日本はなぜあんな無謀な戦争をしたのか、避けようはなかったのか、と思う人は得るものあるはず。あとプロが歴史や研究をどう扱っているかをちょっぴりうかがい知ることができます。広大な文献があり、まだまだ最新の研究成果が出ているのをどうキャッチアップしているかも気になる。
冒頭の、歴史を学ぶ意義について、E・H・カーの、歴史は教訓を与えており、人物や事象は次に起きる事件に影響を与えているというから歴史は科学だ、という論はすこし受け止めにくかったけれど、続いてのアーネスト・メイが「歴史の教訓」にて、政策決定者はしばしば歴史を誤用する、防ぐためにはもっと広く歴史を学ぶ必要がある(要約)と論じていたという話は興味深かった。例として、ベスト&ブライテストと評された優秀な人々が政策立案をしていたにもかかららず、泥沼のベトナム戦争に突き進んでしまったアメリカは、過去の狭い成功体験と、中国の共産化という失敗に強く影響されてしまっていたのではないか、という分析だった。
本書で特に印象に残ったのは、日中戦争時の中国の外交官、胡適の「日本切腹、中国介錯論」。これは、日中戦争がはじまる前の1935年に大戦の帰結を予想していた提案で、日本はアメリカの海軍増強やソビエトの第二次五か年計画が完成するまえに中国に攻めてくるだろうが、ここで逃げずに、沿岸諸州が占領されるも2-3年耐えることで、満州が手薄になってソ連がつけ入り、世界中が中国に同情し、英米も軍を派遣せざるを得なくなる、という予想で、結果としてはほぼぴったりだった。胡適はもと社会思想を専門とする学者で、蒋介石によって外交官に抜擢されたらしいけれど、ここまで長期的で重い選択を提示できていたのは、恐ろしい決断を根拠の薄い楽観さで軽々と選択してしまっていた日本と比較するとすさまじいものがある。
また、国際連盟を脱退するときの演説から過激なイメージのあった松岡洋右が、それ以前は慎重で、国際連盟に残るためにも強硬姿勢をやめるよう内田外相に手紙を書いていたというのは驚きだった。これ以外にも外交での読み合いなどもたいへんおもしろい。しかし、この相手国に納得してもらうのと、自国内の世論とのバランスは難しい。政治家はいい落としどころと思っていても、国民は妥協したと批判してしまう。特に、日清戦争の賠償の成功体験を持っているとつらい。国民的なアンラーニングが必要だったが、どうしようもない。
また海軍軍人だった水野廣徳(ひろのり)が1929年の「無産階級と国防問題」にて、現代の戦争は必ず持久戦・経済戦となるが、資源もなく、主要輸出品目が生活必需品ではない日本は経済戦には勝てないから独力で戦争をする資格はない、と書いていたものの弾圧されてしまっていたというのも厳しいものがある。耳に痛い言を弾圧したり、無視するのは昨今の政治でもあるような・・・。
本書を通し、日本が戦争に進んでいったことは多数の背景や政治家・軍人の読み違えもあって、回避ポイントもあるにはあるけれど、回避できたらどうだったかと思うと悩ましい。関東軍が力をもったまま放置するのもつらそう。ソ連の影響を恐れて朝鮮を支配下に起こうとしてしまったからではなあったけれど、どこかいい塩梅はあったのだろうか。陸軍の皇道派が力を持ってしまった背景としての、世界恐慌化での農村の経済事情悪化が国会にどう影響を与えていたかはもう少し気になる(満州への移民政策についての記述はたいへん興味深かった)。
とはいえ、現代においては、日本の太平洋戦争突入という複雑さと比べると(もちろん、責任は大いにある)、ロシアによるウクライナ侵略やイスラエルによるパレスチナの抑圧と虐殺には、トップや自己洗脳された国民による傲慢なナショナリズムという単純でだからこそ受け止めいにくいつらさを感じてしまう。アーネスト・メイのいう教訓はなにかあるんだろうか・・・。