山小屋で不思議なものを見たんです。
神保町のカレー屋でひさびさにあった後輩のKとひとしきり話をしたあと、彼女はぽつりぽつりとしゃべり出した。
あれはクリスマス前の寒い週末のことです。
私は友人に誘われて中部地方のD岳中腹にある山小屋に泊まっていました。
—登山なんてしてたっけ?
いえ、私はあまり登山をちゃんとしているわけではありません。
その山小屋も幾分か前に近くにスキー場ができたことから車で降りて数十分で辿り着けるので、私のような登山経験の浅いものでも冬山の体験が安全にできるんです。
・・・そのときは前の週に12月には珍しいドカ雪が降って、このまま行っていいものか不安もすこしはありましたが、当日は気温が上がる予報であったことから問題はないと考えていました。
前日に仕事を無理矢理切り上げて、みんなでレンタカーで向かったのですが、途中のサービスエリアでは雪がしっかり積もって、東京とは異質な寒さで、防寒具が十分かすこし心細く感じたのを覚えています。
除雪された道を通ってたどりついた麓の宿で前泊しましたが、このとき一番不安だったのは泊まった宿をGoogleで調べると、「心霊」という言葉がサジェストされたことです。
ただ、高度経済成長期感のある宿は落ち着いていてお湯も最高でゆっくりきてもいいかなとは思えました。
翌朝、山へとりかかりましたが、はじめは細い雪だったのが、山にとりかかるころには雨に変わり、気温の高さを恨むこととなりました。
スキー場のわきから山荘までの道に入ると、林は一面の雪にこんもりと覆われており雪が降ってから誰も入っていないことがわかります。一歩踏み出すとずぶりと2,30cmくらい嵌まり歩くのにかなり苦労しました。私は前を歩く友人の後を追うだけだったのでまだ楽でしたが、もし先頭なら、一面の林と雪面ですこし足下に気を遣ったすきに方向を失っていたかもしれません。すぐにびしょ濡れになった手袋と、雨具を伝う冷たい水、足下の悪さと荷物の重さはなかなかつらいものがあります。冷たい風から逃げらず、雪庇を踏み抜く危険がある稜線と比べるとまだましだとは思いましたが、雪林の中の行程は先の見えない不安さがありました。
雪の中というと静かなイメージがあるかもしれませんが、雨の音と木から不定期に雪が落ちる音はどきりとするものがあります。障害物が多く、なにか潜んでいるんじゃないかという感覚は私たちしか見えないからこそかもしれません。
そんな状態だったので時間をかけて歩いて山小屋の赤い壁が見えた時は嬉しかったです。
ただ、玄関は重い雪に閉ざされており、入るためには2階に設置された扉の雪を払う苦労がありました。ようやく人心地ついたのは暖炉に火を起こしてからです。
濡れた手袋と靴下を乾かして、ようやくまわりを見ると、整然と薪が積まれ、道具が並べられており工夫と整理が行き届いていることがわかります。外の雪と寒さを思うと安心がありましたが、電気がないため、ヘッドライトに頼らないと自分の荷物も整理できないほど暗く、思ったより広い空間にも不気味さを感じてもいました。1人では絶対にいたくない場所です。
ご飯をつくって食べて、暖炉に集まって談笑していると山小屋のよさがわかってきました。灯油ランプの頼りないけれど暖かい明かりと、暖炉の上においたやかんのならすコポコポという音は都会の喧噪では気付けないものかもな、と思えます。
ホットカルピスがこれほど美味しいとは知りませんでした。
それでも、屋根から雪がおちるどさりという音や、暖炉で不意に薪がはじけるパチリという音は、私たちだけしかいないはずの山小屋に誰かいるんじゃないかという恐怖をかきたてましたが気付かないふりをしていました。
・・・ごおおおお・・・
そんなことを考えていると急に強い風が吹いてきました。そして、あれが現れたのです。
おわかりいただけたでしょうか。
鎌と槌のマークはソ連の赤軍に間違いありません。共産主義の幽霊がいまだに山中をさまよっている、とでもいうのでしょうか。
いつのまにか、赤旗の幻覚まで見えてきました。
さらに恐ろしいことに、どこからか現れたダッチワイフを抱き寄せてご満悦の赤軍兵士の様子です。
その後、持ち込んだPCで「ほんとにあった!呪いのビデオ」の59巻と60巻を一緒に見て寝袋にくるまって寝てとなんやかんやありました。
これは翌朝、山小屋の雪下ろしをしている中で現れた兵士がダッチワイフを掲げて飛び降りる様子です。
ほんと、山小屋はとんでもないところでした。
そういって外を眺め続けていた彼女は、山小屋をなつかしそうにしているように見えました。
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