ぜぜ日記

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スポーツに興味のない人も楽しめるオリンピックのふしぎ

オリンピックが終わりました。みんな観ていましたか?帰宅するとちょうどテレビでやっていてついつい見入ってしまいました。ハイレベルなスポーツは観ていて楽しいし日本とほかの国の対戦というのも、一緒にみんなで応援しているという錯覚があって盛り上がります。

さて、ふだんスポーツを観ないような人でもオリンピックを観る人は多いです。はなしを聞くと、日本は応援するものでしょ、ということです。(要出典)

ナショナリズム、愛国心という要素もなくはないでしょうが、そのほかにもなにかあるのではという気がするのですこし書いてみます。
ナショナリズムや愛国心という定義しがたいものについて書くのはけっこうキケンなので端折ります)


結論から書くと、一体感を持ちやすいから。
ふだんスポーツを見ない人でもオリンピックを見て楽しむことができる、というのは、愛国心やナショナリズムだけでなくて、同じチームを応援する人が多いから一体感・連帯感を持てるということじゃないかなと感じます。同じコンテンツをで盛り上がれる、話の種になる、直接は話ができなくてもテレビの雰囲気からきっと自分と同じように観ている人が多いだろう、と。そういう意味ではニコニコ動画と同じ、コンテンツを共有するというエンターテイメントな気がするのです。

特に(僕みたいな)自立できていない人間にとって、一体感を持つというのは強い安心であって、それだけで自尊心を満たせるものです。

これはけっこう快感なので、特にふだん愛国心がない人でも、興味のないスポーツを観て楽しめるんじゃないかと思えます。その結果、サッカーやバスケなどの興行的に洗練されてテレビ映えするスポーツではなくとも、観てしまうのではないかな。と思う。*1

そういう意味ではオリンピックはスポーツの広報ができるし商業的にも美味しいしなにより楽しいしですばらしい。


・・・ナショナリズムは端折る、と書いたけれど、ここまできて、一体感というものは権力者が用いるナショナリズムそのものだと気付きました。
これは行き過ぎると愛国心プロパガンダに使われて大日本帝国は国家総動員を肯定してソ連は一国社会主義で生きながらえて、ナチスは選民思想に染まっていって最近だと(以下略)。
というわけで、国家間の対戦は、自尊心を満たせて広告収入も多くて見ていて楽しくて自尊心の薬ではあるけれどたくさん使うと依存するので気をつけたいと思います。おわり。

・・・
ナショナリズムってなんなんでしょう。特に、権力者からではなく、ボトムアップに醸成されて排他的な空気をもたらすナショナリズムってなんなんでしょう。。たまたまなにか共通点があるだけで、なにかの指向性を植え付けられて強い同調圧力を持つってけっこういやです。

*1:自分がやっていたボートというスポーツも、もし経験がなければ全然分からないしおもしろくない。