ぜぜ日記

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社畜のリトラウマ

社畜と戦うものは、その課程で自分自身も社畜になることのないように気をつけなくてはならない」(ニーチェ


月に100時間超も残業して上司や部下、市場からのプレッシャーもあって肉体的にも精神的にもしんどいであろう人がいる。
たいへんだろうな、早く帰ったりしないのかなと思いもしたけれど、よく見ると、激務を望んでいるような節がある。かっこよく言えば、逆境を楽しむ、悪く言えば社畜根性が染みついている。


なんでだろうと疑問を持っていたけれど、それを説明するアイデアを見つけたので紹介してみる。


「人は社畜に生まれるのではない。社畜になるのだ」(ボーヴォワール


精神疾患の分野では、虐待や暴力などで大きなストレスが発生した際に、脳内麻薬様物質が分泌され、苦痛を緩和するという仮説がある。これだけであれば人間の自己防衛だろうと話を終えることができるが、この説には恐るべき続きがある。この脳内麻薬様物質の分泌が重なると中毒になり、それを求めるようになる。

つまり、それが分泌されるような危機的状況を意識的にか無意識的にか求めるようになるというのだ。

これによって、虐待児が無意識下に虐待を求めてしまったり、ベトナム戦争に従軍した兵士が硝煙を忘れられなかったりするという指摘もある。外傷後ストレス障害/PTSDとも関わりのある深刻な現象だ。

用語としては再外傷体験/リトラウマとも言うらしいけれど、この言葉はGoogle Scholorで検索してもあまり出てこないため違うのかもしれない。


「人は、残業の中で己の社畜本能に目覚めるのだ」(ギンガナム)


さて、虐待や戦争ほどのわかりやすい苛烈さはないけれど、日本ではスーツを着た戦闘員が日夜、命を削っている。
鬱病になってしまったり自殺する人もめずらしくないほどだ。

会社人というのは多大なストレスがかかる。特殊な文化に抑圧されているなかで、長時間の労働、上司や顧客からの叱責などなどの大きなストレスに晒されている。

この中で、社畜はなぜ耐えられるのか、そして激務を求めようとするのかはずっと疑問だったけれど、このリトラウマの理論で考えると納得がいく。

いったん集団の同調圧力と非効率な職場から社畜になってしまえば、その強烈なストレスに耐えて慣れる課程で中毒になりうる。それが新入社員から見ると信じがたいほどに社畜している先輩方の秘密なのではないだろうか。


それが良いことかどうかは分からない。狂わなければ大業は為せないのだ。
ただ、中毒になっていることに自覚はしていたい。


#これはネタ記事です。