冒険野郎の高野秀行さんのイラク水滸伝を読みました。イラク南部の湿地帯を探検して行く話で、これまでの旅行記に比しても、フセイン政権崩壊以降は、自衛隊も派遣されたりISISが席巻したりと治安が悪い地域という印象があり、実際に高野さん訪問中にも爆弾テロが散発しているようすで読み始めてしばらくはピリピリした空気を感じる旅行記だった。
けれど、古代文明を育んだティグリス川とユーフラテス川のあいだには広大な湿地があって、そこでは足場の悪さから国家や権力にも支配されず、燃料にも建材にもなるカサブ(葦)の生産力で水牛を飼って暮らしているという、イスラム文化ともまた違うユニークな文化があるという。
ある種のアジール的というか、抑圧される側の逃げ込む場所にもなっていて、著者が水滸伝の梁山泊のようであると評しているように独自の気風が感じられておもしろい。もちろん危険な地帯地域で文化も違い、探索は難航するのだけど、国内で専門家に話を聞きに行ったり、専門書や論文なども多数引いているのも探索力を感じる。
葦の生産力と書いたけれど、葦だけではなく、湿地で驚くほどたくさんの魚が取れている様子にも驚いた。特に鯉の円板焼きなどが名物料理らしくおいしそう。またここでは水牛も飼われていてその水牛の糞がまた栄養になって葦や魚もいるというアクアポニックス的。パストピシキュリチュールというらしい。
「フランス語でパストピシキュリチュールってやつやな」と山田隊長が感心したように言う。 「なんですか、それ?」 「アグロフォレストリーみたいなやつで、牧畜と漁業の組み合わせや」 一九九〇年代辺りから環境保全が世界で最も大きな課題の一つになると、アグロフォレストリー(農業と林業を組み合わせたもの) やアグロパストラル(農業と牧畜を組み合わせたもの) などが注目を集めるようになった。隊長は「循環共生型生活圏」という言い方もする。 (中略) 「(西アフリカの) ニジェール川の中流域には広い氾濫原(川の中洲で湿地みたいなところ) があるやろ? あそこには牛を飼っている牧畜民と漁師がおる。別々の民族で言葉もちがうんだけど、一緒に暮らす季節がある。牛がたくさん糞をして、川が増水するとそれが水に溶けて魚のエサになる。すると漁師が獲る。牧畜民も分け前として魚をもらえる。これがパストピシキュリチュールや」 補足すれば、牛や水牛の糞は魚にとって大好物の餌だという。もし漁民だけが暮らしていたら魚はそれほどたくさん獲れないだろう
日本ではシャコもハマグリもいろいろ水産資源が減ってきていて、この水産資源の減少は川から流れる栄養が少なくなっていることだったり護岸が固められていて上流域の生物多様性が失われていることだったりとか色々言われているけれどるけれど、もしかしたら何かヒントがあるのかもしれない。ただ現在はこの湿地も上流のトルコでダムが建築され灌漑で水を利用されるなどしてこの地帯に流入する水量が減って、またかなり文化が変わっていくだろうとのことではあった。
終盤、現地の船大工に伝統の舟タラーデをつくってもらってそれで旅をせんとするのだけれど、それは挫折していた。ひとつは、フセイン政権崩壊後の混乱のなかでは各地の警戒も高まってよそ者への警戒心が増していたということもあるし、古来の舟文化が廃れて地域間の物流には車が使われるようになり、舟で地域をまたぐ移動が途絶えて交流もなくなっていたということもある。
ほか、水牛のチーズの作り方を教えてもらったり、カサブで家をつくってみたりといろいろ体験していくこともすごい。百聞は一見に如かずを越えている。
全体を読み終わってから、2つの意味でイリイチが「コンヴィヴィアリティのための道具」を連想した。コンヴィヴィアルとは、自立共生、というような意味で、官僚主義的になる産業社会の道具ではないということ。さまざまなものに使うことのできるカサブ(葦)がまさに、コンヴィヴィアルのための道具、食にも住にもつながっているし仕事にもなっている。そして逆に、車が発達することで、舟を中心とした湿地帯間のコミュニティは変わってしまっているというのはイリイチのいう「破壊的な道具」なようにも思える。イリイチはコンヴィヴィアルな社会をユートピアであるかのように描いていたし、湿地帯は、エデンの園のモデルの候補でもあるように、ユートピア的ではあるものの、なんというか、氏族社会的なものにならざるを得ないのもしれない、とも思ってしまった。
ほかおもしろかったところ
日本では、濃尾平野を流れる木曽川、長良川、揖斐川のデルタ地帯に、かつては権力から独立した人々が住んでいた。織田信長を最も苦しめたという長島の一向宗徒がそれ
日本にも湿地の民がいた
メソポタミア文明が三千年以上も続いた理由を目の当たりにした気分だった。 多くの文明は自然破壊によって滅びてきた。具体的には森の消失だ。都市や国家が栄え、人が集まれば集まるほど、多くの燃料が必要になる。木をどんどん切っていくと、森の再生が間に合わず、森がなくなっていく。森がなくなると雨が降ったときに洪水が起きやすくなり、土地がやせる。同時に、直射日光を浴びて地表の温度が上がり、水分の蒸発量が増えたり砂塵が巻き上がったりするなど複合的な作用から雨量が減る。やがて砂漠や荒れ地が増え、最終的には作物は育たず、家畜も飼えず、燃料は全くなくなる。
これでよんだ。日本の世界でもまれな降水量による森の生産力や、この湿地のカサブは例外なのかもしれない。
革命詩人のムザッファル・ナワーブだ。一九三四年にバグダードで生まれた彼は、新聞のインタビューに答え、こう語っている。 「大学生のとき、とても声のいい友だちに出会った。言葉もいいし、声も美しい。その友だちは私をアマーラのカハラー川(高野註:岸辺にマンダ教徒の舟大工が住んでいる、東部湿地帯に流れ込む川) にある実家へ連れて行った。 今までバグダードの言葉と音楽しか知らなかったからアフワールでショックを受けたよ。土、水、カサブ(葦)、水牛の声、コーヒーを挽く音といった景色や生活の様子があまりに鮮烈だった。 誰かが詩に書くのを待っていたかのよう。書いても書いても書ききれない。 当局はアフワールを恐れる。それは叛乱があるからではなく、美しいから。醜いものは美しいものに恐れを抱く。だから当局はアフワールを破壊しようとするのだ」(「アル=ハヤー」紙 一九九五年五月二十七日 ハイダル君と高野の訳による)
傑物をたくさん輩出しているところも梁山泊的。

