ポケットの中のクッキーを叩くと倍になり、さらに叩くと倍になっていくというのは多くの人が知っていることと思う。 *1
一部の合理主義的な唯物論者たちはクッキーが増えるのは半分に割れるからだということで納得しようとするけれど、今や多くの人はクッキーが指数関数的に増加していくことを目の当たりにしているのではないだろうか。
敬老の日を含む三連休に流行りだしたcookie clickerというブラウザゲームによって。*2
国籍不明のOrteil氏が作成したこのCookie Clickerというゲームは世界規模で流行っているようだ。*3
これはどういうゲームなのだろうか。百聞は一見にしかずではあるけれど宗教上の理由でゲームをできない諸氏のために簡単に解説する。
Cookier Clickerとはなにか
ひとことで言えばいかに効率よくクッキーをつくっていくかというだけのゲームだ。
クッキーをクリックするとクッキーが得られ、クッキーを集めるとさらに効率良くクッキーを作るためのアイテムをクッキーで購入することができる。
再帰的ではあるけれど単純だ。
これだけであればどうということはないのだろうけれど、その生産設備やアイテム、メッセージのネタ性と、小気味の良いリズムからついつい嵌まってしまうようだ。
(注意)これ以降、物語の核心に迫るネタバレが含まれているため未プレイの方がいれば注意して欲しい。
たとえば、10秒に一度クリックしてくれるカーソル(Cursor)や、クッキーを焼いてくれるおばあちゃん(Grandma)からはじまりクッキーがとれるクッキー牧場(Farm)、クッキー工場(Factory)、クッキー鉱山(Mine)、クッキー惑星からクッキーを輸入する宇宙船(Shipment)、黄金をクッキーに変換する錬金術ラボ(Alchemy Lab)、果てはクッキー宇宙とつなぐゲート(Portal)。過去から食べられる前のクッキーを持ってくるためのタイムマシン(Time machine)、宇宙の反物質をクッキーに変換する装置(Antimater Condenser)までどんどんエスカレートしていく。
さらにそれらの効率をあげるアップグレードアイテムやクッキーの生産高に合わせてでてくるコメントも味わい深い。
例えば工場を一定数買うと、「生産チェーン」という業績が得られ、さらに買うと「産業革命」、そして「地球温暖化」。タイムマシンでは「タイムワープ」から「別の時間軸」、「歴史の書き換え」と進む。こういうコメントがすべてに対して用意されている。
クッキーをつくるゲームだということを忘れそうになる。
メッセージとしてはこんな感じ。
- 今や歴史の教科書では君のクッキーのために丸々一章が割かれている。
- History books now include a whole chapter about your cookies.
- クッキーは自我を持ち始めた。
- Your cookies have achieved sentience.
壮大である。さらにうえのメッセージを見るために、我らのクッキーを広めるためによりクッキー製造に注力してしまう。
そしてGrandmaがおもしろい。低レベルな生産設備かと思いきや、彼女らはほかのアイテムに対応して種類を増やしていく。
農場だと農婦グランマ(Farmer Grandmas)、工場だと労働者グランマ(Worker Grandmas)、鉱山だと炭鉱婦グランマ(Miner Grandmas)、宇宙船だとコズミックグランマ(Cosmic Grandmas)、錬金術だとグランマ変異体(Transmuted Grandmas)、ゲートだとグランマ異性体(Altered Grandmas)、タイムマシンは グランマのグランマ(Grandma's Grandmas)、反物質だとアンチグランマ(Antigrandmas)。わけがわからない。
これらはグラフィックも異なっている。
どれがどれか想像はつくだろうか・・・。
ちなみにこれはクッキーを作っていくゲームである。
・・・この最初は安価な生産設備でただおもしろいだけかと思っていたGrandma、実は彼女らこそこのクッキーワールドの命運を握っているのだ。
ある程度ゲームを進めるとビンゴセンター研究所(Bingo center/research facility)というアップグレードアイテムをつくることができる。グランマたちの娯楽施設兼研究所ということらしい。
これは100,000,000,000クッキーも必要な大がかりなものだ。
これを導入すると便利な発明品が生み出されていく。
はじめは特別なカカオ豆やナッツなど生産性をあげる便利アイテムが登場していくのだけれど、あるとき、一つの意志”One mind” というアイテムが生み出されている。コメントには「全は個にして個は全なり」 "We are one. We are many." という意味深な文章。
この研究成果を導入するとどうなるか。
過去、現在、未来、そして全ての宇宙のGrandmasが意識を共有する。グランマ脳グリッドは暴走し、ここからすべてが変わっていく。*5
そう、Twitter上ではババアポカリプスやおばあちゃん黙示録と呼ばれているGrandmapocalypseのはじまりだ。
シンプルだった背景が変化する。
そしてこれはまだ前兆でしかないことを知ることになる。
さらに恐るべき発明が出てきて破滅への道は急速に進んでいく。
ここから先はぜひご自分の目で確かめて欲しい。
ちなみにこのゲーム、FLASHを用いずにJSメインで動いているためスマフォでも動く。JSを読んでいけばCookieオブジェクトなどを直接操作してhackすることもできる。これで隠し業績ももらえるしおもしろい。かもしれない。
cookie clicker、これJS書いてゲーム破壊して楽しむゲームだ。バグらせて初めて「クッキー数弄ったでしょ!」的な実績が獲得される。
— くまぎ (@kumagi) 2013年9月15日
・・・ここまで前置き。
「インフレもの」について
このCookie Clickerをプレイしていて楽しいのはそのインフレ具合だ。
最初はクリックして一枚一枚クッキーをつくっていたのが進めていくと数億CpS(Cookies per Seconds)くらいには簡単に達する。街のクッキー屋が宇宙や異次元を相手にしていくというたいへんなインフレだ。燃える。
インフレものがなぜ興奮するかというと、それは人類の過去の歴史から続く未来への希望を期待させるからではないかと思う。壮大な叙事詩を読むような気分になる。
ジャングルの奥地にいた猿が長い年月をかけて進化し文明を築きはじめるやいなや、たった数千年という地球の歴史からすると瞬きほどの時間で独力で宇宙に進出しはじめる。ここからどうなるのかという期待への焦がれ。
こうして幼いころ思っていた明るい予感、SFは未来と信じてやまない無垢さとは裏腹に、実際にこの時代を目の当たりにしていると人間社会への失望が隠せなくなってくる。この、虚無主義に陥りかける現代人を希望というエンターテイメントで救済するのがインフレ的物語なのだと思う。
ここでインフレという言葉について補足しておく。もとは単なる膨張を意味する言葉だけれど、経済学の用語から加速的に膨張することとして利用されている*6。Cookie Clickerの通貨=クッキーがインフレしていることやパワーインフレという言葉があることから以下でもインフレという言葉で加速的な進化というイメージを表現する。この膨張には単調増加的なイメージ、つまり文明は漸進的に進歩していくという幻想と、そのあとにくる終末が含意されている。*7
さて、インフレものについて考えるにしてもその本質についていきなり切り込む準備はできていない。今回はその具体例を挙げていくこととそこからの示唆を思いつくまま書くにとどめることをあらかじめお断りさせていただく。
インフレもののゲーム
まず、Cookie Clickerからは一時期ブームになっていた「ぐんまのやぼう」が連想される。
自分はやっていないので伝聞になるが、これははじめは都道府県を制圧していたのがいつのまにか火星や金星、さらには銀河系まで制圧できるようになるゲームである。群馬すごい。
iPhoneアプリで食べていく――「ぐんまのやぼう」ができるまで(1/3 ページ) - ITmedia NEWS
これもCookie Clickerと同じB級ゲームである。本格派な、つまりネタ性に頼らないゲームは思いつかない。
インフレもののマンガ・アニメ
インフレものの類縁であるパワーインフレを考えると少年誌、特に週刊少年ジャンプ系が思い浮かぶ。
マンガはその多様な表現技法から多くのエンタメを生み出していて期待が持てる。
まずパワーインフレの代表にして極致であるドラゴンボール。はじめは飲茶やピラフと戦っていた悟空はナメック星に出向き、その後は地球がメインであるが宇宙の王(?)である界王やその神である界王神と関わっていく話だ。主人公たちは独力で惑星破壊を達するまでになる。男の浪漫である。
次に思い浮かんだのはラッキーマン。これも日本の田舎から宇宙最強へと進んでいく王道だ。ほんと。
ほかにあるかと考えると、インフレしていくのはキャラクタ自身の強さだけというものばかり出てくる。超人強度、巫力、霊力、賞金額、ガッツ。それぞれに特徴的な演出がありおもしろさはあっても環境や文化はなかなかインフレしない。これは終わりのない週刊連載では難しいのかと考えたが、キャラクターに大きく依存するストーリーものではスケールの大きな話は難しいと言える。
上記のB級ゲームにしてもキャラクター性はほとんどない。グランマはキャラクターというよりはイコンだ。
さて、アニメを考えるとグレンラガンがある。
ガンダムは何十年たっても太陽系外には行かないし、エヴァンゲリオンも戦艦は飛んでも月より遠くには行かないけれど、グレンラガンは最終的に、銀河レベルで戦う。なにを言っているかわからないけれど本当だ。はじめは地表を這うように戦っていたシモンたちは、いつのまにか銀河を超えるレベルで戦うのだ。この後半の怒濤のインフレは勢いがあってたいへん楽しい。
ただ非常な意欲作ではあるけれど、細部を勢いでごまかしている感じはある。
ただ、映像と音楽の勢いを借りればキャラクターものであっても壮大なインフレを表現することは可能だ。
インフレもののSF・ラノベ
SFではいくつかありえる。ただ作中で10兆年もたつものや宇宙の創成を繰り返すもの、人類の歴史をすべて記述している壮大なものはあってもそれがインフレしていくものはあまり記憶にない。どれも元々スケールが大きい舞台装置を描いてその中での人間ドラマにフォーカスしているように思える。なにかあるとは思うのでご存知の方が居ればぜひ教えて欲しい。
今のところ光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」は近いかもしれない。プラトンやナザレのイエス、ゴータマシッタータといった人物が人類の本当の歴史・未来に関わっていく宗教的な大作だ。
ラノベとしては羽月莉音の帝国があげられる。*8
本作は別に地球の外には出ない。ただし経済小説として破格。株式会社を設立した現役高校生達が事業の展開やM&Aを行いながら資金を貯め、最終的にはクーデターを起こし自らの国家の建国を目指す経済小説。最終的には物語の規模は1000兆円単位までスケールアップするらしい。(7巻までしか読んでいないので結末の良さは不明・・・)
このインフレ感もたまらない。
まず今回はインフレものの作品を考えるにあたり、その類例を自分の知っているわずかな作品から考えてみた。
まず気付くことは、インフレものを好きと思っていながらもド直球なものがないということだ。これは自分の視野の狭さもあるかもしれないが、インフレものをうまくつくるのは難しく、あまり例がないことが考えられる。そのため作品があってもネタ系であったり勢いに頼るものばかりになる。キャラクターを主眼にせざるを得ないストーリー構造ではそのまま規模の大きなインフレを描きにくい。キャラクターをもったままインフレを描くとなると、設定かどこかに大きな制約を設ける必要があるように思える。
表現としてはその難しさについて次回は考えてみたい。
半分以上はCookie Clickerの紹介になってしまった・・・。
インフレもので良い作品があれば教えて欲しいです。
# 12時前に床に就いたのだけれど頭からクッキーが離れなくて眠れずに午前3時の危険地帯まで起きて書いてしまった・・・。ディスプレイのはじにゴールデンクッキーが浮いて見える・・・。
## 9/18 23時 勢いで書いていて誤植や表現がわかりにくかった箇所を修正しました。
*1:ビスケット説もある
*2:台風により引き籠もっていた人が多いからだろうか。NHKのトレンドによれば猛烈な台風のために「敬老の日」すらトレンドに出てきていないのにクッキーが食い込んでいる。https://twitter.com/teacherNG/status/379616157268860928
*3:Googleトレンド http://www.google.co.jp/trends/explore?q=%E3%82%AF%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC#q=cookie%20clicker&date=1%2F2013%2012m&cmpt=q
*4:SFのセリフかと思ったけれどググってみるとオーストラリアのポップスらしい。Googleのトレンドでもオーストラリア人気が高かったし作者はオーストラリアの人なのかもしれない。 http://www.youtube.com/watch?v=cTLfH2cjaVE
*5:みんな大好きゴセシケを連想する。http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/7827/iwasaki25.htm
*6:パワーインフレや宇宙のインフレーション
*7:ところでユダヤ教や仏教、Cookie Clickerなどの各地で生まれた宗教で終末、末法、アポカリプスという似た概念があるのは興味深い