「兵法の道におゐて、心の持ちやうは、常の心に替わる事なかれ。常にも、兵法の時にも、少しもかはらずして、心を広く直にして、きつくひつぱらず、少しもたるまず、心のかたよやぬやうに、心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、其ゆるぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし。
宮本武蔵『五輪書』(1643年)
いきなり宮本武蔵の引用から始まる本書は、軍事史研究家のクリス・マクナブによる、「SAS・特殊部隊 知的戦闘マニュアル」(小路浩史訳)。*1
特殊部隊の精神面に焦点を当てている本で、すこし目新しいと思って手に取った。
わりとおもしろい話が多かったのだけれど、意外と、平和な現代日本にも通じるのではと思ったことがあった。本書を紹介しつつ、ちょっと書いてみる。
けっして戦争を礼賛はしないけれど、軍事技術から民生利用され平和な社会に役立っているものある。ARPAネットから生まれたインターネットや、米国国防省のミサイル開発が元になっているプロジェクトマネジメントの理論などなど。学べるところは学ぶべき、というスタンスです。
選抜と訓練
第二次大戦後、人海戦術から脱した軍隊では、採用において知能を重要視するようになっている。ただし、これは、学歴で判断されることを意味しない。たとえば、学校教育は以下の知能を授けてくれるわけではない。
- 自主的志向
- 独創的志向
- 集中力
- 感情コントロール能力
- 精神力(最後までやりぬく力)
Chris 2001, 3章 特殊部隊の選抜と訓練 より要約
日本の新卒採用あたりでも、学歴は参考程度でコミュニケーション力や主体性といったものを重視しているところは似ているかもしれない。ただ、この兵士の採用で上記にあげた5項目は、おしごとでも大事そうな気がするけれど、自主的志向以外を選考で評価しているところは少ないように思える。その結果、知能は高いけれど感情をコントロールできない困ったひとがいたり、いつも成果物がいい加減なひとがいたりするような。
推論・分析・演繹といった抽象的思考はペーパーテストで測定できるが、実際的思考は計測できない。ストレスと危険がつねに存在する中でも明晰な思考を保てるかどうかが重要となる。ということで、特殊部隊では初歩訓練の中、極限状況まで追い込んだ中で、能力を発揮しているかを評価して選抜している。
Chris 2001, 3章 特殊部隊の選抜と訓練 より要約
これは、外資の金融機関やWeb系のエンジニアに多いインターンシップとして一緒に働いてみて選考するというのと似ている。命がかかる特殊部隊とは危機感も求める人物像も違うけれど、採用という会社の一大事に、面接だけで選ぶというのは危ないと思う。
特殊部隊の訓練は過酷で、脱落者は4割から9割に達する。これを乗り切ったものたちが互いに結びつきを強める。また、この訓練は社交性のないものをふるい落とし、団体精神に貢献できない物を排除する機能もある。
この選抜のための訓練の後は、自信も持たせるのと戦場に適応させるための訓練がなされる。ここでは動機付けとリアリティが重要となる。
Chris 2001, 3章 特殊部隊の選抜と訓練 より要約
リアリティというのは、実戦に近い条件・雰囲気でということ。動機付けについてはあまり解説がないけれど、訓練を通しての自信やチーム・部隊への愛着だろうか。軍では採用から訓練、そのあとについてもかなり本気でデータもとっているし、効果的な人材育成のための研究には巨額な投資がなされているようだ。ここの教育・人材育成についての知見は、軍隊以外でも役立つものが多いと思う。ここらへんをもうちょっと調べたい。
統率力
軍の指揮官といえば、「隊長」の器と「司令官」の器を区別するのがふつうだ。隊長は他人がついてくるような対人技能を備えた人物で、司令官は、戦闘などの軍事状況で自任や機会を全体的に統率する技能を備えている。この対人面と技術面の両方に熟練してはじめて完全な指揮官であるといえる。
秒刻みに変化する戦局の混乱に対応できる指揮官をつくるのは生やさしいことではない。訓練や統率力の開発が必要だが、それはすぐれた人格という土台があってこそ可能になる。
Chris 2001, 6章 統率力 より要約
この隊長と司令官という分類は民間企業でも存在する。現場のリーダか、経営側か。それなりに規模がある企業では区分けされているけれど、どちらもリーダーシップとして一緒くたにされている組織もある。大学の研究室とか。そもそもどちらのタイプにもなれていないリーダーも多いけれど、少なくとも自分の狭い経験からは、隊長としての能力も、司令官としての能力も併せ持っている人はなかなか貴重だと思う。
この統率力を育てるためのことは、ありきたりのことしか書いていなく、人格あってこそ、とぼかされている。
つまり、人格という土台は、鍛えられない、あるいは鍛えるコストが大きすぎるということだろうか。これは体感としてはあっているけれど、残念なところではある。
ストレスについて
状況が常に変化する戦場ではストレスも多い。
戦闘ストレス反応として以下のものが挙げられている。
- 攻撃性
- 不安
- 無感動
- 腸や膀胱への影響
- 集中力の欠如
- 鬱
- 記憶障害
- 移り気
- 自己嫌悪
- 現実逃避
これの予防として、下記のものがある。
−リアリティのある訓練による慣れ
- 適切で規則正しい睡眠と食事
- 部隊への自信。チームの絆と信頼関係。
- 指揮官からの支援
- 段階的な目標設定と進歩の評価
- 自信の理由を指摘する
- 将来の戦闘(状況)についての詳細な見込みを伝える
Chris 2001, 2章 戦闘ストレスを克服する より要約
ここに挙げられている戦闘ストレス反応は、ブラック企業やデスマーチに身をおいている人の文章や伝聞で感じたものと近く、どきっとした。自殺者数をみても、日本の企業は命のやりとりをする戦場と思える。
挙げられている対応は、なかなか個人でとれるものは少ないけれど、もし部下をもつ立場のひとなら、活かせるかもしれない。自分が同じ状況になったら、身近な人がそういう状況になったらなにができるだろうか・・・。本書でも詳細はこれだけで一冊書けると書いてあるので類書を探してみよう。
これよりもさらにストレスにさらされる状況として、拘留が挙げられている。
ジュネーブ条約の規定に基づいた公正な扱いを受けないことも非常に多い。情報を聞き出すための拷問も多く、これに対処するための訓練もおこなわれている。訓練の原則通り、リアリティが重要視される。
拷問より、捕虜をあらゆるレベルで志気を挫き意欲を喪失させるために、退屈や孤独・不快・混乱に陥れることの方が多い。
狭く、暗い場所で孤独にさせること。強制労働。栄養不足。トイレがなくネズミの多い場所で人権を剥奪する。など。
これらに対応する方法として以下のものがある。
- コントロールできることはコントロールする
- 日課を考える。たんに房の一カ所を掃除するだけでもよい。
- 健康を維持する
- 運動することで気持ちを強く保てる。カロリーを無駄に消費しないように簡単なストレッチだけでもよい。
- 精神の緊張を保つ
- 自分自身で精神的な活動の計画を立てる。たとえばあたまの中で小説を書いてみたりビジネスの企画を考える。
- 拷問を挑発しない
- すこしでも友好的な相手と会話する。
- 助け合いのネットワークをつくる
- ほかの捕虜がいるならば、敵に階級を悟られないようにしつつも軍のしきたりを守るように努める。社会的な活動を続けるという意味で協同で出来る作業を考案する。
- 脱出を計画する
- 不可能であっても計画を練ることで精神の緊張と活発さを保つのに役立つ。
Chris 2001, 9章 拘留、脱出、サバイバルより 要約
拘留されるのとは大違いだけれど、ストレスにあふれる現代社会で、自分を保つヒントがありそう。すくなくともよくある軍隊式サバイバル本とかより役立ちそうに思える。
コントロールできることはコントロールする、というのは麻薬中毒の患者が社会復帰するためのカリキュラムにもあった気がする(ググっても出てこないので勘違いかもしれない)。ブラック企業やデスマーチ下だと、脱出を計画するはさしずめ転職を計画するだろうか。
ここは、ナチスによるユダヤ人強制収容所での地獄を経験したフランクルの「夜と霧」を思い出した。
手元に本書がないので記憶頼りになるけれど、追い込まれた状況で、肉体的に強いものが生き残るわけではない。将来に希望を持つものはそれが裏切られたときに死に、今を生きようとするものが生き延びた。という話。
あんまり役立てる機会があってほしくないけれど、覚えておこう。
以上。
本書には、ほかにも、平和維持活動で必要なこと、ゲリラのスカウト方法、拷問のタイプと対抗するための訓練、デモにまぎれたテロ行為と群衆心理についての話、なかには追跡犬を回避する方法や、アルジェリアの独立戦争における心理戦などおもしろい話題が多かった。近代戦史からの実例も多く、さくっと読めるのでおすすめです。
*2
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