ぜぜ日記

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2023年京都の卒展まとめ

京都・滋賀のいわゆる美術系の大学の卒業|修了の制作|作品|研究の発表|展示会のまとめです。 意外と検索性が悪かったのでまとめてみました。

滋賀唯一の成安造形大学も場所は京都市京セラ美術館なのでタイトルは京都とまとめてしまっています。

嵯峨美術大学

  • 嵯峨美術大学・嵯峨美術短期大学 第51回制作展
  • 場所:京都市京セラ美術館
  • 会期:2023/2/2(木)-2/5(日)

www.kyoto-saga.ac.jp

京都芸術大学(旧造形大)

  • 2022年度 京都芸術大学卒業展 大学院修了展
  • 場所:京都芸術大学(旧造形大)
  • 会期:2023/2/4(土)-2/12(日)

www.kyoto-art.ac.jp

京都市立芸術大学

kcua-sakuhinten.com

京都精華大学

seikaten.kyoto-seika.ac.jp

京都工芸繊維大学

www.graduation-works.kit.ac.jp

成安造形大学

『成安造形大学 卒業制作展2023』2月16日(木)より開催 | 成安造形大学

嵯峨美は終わっていました。 タイトルや Web ページ、そのドメインなどもそれぞれ個性があっておもしろいですね。

こういうまとめをしてしまいましたが、アートのことはあまりよくわかっていません。10年以上前に友人に誘われて当時近くで開催されていた卒展を覗きに行ったところ、高度な技術や自由な発想などかなり刺激的でおもしろかった記憶があって、その後、3回ほどタイミングがあうときに除いていた程度です。 今週末も2歳児の面倒を自分だけでみる必要があるので子守りがてらどこか覗いてみようかな~。

「ラオスにいったい何があるというんですか? 」(村上春樹)・・・旅に出たくなる旅行記

いちどルアンプラバンを訪れたこともあってラオス大好きなので読んでみた。期待とちがってラオスはほんの一章だったもののなかなかおもしろい (ちなみに村上春樹の小説は10ページくらいしか読んだことはありませんが、オウム関連のノンフィクションはよかった)

本書はJALのファーストクラスの機内誌AGORA(そんなものがあるらしい)などに掲載されていたものをまとめた本で、ボストン/ニューヨーク(アメリカ)、東西ポートランドアメリカ)、ギリシャの島々、トスカナ(イタリア)、フィンランドアイスランド、ルアンプラバン(ラオス)、熊本 などを訪れたり、住んでいたころのことを書いたもの。

軽い筆致で描かれていて旅、いいなあ、と思える本。ゆったりした旅や滞在が多くてゆとりも感じるけれど、いい旅行記。音楽好きすぎる村上春樹の視点の飾らなさがよい。 そしてさまざまなところを書いた中でも、ラオス編がおもしろくて、ラオスまでの乗り換えの際にヴェトナム人に言われたという「ラオスにいったい何があるというんですか? 」をタイトルにもってくるのは(全編ラオスだとだまされたものの)成功だと思う。すごい。

いくつか引用。

ポートランドアメリカの中で、人口あたりレストランの数がいちばん多い街なんです」と地元の人は言う。「また人口あたりいちばん読書量が多くて、それから大きな声では言えないけど、教会に通う人がいちばん少ない街なんです。」

西海岸にも東海岸にもポートランドがあるの知らなかった。ファーマーズマーケット的にも気になるエリア。

もしタイムマシーンがあって、それを一度だけ好きに使っていいと言われたら、あなたはどんなことをしたいですか? きっといろんな希望があるんだろうな。でも、僕の答えはずいぶん前からはっきり決まっている。1954年のニューヨークに飛んで(基本的な愚かしい質問。タイムマシーンって飛ぶのだろうか?)、そこのジャズ・クラブでクリフォード・ブラウンマックス・ローチ五重奏団のライブを心ゆくまで聴いてみたい。それがとりあえず僕の望むことだ。

この導入と意外性、さすがすぎる

僕ら(僕と奥さんと)がしょっちゅうトスカナに行っていたのは、言うまでもなく、おいしいワインを買い込むためだ。トスカナの小さな町を巡り、その地元のワイン醸造所に寄って、気に入ったワインをまとめ買いする。そして町のレストランに入っておいしい食事をする。小さな旅館に泊まる。そういうあてもない旅を一週間ほど続け、車のトランクをワインでいっぱいにしてローマに帰ってくる。そして僕はワイン・グラスを傾けながら、またしばらく自宅の机に向かってこつこつ小説を書く。そういう生活を何年か続けていた

よすぎる

「ああ、ほかの旅行についても、もっとちゃんと文章を書いておくんだったな」という後悔の念が、微かに胸の内に湧き上がってきます。 た。でも今さら後悔しても始まりません。旅行記ばかりは旅行の直後に気合いを入れて書かないと、なかなか生き生きと書けないものだからです。

これもわかる。 本書ででてきたアイスランドは自分も新婚旅行で訪問してとてもよかったのだけれど、旅行記にしそびれてしまっている。いまが今後の人生で一番記憶もあるので書いてみようかな・・・。 旅行だけではなく、本や映画の感想も同じかも。

むかしは、旅行なんてめぼしい観光地はテレビのほうが最高のロケーション、最高のタイミング、高価な機材で撮っていて素人がいってもただ行っただけになって意味ないのでは、と軽んじていたけれど、そういう観光地以外の部分の、知らない街の空気にふれるだけでもおもしろいし発見があるように思えています。 そして、異国はおもしろいけれど、観光地ではない近所にも知らない景色はたくさんあって金銭的時間的にもやさしく体験できるとも思っています。

最近、月に何度かあるソロ子守りの週末には、子守りがてら滋賀県の全駅を歩こうと画策していていま進捗4分の1くらいなんですがなかなかおもしろいですよ。旅行記を書いてみようかな。

作中ででてきて行きたいところメモ(国内編の熊本のみ・・・)。

熊本、なかなか行く機会がない。4-5年前に妻と鹿児島に旅行した途中で寄ったときのタクシーの体験が悪くて印象悪かったままだけれどまた行ってみたい(熊本出身者の知り合いはみんなナイスな方々だと思っています)。そういえば、このときは天草にも行こうとしていたんだけれど、台風で飛行機が飛ばず断念したんだった。これもいつか行かねば。 ほか、よい旅行記あれば教えてください。

「ドキュメント 日本の米づくり」(1987, 村野雅義)で米農家の悲哀を読む

たまたまみかけて*1買って読んでみた村野雅義の「ドキュメント米づくり」(1987)がびっくりするほどおもしろかった。

1986年に福島県浪江町(!)の山側の標高600mほどのところにある、とある家族経営の農家のところに足しげく通って米作りを体験した著者による記録なんだけれど、その農家さんの人生や、(当時の)農業をとりまく状況について鮮明に描かれている。当時の、ひとつの零細農家の生活を追った農業エスノグラフィー(民俗誌)として傑作。

舞台となる菅野家は水田が50アール(5反)、畑が100アール(10反)、畑の半分がタバコ栽培、あとは自家用野菜と小規模で、主人の菅野清は代々農家だけれど、砕石の仕事と兼業で生計をたてている。 280pほどの本だけれど田植えをするのは100pを超えてからだったり、稲刈りしてからもたくさん仕事があったりと稲作生産者さんの生活を追体験できた。

特に印象深いのが、農家のあるじである菅野清の妻、光子さんの言葉。

「頭いじめらんねモンは、こうして身体いめじるしかねえんだぞーう」

「奥さん暮らしなんか、すこしもしたくなかったぞう」

(雑草を抜きながら)「ほーら、これがピチピチ草だぞう。三角草もあっぞなあ。博物館だあ、おれの田んぼ・・・」

「まだ仕事、いっぺえあんだ。くろぬりやんねえで、どないすんだべえ。いま帰って、そんで米をつくったなんて言ったら、日本中の百姓に笑われちまうぞーう」

「こうやって雨になると、おれの葉タバコがはかどるんだぞなあ。オヤジも家の中にいるっきゃねえから。手伝ってくれるからなあ」

(著者の「こんなにいっぱい肥料撒かなくてはならないんでありますか」に対して)
「んだ、んだ。ひとつ1900円ちょっとするだぞーう。お米のマンマは、人間のマンマよりもたけえんだぞなあ。たまんねえ」

ほんと働き者で愛嬌が伝わってくる。食文化も興味深い。

「ときどき、子供が入ったタニシがあってよう。口の中で、トロっとしてうまかったぞなあ。肉よりうめえぞう」

「ワラは、昔は、ワラジつくったりしたんだべえ。おれ、小学校のとき、ワラジだったえ・・・。あと、煮た大豆くるんでよう、地面に穴掘って、埋めてなあ、納豆つくったぞな。その納豆、正月に食ったんだあ。うめえぞう」(これは高野秀行の「謎のアジア納豆 そして帰ってきた日本納豆」で読んだやつだ!と思った)

「おれがちっちゃかったころだぞう。馬ぐぞ集めってあってなあ。雪がとけっと、道に馬や牛のくそがいっぱい出てくんだ。バッパが、馬ぐそ集めてこーいって言うんだ。チリトリとホウキ持って、かき集めたもんだぞなあ。箱ひいて、近所のくそまで集めたぞう」
2023年時点では89歳、お元気だろうか・・・。311の自身のあと、全町避難指示がでてちりぢりになっているように思うけれどどうだろう。。

ほか、菅野の言葉

「四つの田んぼ、それぞれに水はけが違う。土も違う。人間さまみたいに田んぼにも、一枚一枚、個性があんだべなあ」

「おれが百姓はじめたころは馬で耕してたんだな・・・。馬のうしろに太いロープつけて、そこに馬グワって木でできたクワつけてなあ。馬グワは死んだジッチが追ってたなあ、おれは馬の鼻につけたヒモ引いてカジとったんだ。小学校行ってた子供のころ、うまくカジとれなくてなあ。いつも叱られて、泣いてたべなあ」

そして田植えなど要所要所手伝いに来てもらっている息子との会話も味わい深い

「おれ、百姓なんかやりたくねえもん、あんなトラクターいらねえもん」「おれ、この広い土地使ってなにかもうかる商売してえんだ・・・釣り堀とか」
「馬鹿言ってるねねえ、こらーっ、マー(息子のこと)。ご先祖さまにバチがあたっぞー」

「まあ、おめえが百姓やりたくなったら、いつでもやれるようにしといてやっから・・・・、いつでも水境*2にもどってこいやあ」

ほか、著者は米づくりの作業をしながらでてきた疑問について、かなり遠出しても専門家に取材しているのもおもしろい。日本中から注文が集まる富山の種モミづくりの村の最長老、大嶋正一さん。28歳で水のかけひき(間断潅水)を考え出して単収857キロを記録し米づくり日本一として表彰もされた、当時63歳(1923年ごろ生?)の富山県高岡市の土肥敏夫さん。田植機開発の功労者、関口正夫や、箱育苗箱を考案した松田順次さん。福島の農業試験場種芸部長、農林1号を育種した並河成資にその元の種を送った1897年生まれの稲塚権次郎さんなど、現代農業をつくってきたレジェンドの雰囲気をよく表現している。もうとっくにお亡くなりになった方々へ飾らないインタビューできているというのはグッとくる。

自殺した並河成資氏のエピソードは鳥肌が立った。胸像内のガラス瓶におさめた種を、1000年ごと10000年後に開封するように指示している時間間隔がすごい。

しかし米価は一等米が約30kgで18,505円、二等米が18,185円で事前売渡限度数量という制度で60袋しか売れないとの契約があり売上54万6031円。ほか葉タバコもあるけれどやっていけるのか・・・。5反なので反収10.4万円。。それは農業続ける人減っていくよなあ、という状況。この時代、いまよりも農業への風当たりは強かったのでは、と思うけれど、直接の補助はあまりなかったようだし(農地・水路整備や農機購入補助とかがメインな認識)、こうした兼業農業者がプライドで農地を維持し、農の多面的機能を発揮し続けてくれていることを思うと、ちょっと難しい感情になる。一部の論者がいうようにかれらの退場を早めたとして、軋轢をうみさえすれ、なにかいいことあったのだろうか。とも(平地では集約は進むかもしれないが、それでは単価が安くなるだけなように思う)。

農作物の価格については雑文を書いていました。

dai.hateblo.jp

本書のおもしろいのは数字もよくだしていることで、稲刈り間際に一株頼んで抜いて穂やモミの数を数えて、836粒18.4gあるとしたこととか30kgの米袋に140万粒はいっているという推定とか。農業について風当たりの強かった時代、食管法のもとで振り回される農家のことが透けてみえる。ほか余枡といって、30kgの袋に余分に500gいれる明文化されていないけれどみな従う文化とか、くず米の選別基準とか知らないこともたくさん知れておもしろかった。令和版もだれかやってほしい。

*1:下鴨納涼古本まつりでみつけた。本のレビューを書くのに古本を買ったというのはあまりよくないけれど、30年以上前の本だしいいか、という思い

*2:集落名

名著「大日本帝国の興亡(1)暁のZ作戦」で日本が戦争を始めてしまった背景を知る

ノンフィクション作家のジョン・トーランドが1970年に世に出した1936年から太平洋戦争終結までを描いたノンフィクション*1。原題は The Rising Sun: The Decline and Fall of the Japanese Empire 。これは、ギボンのローマ帝国衰亡史 The History of the Decline and Fall of the Roman Empire とかけていそう。この作品によってトーランドはピュリッツァー賞の一般ノンフィクション部門も受賞している*2

トーランドはすぐれた戦記作家で、さらに自身が太平洋戦争に従軍していただけではなく、妻が日本人だったことや多くの人の助けで戦後のまだ存命だった日米多くの高官にインタビューできていること、多数の資料をもとにしていることもあってかなり読ませる。複雑な開戦の経緯を日米トップの動きや軍や重要な事件をまとめていて、これまでエピソード的・断片的に語られがちな人物や事件の事情をすこし理解できたと思う。戦争や政治、組織に関心のある多くの方におすすめ。

全5巻のうち、まだ1巻の真珠湾奇襲直前までしか読めていないけれど、これからもっと情勢は複雑になるだろうし、ひとまず現時点、真珠湾攻撃までの感想を書いておきます。

大きなポイントはなぜ日本は開戦を選択してしまったのか。これは陸軍若手将校のクーデター機運と、上層部(統帥部)・政権がそのエネルギーを制御できなかったことがまずあって、開戦を防ぐために多くの人々が動いていたけれど、いくつかのすれ違いなんかでうまくいかなかったことがある。

相互の誤解、言葉の違い、翻訳の誤りなどといったものが、日本的な日和見主義、下剋上、非合理性、名誉心、プライド、恐怖、そしてアメリカの人種偏見、東洋に対する不信と無知、硬直化した態度、独善、面目、国家的な自負と不安などといったものによって増幅され、戦う必要のない戦争が、いままさに開始されようとしていた。

開戦への背景を自分なりにかみ砕いてみる。

  • 人口増・景気悪化からの農村の貧困に影響を受けた青年将校らがクーデターを起こしていた(五・一五事件二・二六事件
  • 国民からかれらへの同情からか厳しく処罰されず、増長してしまった。また陸軍・統帥部はこれをコントロールできなかった
  • そして、張作霖爆殺事件や盧溝橋事件から日中戦争に入っていった
    • 盧溝橋事件については、蒋介石と日本軍をぶつけようとしていた共産党の工作によるという説もあるようだけれど、どうなのだろう。
  • そして外交のすれ違いによるアメリカからの経済封鎖
  • ヒトラーとの同盟によって制約されてしまったこと(戦争を防ぐための同盟であったのに・・・)
  • 外交のすれ違いはエキセントリックな外務大臣松岡洋右国務長官ハルの頑迷さ、翻訳の拙さににもよる
    • (特に、ハルノートで知られるアメリカからの要求では、アメリカは日本に中国からの撤退を求めたものの、アメリカとしては満州は除いているつもりだったけれど日本は日露戦争以降権益のあった満州を含むと思ってしまっていたことは大きい)
  • 開戦前に首相で、軟弱と思われていた近衛文麿はよくまとめようとしたし、開戦時の首相として戦争を推進したと思っていた東条英機陸相だったころはさておき、開戦を止める、つまり軍を抑えることを期待されて首相兼陸相となったときには、実際に開戦阻止に向けて陸軍を抑えようとしていたことはあまり知らなかった

どこで防げただろうか。ひとつひとつの問題がなければで開戦が先送りにはされても、統帥部の独立と、陸軍の権益を安全に解体することはできたのだろうか。

あるいは、開戦が防がれていたら、日本はどうなっていただろう。 マッカーサーによる財閥解体もなかったから戦後の新興メーカーの勃興もなかったかもしれない。満州は傀儡国家として残っていただろうし、中国の共産主義化はここまで成功はしていなかったとも思う(これの良し悪しは現代人の尺度ではわからない)。大日本憲法が残っていることで軍隊も健在だろう。

・・・と考えてしまった。

また、よくいわれる、兵站や情報の軽視(中東でヒトラーと合流する、と息まいていた軍関係者もいたらしいし暗号はアメリカに解読されていた)していたり、名誉を重んじるあまりサンクコストに振り回されること(すでに中国で兵士が死んでいるのに撤退できない)とかは現代日本にも通じるように思う。

ただ、かなり読みやすくまとまってはいるけれど、戦争に至るまでの各国、各勢力や経済状況、文化など戦争に至るまでの動きはかなり複雑で記述しきれるわけはなく、いろいろ省かれていることには留意する必要がある。

書かれていないことで特に気になったのは、当時のメディアや世論、経済状況あたりかな。ただ、注釈も用語集もおもしろいのでここから広げることはできそう。個別の話では満州についてより興味が出てきた(新書で「甘粕正彦」とか「謀略の昭和裏面史」とかでエピソード的には知っていたけれど)、また、なぜ南京で虐殺が起きたのか、というのも気になる。本書では、日本の将校に煽っていたものがいたのでは、程度でしか書かれていなかった(日本軍が虐殺したことは疑いはないです為念)。

ローマ帝国衰亡史が欧米の教養人の愛読書になったように、本書も読まれ続けてほしい。

1970年時点で、34年前の1936年から、25年前の1945年までを描くというのは、2023年からみると、バブルの1989年のことから1998年までを描いているということで、当時の読者にとってはかなり「最近」のことを描いているように思う。本書が日本とアメリカでそれぞれどう大衆や専門家に受け止められたかは気になる(しかし図書館で探るほどではないけれど・・・)。 その後50年の研究でわかったことや後世の研究者からの批判とか、補足あれば読んでみたい。

いくつか引用

極東問題の権威タイラー・デネットは一九二二年に次のように書いた。「アメリカも含めて、すべての民族が、今日の極東問題を形作っているいろんな悪をつくり出すのに一役買った。われわれはみんな自分だけが正しいのであって罪のないのに迷惑をこうむったというようなポーズをきれいさっぱりと捨て去って、神妙に事実に直面した方がよかろう」

現在の、これまでのロシアへの宥和的な態度のことを思ってしまう

国家経済は一年に約百万人も増加する人口を吸収することができなかった。生産価格の低落に伴い、飢餓に瀕した農民は、抗議組織を作りはじめた。都市では何十万人という労働者が失業した。このような土壌の上に、左翼政党や労働組合が生まれ、勢力を伸ばしていった。

いま起きているアフリカの人口増とかはこのあたりの問題を起こしてはいないのか気になった。

陸軍首脳は徐々に政治的な主導権を拡大していったが、これは軍の第一の目標ではなかった。彼らが目指したのは、第二の二・二六事件が起こることを防ぐことにあった。彼らはいかなる規律をもってしても、貧困と腐敗を一掃しようという理想に燃えた青年将校の情熱を抑えることはできない、ということを知っていた。解決策は不満の原因を取り除くことであった。そして、その方法は反乱将校たちが自由経済が生む悪と考えたものを正すこと以外になかった

正義感に燃える軍隊の危うさを感じる。井上準之助ががんばっていたら違ったんだろうか・・・(このへんは、城山三郎の「男子の本懐」がおもしろかった)。現在の経済学者からどんな財政・金融政策をとっていたらよかったとか書いたものがあれば読みたい。

この時代には、全世界が共産主義に対して恐怖を抱いていたため、中国で共産主義が蔓延することが、日本に対する最大の脅威であると統制派がみなしたのも驚くことではない。というのは、中国の共産主義者アメリカやヨーロッパにおけるものと異なり、たんに政治結社の党員であるだけでなく、国民政府に対する事実上のライバルであり、独自の法と活動地域をもっていたからだ。

日本に共産主義が広がるのを恐れていたのかな。

しかし、日本を毒してきた二つの悪──日和見主義と下剋上──が再び頭をもたげてきた。まず第一に、中国において日本軍がまた大きな勝利をおさめたというニュースが届いたために、杉山陸相は交渉条件をきびしくした。第二に、北支派遣軍司令官が、近衛や参謀本部のはっきりとした命令を破って北京に傀儡政権を樹立してしまった。参謀本部は、石原に動かされて蒋介石との交渉を続行するように主張したが、トラウトマン(引用者注:在華ドイツ大使)の努力はむだに終わった。

サンクコストに振り回されてコントロールできない軍隊の恐ろしさ・・・。

(引用者注:日露戦争の講和、ポーツマス条約をめぐって)この講和条約によって最も有利な条件を獲得することができた。しかし歴史のいたずらで、このアメリカの友好的な斡旋がかえって両国間の親密な関係に終止符を打つ結果になったことは皮肉である。日本国民は、日本が戦争中に破産に瀕していたということを知らされていなかったので、条約のなかでロシアが日本に賠償を支払わないという項目に憤激した。反米暴動が全国いたるところで爆発し、東京では戒厳令まで布かなければならなかった。しかし、このように事態が悪化しても、日本政府は国民に対して、あのときルーズベルト大統領が日本を窮地、おそらく災難から救ってくれたのだとひとことも説明しようとしなかった

このあたりの意図の説明を省いているのは現代日本も同じように感じる・・・。説明下手というか、国民への説明のパスがないのかな

一九二四年、アメリカ議会が日本人のアメリカ移民を禁止する移民法(*) を可決すると、世論の支持を受けるようになった。この法案の成立は、傷つきやすい日本人の誇りに対する作為的な挑戦として受け取られ、親米派であった人々でさえも動揺せざるをえなかった。ある日本の高名な学者は「日本はあたかも突然、なんの前触れもなく、親友に頬を打たれたように感じた。」

このあたりのアメリカのアジア人差別もひどかった。

なぜ、アメリカではモンロー主義の存在が許されるのに、アジアに対して「門戸開放」の原則を強制しようとするのか? 日本が匪賊の 跋扈 する満州に乗り出すことは、アメリカがカリブ海に武力介入するのとなんら変わらないではないか( 2)? アメリカのような広大な国家に第一次大戦以来日本の発展を阻んできたいろいろな問題を理解できるのか? イギリスやオランダがインドや香港、シンガポールおよび東インド諸島を領有することは、これを完全に認めることができるが、日本が彼らのまねをしようとすれば罪悪であると糾弾する根拠はどこにあるのか?

これも取り扱いが難しい。既成事実になってしまっている。いまの中国の拡大志向もこのあたりを持ち出されうる?

西洋の論理は、筋道のたった結論を導くために公理や定義や証拠を用いて正確を期するが、生来の弁証法論者である日本人は、どのような存在にも矛盾があるという立場をとる。日常生活において、日本人は本能的に相対するものの矛盾について考え、それらを調和させる術を心得ている。正と邪、精神と物質、神と人──これらのすべての相対立する要素が調和を保ちながら統合される。だから、物事は同時に善でもあり、悪でもありうる

曖昧なものをそのままとらえられたらかっこいいけれど、単に思考停止しているだけなことも多い・・・

杉山参謀総長は当惑しきっていた。「あれは敵機が撃墜される前に輸送船団が進発したからであります。あのような事態は起こらぬはずであります」  それでも天皇はねばった。「ほんとうに計画どおりにやる自信があるのか。汝は日華事変が起こったときの陸相だったが、蒋介石はすぐかたづけますと言った。それがいまだにかたづいていないではないか」 「中国は奥地が広うございますので……」──杉山は、しどろもどろだった。 「中国が広いことはわかっておる。しかし南洋はもっと広いではないか。どのような根拠で、五カ月間でかたづけるなどと言えるのか」天皇はいらいらし、焦燥が顔に出ていた。  杉山はなんとかして答えようとした。

はい・・・

こうして、共産主義者に支配されるアジアへの危惧を共有していた二大国が、やがて衝突する軌道の上に乗ったのである。いったい、どちらが責められるべきか──アメリカか日本か? 満州をわがものにし、中国を侵略し、中国人に残虐行為を働き、さらに南方へ進出するという一連の行動によって自らをアメリカとの対戦に至らしめたという点において、日本は、ほとんど一人で責任を負わねばならない。しかし、日本のこうした侵略行為は、第一次大戦後に日本を経済的な競争場裏から追放しようとした西欧諸国の努力、大恐慌、日本の人口の爆発的増加、そして一等国としてとどまるために資源と市場を探さねばならない必然性などから帰結した、避けることのできない結末でもあった。これに加えて他に例を見ない不思議な「天皇」という存在があったし、下剋上が果たした破壊的な役割があったし、日本人が偏執狂に近い恐れを抱いている共産主義の脅威がソ連毛沢東の両方から迫っていた。

このあたりの情勢の価値判断は難しい。不況と人口増からの不安定化は怖い。

アメリカが口にする正義は、結局は自己の目標を貫かんがためであり、アメリカが唱える道義は、その奥底においては自らの利益のためであった

これをアメリカ人のトーランドが書けるのすごいと思う。本作は日本人には書けただろうか。

責められてしかるべきはただ一つ──それは「時勢」だった。第一次大戦後のヨーロッパで起こった社会・経済的な混乱、共産主義ファシズムという二つの巨大な革命的イデオロギーがなかったなら、日本もアメリカも永久に戦争の縁に立つようなことはなかったことだろう

第一次世界大戦の後始末が悪い・・・

(一大奇襲で一気に勝負を決するという概念は、日本人の性格にも深く根ざしている。彼らの愛好する文学形式の一つである俳句は、感覚的イメージと直観的に思い浮かんだことを、わずか十七文字の中に歌いこむ詩の一種である。それは規律に従って表現されるぴりっとした諷刺と、日本的仏教の中で追求されてきた知的ひらめきを特徴としている。同じように、柔道、相撲、剣道の結着も、長い準備的な段階の後、一瞬の攻撃によって決する

ニンジャスレイヤー的

この1巻は、まだ政治劇、外交劇的なおもしろさがなくはないけれど、2巻以降は悲惨で泥沼な場面が増えていくんだろうな……

*1:日本語版は毎日新聞のチームによって1971年に出版

*2:この部門の存在、はじめて意識したが有名なところでは1980年のホフスタッターによる「ゲーデルエッシャー、バッハ――あるいは不思議の環」、1998年のジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」

2022年のふりかえり。人間とインターネット

本日12/30(金)になんとか仕事がおさまった。あまり落ち着く暇がなかったけれど、なんとか子連れ帰省の荷造りをして、これを書いている。

振り返るといろんなことがあった1年だった。
2月のロシアによる侵攻からはじまったウクライナでの戦争はまだまだ続いている。 ニュースでみる侵攻の被害はすさまじい。現地の人々への感情をうまく表現できないでいる。ロシア政府によって弾圧されているひと、無理に戦線に駆り出されているひともつらいと思う。

これに伴う各地の資源高と世界的なインフレ、それによるイタリアなどのポピュリズム政党の台頭も気になるところなんだけれど、個人的にはこれらをアメリカの陰謀で、ロシアが正しい、と考える人々が少なからず存在しているのに驚いた。

そして Twitter で情報発信している専門家に粘着したりしているのにうんざりしてしまう。また、一部インテリでさえもプーチンを刺激したのが悪いとロシアに同情的な態度だったことにも驚いた(ある国が、国際的な合意がなく他国に侵攻するのは許容できない)

とはいえ、自分も2014年にクリミアを征服したロシアや、ドンバス地方での紛争で1.4万人死んでいたことなどあまり把握できていなかったし、各プロパガンダSNS だけではなく報道にも影響を与えている状況で正しく判断するのは難しい。かつて何十年も前に北朝鮮ユートピアだとなかば本気で思っていた人々がいたことを笑えない。

次いで、7月の安部元総理暗殺と、その後明らかになった統一教会の政治への影響も衝撃だった。国会議員へのボランティアでの秘書の派遣や、各地方議会への働きかけなど組織的に動いていること、また、信者の心のすきに付け込んでお金を巻き上げているのは恐ろしすぎる。なんとかこの悪影響を断ち切ってほしい。

と、思うのだけれど、この問題でも擁護する人がいたり、 SNS でのさまざまな対立もうんざりした。 (もともと?、一部の層が「アベ〇ね」などとかなり汚い言葉でののしって悪魔化していたことでこれに反発する層がでてきてしまうこともわかるんだけれど。まあ、安部元総理が縁故主義的だったり、国会をないがしろにしたりメディアをコントロールできていたし問題があったのもある・・・)

次いで3年目のコロナ。もう何回目の波か数えるのをやめている。過去最多の死者を出している年末だけれど、2年前と決定的に違うのは、ワクチンを打っていたらまあ若年層は悲惨なことにはなりにくそうだということがわかっていること。マスクをしていればまあリアルなイベントがあってもいいか、となっている程度には with コロナは浸透している。 ただ、これからマスクを外すタイミングとかは難しそうではある。早く0-5歳のワクチンも希望者にいきわたったらできるかな(ワクチンが怖いというのもわかるんだけれど、実際のコロナ感染とそれによる後遺症と比べるとリスクの桁が違うという感覚)。

そしてこの問題についても、いまだに反ワクチン・反コロナが SNS で大手をふって医療者を攻撃したり仲間同士でいいねをつけあっているのはちょっとうんざりする。 特に、それをあおっている一部のインテリ(獣医師だったり眼科医だったり)はほんと怖い。知的な人間がいともたやすく自己を振り返ることができなくなって盲目的になる事例をいくつかみてしまった3年間だった。

ほか、最近だととあるNPO法人をめぐるインターネットを舞台にした対立もうんざりするものがあった。実際の問題がどのようなものかはあまり把握できていないのだけれど、補助金は適切につかってほしいし、行政の管理が厳格化されるのもうれしくないとは思いつつ、「敵」認定した層への攻撃で内輪で盛り上がって先鋭化するあたりのいじめ的な行為でいやな感じがする(それへの反論もまたよくなさそうなんだけれど、深入りしていない)。

岸田首相は参院選を勝利したのに、そのあと増税で防衛費を増やすと宣言している。誠実そうな形で登場してすこし期待はしたけれど、問題ある閣僚を放置したりなにをしたいかよくわからない。中国の覇権主義や台湾への食指を隠そうとしないことも不穏で防衛費がある程度必要なのはわかるけれど、なんか、この少子化が加速しているなかで増税でやるの?という思い。メディア経由の2次情報でしか政治がみえないのでバイアスかかっているだろうけれど、野党の存在感がないことも気になる・・・。もうちょっと現実路線・労働者の生活を軸にがんばってもらって与党に緊張感を与えてほしい。

電力は不足するし、インフラは老朽化するし、円安は進む、海外ではインフレもひどい。住宅は高いし物価もあがるし人手不足なのに賃金はなかなかあがらなくてたいへんな時代。来年はどうなるでしょう。

読み直すと世界的問題とそのインターネットでの反応が続いていた。自分にはインターネットのきわめて一部しかみえないし、インターネットに現れないものはこれまでもたくさんあって、たまたまそれが目についただけなのかもはしれない。ただ、SNS でのライトなコミュニティでのライトな所属意識をもとにライトにひとに攻撃できるという性質にどう対処していくかというのがこれからの課題だと思う。

個人的には、子が2歳になったり、弟にも子が生まれたり末弟が大学受験の準備をしだしたりする一方で、父や祖母の老いは目立ったり、まわりでは介護や相続トラブルなどもちらほら発生して、人々の成長や老いに直面する年だった。コロナにもかかるし育児が忙しくなかなか学習はできなかったかなあ。

仕事・・・。新しいプロジェクトをなんとか形にしつつ、既存のサービスをなんとかひっぱっていくのに苦労した。自分がボトルネックになってしまう状況があって、もっと力をつけたい。Rails7 の turbo と Stimulus は楽しいのでみんなやりましょう。

行ってよかったところは豊田市美術館。リヒター展はよかったし常設展もよかった。ひさしぶりに1人で半日行動して気が晴れた。ほか、子守りがてら子を連れて電車で知らない街にいって散歩するのは地味におもしろかった。今後も続きそうなので県内全駅降りつぶしなど取り組みたい。

趣味としている写真、いろいろ撮ったけれどめっちゃいいの撮れたぜ、という喜びはあまりなかったかも。同僚の結婚式で1000枚くらい写真を撮ったのは楽しかった(心残りもある)

そんな感じです。来年も生き抜きましょう。

湖西線蓬莱駅界隈はおもしろいところだった。毎週第一日曜にマルシェをやっている。

「トウガラシの世界史」で読む作物と文化の共進化

トウガラシという作物の来歴と、これがどう広がって各地の文化に影響しているかをトウガラシ大好きな研究者が書いた本。著者の山本紀夫さんは、1943年生まれで京都大学農学部農林生物学科卒、京大探検部出身でアンデス栽培植物調査隊(なんだそれ・・・)の一員として現地で採取したトウガラシを900系統ほど栽培してこれをテーマに博士論文を書いた後、民族学に転向して研究を重ね国立民族学博物館教授にもなっている。

トウガラシは中南米原産だけれど、各地に広まって、インドのカレー、中国の四川料理、韓国のキムチなどと各文化の代表的料理の地位に収まっているのはすごいと思う。ほか日本ではなじみが薄いけれどポーランドはトウガラシからパプリカを生み出して国民料理とし、エチオピアなどアフリカやブータンチベットでもかなり重要な食材らしい。日本でも万願寺とうがらしは近年かなり広まっている。 その、新大陸の新しい作物の受容の過程を文献や現地訪問などで追いかけていて、農学×文化史というアプローチが興味深い。

トウモロコシなどの穀物やジャガイモといった、主要な食糧の広がりもおもしろいんだけれど、トウガラシという、ある種の嗜好品が食料としての重要度がすこし小さいものでも各地の文化に影響をもたらしているのはおもしろい。これに匹敵するのはタバコくらいなんじゃないだろうか。 じつは日本で昭和38年をピークにトウガラシは何千haも栽培されてアメリカ、韓国、スリランカにも輸出されていたのは知らなかった。それが、機械化しにくいのと通貨高によって輸入国に転じたというのは興味深い。小麦以外でグローバル化の波によって国内生産が大きく縮小した作物はあまり知らなかった。

いくつか気になったところメモ

  • トウガラシ、栽培品種もたくさんあるなかで野生種も育てられていて珍しい。
  • トウガラシの故郷は中南米であり、十五世紀の末にコロンブスによってカリブ海西インド諸島から初めてヨーロッパに持ち帰られ、ヨーロッパからアフリカやアジアなど世界各地にもたらされた作物
  • トウガラシの日本への伝来については、ポルトガル人が1542年、あるいは1552年に伝えたとされる説がもっとも古く、中国よりも早い
  • アメリカ大陸における最初の植物栽培に関する考古学的な証拠は、ペルーの中部山岳地帯で紀元前八〇〇〇〜七五〇〇年にまでさかのぼる(東南アジアでのタロイモ栽培に匹敵する最古の農業レベルの古さだ!)
  • 鳥に食べられたトウガラシは発芽率がきわめて高くなる。トウガラシの実が辛いのは動物のなかで鳥だけに選択的に食べてもらい、種子が広範囲に自然散布できるように助けてもらっているからではないか?という説もある
  • 人間の味覚は辛みを感じることはできず、痛覚を刺激している。トウガラシを食べると人間の体は、痛みの元となる物質を早く消化し無毒化しようとして胃腸を活発化させるとのこと。また、トウガラシは胃腸を活性化するだけではなく、カプサイシンによって体に異常をきたしたと感じた脳はエンドルフィンまで分泌するらしい。エンドルフィンは、モルヒネと同じような鎮痛作用があり、疲労や痛みを和らげる役割を果たす。そのため、結果的に、わたしたち人間は陶酔感を覚え、快感を感じることになるらしい・・・。こわいし高ストレス下の人間が蒙古タンメン中本など辛い料理にハマる理由もわかる・・・

いろんな料理がのっていておもしろかったのだけれど、特に気になったほんの一部だけメモ

  • ハンガリーの諺「名声を欲する人もいれば、富を望む人もいる。しかし、グヤーシュはすべての人が切望する」
  • 1990年に、「ハンガリーのシンボル料理は何か」というアンケート調査がおこなわれた。それによれば一位はパプリカを使ったグヤーシュであった

  • エチオピアのコーヒーの葉のお茶

    • エチオピアの西南部では古くからコーヒーの豆ではなく、その青葉を煎じて飲む習慣がある。
    • 長くエチオピア南部州で人類学の調査をしてきた重田眞義氏によれば、家庭でふつうに出てくる飲み物は、この葉のコーヒーでこれにはトウガラシが欠かせない。  
    • つくりかた

朝取りのコーヒー青葉は、小さな臼と杵で突き潰す。広口の土器の壺に沸かした湯のなかで煮立てると、そこにショウガ、ニンニク、ミント、レモングラス、塩、そしてトウガラシ──多くは小さなミトゥミタが使われる──を加えていく。数分待ってから、乾燥したヤムの 蔓 を丸めて土器の口に詰め、ゆっくりと 漉しながら、熱い緑の液体を小さな陶器のカップに注ぐ これも重田氏の報告によれば、複雑で、ときには辛く、ときには青臭く感じることもあるが、香辛料がバランスよく配合されたときの味は格別だという

  • ちなみに東アフリカの共通語であるスワヒリ語では、トウガラシは《ピリピリ》と呼ぶとのこと

  • ブータン人女性が書いた『トウガラシとチーズ』という本のなかにも、ブータン人とトウガラシの密接な関係を述べた記述が見られる。すなわち、「病人食と乳児食を除けば、(ブータンの)料理でトウガラシを使わないものはない」

  • 日本や朝鮮半島にくらべて、中国におけるトウガラシ利用の歴史は比較的新しく中国の料理書にトウガラシが登場するのは、19世紀になってからとのこと。いっぽうでチベットではよく食べられていて、5つほどレシピが紹介されていておもしろかった。

  • ある人が「赤蜻蛉 羽もぎれば 蕃椒(とうがらし)」という句をつくったところ江戸時代の俳人加賀の千代女(一七〇三―七五)は、「俳諧はものを憐れむを本とす」として、手を入れて「蕃椒(とうがらし) 羽はやせば 赤蜻蛉 」と修正したというエピソードがおもしろかった。

  • (千代女は有名な「朝顔に 釣瓶 とられてもらひ水」の句によって知られている俳人

というわけでカレーや辛い料理に関心がある人が読んでみるとおもしろいと思う。

キンキーブーツ感想。ターンアラウンドなミュージカル

11月半ばにブロードウェイ発のすごいらしいミュージカルを妻と観劇してきました。妻とその観劇友達たちで確保していたチケットが浮いたのがきっかけです。

あらすじとしては、イギリスの靴工場の社長の息子チャーリーが、現社長である父の急死によって経営を引き継ぐことになったものの経営トラブルにぶつかる。そんななかドラァグクイーン*1のローラと出会い、かれら向けの靴をつくろうと奮闘していく・・・というあらすじ。

性的マイノリティについても経営トラブルについても見ていてつらいものがあったけれどミュージカルの力でなんか前向きにやっていけるというエネルギーがあってよかった。

以下ネタバレありで感想。

  • 靴工場の社長の息子だった主人公が父の急死により急遽経営を引き継いで、従業員向けに適当な挨拶をするくだりがもどかしくてつらい
  • 最大の取引先からの急な受注停止と、それへの対応のため工場での従業員への解雇予告の面談をしていくのが経営者の立場でも従業員の立場でもとてもつらい
  • ブルガリアで生産された靴がもっと安いなかでその靴を買う必要があるのか、と友人に言われるくだりもグローバル経済の前の無力さ感じてつらい
  • 起死回生のために雇用したデザイナーと既存の従業員との軋轢がうまれるのもつらい。もっと丁寧にオンボーディングできなかっただろうか、と・・・
  • 巻き返しのためのプロジェクトに忙殺されるなかで婚約者との溝が深まっていくこともつらい。なんかスタートアップ経営者の離婚事例をいくつか想起した
  • よりよい製品を目指す主人公と、そのために、つくりなおしの残業を命じられる従業員との軋轢もつらい。ここで対立があるからこその解消の場面が生きるんだけれど・・・
  • 常識外れのアイデアを提案するスタッフと、それを一顧だにしない主人公との軋轢もなかなかつらい。いやー、これは結果的に成功したけれど、世の中成功しない事例も多いし、、つらい

つらいばかりになってしまった。
ちなみに、このストーリーは実話がもとになっていたそうでBBCではこんな記事もある。

Kinky Boots inspiration comes out of the shadows - BBC News

この企業の再生の過程は、いわゆるターンアラウンド(真山仁さんのハゲタカの印象が強い)だし、そのためにニッチ戦略をとって、ひとりのユーザに着目してマーケティングしていくというのは西口一希さんの「顧客起点マーケティング」を思い出した。

後半の「他人のあるがままを受け入れろ」というフレーズは重要。これは個人の生き方の変容だし、これもまた個人のターンアラウンドだと感じた。この変容を、若い新人経営者チャーリーだけではなく、中年のドンも(多少)経験するのもよい。そのきっかけになるローラの苦悩も。

ドラァグクイーンがイギリスでどう受容されていったかはほぼ知らないけれど、たいへんだったはず。どこの国でも差別はあるけれど、特にイギリスでは、ナチスの暗号を解読して連合軍勝利に貢献し、計算機の理論の礎を築いたものの、1950年代に同性愛の罪で警察に逮捕され、転向療法としてホルモン治療も受けさせられた末に自殺したアラン・チューリングを連想する。 行動の結果、法律も変わって受容されてきているというのは素晴らしいこと。個人としての自分も先入観に振り回されないようにしたいしコンフォートゾーンを出ていかないと・・・(と、エンタメを消費して教訓を引き出すのも野暮ではあるけれど)。

ちなみに、パンフレット(妻は必ず買う)にも時代は書かれていなかったけれど、ブルガリア製の靴に価格競争で負けているくだりもみるに、サッチャリズムが吹き荒れて、ゆりかごから墓場まで、というイギリスの標語は過去のものになった時代以降だとは思うけれど、どうなんだろう。

大道具も演出もよかった。特に、ボクシングのシーンは印象的だし、ベルトコンベアもおもしろい。あれ人を運べる出力のものがバッテリーで動いているのかな。どこで買えるんだろう。オークラ輸送さんとかでもバッテリー式なさそうな気がするしご存知の方いたら教えてください。あと冒頭のドンの小芝居もよかった。

場所は大阪のオリックス劇場。このあたり、心斎橋駅あたりから御堂筋をはさんで西はなんだか落ち着いていて良い感じのお店や公園も多くていいエリア。 観劇後、妻の最高にエレガントな観劇友人とお茶できてよかったです。

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*1:Wikipedia によると女装パフォーマー

2022年11月の家庭内コロナ感染の記録

4行まとめ

  • 2歳児が感染して3日後に自分、そのさらに3日後に妻が感染して合計2週間ほど自宅隔離していた
  • 子は2日で元気になって、自分(ワクチン4回接種済)は2日体調悪くてそのあと数日本調子ではない感じ、妻は1週間ほど疲れやすい感じだった
  • 乳幼児のワクチン接種、早くしたい。
  • 2歳児と2週間家にこもりきりなのはしんどい。保育園のありがたさが身に染みる。

経緯

第1日 真夜中に子の体温がかなり高いことに気付く。うなされている。起きたので水を飲ませて熱を測ると39.0度。 朝は2歳児37.6度でまあ元気ではあったのでほっとする。すぐ下がったのでコロナとは疑わず、病児保育を捜しつつ、小児科を受信。抗体検査?し陽性が発覚(最初の発熱から10時間くらいだったので陽性になったことに驚いた)。先生の感触としては、幼児では重症になる確率は低いとのことでちょっと安心。小児科は空調的には分離されていなかったので心配ではある。 もう陽性登録は自分でしないといけないとのことで紙をもらう。 薬局の前で子と待って、外で解熱剤とのどの薬をもらう。

家の中でもマスクして子とおかあさんといっしょをみたり遊んで過ごす。 隔離期間のカウントの0日は発症日とのことで、この日とするか、前日とするかはちょっと迷う(0時くらいに気付いた気がする)

第2日 子は深夜に高熱(39.1度)も朝には微熱。妻はリモートワークなどしない職場なので、自分がリモートワークで妻にみてもらう(食事は自分が作る)生活開始。

第3日 夕。自分がディスプレイをみるのがつらくなってきた。羞明(しゅうめい:なんかいろいろ眩しくなる)というコロナの症状のひとつの様子。自分36.8度(平熱が35度くらいなのでわりと高め) 第4日 自分37.5度で強い倦怠感で4時間寝て1時間起きるみたいなのを5回くらい繰り返していた。頭痛とか喉の痛みはあまり印象には残っていない。

第5日 自分も近所の病院で検査し陽性。子は元気になっていた。妻は体調変化なかったので家庭内隔離を厳格に開始(居間を妻と自分/子で排他的に利用)。だるいけれど起きてはいられたので子の相手をしたりいっしょにテレビ(おかあさんといっしょ)みたり甘やかす・・・。妻は寝室を占有してまあまあ快適に暮らしてそう。

第6日 ひたすら子の相手をする。まだちょっと眩しくてPCやスマホがつらい。E-Inkのkindleだと大丈夫。隔離生活していた妻が発熱・・・。

第7日 妻陽性。子はなんか甘えたがり・わがままになってきている感・・・。 後遺症的には、眩しさもとれてきたけれど胸いっぱい呼吸しにくい感(力を入れないと息を吸えない感)があるかも。でもこれは後遺症がありうるという思い込みによるプラシーボ効果?的ななにかかも(そのあと解消)

妻は職場の規定でここから10日間出勤停止なので、かなり長引いてしまった。こんなことなら最初からみんなかかっていたほうがよかったのに・・・と思わなくもないけれど、順番につらい時期を経験したことで看病を順番にできてよかったかな。

第8日 9-18時で仕事。子は外出できずテレビ漬け・・・ 第9日 妻も元気なときとしんどいときをいったりきたりしていそう。ぼちぼち仕事できた。 妻は3日ほど熱がでて、しばらく匂いがわからず倦怠感・疲れやすさがあった様子。一週間ほどで落ち着いてきた。

ちなみに妻がコロナ陽性かも、となったのは、なんか酒がうまくない、と気付いたからとのこと

しんどかったこと

子はわりとすぐに元気になったし、みな後遺症は目立たないのはほんとよかった。けれど、その後、家で2週間みないといけないのがなかなかお互いにストレスだった。 自分が家にいるときの食事はすべて自分が用意する習慣があるので、自分が倒れていた1日以外はすべて用意したんだけれど、幼児食も大人のご飯もレパートリーが枯渇して同じようなのばかりつくってしまっていた。材料も買い置きのものばかりだったし・・・。

保育園はほんとありがたいし、保育園や幼稚園に預けていない専業主婦もかなりたいへんだし、家族みんな家にいながらリモートワークするのもつらいということを痛感しました。

「食と建築土木」でみるDIY精神

書店でタイトルに惹かれてぱらっとめくって、すぐにこれは傑作だとわかって買った本。 農村漁村にある人の手による工作物をいろいろ紹介しているたたいへんいい本でした。

干しダイコンをつくるための大掛かりな(下をトラックが通れるような)木造の櫓(ろ)とか、ウドの軟化栽培のための小屋、凍み豆腐を干す台とか、芋切干の穴とか、木造ビニールハウスでのみかん栽培、宇治の覆下茶園とか。それぞれ歴史もあったり、特定の風を活かすためなど土地特有の背景やおいしいものをつくるための工夫・知恵がおもしろい。

必ずしも、伝統のあるものというわけではないし、生活のための商品生産が主眼にあるんだけれど、その実用第一からなるミニマリズムというか無骨さがかっこいい。 DIY精神を感じるし、室戸では、戦前から和紙と竹で温室をつくっていて、強風ですぐ壊れるけれど野菜をいち早くつくって大阪に持って行って相当儲けていたというエピソードもあってハッカー精神を感じる。

農作業のための小屋などを多数とりあげている「マイクロ・アーキテクチャー 小屋の力」とも通じるわくわくさがある。

食味をよくしていくための工夫もあって、こういうプロセスに注目されることでブランド化になって商品も残ってほしい。 宮崎の大根やぐらの沢庵漬け、宇治田原の古老柿、福井のつるし柿(燻した干し柿)、長崎の茹で干し大根とか、長崎の茹で干しダイコンとか福島の凍み豆腐、静岡の芋切干し、淡路の灰干しワカメは食べてみたい。

ほか、建築家の藤森照信さんと著者の対談もあってめちゃめちゃおもしろい。

  • バーナード・ルドルフスキーの「建築家なしの建築」をひいている。レヴィ=ストロースのブリコラージュとは、組み合わせて新しい体系をつくることそのもので茶室がもっともよい標本という指摘も。
  • 今和次郎さ(1888-1973)の民家研究
  • 「自然破壊の原罪は農業にある」というのもほんとそう。農地が森林を潰して、その農地を住宅と工場が潰している
  • 大規模農業の末路・・・勝ち組はどんどん大きくなるけれど人口は増えない。例:オーストラリアなどの農家が1県に1つみたいな状況でコミュニティが維持できない。 とか

藤森さんの仕事はほぼ知らないけれど、(晩節を汚しつつある)猪瀬直樹の名著「土地の神話」の解説がよかったのを思い出した。

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「スローな未来へ」などの著者、島村菜津さんとの対談も、イタリアとの景観についてのスタンスの違いや変遷や、昔ながらの加工品に関連する制度を紹介していてよかった(後藤さんのイザベラ・バードの引き方は疑問だけれど)。

  • その地域で真面目にやっている人ほど、こうした町並み保存に最初は反対するというのも重い(そしてそういう人がのちに保存運動を主導することもしばしば)
  • 世界の傾向では車をシャットアウトした地域のほうが成功している(これは事例と不満は気になる・・・)
  • 衛生に対する過剰な意識は難しい。イタリアでは90年代に140ほどのレアなチーズが衛生法の影響で消えた。
  • 複合的なものを、日本の行政では文化的景観とひとまとめにして扱おうとしてうまくいっていないところもある
  • 農村だけではなく、日本の都市景観も大切。イタリアでは、大都市の住まい方を見直す→小都市→地方の農村と進んだからスムーズだった
  • 触れられていた 「九州のムラへ行こう」という雑誌も気になる(近畿版ないかな)

著者は「それでも『木密』に住み続けたい!路地裏で安全に暮らすための防災ばちづくりの極意」という本も書いているそうでタイトルだけでよすぎてポチりました。

ちなみに本書は基盤Cの成果らしいです。

ATEM Mini で動画配信してハマったところいくつか

ちょっとした講演を Zoom で配信したり収録するのに運営に取り組んでいてビデオスイッチャー(ビデオミキサー?)として ATEM Mini をつかっている。いろいろ試行錯誤して、ようやく使えるようになってきたのでハマったところいくつかをメモ

まずこれに目を通しておく。どんなことができるかイメージできます。

vook.vc

1.ATEM Software Control のダウンロード方法がわかりにくい

ビデオスイッチャーの細かい設定をするためのソフト サポートセンター | Blackmagic Design

ここで製品名に ATEM Mini と入力して「ATEMスイッチャー8.10 アップデート 」(バージョンは現時点最新)をダウンロードしてダイアログに従ってインストールすることで利用できる。 (このアップデートというものがさまざまなサイトででてくる Software Control ということになかなか気付かなかった)

2.PCとの接続

有線で同じ LAN に接続しないと使えないかと思ったけれど、PC と直接 LAN ケーブルで接続しても使うことができる。

3.音質が悪い

これは、マイク端子に直接マイクをつなげても、カメラにつなげても音質が悪い。どうしたものか、と思ったけれど、使っている PC の問題だった。ほかに Windows で困っている人も軽くググったところ見つからなかったので Windows が悪いわけではない、とは思う・・・・(切り分けていません)。 手元の Mac mini だとたいへんクリアだった。この試行錯誤に時間をつかった・・・

4.デフォルトでは PinP に使えるのは input1 の HDMI

Software Control では設定できるようだけれど、ハードだけだと input1 にカメラをつなぐ必要がある

5.モニター出力の不具合

プロジェクターにつないだら、対応していません、と出て焦ったけれど、Software Control の設定からビデオフォーマットを変更する必要があった。 適当に 1080P29.97 にしたところ出力されたけれど、これは横方向に半分くらいにつぶれていたので、 1080P59.94 にしたら解消。この数字には歴史的背景があるそうなのでご興味ある方はググっておいてください。 (検索用キーワード アスペクト比

ATEM Mini |外部モニターに「OUT OF RANGE」と表示され映像が出力されない - Peas Code こちらの記事を参考にしました。

6.PinP の設定

Picture in Picture(ピクチャーインピクチャー)でスライドを投影している隅に話者の様子を映すことができる。 Software Control のパレット → アップストリームキーでこのサイズや位置の変更ができるけれど、 カクカクとした動作になるので配信中に設定はすべきではない。

7.Zoom で画面が反転してしまう

USB出力をPCにつなぐだけで Webカメラ として認識して簡単!なんだけれど、Zoom では反転してしまう。 これは Zoom のビデオ→設定で 「マイビデオをミラーリングします」のチェックを外すことで解消される。

8.配線図を書いておくとよさそう

会場のプロジェクターに投影しつつ、Zoom でも配信する(さらに Mac mini で OBS とかで録画したくなる)のはまあまあ複雑。 事前に配線図を書いておくと設営はスムーズ。

9.HDMI ケーブルは思ったよりもいる。

たくさんいります。長いものも複数必要。

  • カメラからの入力(ミラーレス一眼を使ったので mini HDMI というマイナーケーブル・・・)
  • 話者のPCからのHDMIケーブル
  • プロジェクターへのHDMIケーブル
  • Mac mini とディスプレイをつなぐHDMIケーブル

カメラを充電したり、ATEM Mini から映像を出力するのにも USB-typeC のケーブルもいるしケーブルだらけ。

まとめ

細かいハマりどころはいくつかあるけれど、かなり簡単に扱えてコンパクトで便利。 配信などするときに一台あるとたいへん便利です。

以下、本題とは違うけれど困っていること

現地参加の人もリモート参加もいる小規模講演での小音声入力、どうするといいだろ。話者の声だけではなく、質問する人の声もとりたい。

  • 案1.会場では話者も質問するひともそれぞれマイクを会場スピーカーにつなげて、それを素朴に収録する
  • 案2.単一指向性のワイヤレスマイクをそろえて配信用に入力する。高いし試しにくい・・・。会場スピーカーにつなげた音がマイクに入らないか不安(Zoomがよしなにはしてくれる?)
  • 案3.スピーカーフォンをつかう。Jabra Speak シリーズとか。シンプルだけれど音質はいまいち・・・(810とか高価なものを使えばどれくらい改善されるかは気になる)

ハイブリッド授業などを取り組んでいる大学の先生方がいくつか記事を書いていそうだけれど、機材を試す機会が少なくためらわれる。

『マーガレット・ハウエルの「家」』を読んだ

周囲?で流行っていた流れで手に取りました。

tymikii.hatenablog.com

マーガレット・ハウエル、自分は知らなかったのですが有名なブランドで、シンプルな服をつくっています。その創業デザイナーの住まいについての本です。

www.margarethowell.jp

(シャツが2万円とかからなのでなかなか高級!デパートによく入っているようですが、これまで認識したことはない・・・。しかしブルゾンいいな・・・)

気取った感じはないし、いろんなものを取り入れて自然な印象。無造作なんだけれど、おさまりがよくておもしろい。

p80の本棚の様子やp88のビーチハウスとか好き。

家具やテーブルウェア、食器も古いものを大切にしている。こういうのがあるといいよなあ、と思う。ただ、イギリスのおしゃれな家であって、こんな生活日本ではとてもできない・・・という思いもある。日本でじゃ大きな違いは土地かも。

妻が好きなベイクオフという、イギリスの、パン作りコンテストのテレビ番組でも参加者の家はどれもいい感じだったのも思い出した。

日本だと、高機能だけれど狭くて無機質的なマンションか、駅から遠い一軒家か、いい感じだけれど寒くて結露する団地的な古いマンションかくらいしか現実的な選択肢がなくてなかなかこの本のような生活はできなさそうでため息が出る。

欧米の調度で連想したのは、Amazon プライムビデオでみた「メイジーの瞳(2014)」。 これも内容はさておき、調度の上品な高級感とかすごかったんだよなあ。

映画についての感想はかつて書いていました。

dai.hateblo.jp

冬に寒くなくてエアコンがとりつけられるお風呂にカビの生えにくいいい感じの家に住みたいものです。

ある論争

「わたし」はとある小さな会社で働く特筆することのない人間だ。ある友人が、いわゆるボーイズラブものの漫画を読んでいて、素朴に、あの職場のかっこいい人もこんなふうに素敵な人と出会って恋に落ちるかもね、と言った。

漫画上のものをきっかけとした他愛のない話*1なんだけれど、この考えを「わたし」は見過ごせず、少し口論になってしまった。 看過できなかったのは、人が「(素敵な出会いなどの)何らかの出来事」によって性的指向が変わるという考え。 この考えは、何らかの要因によって人の性的指向が変わること、つまり、後天的に異性愛から同性愛に変わりうるということを意味する。それは、同性愛になることをコントロールできうる、つまり矯正できうるということと地続きだではないか、と「わたし」は考えた。これは「不健全な」創作物を弾圧する口実にもなってしまうし、子どもが同性愛になったのは親の教育のせいだ、ということに繋がりかねない。

これは誰の望むところでもないとは思う。 悪意がなくとも、子どもためを思う善意によってかつて多くの漫画が焼かれたことを思うと、矯正できうるという考えは弾圧を助長しかねない。だから、あまり後天的に同性愛になりうるという考えは良くないのでは、という話を友人にした。

すると、友人からは、それは人の自由意志を束縛する考えなのでは、という反論を受けた。後天的に同性愛になることを認めないというのは同性愛者は良くないものと差別する考えだ、と。

「わたし」はそれを聞いて考え込んだ。 後天的に同性愛になる考えを認めるべきではない、というのは、弾圧者に口実を与えないための論理だと思っていたけれど、これが差別にもなりうるのだろうか。 もちろん、幼少期に性的指向を自覚していなく、長じて自覚することを自分で変わったと表現することはあるかもしれないし、同性だけの環境に押し込められることで一時的に同性愛的な行動をとる、機会的同性愛*2というものもあるらしいけれど、そういうことではない。 「わたし」と友人は、おそらくお互いに納得のいかないまま、別の話題に切り替えていった。

  ※ この論争は実際にあったものを題材に脚色した架空のものですが、どこの論理が間違っているでしょうか。みなさまはどう思いますか?

*1:他愛はあるか

*2:機会的同性愛 - Wikipedia

最近の悩み 2歳児の睡眠

たまたま見かけたユーフォニアム電車

賛否があるとは思うけれど、うちでは0歳2ヵ月ごろから部屋に一人で寝かせている。 こうすることで、お互いの存在で睡眠を妨げられないようになっていてとてもよい。 6か月になるまではSIDSとかも心配していたし、ときどきは夜泣きもあったけれど稀だった。

ただ、家の事情で1歳10か月ごろに寝室が使えなくなって2-3週間ほど一緒に寝ることがあったのだけれど、それ以降、1人で眠ってくれなくなってしまった。

21時ごろになって寝かせようとすると、自分の名前を呼んで布団を叩いてここに寝ろとせがんでくる。 いまは夜中に一人で外に出てしまったりを恐れて、1.5m四方ほどのベビーサークルにいれて寝かせているんだけれど、そのなかに自分も入って照明を消して寝かし付ける。

10分ほどで寝るからそっと出るんだけれど、自分も疲れているしふと寝落ちしてしまうことがある。

この時間に、この狭いベビーサークルで寝落ちしてしまうともうすべてがおわる。1時間後に目覚めたとしても、もう頭が働かなくてむにゃむちゃ家事をして寝るしかなくなる。疲れも取れていないし再度の入眠もスムーズではなくて最悪。

なんとか寝落ちしないように気を張るけれど、この1週間は成功率半々といったところ。 自分が遅くまで働いていて妻が寝かせるときは、1人で寝てくれるらしい。自分がいると興奮してだめなのでは、とは妻の見立て。寝かせるのに邪魔になるから、20時を過ぎそうなときはいっそ21時15分まで帰らないよう言われている。 (ちなみにそのときも食事は自分が帰宅後につくっています)

また、このところ、2日に1回はちょうど午前3時ごろに夜泣きする。泣きながら自分の名前を呼ぶ。 1分くらいで寝ることもあるけれど、それ以上続くとさすがにみにいって添い寝する。そして半々くらいの確率で自分も朝まで添い寝してしまって首を痛めたりしてしまう。

困る。なんとか夜泣きを防ぐ方法ないでしょうか。

ミス・サイゴン感想 戦争による別離の悲劇を描くトリッキーな名作

ミュージカル「ミス・サイゴン」を観てきた。
妻が観劇仲間と行く予定だったのが彼女らの都合が悪くなったことでお鉢が回ってきたのがきっかけ。 日本では1992年に帝国劇場でやったそうで、妻は、幼少期にテレビで紹介されているのを観てから気になっていたらしい。 自分は作品については史実以外にほぼ予備知識なしで観てきたので感想を書いてみる。

1989年にウエストエンドで初上演されて以降、世界中で演じられていることからもわかるとおりすごい作品なのは間違いない。音楽も歌も演技もダンスも大道具も小道具もレべが高い。日本でも1000回以上は上演されているので観た人も多いかもしれない。

けれど、物語にはいくつか釈然としないところがある。これは自分が観劇の方法をわかっていないからかもしれない。もうちょっとあらすじを知ってから観ると各動作の意味や文脈を理解できてより楽しめるような気もする。

まず、ネタバレにならない点について紹介してから、間をあけて物語について書いてみる。

小道具や大道具はほんとすごい。妻につきあって劇場にもいったししばしばDVDや配信で横から眺める宝塚大劇場作品の5倍くらい手間とお金がかかっていそう。これはツアーで公演されることを見越して投資されている分もあるし、宝塚の数か月のみの上演とは違うから仕方ない。

そして、それらの大道具も小道具も暗さと照明をかなり効果的に利用している。 光に照らされないところを残した薄暗さは谷崎潤一郎の陰翳礼讃を連想した*1。 特に、ナイトクラブの喧騒と夜の街角の静けさの対比、色街の猥雑さはみごと。

また、宝塚とかでは使っていないものとして、花火や蝋燭、タバコ(のようなもの)がある。これほんとにツアーで各会場でやっているのだろうか・・・どう安全対策しているかは気になる。蝋燭はあんな小さな火なのにゆらゆら揺れる炎の儚さと緊張感が印象的。

大道具としては、巨大ホー・チ・ミンやメカ自由の女神はちょっと謎でしたが・・・。ホー・チ・ミン、本人は個人主義にならないように配慮していたけれど死後、都市名に冠されたりシンボル的には扱われてきたのかも。

役者さんについてはあまりわからないけれど、みなすごい。クリスもエレンもアメリカ人にしかみえなかった。エンジニアは役自体の怪しさを十二分に発揮していたように思う。ほかの兵士やナイトクラブの従業員も迫真。 あとあと、2歳児役の4歳児(パンフによると4人もキャストがいる!)が重要な役割をしていたのですがめちゃめちゃしっかりしていてすごかった。カーテンコールでの登場時もすごい。こんな下着姿の女性が踊りまくって売春もするナイトクラブが舞台の作品で練習しているのすごいと思う。現代でやると物言いがつきそう。

以下、物語についてネタバレありの感想です。









本作はベトナム戦争末期のサイゴン南ベトナム首都、現ホーチミン市)を舞台に、米兵と戦争で両親を失くした女性との出会いと、戦争に振り回される人たちを描いている。

主要な人物は米兵であるクリスと、生きるために娼婦になった戦災孤児のキム、そして野心のある女衒のエンジニア(これが人名というのが最初わからなくて混乱した)、さらにベトコンのトゥイと立場がさまざま。ベトナム人側の関係も複雑だし、戦火にあえぐベトナム人と先進国の住人の関係が物語を動かしている。

先進国であるアメリカ人は子は母親と一緒にいることが幸せと思うけれど、戦後の混乱にあえぐベトナム人からは、子どもだけでも世界一豊かなアメリカで暮らしてほしいという親心があることのギャップが本作の核だと思う。エンジニアの渡米の野心もこのため。

ただ、やっぱり、そのためにも最初のクリスとキムが恋に落ちるという背景をうまく描いてほしかった。 冒頭、キムが街角で一人待っていたところ銃撃?があって、女衒(エンジニア)に半ば強引に引っ張られて売春もするクラブで働かせられることになったけれど、この経緯や不本意さがあまりわからず、流されて売春するようになったようにみえた(ここらへんのセリフが聞こえにくかったのもあるかも)。 単純にみると、米兵仲間にのせられて買春することになったクリスと、その客に売春宿で恋してしまう娼婦というのはちょっと都合が良すぎるように感じてしまう。まあ、時代もあったし、お互いに純粋というか「ウブ」だったというのもあるだろうけれど。だからこそ、キムと婚約していてアメリカに連れて行こうとしていたにもかかわらず、のちにエレンと結婚していることも流せる。

また、ちょっと時代がわかりにくかったのもある。第一幕をみているときは、きっとアメリカ軍が血みどろのジャングル・クルーズ*2をしていたころに休暇でサイゴンにいてクラブに遊びにつれられてきたのだろう、だからクリスが簡単に恋に落ちた背景には過酷な戦場でのトラウマもあったのかも・・・仕方ない、と解釈しそうになったけれど、あとでパンフをみると1973年にアメリカ軍が撤退した後の1975年が舞台ではあるし、若い兵士という描かれ方をしていたのでちょっと違いそう。
(もしかしたら歌詞やセリフで表現があったかもだけれど聞き取れていないかもはしれない。第1-第2幕あたりはわりと聞き取りにくかった)

とはいえ、ここらへんは設定と解釈の話なので仕方ない。

ただ、サイゴン陥落とそれによるクリスとキムの別離を、回想シーンとして後半にもってくるという時系列の入れ替えはどういう効果があったのだろう。サイゴン陥落での別離をヘリの迫力ある演出とあわせて後半にもってきたほうが別離の悲しさを強調できると思ったのだろうか。観ていると、いつのまにかクリスがいないとなったり、いつのまにかキムに子どもがいた!と感じてしまった。もしかすると、この入れ替えがあることで、クリスがキムのことをおいて結婚したことを自然に受け入れやすくはなったかもしれないけれどトリッキー。この物語上の悲劇の種である、キムをおいてエレンと結婚してしまったことを、観る人の倫理観を刺激しないように導入するために入れ替えたのだとしたらさすがだとは思う。

サイゴン陥落の際に引き離されたキムとクリス。2年後に手紙からキムに子どもがいると知った同僚のジョンと、クリス・エレンの夫婦はキムがいるというタイに向かって、行き違いでエレンと先に会って結婚を知るキムの絶望を思うとつらい。そして、子だけでもアメリカに連れて帰ってほしいという願いは、子は母親といるのが幸せという考えで断られ、それでも子をアメリカにという思いでキムは命を絶つ。
どうしていたらキムも生き延びることができて、クリスもエレンも前向きでいられただろう・・・。戦争による別離の悲劇でもあるし、先進国の感覚と戦火に焼けた地の人の強い気持ちの差を感じてしまった。

ちなみに、米兵でベトナム人と結婚して渡米した戦争花嫁は Wikipedia によると8040人いるらしい。おそらく、現地に妻子を残してきた米兵はもっといるだろう・・・。
参考: 戦争花嫁 - Wikipedia

そういう悲劇を軸としつつも、エンジニアの野心ががいい味を出していてただ悲劇だけにおわらなかった。
このエンジニアというのは重要な役なんだけれど、初出ではキムをナイトクラブで強引に働かせる女衒だし、名前がいつ初出かわかりにくかったし、女衒であることもあって(現代人的感覚から)すげー悪いやつという見え方に囚われてしまっていた。そのため、キャスト一覧ではクリスやキムよりも最上位に位置されていてびっくりしたし、これによって、ただキムとクリスの別離と再開という悲劇的なロマンスという単純な話でなくなったのはあるのだけれど、これも描き方がトリッキーなように感じてしまう。「主人公」的な役割ではないし悪役的なのに、主役的にスポットライトがあてられてしまっているというか。

こういう、時系列の入れ替えがトリッキーだったり、役者へのスポットライトの当て方が妙だったり、シナリオの教科書的には避けるべきとされそうな点があるんだけれど、演劇として観客に混乱と衝撃を与え、最後の悲劇に向けての緩急をつくるのに効果的なのかもしれない。

本作を観てから調べなおすと、やっぱりベトナム戦争アメリカが参入したのは、防共という目的があったにせよ、他国の防衛で58,000人の米兵の死者を出すのはほんと愚かな失敗だった。これは「ベスト・アンド・ブライテスト」が書いていたように、もっとも聡明な人々のしでかしたというのが暗澹たる気持ちになる。*3

そしてこれは過去の話ではない。今年の2月から始まったロシアによるウクライナ侵略も、序列をつけがたく国家の愚かな行為(独裁者の野心はあるけれど、それを支えた組織的傲慢さは共通)。ソ連崩壊までは同じ国だったウクライナとロシアの間での戦争ということもあり、ここでも悲しい別離がたくさんあるだろうしそう考えると本作をどう受け止めるべきか、悩ましくは思う。

とはいえ本作は名作なのは間違いない。 観劇後、近所のベトナム料理屋に妻とのりこんで飲み食いして振り返ることができたのもよかったです。 ほかにもパンフレットを広げているテーブルが複数あってよかった。ブンチャーを食べ損ねたのでまた行きたい。

サイゴンビール

ちなみに、こういう演劇の感想を書いたのは、北村紗衣先生の「批評の教室」を読んだことがきっかけ。 本記事は批評にはなりきれていなく、「感想」と書いているけれど、批評という観点で作品をみたり、どう感想を書こうか考えてみるとなかなかおもしろかった。

saebou.hatenablog.com

その他

  • 米軍撤退後、サイゴンまでたどり着けるだろう距離にあったキムの村が焼かれたということは、その実行者は北ベトナム側、つまりベトコンだと思うのだけれど、もし本当にそういうことがあったなら、親の決めた婚約者でのちにベトコンとしてサイゴン陥落が近いと語ったトゥイを拒絶していたのもわかる。
    • けれど、そこから2年でベトコンの将校として出世していたのすごい(そんなことあったのか?)
    • そもそもトゥイという名前、作中にでてきたっけ(聞き漏れただけかもしれない)
  • パンフレットがめちゃめちゃ豪華。80ページあってさまざまなインタビューもあって読ませる。歌詞は全部載っていなくて残念(仕方ない)
  • 8-9割くらいの観客は女性だった。

ミスサイゴン パンフレット

余談

ほんとどうでもいいけれど、1997年に発売されて、自分も小学生のころにやりこんでいたファイナルファンタジータクティクスというゲームがあって、そのストーリーと関係のないやりこみ要素のディープダンジョンを思い出しました。この全10階層あるディープダンジョンでは、階層ごとに名前がついていて、 terminateとかvalkyries, bridge, horror, end など思わせぶりな名前があるんですが、そのなかに nogias 、 mlapan という聞きなれない言葉を2つあったのです。当時、なんだこれ、辞書にもないし、とずっと思っていたけれど、あとになって調べると、これは Saigon と napalm (ナパーム)を逆から書いたものとあって意図はわからないけれど印象に残っていました。これらは地獄の黙示録(1979)をモチーフにしているという説もありますが、それだけベトナム戦争がさまざまな創作に影響を及ぼしているのは複雑な思いがある。

ゴールデンカムイ展に行ってきた

今年、大団円的に完結したマンガ、ゴールデンカムイの展が京都文化博物館で開催されていたのを見物してきた。 goldenkamuy-ex.com

この和風闇鍋ウエスタンと表現されて、ファンも多かった傑作冒険活劇は、最終章前と最終回直前に、それぞれヤンジャン公式アプリで無料で読める期間があって、そこでドハマりした妻に引っ張り出された形。

妻の観劇オタク友人2人ものめり込んでいて、妻はそのグループでも前の週にこの展を鑑賞していたけれど、特定の時間帯に登場人物のお面を配られるというイベントが2種類あり、そのお面をコンプリートすることが目的だったよう。 妻によると、前回は宝塚並みに女性率が高かったそう。

図録とお面三種。北海道限定のゴールデンカムイサッポロビールは妻の友人からのお土産
図録とお面三種。北海道限定のゴールデンカムイサッポロビールは妻の友人からのお土産

感想

デジタル作画なので、原画、とはいわないかもしれないけれど大きなイラストが多数展示されていて作者コメントもちらほらあって大変良かった。 また、作中で使われていた小道具の実物が複数展示されていたのも良い。 主人公の30年式小銃は、作画資料とするために資料をそろえて60万円かけて専門家につくってもらったとのことだし、ウィンチェスターライフルM1892はも、作者蔵とのことですごい(実銃については使えなく加工しているとの注釈もあります)。 ほか、マキリをはじめ染め物やまな板までアイヌ民芸のものも多数あって良かった。 思っていたよりも色が鮮やかだとわかる。

ただ、マキリは、その鞘の紋様は見事で、持ち手とだからこその美しさはあるけれど刃も見てみたかった(文化的な制約があるのかも走れない)。

各展示についてみて回りながら妻とここのシーンのあれ良かったよね、とか振り返ることができたのは楽しかった。 (前週に友人たちとみた妻も同じように鑑賞中にも盛り上がったとのことで、そのあと飲みに行っても話が尽きず午前様になっていた)

野田サトル先生、おつかれさまでした&ありがとうございました。 いろいろ議論もあるようだけれどウポポイもいってみたい。

マンガ自体についての評もこんど書こう。

マンガの展について

妻と著者

お面がもらえる日ということもあって繁盛していました。 お面、たぶん土日の混雑緩和のために平日夜に指定しているんだろうけれどコンプ欲を煽る工夫もありそう。

物販も多様なグッズもあって、レジもたくさんあって盛り上がっていてすごい。みんな高価なグッズをバシバシ買っていました。 しょうもないものも多かったけれど、刺青人皮柄のビッグシルエットなTシャツとかかっこよかった(刺青人皮柄の手ぬぐいとかあったら買っていたかも)。

アプリの流行で、キャンペーンもできるようになっているけれど、こういう完結時にイベントをするというのすごい。熱狂的なファンがいるから興行として成り立つという思惑があったんだろうけれど、他のマンガでもできると、大団円をみんなで迎えた感があってよいかもしれない(でもおもしろさと集客力はちょっと違う気もしていて需要予測は難しそう)。

最近妻がはまっているものではへうげものでは、ちょっと違う方向性で展をやっていた様子。 「へうげもの」展、マンガ家・山田芳裕も協力 日本橋三越にユニークな陶器並ぶ | アニメ!アニメ!

食事

ちなみに今回、久しぶりに2歳児を妻の義実家に預けることができたので食事も取ってきた。ゴールデンカムイ展の後ということで、ジビエを期待してハンターというお店。 (当然ながら)ジビエは全然季節じゃなかったけれどなかなかエッジが効いていて美味しかった。

スタッフさんの開店5周年Tシャツに「Niku no hentai to tanoshii nakamatachi」と書いていて、ゴールデンカムイだ!と妻は喜んでいました。

HUNTER (ハンター) - 丸太町(京都市営)/ステーキ | 食べログ