大津宿日記

@daaaaaai の日記です

太平洋フェリーで仙台・東松島にいってきた

移動大好き妻から、太平洋フェリーが割引していてチケットとれたから、この日行くわよ!(ハルヒ風に変換)とメッセージがきたので、行くことになりました。 *1

引き続き、子が保育園にいるうちで料金が不要の最後の年の追い込みです。残念ながら雨で駆け足でしたが、東松島や浦戸諸島をちょろっと回ることができました。 太平洋フェリーは19時に名古屋を出て翌日16時ごろに仙台につく21時間ほどの旅。ゆっくりだけれど通常期間だと、2等和室で8,200円/人、一等客室は14,200円と新幹線よりはお手頃です。

太平洋フェリー(名古屋→仙台)

金曜日、午後休とって新幹線で名古屋まで。名古屋駅から港まではバスがでてるとのことで名古屋の名鉄バスセンターまでいったのですが意外と歩くし、1Fから2Fの移動は階段しか見当たらないし、バス乗り場は4Fだしでたいへん。なんとか滑り込むと、バスの補助席で最後ギリギリ座らせてもらえました。危なかった。

港からはすぐフェリーにのることができました。でかい。エレベータで部屋へいくと広い。よいシティーホテルな印象。 これまで乗ってきた、フェリーとしま、東海汽船、ジャンボフェリーでは夜も広間で雑魚寝みたいな雰囲気だったので一線を画しています(妻と子はもっと乗ってる)。

謎のイオニア式の内装

レストランはビュッフェでザンギや麻婆焼きそばがおいしい。子はかき氷をつくったり、果物を食べまくっていたし、妻は太平洋フェリーワインをボトルで買ってあけていました。 太平洋フェリーのレストランで子が急にフェリーの歌を歌いだして、あれ、どこかで聞いたことが・・・と思ったらジャンボフェリーのテーマソング「二人を結ぶジャンボフェリー」だったのがおかしかった。 子は4月に乗ったきりだったのですがよく覚えていたな・・・。


www.youtube.com

ショーでは天樂さんの和太鼓と津軽三味線がすごかった。大浴場もありました。

https://www.instagram.com/minotengaku/

ぐっすりねて翌日もごろごろしたりうろうろしたり、妻は飲酒したり。 逆方向からくる姉妹船の「きそ」をみることができてよい。

仙台港では、トヨタレンタカー塩釜店にお迎えにきてもらいました(繁忙時は対応していないそうなのでご注意を)。 ほかのみなさまはバスか、車持ち込みだったようで、レンタカー利用はわれわれのみ。 苫小牧まで向かう方も多そうだし、話をきいていると、帰りは日本海フェリーという方もいてすごい旅程だ。

東松島

松島あたりを眺めながら雨のドライブをし、橋でつながっている宮戸島の民宿で宿泊。 部屋は簡素で、共同トイレ・洗面所ですが、食事はたいへんよい。ガザミとかんぱちの煮つけ、はっと汁が美味しかった。 今年は海水浴シーズンが終わってしまってお客さまは少なかったとのこと。

しかし、館内の掲示で、311のときには建物直前まで津波が来ていて、低いところにあった集落はすべて流されてしまったとのことで衝撃を受ける。 ただ、人口580人の島で、みな高台に避難して死傷者はいなかったそうだ。 https://www.sankei.com/article/20160718-NRTOFEJKM5LPNFXZ3B7QUIYWNA/

宿には七福神カレンダーがあったけれど6人しかいなく、諸星大二郎の妖怪ハンターの「六福神」を連想して不穏・・・、と思ったけれど、毎月さまざまな七福神メンバーの組み合わせがでているだけであった。

翌日も残念ながら雨。当初は、朝一で浦戸諸島に船で渡って散策しようかと島好きの妻は考えていたようだけれど、方針をかえて、津波で被害を受けた野蒜駅へ。 ここは、線路も大きな被害を受けて、内陸側へ線路ごと移設されたあと、駅舎が震災復興伝承館となっている場所です。

激しく壊れた券売機や折れ曲がった柱、ゆがんだ線路など津波のすさまじい力を感じる。 子どもがいて映像は見切れなかったけれど、子も壊れた券売機をみてなにかを感じ取っていた様子でした。

そして、スタッフさんと話をしていると、すぐ裏に、あの「おさとう山」があると教えてもらえました。 ニュースかネットの記事でみていたけれど、震災前から個人がこつこつ、意味ないと言われながらも整備した避難用の高台で、地震の際には70人もの命を救った山。 https://kimidori-inoue.com/bunko/post-2476/

切り立っているのは地元の名石「野蒜石」を切り出していたかららしい。 しかしあとで車でまわっても入り口はわからず、草木に埋っているのかも。この裏のはず・・・

おさとう山(の裏側の野蒜石を切り出した跡)

塩釜・浦戸諸島

塩釜港のマリンゲート塩釜からは、松島遊覧船もたくさんでているのですが、市営の浦戸諸島への船、塩竈市営汽船もあります。 5つの島への便で、一番奥までいって40分630円と地元の人の足になっている。

さらに、島間には無料の渡し舟もあるそうで、最初は島を散策しながら移動していこうと(妻は)企んでいたのですが、あいにくの雨で、市営汽船で一番奥の朴島までいってとってかえるコースに。 朴島は5世帯くらいの島。10分間の待機時間に小雨の中、散歩して戻ります。

船員さんも感じよく、それぞれの島で日常の暮らしが垣間見えてよかった。晴れた日に再チャレンジしたいとのことだけど・・・。

浦戸の島々、猫が見送りしてくれました

戻ってきてマリンゲート塩釜を散策してから検索してみつけた大黒寿司へ。よいお寿司屋さんでたいへんよかった・・・。

子どもには、玉子・マグロ・イカ・キュウリ巻きと子の好物を頼んだら、握りは半分に切ってくれたりいい感じに盛り付けてくれてうれしい。

大黒寿司さん。よかった・・・(大人が食べた寿司はセンシティブなので載せません)

えんがわの炙りが異様に分厚くてよかったし、ホタテも一味違う。シャコも久々に食べました。 また七福神関連ですね。なにかと縁がある。

そんでレンタカーを返して西塩釜駅まで送ってもらい電車で帰る。 前日の大曲花火大会の影響なのかはわからないけれど、どの時間も指定席は満席だったので、はやぶさの車両間に陣取って、子はスーツケースに座らせて妻はお酒を飲む。

のぞみは東京駅発なので、時間を調整しつつ3人で並んで座って帰ります。来年からは子も小学校に行くので新幹線の席も買わないといけないので最後かなあ。

と、書いていたらきくちさんのこれがちょうどこれがホッテントリ(死語)にあがっていました。 荒脛巾神社、近くまで行っていたのにおしかった。巨木2本がいい感じにすぎる。日本最古のバーガー屋も気になりました。

kikuchidesu.hatenablog.com

せっかく仙台までいったので東北ゆっくりしたかったがまあ仕方ない。

紀伊半島一周してWEST EXPRESS銀河(紀南ルート上り)に乗ってきた

電車でさらっとではあるのですが、夏休みに6歳児を連れて念願の紀伊半島一周してきました。

かつて、妻と結婚してすぐ、新婚旅行をどうするかと話したときには、紀伊半島一周を提案して怒られたことがあります。そのときは、まだ日本でも行ったことがないところたくさんあるのにわざわざ時間とお金をかけて海外に行かなくとも、と思いつつも、結局、踏ん切りをつけてヨーロッパに行きました(今思うと大円安時代の到来前だったしよかった)。ただ、近くて遠い紀伊半島は、漁業文化や、中上健次の枯木灘を読んだこともあって気になり続けてはいました。

そんななか、子どもの公共交通機関が無料の小学校入学前のうちにと、移動大好きな妻が加速していろいろ動いている一環でついに一周することになりました(平日の昼にいきなり妻から、銀河の予約がとれた!と連絡がきた・・・)。

WEST EXPRESS 銀河は季節ごとに変わるルートを週に2往復しているJR西日本の企画列車です。ふつうの席だとそんなに高くはなく、乗車券特急券合わせて新宮から京都まで8,670円*1と、ふつうに特急くろしおに乗るのと200円しか変わりません。ただし、くろしおだと、4時間50分のところ、昼行は6時間53分かかります。夜行となる京都発だと12時間ちょっと。けっこうお得感があります。

今回は、一周の乗車券を買っておいて、金曜の夜に琵琶湖線、草津線・関西本線、紀勢本線と普通電車を乗り継いで移動して松阪で泊まって、翌日に新宮まで特急南紀に乗ってから、一度改札を入りなおしてからICOCAで太地に行き、勝浦で泊まって日曜にまた新宮まで戻ってから銀河に乗るコースです*2。いろいろ行き当たりばったりながら、たまたま良いお店を選ぶことができ晴天に恵まれていたのですが6歳児も楽しんでいました。

最初の普通列車4本乗り継ぎでは、子はいつつくの?とぶーたれていたので心配だったけれど、それ以降は太地町も勝浦も新宮も銀河もたのしんで、銀河を降りるときには、降りるのさみしい・・・と言っていたほど。

以下、ハイライトいくつか

松阪

松阪駅の鉄板串料理 まさきさん、美味しかった。ちょっと遅い時間でシュッとは入れました。松阪牛の串焼きも、野菜の串焼きもよかった。子は人生初フレンチトーストを食べました。

翌朝の松阪駅のあら竹さんのモー太郎弁当もよかった(日本初、しゃべる弁当!)。なんかパワーポイントでつくったみたいな顔のキャラクターが愛嬌あっていい。この中の電子部品は持ち帰って子が工作に使っています。

松阪駅 駅弁のあら竹

太地

太地町、くじらの博物館がかなりよかった。最初は道の駅によるだけにして串本にも行こうかと思っていたけれど、無料の巡回バスでメインの経路になっていて寄ってみました。 あまり調べずに行った博物館、建物をみた限りでは博物館部分だけかと思ったけれど、その奥でイルカショーをやっていての入り江ではクジラショー(!)もあるし、水族館部分も魅力的。

クジラショーは人生初

イルカに触ることができ(500円 イルカショー後各回50人限定)、クジラ(オキゴンドウたち)にエサをやることもできました(300円or自動車のSDカード)。

水族館はいってすぐのトンネルで、イルカたちに囲まれたトンネルをくぐって、小さいながら魅力的な魚介をみました。子が、ミノカサゴをみて、これ毒あるやつやん、と図鑑知識を披露してくれたり、スベスベマンジュウガニがいたりしました。

魅力的な水槽

さらに無料バスで道の駅まで戻って一服してから駅までの川沿いの道がよかった。夏の夕暮れ。

無料バスを1日10本以上だしていると公共交通機関でも観光しやすいし海外旅行客もいてよい。ただ、いろいろ行こうと思うと車がいりそう。

勝浦

紀伊勝浦では、素泊まりのみの海のホテル。温泉がかなりいいしすぐ海の見える部屋もよかった。

海のホテル 一の滝の朝焼け
80歳くらいのおじいちゃんの笑顔がよかった。現金のみでご注意を。シャワーも、部屋の洗面所も源泉ですごいです。肌にいい感じでした。

ご飯を食べたのは駅近くの居酒屋。生マグロ(シビ)が美味しかった。市場の朝食は、生成AIに浸食されつつある観光地でしたが美味しかったです。

新宮

翌日、銀河に乗るために新宮。駅近くのに徐福公園に行きました。徐福は、始皇帝に命じられて日本に長寿の霊薬を求めてやってきた人物なんだけど、卑弥呼より前の時代なのに日本各地に痕跡があるという伝説的な人物。京極夏彦の小説ででてきて知りました。 ちょうど家族で映画ちいかわを見たばかりだったので、妻も興奮して徐福公園でえいえんのいのちを感じることができました。土産物屋は中国物産館みたいな感じでしたが安倍晋三からの感謝状があったりして謎

徐福公園の入り口
。

駅からちょっと歩いて行けるハイマートのお刺身やお惣菜は美味。特に白菜のパンチ漬けはかなりよかった。

そして駅近くの徐福寿司がかなりよい。気さくな街のすし屋、という雰囲気なのですがサンマの棒寿司や、卵の巻寿司がユニーク。にぎりもよかった。フエフキダイがよかった。これから銀河に乗るんだろうな、という同好の士、同じ穴の狢が集まっていて緊張感がありました。

小盛り合わせとフエフキダイ

銀河

そしていよいよ銀河。ホームでは乗客みんなそわそわわくわくしている感じがありました。乗客も鉄道大好きキッズが何名かいてよかった。

出発してすぐ、海沿いでスピードが落ちる場所があるんだけど、隣のテーブルの3歳くらいのお子さんが、スピード落ちたね、と言ったら親御さんが25km制限区間だからね、とやさしく返していました。

今回はクシェット(寝台)上段2席をとっていたのですが、昼だったし、子どももいたのであまり使いませんでした。 銀河のラウンジはテーブルも広くていい感じ。人でいっぱいになるかなあ、と思ったけれど、新宮をでて30分ほどと、海南駅を出てからの30分ほど以外はテーブルも空きがちだったりでゆったり過ごせました。みな席かクシェットでごろごろして過ごしがちなのかな。

紀勢本線は海の眺めがいい

串本、周参見、海南では降りることもできて駅周辺を散策できたりするのもいい。おもてなしも楽しく、7時間楽しめました。電車内のノートをみると、リピーターも多く、行きつけのお菓子屋さんなどもよさそう。

海南市のドムドムバーガーはクレープも売っていて気になる

関空に乗り換える日根野以降、ちょっとずつ人が減っていくのはさみしかったけれど、手を振りあって分かれることができました。乗り物での飲酒大好きな妻は、ロング缶5本と日本酒小瓶、サワーをあけてご満悦。

また電車では行きにくい潮岬や、勝浦の山の方、白浜あたりもまた行きたいものです。しかし、人口減が迫っていることを感じる場面も多く、南海トラフではどうなってしまうでしょうか

dai.hateblo.jp

*1: 魚拓: https://megalodon.jp/2026-0828-1359-41/https://www.jr-odekake.net:443/railroad/westexginga/reservation_kinan/

*2:松坂や新宮は途中下車ですが、そこから太地、勝浦、さらに新宮までは買っておいた乗車券ではなくICOCAで別決済してます為念

親不知(智歯)を抜くために1泊2日で入院していた

きっかけ

4-5か月にいちど通っている歯医者さんで、下の奥歯のさらに奥に親知らずがあることを指摘された。今は露出していないが表に出そうになっており、歯磨きしにくいために虫歯リスクが高いという。相談して抜いてもらうことになり、口腔外科のある大きな病院を紹介されてなんだかんだ入院して抜歯してきました。予約が決まるまで数日、予約は1ヵ月後みたいな時間感(手術はさらに2ヵ月後だった!)。

わりと古い病院で雑然とした印象の部屋で若い先生にみてもらい①1泊2日で両側同時に抜く ②通院で1日1箇所ずつ ③もっと大きな麻酔で2〜3日かけて抜く と3択を提示され1泊2日を選択。 なるべく日常に影響のない金-土と選択できました。

そして窓口で入院の手引きや同意書をもらって説明を受けて帰る。個室は高いしパジャマはレンタル。

手術当日

11時ごろにCT撮影してもらってから、窓口で同意書を提出すると、病棟6階にいってとのことで、ナースステーションまで行って今日からお世話になります、というとトイレや手洗い場、部屋を案内される。4人部屋。 ほか2人入院していたけれどカーテンを閉め切っていて会えず。あとで話を伺うに、事故で大けがした人と喉の病気の人のようだった。どちらもかなり高齢でさまざま。

点滴をうってもらい、ごろごろ(キャスター付きの点滴つるし)を押してフロアを歩いたりしました。昼ごはんを配膳してもらうと、手術前なのに「きざみ」の離乳食のような薄味ごはんだった。

時間になったら自分で病院内を移動し、口腔外科へ。歯医者にあるような椅子に座り、マスクをされて口の中を注射で麻酔され、手術。20分ほどかけて、ペンチのようなものでひっぱられたり、ドリルみたいなものでがりがり破壊される。

終わった後、大丈夫ですか?と訊かれたのでガーゼをかみしめながら、「ぬけたおくはみたい」というとケースに入れて奥歯をくれました。けっこうしっかりしていた。

ひとりで帰れる?と訊かれたけど、麻酔でふらっとしていたのを見かねてかお迎えを呼んでもらえて看護師さんと一緒に帰りました。ガーゼをかみしめていたのでまったく会話はせず。

手術室、テレビで見るのとは違って同じ部屋に4席ほどあり、複数の手術が同時進行していた様子でガソリンスタンドを連想しました。

病室のベッドで積まれた本の中からなんとなく持ってきた金城一紀「対話篇」を読む。 最初のはなしは主要人物の彼女ががんで死ぬし、2つ目は若い主人公が末期がんで病床にいるしm3つ目は主要人物が末期がんだしで場違い感があった・・・。おもしろかったのだけれど。 あとみな法学部出身だった。民法 1条2項を覚えました。

病院のお風呂も体験したかったけれど、17時までだったのを見過ごして体験できず。ホワイトボードに予約する形式でした。

夕食時、うっかりふつうに蒸しめばるを食べたら奥歯に挟まり取れなくなって気持ち悪くなった。いまだに縫い付けた糸かめばるか区別できない状態が続いています。

夜中、同室のひとの呼吸を補助する機械?がずっとアラートが出ていたので、ナースステーションに呼びに行ってみてもらうなどをしました。なんか大丈夫だったっぽくてよかったです。

退院日

翌朝、看護師さんに、今日は点滴終わったら帰ります。と言われたけれど、あれ診察は?と聞くと、そうだった、とのこと。いつくるかはわからない。まあみなさま感じよい方ばかりだったけれど、自分がされる処置は自分で管理しないといけない。

朝ごはんを食べて点滴がシュッと終って、お医者さんもきて口を覗き、出血してないですね、とのことで退院になりました。 土曜も病院に出勤していてすごい。知り合いのお医者さんも、病棟もって入院患者がいたら土日も顔を出さないといけない(うんざり)と言っていたけれど、ちゃんと勤務扱いになっているんだろうか・・・。看護師のみなさまも夜勤もしながらややこしく責任重大な仕事をしていてほんとたいへん。おつかれさまです。

徒歩帰宅してから体調が優れず、10時間以上眠っていた。今も何か奥歯に味がする感覚があり血の味なのか、食べかすがはさまっているのか判断がつかない。しばらく奥歯にものが挟まったような状態です。あと、じんわり痛くもらったロキソニンを定期的に飲んています。効果がきれる夜中に目をさましてしまう。

抜糸はあと1週間ほど。しかし抜歯と抜糸を区別しにくいですね。

入院TIPS

  • 入院の手引きには「スリッパ禁止」と書いてあったけれど、これはたぶん高齢者の転倒防止で、足元しっかりしている人ならトイレ移動用に履きなれたスリッパがあると便利そう(自己責任)
  • 点滴をはじめると着替えることができなくなるので、そのまえに楽な服に着替えておくとよい
  • この病院はおはしも持参でした。割りばしをいくつか持ってくるとよい(夕食ではさまって気が動転しているうちに、持ってきた割りばしをお盆の上においたまま下げられてしまい、朝食はジョアのスプーンで全部食べることになった・・・)

親不知

2026/9/6 追記

抜歯後、10日ほど歯がじんわり痛く、1日3回ロキソニンを飲んでいた。上下とも歯間が痛く、親知らずを抜いてちゃんと歯磨きできなかったかもと疑ったりもした(結果としては違った)。

ロキソニンが足りなくなって、変な状態になっていないか心配してみてもらいにもいった。歯をみて、化膿はしていなく足しておきますね、とのこと。予約していなかったけれど、お盆で混んでなくてシュッとみてもらえてよかった。そして、支払タイミングで入院分も払う(退院日は土曜だったこともあり計算できていなかった)。なんと5万円・・・。入院は高い。。

そして翌週になっていよいよ抜糸でしたが、これもあっというまでした。ただ、2本ずつ縫ったものの1本糸が見当たらないとのことだった。また1週間後に様子をとのことでみてもらうと、腫れていて見えなかった場所に意図があって切ってもらう。

しかし、奥歯があった場所、左は盛り上がっているけれど右側はポケットになっていてものが挟まりやすくなっている・・・。こんなものなんだろうか。

「宮本常一」(木村哲也)、「家郷の訓」(宮本常一)を読んだ

「宮本常一」(木村 哲也)

読みました。宮本常一(1907-1981)は、日本中を旅して農業指導をしながら古老らの聞き書きをしてきた民俗学者。学生時代に人類学をやっていた友人にすすめられて「忘れられた日本人」を読んで衝撃を受けて、流れで佐野眞一による評伝「旅する巨人」を13年前に読んだり、「塩の道」「開拓の歴史」なんかを読んできたりと、なんだかんだ関心を持ち続けている。

日本中を歩いた民俗学者のドラマ「旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三」 - 大津宿日記

宮本の出身地である周防大島では出稼ぎも多く、いろんな地域と海の道でつながっており、ここでの外の世界をみてきた祖父たちの言葉が宮本常一をつくったんだろうというのはたいへんおもしろかった。本書では宮本の人となりというよりは、どういう時代に、だれにどう思想的な影響を与えたかということにフォーカスされている。鶴見俊輔や安丸良夫、網野善彦といった学者だけではなく、谷川雁や本多勝一、石牟礼道子、司馬遼太郎にも届いており、彼ら彼女らはさらに現代にも影響を及ぼしていそう。知らない人や活動も多く、読みたい本が増えてしまった。アイヌ文化の保存にもかかわっていたことは知りませんでした。

こういう、人名を冠する本には、その人の来歴のほか、思想の概要を紹介してくれることを期待してしまうけれど、多作のひとだと思想をまとめるなんてことは難しいよな・・・、とも。

(本書を手に取ったのは、ちょっとまえに多摩全生園にいったとTwitterに書いたときに、ハンセン病資料館の学芸員であり本書の著者である方にlikeしてもらって、こんな本出してるんだ!と知ったことがきっかけです。資料館は重くもよかったのでまたブログに書かねばならない)

そして勢いで、本書でいちばん気になった書籍を買って読んでみる。

「家郷の訓」(宮本常一)

全国を旅して生活誌・ライフヒストリーを書き起こしてきた宮本常一の、自身の出身地である周防大島の100世帯ほどの村の話。

明治の時代と、太平洋戦争までの生活・人々・村の変化が描かれていてめちゃおもしろい。

まわりではだれも学校に行っていない時代、伝統がありつつ生活が苦しい時代に、出稼ぎに行っていた祖父や親たちから話を聞いて世情を知り、どんな遊びをしていたかが詳細に描写されている。 そして、時代の変化にあわせて食や文化が変わっていくさまや、どんなふうにまわりのお店が変わっていったか、また、夜逃げしたか、など。ちょっとだけ、大昔によんだ百年の孤独での町の発展を思い起こしました。

この周防大島の集落では、子が小さいうちは祖母が孫を育て、7歳くらいから母親が育てて家業・農作業を仕込んでいくという生活があったそう。そして女の子はだいたい父親にだまって都市部に奉公にいくんだけど、それを母親は知っていて援助するとか。宮本常一の母親は、奉公先で子どもの世話をしながら、小学校の授業をのぞき見して字を学んだことで子どもへの教育の重要さを知ったということなど親たちのたくさましさと愛情とを感じました。

ほんのちょっとまえまで日本中でこういった生活と地縁血縁のコミュニティで子どもを育てていたというのには驚きがある。

現代は核家族で子どもの数も減って、親子の関係が濃密になりすぎているかもなあ。

一番おもしろいのは若い女性たちの組が継承されつつ機能していて、男たちとも上下関係のない立場をつくっていたということで新鮮な感じがした。

現代についても、こういう解像度で自身の育った文化について書く人が増えるといいな~(まず隗より始めよ?)

むかしの生活について一人称に近い語りがあるもので連想したのは、現代といっても50年前だし学校にフォーカスされているけれど、政治学者の原武史先生が、小学校にいたころについて書いたこの本。

あとは食については女3代の文化を書いてきたこれ

プラハで5年間を過ごした一家族と学校生活を描いたというユニークさはあるけれど、米原万里さんのこちらも

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iPhone(iOS18)のシステムデータ肥大化に対応した

妻のiPhone15 plusで、システムデータが肥大化しストレージに空きがなくなって写真を撮ることもできない問題が発生していました。 Macからアップデートすることで解消できたけれど、たいへんだった・・・。妻の端末で自由にスクショを撮ったり、検証したりはできていないんだけど、検索してみると困っている人も多そうなので書いてみます

  • 環境

    • iOSは18.6.2
    • 256GBだがシステムデータが100GBを超えていた
    • iCloudでは写真は同期していない。写真はGoogleOneファミリーグループでクラウド同期
  • やったこと

    • 検索するといろいろ出てくるが、推奨される「履歴とWebサイトデータを消去」や再起動はほぼ効果がない
    • 使っていないアプリのキャッシュ削除・アンインストール・写真の削除をすると、一時期は空くが、気づくとその分相当がシステムデータの大きくなって、空きが埋められる
    • 空きストレージがないのでアップデートもできない
    • PCを使うことでアップデートをする方法がありそう
  • MacのFinderからアップデートする

    • このとき、バックアップを取得する必要がある
    • 外付けディスクは指定できない(もしかしたら抜け道はあるかもしれない)
    • バックアップ終盤、ケーブルを触っていないにもかかわらず、「iPhoneがコンピュータから取り外されたため、iPhoneをバックアップできません」とエラーが出がち
      • 1時間くらいかけてのバックアップのプログレスバー95%あたりで出るのが3回続いた・・・
        • バックアップ失敗したゴミファイルがストレージを食ってしまう。これは、システム設定 → ストレージ から探して削除できます
      • iPhone 15以降のProはUSB 3.2 Gen 2に対応して10Gbpsでるのでもっと早いかもしれない https://support.apple.com/ja-jp/105099
      • 公式ではないが、無印やPlusはUSB 2.0で480Mbpsとのこと・・・ https://www.howtogeek.com/how-fast-is-the-iphone-15s-usb-c-port/
    • 写真をいっきに消して空きをつくってからバックアップをとってアップデートさせることに成功した
      • これでシステムデータは15GBくらいのまあ常識的なサイズにおさまって90GBほど空きがでて成功!

このシステムデータ肥大化、検索してみるとiOS16.6 とかでも発生していたようなので*1、根深い不具合だと思う。システムデータがひっ迫しているからより大きなストレージのiPhoneに買い替えざるをえない人もいるかもしれないし、Appleが買い替えさせたり、iCloudアップグレードさせるための意図的なバグだ、と陰謀論をもってしまう人がいてもおかしくない。妻も今回のことでApple/iPhoneに嫌気がさしていました。

しかし、1時間かけたバックアップに何度も失敗したことで、妻から見積もりが甘いとなじられてつらい・・・。自分もアンチAppleになりました。しかし国産スマホでぱっとしたものもないんだよなあ、いいのあったら教えてください。

関連リンク

吉野源三郎「職業として編集者」、大戦前後の世相に触れる

ありのままの自分を見てもらって評価してもらえるというのは虫がよすぎる話で、どう相手に伝えるかという編集する力が必要だ。というようなことを聞いて、「編集」というものにぼんやり関心があり本書を手に取ってみた。吉野源三郎は、ジブリが映画化もした「君たちはどう生きるか」と同名の本を出していた人で、それよりも、岩波新書を立ち上げて、雑誌「世界」の初代編集長といったほうがわかりやすいかもしれない。いくつかの講演録という内容で、期待とは違いつつもかなりおもしろかった。編集者の視点での太平洋戦争前後の言論の雰囲気、特に、戦前の抑圧や、戦後に、保守と革新のかなり差し迫った対立と、革新側の分裂というのをざっと知ることができた。

吉野さんは東大で哲学を勉強して、東大図書館の司書になって哲学のほか社会問題や歴史を勉強したのち、共産党と連絡があったとのことで共鳴者として検挙され、予備将校として招集中であったたために陸軍刑務所で1年半過ごしたという。この刑務所を出て、失業していた昭和10年頃に、請われて編集の仕事をはじめたのが、「君たちはどう生きるか」を含む「日本少国民文庫」だった。

時勢は偏狭な国粋主義と軍国主義にかたむいて、子どもたちにはムソリーニやヒトラーが一代の英雄として紹介されている頃でした。すでにおとな向きの本に関しては、出版の自由がいちじるしく制限されていたのですが、それだけに、こういう軍国主義的風潮から少年たちを守り、時勢に毒されないひゅーまにスティックな思想や感情をつちかうことが必要でしたし、少年向けの本ならば、まだそれをやる余地が残されているのではないか、と考えられました。(中略)それで、人類の進歩という観点からの歴史観と科学的なものの見方を与えることを中心として、少年向きの双書のプランをたてたのが、「日本少国民文庫」という十六巻の双書でした。

こういう言論統制下で、意味あるものを伝えようとする志がよい。岩波書店にはいってから、岩波新書をたちあげることになったのも、当時、共産主義はおろか自由主義についても検閲され非国民的な思想だと弾圧されていたという状況で、科学的な考え方や、世界的なものの見方を広めるために検閲の下で公刊できる範囲で取り組もうとしていたからだという。そのときの思いは、今日的なものとも通じておもしろいので長いけれど引用します(p17)。

元来、出版とは英語でパブリケーションといわれるように、パブリックなもの、公共のものです。私たちが社会生活をしてゆく上に必要なさまざまな知識や報道が、出版物を通して広く社会の人々に伝えられます。そして、今日では、どんな個人でも、団体でも、国家でも、 その行動や方針や政策をきめるにあたっては、直接自分の経験したことばかりでなく、いわば間接に報道で得た知識を頼りに――むしろ主としてそのほうを頼りとして―――決定を行なっているのです。 正確な知識や真実の報道なしには、正しい行動、適切な決断は望めません。誤った知識やウソの報道が広く社会に流されたら、その害悪は、いろいろな公害にも劣らない大きなわざわいを社会に及ぼします。いや、少し長い時期にわたって観察するならば、その害悪は、どんな公害よりもはなはだしいといえましょう。公害は、ある都市とか、ある地域に害を及ぼし、大きくとも一地方に及ぶだけですけれど、誤った知識やウソの報道は、今日のように出版や放送の発達した時代には、ある時代、ある国の全体に影響して、一国の運命にさえかかわるような結果を生むことがあるのです。 言論や出版が権力をもった人々の手に握られ、きびしく統制され、その人々にとって都合の悪いことはいっさい伝えられず、都合のいいことばかりが伝えられるようになると、社会の大多数の人々の考え方や見方が一色に塗りつぶされてきます。そして国民は、そういう権力者が思うように操縦することのできるものにされてしまいます。そしてこういうことは、 一九三○年代には、ナチスの支配したドイツや、ファッショの支配したイタリアで、すでに事実となっていました。私などが、そのころ心配でたまらなかったのは、年とともに日本がそれと同じ状態に陥ってゆきつつあることでした。本来が公共のものであって社会の大切な機能を果たすはずの出版とか放送というものが、逆に社会に大害毒を流す役割を演じさせられて来ているのでした。

新聞やテレビといったマスコミュニケーションが強力だった時代の、情報統制の力は恐ろしい。ただ、いっぽうでそれらの影響力が低下し、だれもが自由に投稿でき、感情をあおるものが拡散しやすいSNS・動画メディア時代には、わかりやすさ・怒りを煽って注意を奪いやすいものが広まりやすく、心配ではある。テレビでも、難しい話題よりは、スキャンダルや熊・悲惨な個別の事件というものにフォーカスをあてがちだし・・・。

戦後の出版について岩波さんが力説したのは、新たな総合雑誌を出すことであった。岩彼さんの見るところでは、すでに満州事変のころから日本のファッショ化を心痛していた人は少なくなかったし、中日戦争の勃発にあたって、軍や政府のやり方に批判的な意見をもっていた人は、自分以外にもたくさんあった。その後、軍の圧力が政治を支配するようになり、 言論を抑圧し、思想を制し、野家を弾圧を重ねながら、とうとう日本をこんどの戦争にひきずりこんでいった間にも、その経過を心外のことと考え、これを否定していたすぐれた学者や思想家が、けっしてなかったわけではない。しかし、けっきょく、これという反対もできず、日本が今日のような悲惨な状態に落ちこんでゆくのを喰いとめることができなかった。 日本には高い文化がありながら、それだけでは祖国の亡ぶのを阻止することができなかったのだ。これは、文化が大衆から離れたところにあって、大衆に影響力をもたず、軍部や右翼がかえって大衆をとらえていたからである。この過ちをもう、ふたたびくりかえしてはならない。こんどの経験を教訓にして、文化と大衆とを結びつけることを、なんとかしてやらねばならない。岩波書店も、在来のアカデミックなわくから出て、もっと大衆と結びついた仕事をやる必要がある。大衆の文化を講談社ばかりにまかせておかないで、われわれのところでも、総合雑誌にしろ、大衆雑誌にもろ、どんどん出版していこうではないか。 岩波さんの提案であった。岩波さんはこう語りながら、こんどの戦争でたくさんの青年たちを死なせたのも、一つには自分たち年替の者が臆病で、いわねばならぬことを、いうべきときにいわずにいたせいだ。 とつけ加えることを忘れなかった。

これも今日的でもある。しかし統制されていなく、SNSや出版で学者も自由に発信できるようにはなっているけれど、SNSなどメディアの情報量が膨大になったことで相対的に影響力は落ちているかも、とおも思う。あと、言うべきことを言ったひとはいたとは思うのだけど、弾圧されていたし、学者や思想家の行動によって戦争を回避できたかどうかは悩ましい。世界恐慌や、それによる格差、若手将校のテロリズム、テロを賛美し、また戦果を煽った一部メディア、それらにのっかったおおくの大衆の運動量があったから・・・。

思想の対立

そして出版された「世界」について、

創刊号は八万部刷って、たちまちに売り切れた。すべり出しは、まず上々だったが、玄人筋からは金ボタンの秀才のような雑誌だと批評され、左翼からは保守党左派の雑誌だと冷評された

ここでは左翼がどういう人々を差すかは曖昧だけれど「世界」がこうみえていたというのはおもしろい(p84)。

一九四六年の一月といえば、当時のことを記憶している人きには、一月一日に発せられた天皇の神格否定の宣言、四日に指令された軍国主義者の公職追放と右翼団体の解散、つづいて野坂参三氏の延安からの帰国と山川均氏の人民戦線結成の提唱、二十六日、日比谷で開かれた野坂氏帰国国民大会と野獣氏の民主人民戦線の提唱などという、あの一ヵ月のうちに矢つぎばきに起った事件が思い出されるにちがいない。終戦直後のいわゆる虚脱状態がく終って、かわって熱っぽいほどの革新の気運が至るところに盛りあがって来ていた。朝日新聞の社説が「いかにみずから民主主義者たることを標榜しても、かりにその人が現在の最高目標たる民衆のための統一戦線に参加しないとしたならば、国民はそれを民主主義精神の不足するものか、あるいは偽りの愛国者と解する以外に考えようはない」とまでいったのも、 この時であった。そして、この気運は、二月に入って農地改革の実施、日本農民組合の結成、産別会議準備会の発足とつづいていったのだが、一方保守の方もこれに対抗して態勢を整えはじめ、自由党総裁の鳩山氏が反共国民戦線の結成を提唱して、反動的統一戦線もできあがろうとしていた。

この朝日新聞のアジテーションはなかなかひどく感じる・・・(p132)。そしてこれらの動きに続いて天皇制打倒の機運も高まっていたことはあまり知らなかったし、その急進さが広く反感をもたらし、鳩山氏らの反共国民戦線を強くしていったんだろうな、とも思えた。戦後、GHQの占領下で、革新勢力が本気で、現実的に革命的なものを目指していたという空気があったというのも読み取れる。戦後の自民党一強体制になったのには、思想のさまざまな革新勢力が意見を集約できなかったことが大きな原因だとも感じる。

ほか歴史学研究会で研究の進め方について(おそらくマルクス主義者が)研究会内でクーデターを起こしたことにも触れられていておもしろかった。また、あるフランス人が語ったこととして、日本人の国民性に触れているところ(p199)は、俗流国民論ではあるけれど、いまの日本人の性質にもあって根深いと感じた。

純粋なもの、いさぎよいものを好むという傾向は、人間の行為に関しては動機の純不純だけを問題にして、その行為の客観的な責任を不問に附するということになりやすい。それは、 すでに五・一五事件の被告や、二・二六事件の反乱軍将校に対する世論や裁判にもあらわれていた。また、空間的なものを没却した時間の純粋さを尊んで、精神のそのような集中だけを専ら問題とすれば、現実の問題の現実的な処理をめぐっての打算的考慮などは、まったく閑却されてしまう。実際には、恐ろしい精神主義を主観主義に陥らざるを得ない。それは、 日本のファシズムの擡頭につれて、当時私たちが、いやというほど見せられていた眼前のことだった。そして、それが堕落すれば、鼻もちもならない独善になるのである。「日の丸が日本人の性格をよく象徴している」という、フランス人の批評は、婉曲にそこを衝いているのであった。

流行り言葉ではネガティブ・ケイパビリティというのか、不確実なものを受け止めて改善していく空気、もうちょっとあってほしい(無謬神話を信奉しつづけている司法の世界を念頭におきながら・・・)。

さて、本書ではほかにも現憲法の成立過程を当時の人々がどう見ていたかも触れられていておもしろかった。

懸案となっていた新憲法草案が終に発表され、マッカーサーがこれを支持する声明を出し、四月初々に行われる新選挙法による総選挙後、国会でそれが審議されることに決まると、こんなモヤモヤは一挙にけしとんでしまった。天皇制に関する論議も、この発表と共に、一応、落着してしまった。「天皇、日本国民至高ノ総意二基キ日本国及其ノ国民統合ノ象徴タルベキコト」という、主権在民の思想を盛った草案第一条と、徹底的な平和主義に立って大胆に戦争放棄を宣言した第九条とは、当時、 民主主義の立場から憲法改定について進歩的な主張をのべていた多くの人々にとってさえ、 驚きに近いものだった。基本的人権に関する諸々の規定をも含めて、この草案は、佐藤功さんの書いておられるとおり、「共産党及び高野博士の草案を除いて、従来発表せられた諸々の草案の何れよりも急進的であり、又平和主義の闡明については、右の二つの草案すら考え及ばなかった戦争の拋棄の大原則を果敢に掲げたものであった」のである。

ちょうど高市首相が改憲の意欲をみせていてどういうふうにしようとしているかは見えず心配だけれど、その議論をするにあたってこの成立過程は気になる。

私が原田文書の関係でラッシュ少佐の事務所に呼ばれていったとき、そこに来ていた彼の上役――民間情報教育部のダイク代将だったと思う ――に、「室町時代や江戸時代には、皇室が政治を離れて京都で安穏に暮していたが、そのように皇室がつづいていっては、日本の国民にとって不都合だろうか」と質問されたことがあった。私は、前にのべたような、当時民主戦線の側から主張されていた天皇制否定——明治以来確立されて来た権力機構としての天皇制廃止――を説明して、それさえ達成されれば、皇室の存続にかかわる重大な問題は生じないだろう、と答えたと記憶するけれど、そのときのダイク代将の口吻から、総司令部がこの問題をどんな方向で解決したいと考えているか、 その意語が察せられるように感じたのである

こういう打診は著者だけではなく広く行われていただろう、と書かれてもいるけれどGHQが天皇の処遇にかなり真剣に検討していたというのはおもしろい。

編集者として

と、当時の世相について長く振れたけれど、本書ではタイトルにあるように編集者の資質についてもいくつか書いている。ただ、全体的に、編集者というよりはジャーナリスト的なポリシーのように感じもして「情報の」編集の実務についてはあまり触れられてはいない。

編集という仕事については、中国の作家魯迅の詩の「眉を横たえて冷やかに対す千人の眼、 首を俯して甘んじて孺子(子ども)の牛となる」という句を、いいことばだなと思い出すことがたびたびです。「千人、万人の人からなんと見られようが、そんなことには、冷然として心を動かさない。子どものためには、甘んじて首をたれ、それを背に乗せて黙々としてゆく」という意味で、この孺子(子ども)とは中国の民衆をさしているのだというのが毛沢東の解釈だそうです。たしかに民衆のためになることなら、牛のように首をたれて黙々とそれに仕え、人からなんと見られようが心にかけない、という心構えは、編集という仕事を――本当に意味のあるものとしての編集の仕事を――やってゆく上に、何よりも必要な心構えだと思います。自分というものを世間に認めさせたいと考えたり、著者やその他まわりの人々によく思われようとしたり、あるいは世間に撮びたりしたら、本当の仕事はできませんね。

評価がわかりやすく、容易に炎上してしまう現代社会でこのスタンスを維持するのは難しい・・・。

編集者の資格として、『ロンドン・タイムズ』の昔の編集長のウィッカム・スティードという人は、「広い知識と、解りの早いことと、青臭くない判断」をあげて、なお、いつも好奇心が生き生きと躍っていること、精神がものうくたるんでいてはいけないことを説いています。 しかし、肝心なのは「公共の仕合せ」を心にかけることであって、公共の仕合せを思いながら、いつかはその人々に、伝えねばならない真実を伝えてやろうと考えつつ、現場の仕事を黙々とやり抜いてゆく辛抱がなければならない、とのべています。やはり、甘んじて孺子の牛になるという心がけの必要を認めているのでしょう。

青臭くない判断、というのがおもしろい表現だけれど人によって違いそう。理想主義的になんでも批判するとか、逆に、現実はこうだから、と現状肯定するのを青臭いと感じてしまうかも。

ほか、解説で触れられていたところでは、英米仏の雑誌もとりよせて読んでいて、亡くなる病室でもヘーゲル「歴史哲学」の原書、「碧巌録」「新唐詩選」などを読んでいたとか学び続け、情報を集め続けていたという姿勢はすごい。じぶんはついついTwitter(現X)を眺めてしまいます。

ほか、西園寺公望の秘書だった原田さんの文書を出すくだりや、特高によって収監された人々がGHQによって解放されるきっかけに接したはなしなどもいろいろおもしろい本でした。

米原万里「打ちのめされるようなすごい本」「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」読んだ

1950年生まれで2006年5月に癌でお亡くなりになった米原万里さんというロシア語翻訳の第一人者がいる。翻訳以外にもいろいろ書いていて、「旅行者の朝食」というエッセイとかも好きだったし、学生時代に読んだ「オリガ・モリソヴナの反語法」もよかった。

最近、妻の母から昔話を聞き出しているなかで、鳥取で実業家だった米原章三さんのお妾さんの話がでてきて、調べるとそれが米原万里さんのおじいさんだとわかり、2冊続けて読んでみた。

打ちのめされるようなすごい本

米原万里さん没後に、これまで各所で出していたたくさんの書評を集めた570ページの分厚い文庫、しかしするする読めてしまうし、どんどん読みたいものリストが積み重なってしまう。ひとつの本の書評に関連書籍の紹介もあったり、話を広げたりと多読ぶりに驚く。内外の小説や古典のほか、重厚なノンフィクションも多数扱っていてすごい。

時事がわかるものも多くおもしろい。ブッシュのイラク戦争に対する嘆きは、現代のイラン攻撃にも通じて歴史が繰り返してしまっているのを感じる。

書評で気になったものも多く、途中から読みたい本リストへの追加もあきらめたけれど、特に印象に残ったものはこちら。 「桜の枝: ソ連の鏡に映った日本人」(フセヴォロド オフチンニコフ) 「ソクラテスの最後の晩餐: 古代ギリシャ細見」(塚田 孝雄) 「懐かしい日々の想い」(多田 富雄) 「笹まくら」 「酔どれ列車」(ヴェネディクト・エロフェーエフ) などなど

しかし電子書籍化されていないものが目立つしなかなか読む時間がとりにくい・・・。

そして著者の死因は癌だったと書いたけれど、そこに至る道筋も書評でたどることができてしまいつらい。死ぬ1年半前、2003年11月の書評では以下のとおり、卵巣嚢腫と診断されたことから医学書や生物学の本も読んでいき、近藤誠など代替理療の本も多数読んでいく。それぞれに懐疑をもちつつもそこにお金と時間を投じているさまは、あとからみるとリテラシーがないと思えてしまうかもしれないけれど、それだけではない。患者を金づるとしか思っていない代替医療はもちろん、それだけではなく医療者の権威主義的態度が患者の治療スタンスを変えてしまったのではないか・・・とも感じてしまった。

囊腫だと思っていたものが、癌だったと告知された。「腫痛マーカーはマイナスだったのに」という問いに、「明細胞膜癌は、マーカーに出にくい。出ていたらもう手遅れ」という答。未転移の一期なのか、リンパ節にすでに転移した三期なのか不明なのと転移防止のため、術後の体力回復を待って再入院、今度は開腹して卵巣の残部、子宮、腹腔内リンパ節、腹膜を全摘した上で、抗癌剤治療を行う、と言う。 医師が退室して、すぐにインターネットで調べまくる。明細胞腺癌は抗癌剤が効きにくい、と国立がんセンターのホームページにもある。なのになぜ抗癌剤治療をするというのか、抗癌剤によって寿命が縮むのと癌の縮小による延命と合わせるとマイナスなのではないか。開腹し臓器をとるだけでも寿命を縮めるはず、リンパ球は癌と闘う味方の戦士なのに、リンパ節を除去するなんて味方の要塞を爆破するようなものではないか、 と次々に疑問が湧いてくる。五年前癌に苦しむ親友Gに送った近藤誠著『患者よ、がんと闘うな』(文藝春秋)にそんなことが書かれてあったような。Gは乳癌から肺、そして骨に転移している状態で、抗癌剤による苦しみと自殺願望にのたうちまわる最中だったが、大いに触発されて抗癌剤治療を拒み、以後どんどん体力が回復し、仕事と生活を楽しむほどになってきている。

p203

卵巣癌の摘出後、体力回復を待って開腹し転移の恐れがある卵巣残部、子宮、腹腔内リンパ節、腹膜を全摘し、進行期を確認した上で抗癌剤治療を行うと主張するY病院S医師に対してセカンド・オピニオンを求めたいと述べた。ところが、そのための診療情報の提供をS医師が頑強に拒んだため、J医大医師から手紙を書いてもらい、ようやくデータを得ることができた。この経緯から、Y病院のS医師には今後一切関わるまいと心に決めた。

p300

とか。ちなみに近藤誠についてはこのような視点もあり、ほかのビジネス代替医療勢とは毛色が違うようにも感じることだけは付け加えておきます。

note.com

週刊誌の書評で人生の深みと残酷さを感じ取れてしまいまう本でみなさまにもおすすめです。そして、ご存命であったならロシアのウクライナ侵略、イスラエルとアメリカの筋の通らないイラン攻撃についてどう書かれていたかを想像せざるを得ない(もちろんとても想像しきれないけれど・・・)。

嘘つきアーニャの真っ赤な真実

この米原万里さん、9歳だった1959年から14歳までプラハのソビエト大使館付属学校に通うという生活をしていたんだけど、長じて当時仲の良かった同級生3人を訪ねる小説のようなノンフィクション。

勉強が苦手だったギリシャ人のリッツァ、ささいや嘘をつかずにはいられないルーマニア人のアーニャ、成績優秀だったユーゴスラビア人のヤスミンカ、著者も含め、それぞれの国で共産党の仕事をしている父親のもと、プラハの春やソ連崩壊で運命をおおきく翻弄されてしまう。

労働者の党であるべきであった共産党の官僚が私腹を肥やし当然視する姿勢は、いまのオリガルヒにも通じるし、複雑なヨーロッパ事情を垣間見ることができる。ユーゴスラビア紛争はほんと厳しい・・・。主義や民族に翻弄される人々を感じて切ない。15歳でナチスドイツに対するパルチザンになったヤスミンカの父の逸話(もとはミルコ・ペトロビッチの「皇帝」という作品に近いらしいけれど検索しても見つからなかった)。

あと帰国子女のつらさもあるけれど、若い時代のこれだけの深い関係性を築けているのはうらやましくも思う。ロシア人の教育観・人の才能をみんなで尊ぶ感はいい(それだけにいまのプーチンロシアの横暴は残念)。

さて、余談だけど途中、p99にこんな記述がある。

日本にいた頃、夏休みになると、鳥取県にある父の実家へ遊びに行くたびに、自分の家の生活水準とのあまりの格差に愕然としたのを思い出した。数え切れないほどたくさんの部屋があって、名前も覚えきれないほど多くの使用人が傅き、身の回りの面倒を見てくれる心地よさ。自分なら、拒否できるだろうか。それができた父は偉いなと、子ども心にも思っていた。戦前、共産党が非合法だった時代に、万人の平等という共産主義の理想に燃えて、父は高額納税者で貴族院議員となった祖父の家を出て、地下に潜った。それは、一六年間の長きにわたった。日本の敗戦で非合法が解かれ、再び実家との交流が可能になって以降も、父は物欲とは無縁に生きていた。私の心にでき上がった共産主義者像の原型は、 父だったから、共産主義者を名乗るアーニャの両親との相違に頭が混乱した。

先に触れた、妻の母から聞いた話に戻ると、むかし1952年にあって7000世帯を焼いた鳥取大火のとき、竹林から火が透けてみえたらしいんだけど、そのあと、火災を逃れた妻の母の住んでいた地域の近所に、実業家の米原章三さんのおめかけさん、K尾のおばちゃんも焼け出されて間借りにきていて遊んでもらったと言っていた。そのときの家とかは近くだったのかもなあ、と思って読みました。

大宰府にでかけてました。九州国立博物館が大迫力だった

さまざまがあり、福岡県の太宰府に5歳児とでかけていました。妻が妻友人と博多座で観劇している裏という謎旅程。

ちょうど、本殿が工事中で、万博の大屋根リングを設計した藤本壮介さんが設計した仮殿が評判で、万博ファンが訪れているらしいし、ちょうど福岡で時間があるしという程度で寄ってみたのですが、だざいふ遊園地も、九州国立博物館もかなりよかった。

ちなみに大宰府には、高校の修学旅行で訪れたはずなんだけど、現地の記憶はまったくありません。

ちょうど梅も咲いていて参道も賑わっています。半分以上外国人旅行者かも。

www.dazaifutenmangu.or.jp

仮殿、寒い時期だったけれどけっこう緑で迫力ありました。不思議なバランス感。これだけ空中で緑を維持するの、いろいろノウハウがありそうで気になります。ポケモンのドダイトスとか連想する。

太宰府 仮殿

そして徒歩数分のだざいふ遊園地、なかなか渋いところというか、90年代で投資が止まった感がいい。

太宰府ゆうえんち

100円券11枚を1000円で買って、5歳の子どもにどの遊具を遊ぶか選ばせましたがまだ計算はおぼつかない。

メリーゴーランド300円と、ビックリハウス400円を2人で入ります。 ビックリハウス、なんか錯視とかをつかった仕掛けがあるのかと思ったら、座るベンチ部分が固定されていなく、部屋全体が回転するという構造、2人とも予期していなかったのでかなり驚きました。落ちるかと思った・・・。

そんなこんなであっさり終わって、九州国立博物館。入り口が小さかったから、コンパクトな展示なのかと思いきやエレベータを進むと巨大な建物。

小さな入り口と大きな建物

カフェでうどんを食べて腹ごなし。 ちょうど、福岡県指定無形民俗文化財の 「山野の楽」 をやっていて見物できました。なかなか迫力あった。

クロークに荷物を無料で預けることができて楽(とはいえ、子は半分くらい疲れていておんぶしてつらかった・・・)。 今回は常設展だけだったけどかなりボリュームがあって楽しい。

驚いたのは7世紀とかにおおきな城砦や土塁をつくっていたこと、中央は海外からの侵略をこれほど真剣に恐れていたのかと感じた。 白村江の戦いも含めて国家意識・領土意識は気になる。

そしてナウマンゾウの牙とか土偶、埴輪は迫力。土偶が西と東で抽象度が違うということもおもしろい。

銅鐸は展示のほか、再現する映像と再現したものがあって叩くことができてよかった。仏像や器群もいい。

子は、床に投影されたアイコンを踏むと壁に投影される街の情景に動きがでるものを気に入ってなんども踏んでいました。

あと、あじっぱという触って体験できるエリアではアジアの楽器や物に触れることができて子もかなり楽しんでいました。韓国の双六、ユンノリや馬頭琴、巨大なドラで遊んだりした。

不満としては、だざいふ遊園地は、九国のチケットがあると入場券割引があるけれど逆はないということ、順番を逆にすれば良かったかも。しかしそうするとゆうえんちに行く体力は残らなさそう・・・。

また西鉄で北上し、洗練されたカフェの激戦地と聞いていた薬院でコーヒーを飲んで、博多駅の地下でラーメンを食べて帰ってきました。 駅地下のラーメン博魂さん、店員さんが大変感じ良かった。 福岡の食は豊かで楽しい(妻も、水炊きを食べてビアキチで飲んでラーメン食べて終電で帰ってきて絶賛していました)。

また九州行きたいな~

西鉄のアイスグリーンの車体がかわいい

米澤穂信「黒牢城」、呉座勇一「陰謀の日本中世史」

正月に弟からすすめられて読んだ米澤穂信の「黒牢城」がおもしろかった。 織田信長の配下であった荒木村重が謀叛し、1年ちょっと籠城した有岡城の戦いの折、説得に訪れていた黒田官兵衛が監禁されていた、という事実からふくらませた小説。

そういう事実があったことや村重がどうなるかも知らなかったからそれも驚いたんだけど、話もよかった。 籠城してピリピリしている城内で、士気を維持するためにもめごとを解決したい村重が土牢のなかにいる黒田官兵衛の知恵を頼るという、つくりでいうと安楽椅子探偵もののミステリーなのだけれど、それにもまして荒木村重というキャラクターと戦国時代の組織マネジメントもよく描かれていておもしろい。気を遣うことはたくさんある。スパイも入っているだろうし、寄せ集めからは裏切り者が出ることを前提に指揮をとらねばならない。さらに城主といえどなんでも直接コントロールできるわけではない(現代の会社で社長がなんでも好きにできるわけでもないのと同じですね)。

信長に虐殺された浄土真宗・一向一揆の宗教観・死生観も強いモチーフになっているのもよい。 名物が外交上も大きな価値をもつというエピソードではマンガ「へうげもの」を読み返したくなった。こちらでもさらっと村重はでてきましたね。

ぜひ、村重についてWikipediaを読まずに読んでほしい。

戦国時代、信長といった読者に共通の前提知識があると読みやすくてよいのかも。 これは、実在ではないけれど舞台設定や概念を共通化することで物語にフォーカスさせる異世界転生ものと近いんだろうか(ハードSFとかハイファンタジーだとそこらへんの設定共有で紙面をつかってしまう・・・)。

と、読んだあと戦国時代に関心がでてきて歴史学者の呉座勇一の「陰謀の日本中世史」も読んだ。

呉座先生は、「応仁の乱」などのヒット作を出しながらもTwitter(現X)の非公開アカウントとはいえ4000人ものフォロワーがいる状況、複数の研究者を侮辱するような投稿を繰り返していて、被害者から告発されて多数の研究者からオープンレターを出され、職を失いかけたりした歴史研究者。

オープンレターの趣旨はともかく、署名者の確認や呉座さんの実名を出したことなど問題があったけれど、 呉座さん集団になってなかなか陰湿ないじめ行為をしていたことは確かで人柄を軽蔑はしているんだけど、この事件のまえから読んでいた「一揆の原理」がおもしろかったり、井沢元彦の「逆説の日本史」の誤りをWebメディアで批判するなど*1は評価しています

※ 呉座界隈問題について複雑でよくわかりにくいけれどこの被害者のひとりのブログが情念こもっていてよかった

呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その1)|森 新之介

さて、本書では、源義経が陰謀で失脚したのか、足利尊氏が陰謀家だったか、本能寺の変に黒幕がいたのか、など世にはびこる風聞を資料をひもときながら解説していて、プロの歴史学者の資料読み解きプロセスを垣間見えてかなりおもしろかったし、陰謀論の発生プロセスもよかった。

義経が失脚したのは兄にうとまれたからとか信長が本能寺の変で殺されたのは、明智光秀を動かした誰かがいる、とか、石田三成を決起させたのは家康の陰謀、とかおもしろいけれど、そう単純ではなく、さまざまなトラブルがおきる複雑な世界で必死にやっていた結果ではないかというのを検討していきそれぞれの時代について知ることもできてよい。

さまざまな陰謀論をみていくと、特徴には(1)因果関係の単純明快すぎる説明、(2)結果から逆行して原因を引き出す、というものがあるという。 特に歴史解釈についての陰謀論だと後知恵的なものが多いというのもあるようには思えるけれど、特定のだれかが原因とするというのは昨今のディープステート陰謀論とかにも通ずる。

天才的な戦略家と評されがちな信長であっても、なんども裏切りにあって驚いているというのは「黒牢城」でも描かれていた。そして、真実を知っている優越感があることからインテリ・高学歴者もだまされるというのはSNSで党派を形成する現代の陰謀論とも通ずるところがある。

しかし、煽情的になるアルゴリズムに支配されるSNSのもと、コロナ・トランプ現象と世の中に陰謀論の波が来ているけれど、エプスタイン事件や高度な認知戦のように眉唾ではないものもあって判断が難しすぎる・・・

dai.hateblo.jp

イタイ・ヨナト「認知戦(文春新書)」眉唾な部分もありながら・・・

本書は、イタイ・ヨナト(Itai・Yonat)というイスラエル国防軍で影響力工作の経験を積んだり、医療系スタートアップを創業したりもしていまはIntercept9500という敵対的影響力対策の会社の創業CEOをやっている人間に、奥山真司さんがインタビューして書き起こしたという2025年の本。

奥山真司さんをWikipediaで調べると戦略学者と分類され「日本におけるジョン・ミアシャイマー紹介の第一人者である」とも書いてあってちょっとうさん臭く感じたけれど、エキサイトブログ「地政学を英国で学んだ」の著者らしい。

はてなブックマークでドメインを検索すると見た記憶のある記事もちらほらある。 https://b.hatena.ne.jp/site/geopoli.exblog.jp/?sort=count

というわけで、眉に唾をつけながら読みましたが、ロシアがウクライナに侵略し、イスラエルはガザで虐殺し、中国では情報統制がしかれ、アメリカもトランプの"ディール"がとんでもないことになっている昨今ではけっこう迫真だでぞっとするような内容だった。

認知戦とは民間のSNSやメディアを用いることで人々の思考に影響を与えるというもの。一般人をよそおった多数のアカウントによって行われ、空間のムードをつくって世論に影響を与えるというもの。

2010年ごろまでの日本では総理大臣や与党の支持はマスメディアがどう切り取るかで大きく左右されてきたように思えるけれど(バカヤロー解散にしろ神の国発言にしろ、もとの発言がひどいのはあるんだけど、メディアに切り抜かれないままのひどい発言はもっとあっただろう)、昨今のSNSを中心に排外主義が煽られている様子をみると、特定の国への敵愾心・好感度も操作されうるようには思えてしまう。

とはいえ、まだ野党ディスや排外主義煽りなど正義感や怒りを刺激するコンテンツがアクセス数を稼げるからプラットフォームも投稿者もよりそちらに注力するという資本主義駆動な状況ではどのくらい影響力を持つものだろう。

シンガポールや台湾がやっているように国による監視や規制が必要だと提言されており、どこかで必要かもしれないと思わなくもないけれど、表現の自由のど真ん中の政府による検閲と紙一重で民主主義的にはかなり危ういことをせざるを得ない、とも思った

いくつか拾い読み。

ディスインフォメーションは、大きく分けると2種類あります。 ①情報のコンテンツそのものが偽物 ②情報の広げ方が偽物(偽メディア、フェイクユーザー、ボットなど)  このうち、①は、内容をファクト・チェックすれば、正しいか誤っているかが見分けられやすい。しかし、②は人間がおこなっているのか、フェイクユーザーによるものなのかの見分けがつきにくく、しかも簡単に操作できます。そのため、影響力工作キャンペーンにおいてよく使われる手法です。

はい。そしてTwitter(現X)でもYoutubeでもアルゴリズムが隠蔽化されてわかりにくくなっていますね、

相手の感情に訴えかけるとき、最も効果的なのは否定的な感情や屈辱感、フラストレーションや怒りを刺激すること です。そして、 既存のシステム、司法制度などを批判し、現状に不満を抱える人々のために〝正義〟を提示する のです。(中略)もう一つ、注目してほしい側面があります。ディスインフォメーションはより多くのお金を生み出すということです。 ナラティブをもつディスインフォメーションは人の心にダイレクトに訴えかける力をもっています。そのため、 本当の事実よりも記憶に残りやすく、人を動かす力をもちます。スマホやパソコンで広告をクリックさせる力をもつのです。

必ずしもだれかの悪意があるわけではなく、資本パワーに駆動されて怒りを刺激されているというのはかえって怖い。

第二次大戦後、約 60 年かけて民主主義国家は定着しましたが、世界的にみて 10 年前より減っており、現在 60 か国ほどが民主主義制度を採用しています。  しかし今、 民主主義の国家は内部に問題を抱えています。たとえば、イスラエルのネタニヤフ首相とその政権幹部の強権的な振る舞いは、トランプ政権のそれと 酷似 しているという指摘が多くあります。ヨーロッパのハンガリーでも同じような状況が見られます。つい最近まではポーランドもそうでした。

イスラエル人の著者がネタニヤフに否定的である。けれど、後半でパレスチナへの侵略は正しいと思っていそうだった

しかし、SNSでは、日本の若い世代を中心に、戦前や戦中に対する肯定的なイメージが拡散されているのです。「日本は現在より偉大だった」「旧日本軍は強く、他の先進国にも恐れられていた」「日本の国際的地位も高かった」というもので、「古きよき時代」を求めたり、「再び偉大になろう」と語ったりする声がスマホを通じて垂れ流されています。

こうした思考、一部ではそういう風潮があるけれどどれくらいメジャーなんだろう。 格差が拡大し、社会で承認を得にくくなったときにナショナリズムが最後のアイデンティティになる、とは言われるけれどそういう流れ? 自分は、過去の誤った行いを直視して謝罪した方が国としては信頼もされて国益になる、とは思っています。

ところが、中国とロシアは、日本に対して攻撃を仕掛けてきました。ALPS処理水について「汚染水」という誤った名称を定着させようとして大規模なキャンペーンを展開したのです。中国の 王 毅 外交部長(外務大臣に相当) は「核汚染水の放出は海洋環境の安全や人類の命と健康にかかわる」と主張しました(中略)このように、 中国やロシアが展開している影響力工作のなかには、子供だましのようなレベルのものが多くあります。しかし、そんな程度であっても悲しいことに効果がある のです。

日本でも原発に不信をもつあまり、これらにのっかってしまった人々がいたのは残念でした。

しかし、その一方で、日本にはじつに多くの課題があります。「影響力」という観点で見ると、少なくとも周辺にある三つの国が日本に大きなリスクをもたらしている。 中国、 ロシア、 北朝鮮 です。  中国は、その能力と戦略的関係の観点からみて、最大の脅威です。  2番目はロシアです。西側諸国から見ると、ロシアは「核兵器を保有するガソリンスタンド」のようなものです。エネルギー資源を多く抱えており、核兵器の使用をちらつかせているので敵に回しにくい。(中略)中国は人口が急速に減少しており、経済をはじめ、さまざまな問題を抱えています。また、習近平をはじめとする中国共産党幹部らは、中国の国力は今がピークであるということを知っています。つまり「今すぐ強みを活かして問題解決に取り組まなければ、 20 年後には問題解決が不可能になっている」と認識しています。  したがって、中国が何か行動に移すのであれば、いまがまさに最後のチャンスなのです。(中略)先ほど指摘したように、中国は三つの戦域すべてで影響力工作を展開しているので、中国は日本との戦争に備えている、というのが私の結論です。戦争開始の時期を私の調査結果から逆算すると、2026年から2030年の間となります。  では、その戦争は具体的にどのようなものになるのか。台湾侵攻当日、日本に対して大規模なサイバー攻撃が行われる でしょう。その目的は、自衛隊への打撃、指揮統制拠点の制圧などです。影響力工作の観点でいえば、サイバー攻撃によって、メディアやソーシャルメディアをブロックすることで、日本政府による情報発信を妨害し、国民にパニックを起こさせ、SNSで間違った噂を広め、言論を支配しようとします。

ここは眉に唾をして読む。台湾問題、あまりよくわかっていなかったけれどそこまで差し迫っているんだろうか。 これは危機煽りすぎている気がしなくもないけれど、可能性がある以上備えざるを得ないんだろうか。

戦後 80 年経った今でも、 多くの日本人は1946年に公布された憲法を変えることなく、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部) による統治下の1950年当時のままで行けるという観念に 囚われています。  私は、日本が抱える課題は非常に大きいと感じます。私は日本語もできませんが、本書のような著作を出版したり、政策決定者と会談したりすることを通じて、日本に貢献したい。大それた考えかもしれませんが、本書を通じて日本や日本人の考え方を変えることができたら、と思っています。

これは余計なお世話すぎる・・・。

しかし、 世界中からの「認識」の面で、私たちイスラエルは負け続けている のです。ハマス側、イラン側が流す情報のほうが信憑性を持って受け止められ、イスラエル側の情報が真実性をもって受け止められていないのが現状です。  世界中の人々が「イスラエルは自衛しているのではなく、罪のないパレスチナの人々を殺している」とみなしています。「イスラエルは大量虐殺をおこなっている国だ」というイメージを持っている人さえいます。一方で、「先にテロを仕掛けたハマス側が悪い」「ハマス側は民間人を『人間の盾』として、無用な犠牲を増やしている」「イスラエルは命をかけて戦っている勇敢な国だ」という逆の見方をする人は決して多くありません。

ハマスも犯罪組織だけど、これまで過剰な抑圧をしてきて敵愾心を育ててきたイスラエルのユダヤ人の認知こわすぎる・・・。認知戦の最大は教育なのではないか、と思えてきた。

イノベーションは革新的な人々によって生み出されます。しかし、革新的な発想を持つ人々は組織に適応しにくいという特質があります。組織は革新的な人々をうまく使いこなせず、彼ら自身もフラストレーションを感じ、最終的には追い出されてしまうことがよくあります。そのような 革新的な人々を活かすためには、既存の組織との「つなぎ役」が必要 です。 私はそれを「コネクター」と呼んでいます。「コネクター」はシステム内部にいて、システムでの働き方を知っている人で、通常は将軍などの高い地位にいますが、心の中では物事を変えたいと思っています。コネクターは、革新的な人材にイノベーションをさせ、それをより大きなシステムにつなげて実現するのです。

これはそうだろう・・・。イノベーションは小組織で起きる、というのは軍でもそうなのかも。

中華人民共和国は建国当初から国内で影響力工作をおこなってきました。中国共産党は、旧ソ連時代からコミンテルン(共産主義インターナショナル) を通じて影響力工作を学び、それらを独自の様式に改変して取り入れてきましたが、現在の習近平体制の下で、主要な能力のひとつとなりました。  中国では影響力工作のことを「三戦(世論戦、心理戦、法律戦)」と呼んでいます。これに加えて経済戦、外交戦、サイバー戦などを組み合わせています。  中国の特徴は、 隠密 裏 にではなく公然と影響力工作をおこなうことです。まず、指導者や外交官などの政府関係者、あるいは国営メディアがディスインフォメーションを含む見解を公に発信。

空手の三戦(サンチン)ではなかった

日本に対するロシアの工作について、私たちはいくつかの調査を実施し、その証拠を集めました。また、ロシアを支持する日本のインフルエンサーや政治家をスカウトしていると見ています。  たとえば、 Xのフォロワー数が 40 万人以上を誇る野党の国会議員

だれだろ・・・

数年前、私たちはロシアによるアフリカでの政権転覆工作を調べたことがありました。その時点で 20 件の工作が進行中であることを確認しましたが、そのうち5件はすでに成功しています。 政権転覆の成功率が 25% というのは、驚異的なことです。  ロシアはターゲットとなる国を定めると、その政権に対する反対派を見つけ、彼らに武器を与えて訓練し、影響力工作を大規模におこない、5年から8年という歳月をかけて政権転覆を実現しています。  ロシアの情報機関のどこかには、 政権転覆の方法論を熟知した、経験豊富な部隊がいるはず です(個人的にはワグネル・グループではないかと考えています)。問題は、それがアフリカで起きているので、あまり注目されない、という点です。

律儀に文書を残していたソ連自体と違って、経緯が将来公開されることはないだろうなあ・・・。外部での調査記事やノンフィクションあれば知りたい。

影響力工作への対抗策は、以下のような手順でおこなわれます。 1 影響力工作への対抗を可能にする法整備 2 データ収集および分析 3 敵を潰す

台湾は常に中国と戦っているため、非常に良い仕事をしています。この分野で世界一と言っていいでしょう。他の政府の人々と話し合う際、私はまず「台湾に学びなさい」と伝えています。台湾は2020年の総統選挙の直前、中国による選挙介入や内政干渉を防ぐために、敵対する勢力や人物からの指示、資金援助による選挙活動・政治活動を禁じた「反浸透法」を公布しました。(中略)一方、シンガポールは、2021年 10 月に「外国干渉防止法」という先進的な法律を制定しました。シンガポール政府が自国を攻撃するキャンペーンを発見した場合、法律に基づいてSNSの運営元に連絡し、そのようなユーザーのアカウントをブロックするよう要求できます。こういった対抗措置をおこなうためには、インターネットやソーシャルメディアからデータを収集する、つまり 会話を監視する必要があります。

認知戦に限らず日本も外資SNSに罰金課してほしい。

シンガポール政府は、自分たちが国民を対象に監視をする必要性をよく理解しています。民主的な方法で国民を動員するために、政府は教育やコミュニケーションを通じて、国民に説明して選挙をおこない、多くの場合、政府は望む結果を得ているのです。このようなシンガポールのあり方が「不完全な民主主義制度」なのか「完全な民主主義制度」なのかという議論はここではしませんが、権威主義国家からの攻撃を 跳ね返す力があるという点は評価できます。  台湾やシンガポールのように、法整備をして専門機関などを立ち上げて、ようやく影響力工作と戦えるようになります。

これは全体主義国家の第一歩でもあるので賛成しにくい

スクレイピングは、特定の人物について検索をかけるのではなく、大量にデータを集めているだけなので、法律には触れません。ただ、ソーシャルメディアのエンドユーザー規約には違反しています。現在、何らかの分析を可能にする技術的なツールを提供している企業は、プラットフォームの規約に違反してスクレイピングしているか、スクレイピングしている企業からデータを買っているかのどちらかでしょう。「規約違反は不道徳だ」と言われかねないので、この問題は法的に解消されるべきです。影響力工作が存在する場合、十分なデータと分析能力があれば、その構成要素を特定できます。  工作活動(キャンペーン) の構成要素を知ることを、サイバーセキュリティの世界から用語を借用して、「TTP」と私は呼んでいます。これは「テクニック(techniques)、戦術(tactics)、手順(procedures)」 を指します。

かつて私が影響力工作と戦う上で、もっともよく使っていた手法が「テイクダウン(take down)」 でした。 これはフェイクユーザーを見つけたら、運営元に伝えて、そのユーザーのアカウントを削除してもらい、利用できなくするという手法です。フェイクユーザーやそれに連携した動きに対して非常に効果的に機能します。  たとえば、フェイスブックの運営元に「ユーザー規約に違反するグループを発見した。彼らはフェイクユーザーであり、連携した動きをしている」というレポートを提出して訴えると、運営元はチェックして、そのユーザーアカウントを閉鎖します。(中略)これが「シャドウバン(shadow ban、悪質なユーザーのアカウントの投稿をタイムラインなどに表示させないように設定すること)」と呼ばれるもの です。この状態では、そのユーザーは投稿できますし、他の人の投稿を閲覧できますが、ソーシャルメディアがそのユーザーの投稿を拡散しなくなり、フォロワーもその人の投稿を閲覧できなくなる場合があります。  これらの対抗策をおこなうには、グループが必要です。 シャドウバンするには、5000人が苦情を「報告」すれば十分 です。イスラエルでは1万人ほどのグループをつくり、反ユダヤ主義的な活動をしているユーザーなどに対して、グループ内のすべての人に「報告」するように頼んでいます。  この「報告」は、人間がおこなうことが重要 です。

こわすぎるよ・・・。

ユーザーは他人が自分の心を混乱させることを好まないので、インフルエンサーが報酬をもらって 偏った視点をプッシュしていることがわかると、その人物から去っていくのです。また人々の心を免疫化する効果もあり、 心が操作されていることに気付くと、インフルエンサーの効果は低下します。  この手法はAI時代以前に開発されましたが、AI革命によって発展しました。それを私は「 オートメーション・リプライ」と呼んでいます。まず、私たちはソーシャルメディア上のユーザーに、影響力工作への対抗策を行っているAIを紐づけし、この

Twitter(現X)のコミュニティノートをつけたり攻撃されるリスク承知で訂正して回る専門家の方々はこれを公共心からやっていただいているけれどほんと頭が下がる

いくつかの問題を抱えていることがわかります。「真実」は一つではなく、各人それぞれの「真実」があるからこそ分断され、多くの見解が出てくるわけです。分断があると、意思決定ができなくなります。したがって、 民主制度を信奉する社会であればあるほど行き詰まり、社会が機能しなくなり、民主制度は 破綻 する のです。(中略)私が皆さんに望んでいるのは、 誰が自分の心を操ろうとしているのか、自分の望まない解決策を押し付けようとしているのかを知ってもらうことです。  私は本書の中ですべてを解決するための方法や、民主制度が良いのか悪いのか、そしてどうすればそれを正すことができるのかという話をしたかったわけではありません。ただし自信を持って言えるのは、民主主義の制度は世界中で大きな課題に直面しているということです。  その問題の一つは、「感情」に原因 があります。 私たち人間が常に犯している最大の過ちは、感情で判断してしまうこと です。私たちは、事実に基づき、論理的に考えて、合理的な判断をしなければならないのです。

これはほんとそう思う。感情で判断しないためには、どういう訓練がいるんだろうか

豪雪鳥取旅行

衆院選のあった週末に鳥取にでかけていました。大雪の予報で、金曜日夕方に日曜日の特急スーパーはくとの運休が決まっていたため、軽率とのそしりは免れませんが、関西からだとスーパーはくとの他、城崎温泉経由の特急もあるし、 妻は月曜日代休で、自分もまあ休める日であるという予備日があることから、リスクとキャンセル料や怖いものみたさを天秤にかけて決行しました。

しかし、雪にまつわるかなりのトラブルに何度も遭遇し、天気予報のありがたさが身に染みたのでした・・・。

鳥取砂丘

朝一のスーパーはくとで鳥取に向かい、まず初めての砂丘。見渡す限り、というのを想像していたので少しは肩透かし感もあったのですが、やっぱり広いし起伏もあってよい。湿っていたので風紋はありませんでしたが5歳児もたくさん歩きました。

鳥取砂丘:上の黒いつぶが人です

特にビジターセンターは触ることのできる展示も多くかなり楽しい。各地の砂を顕微鏡で眺めたり、触ったり、謎の砂ししおどしがあったり、巨大アリジゴクをみたり、さらには万博からヨルダンの砂を触ったりもできました。

ビジターセンター、触れる展示が多くて楽しい

そしてこんとあきの舞台でもあってセットが置かれている。こんの健気さに弱い。

ビジターセンターはほかも盛りだくさん

ほかおもしろかったのは、我々同様、場外スタンプを押しにきたお兄さんが、これでおれの万博は終わった、と呟いていたこと。ほかにもミャクミャクをつけた万博の残党たち*1とはそこかしこで遭遇しました。

浜村

そして今回泊まる浜村温泉まででかけます。 たまたま妻がネットでコスパよいところを見つけたのですが、あとで鳥取の中学校に通っていた妻母と話をしていると、妻の母の父の母がなんどか浜村の煙草屋旅館に行っていた、とも聞きました。

温泉街はなんかスナックがちらほらあってふしぎ。

浜村温泉街

近所の公園ヤサホーパークもいい感じ。ヤサホーは貝殻音頭の掛け声らしいです。

高台にあるヤサホーパークからの眺め

おいしいご飯をたべて、部屋でゆっくり飲んで夜中の12時ではまだまだ雨しとしと降っているだけで積もることはないんじゃないかとも思っていました。投機的に特急きのさきを予約していましたが、城崎までの普通電車も動かないことが決まり、諦めて鳥取駅でもう一泊の予約をいれます。

そしてその後の様子がおもしろかったのでgifにしてみました

浜村駅2/8豪雪.gif

じつは浜村駅の近くにはホットエアーという中古車屋がやっているようなラーメン屋だけれどミシュランにも載ったという著名店があって、昼に行けるかと朝1人で下見にいったけれど、ちょうどスタッフの方がいて今日は休みにするとのことでした。また来たい。

浜村温泉街とホットエアー

朝一のバスや9時台のバスは5分遅れで動いていたので、乗る予定の10時半のバスもあるかと思いバス停のある駅まで雪をかきわけて進んだのですが、それ以降は運休となり、同じ旅館の人たちと駅の待合室でいっしょになって不安に包まれる。この方たちも関西からきていて、いろいろお話したり、子の相手をしてくれました。感謝(またのちほど鳥取駅でも会いました)。駅にはJRの作業員さんも5人ほど来ていて話してみたけれど予定より遅れていますね、と不穏。

ケータイからはタクシー会社も電話に出ず、Goはエリア外でUberも手配できずだったけれど、宿のハイエースを出してもらえないかと交渉のため先行して宿に戻った妻が、ホテルのひとにタクシー会社に電話してもらうとつながって、いつとはわからないけど手配しますとのこと。 (宿のハイエースコミューターは14人乗りで運転できるひとが今日いなかった) 部屋も清掃がまだだったので戻ってよいとのことでお言葉に甘え、ジャケットと手袋を少しでも乾かす。

窓の外は雪がふり続いており、本当にタクシーが来るのか心配でしたが、意外と早く30分ほどでタクシーがきます。窓からすぐ見える駅に来ていたのですが、ホテルまでの道が怪しく駅で待っているとのことで、そこまでは歩き。同じ宿にきていた岡山から車で来ていたという方々や赤ちゃん連れの方々は大丈夫だっただろうか?

タクシーの運転手さんは今日総選挙の日に投票時間が終わった後、立会人と投票箱を開票所まで運ぶという重要な仕事も受けているそうで、まだまだ忙しそう。Uber での見積りは8,000円程度となっていたので雪道だし1万円超えを覚悟していたけれど鳥取駅まで7,000 円ほど、チェーンをつけて速度を出せない運転の割には安かった気がしました。

こういう時にライドシェアで稼ぎ時に車を出せる人がいると、タクシーの供給量がスケールできていいのかもしれない。

鳥取

鳥取駅では丸由百貨店という、もと大丸だった百貨店をうろつく。昼なのにお惣菜がすでに3割引き・4割引きでスタッフがこれないのか休んでいるテナントもちらほら。 5階にある遊び場プレイルームでおもちゃで遊ばせながら、おいてあった「たくさんのふしぎ」をいくつか読む。「土のうの道」、「広場に集まる」かなり面白い。購読したい。そうしていると館内放送がかかり、急遽14時で閉館するそうだということで追い出される。すべりこみでドーナツを買って閉鎖された観光案内所をステーションバーとして飲む。

鳥取駅の様子

宿のむかえが来て、駅徒歩10分のこぜにやさん。ここはコロナ禍前に妻が母や祖母と以前来てかなり好評だったというところ、ふつうに予約するとかなり高かったのが直前割で安かったのです。

鳥取温泉・観水庭 こぜにや オフィシャルサイト

お姉さんも大変感じがよく、しつらえもすてき。供は浴衣を選ばせてもらったんだけど、嬉しかったようで後日保育園でもしゃべったそうだ。部屋は古いながらも落ち着く。久々に3人で夜ご飯も大変良かった。2月だけれど今年はもう贅沢納め、と言い聞かせます。

翌日、予約していた8:52の特急スーパーはくとに乗るために急いでチェックアウトし、送ってもらう。1号は運休になったということで8:52が最初の電車。予定通りにきたスーパーはくとで席について、車窓から雪の久松山をみてこれでたいへんだった鳥取から帰れる、と感慨にふけっていたけれど、なかなか出ない。上郡で車両故障があって対応中を放送がある。

2/15現在でも調査中とのこと・・・

https://www.chizukyu.co.jp/user/filer_public/58/52/5852e9aa-cea7-4525-8e73-0f8617a6ebdd/zi-liao-ti-gong-20250209che-liang-gu-zhang-4matomeding-zheng.pdf

まわりの外国人旅行者は不安げに翻訳アプリをスピーカーに向けている。2人掛けの席で子と3人でいるので狭い。 2時間遅れて特急券が返金になるかなと思ったけれど、2時間ほど車内で待ったところ改まった放送がかかり、対応のため午前いっぱいの運休が決まる。

すぐに出発しなかった時点で投機的に14:12発の10号を予約していたのは正解だった。それまでさらに時間をつぶす。 e5489、いろいろ不満はあるサービスだけどオンラインで予約できて変更・返金に窓口に並ばなくてよいというのは便利。

3時間ほど時間ができたのでいただきでおいしい味噌ラーメンを食べて、さらに、このできた時間はお墓参りせよとのことだ、と思いついて妻の祖父の眠るお墓にとタクシーに乗る。裏道は途中まで除雪されていたけれど、もうちょっとというところで除雪が途絶え、ここでよいですよ、と言ったものの2mほど強行しスタック・・・。あとで運転手さんに聞くと思ったより車高が低かったとのこと、、

荷物をのせたまま、遥拝できればいいかと境内に入りお参りする。お堂まではきれいに除雪されていたけれど、お墓の方には腰くらいまで雪が積もったままなので予定通りに遥拝。5分ほどで戻ると運転手さんがスコップでがんばっている。なかなか出せず近所の方にも手伝ってもらい、みんなでタイヤ裏の雪をとったり押したり10分ほど格闘してたんとかバックで抜け出しました。焦りました。タクシー代は往復2,000円ほど。妻の母が幼いときこのへんにいたんですよ、というと1952年の鳥取大火の話などをしてくれた。あとで妻の母に話すと、竹藪越しに空が真っ赤になったのを覚えているし、無事だったその住まいとその近所には、焼け出された人たちが間借りにしにきて、ある地域の名士のおめかけさんも来たということを教えてくれたけど、あとで調べるとその名士の娘さんが自分も読んだことのある高名な作家で驚きました。

スタックしたタクシーと寺

そんなこんなでまた鳥取駅に戻って、vie de franceでパンを食べる。ここのコーヒーをかなりおいしく感じてしまった。改めてお土産にとうふちくわも買って定刻通りのスーパーはくとにのる。車両指定の立席特急券も満席とのこと。

途中、田んぼにはまった車や雪原を眺める。岡山も西粟倉はまだ雪が深かったものの上郡までいくと雪はほぼなく雪が幻だったよう。

新快速のたどり着く地、網干の開放的な駅を眺め、明石海峡大橋をみて三ノ宮で新快速に乗り換えて帰ってきました。

なかなかヒリヒリする旅行でした・・・。5歳児は電車のトラブルをわかったのかわからなかったのか、雪で遊んだりしゃべり続けていてまあ楽しそうだったのでよかった。

1月に小豆島・高松・徳島とまわってこんなおもしろい旅行はしばらくできないだろう、と思っていたけれど1か月たたずにおもしろ旅行ができるとは思っていませんでした。次はどうなるでしょう。 dai.hateblo.jp

*1:我々も含まれています

ちょっと物足りないけれど自治体の闇が垣間見える 「過疎ビジネス(横山勲)」

2025年7月集英社新書の「過疎ビジネス」を読みました。著者は東北ローカル氏の河北新報の横山勲さん。

ぬまがさワタリさんのブログで知りました numagasablog.com

ひとことで書くと福島県の小さい自治体でコンサルと企業が企業版ふるさと納税を悪用して儲けていた・・・、という話をローカル紙が暴いた話。 DMMグループの救急車9台を買って、これを近隣自治体に自治体がリースするという謎の事業だったんだけれど、ひとつわからないのは町長側がこれをすすめたがったモチベーション。これがいまいち謎で事件の全貌についてはまだ釈然としなさがある(キックバックでももらっていないと釣り合わない気もするけれど、これは邪推)。

こうした事業に対して議会も住民の監視もあまり動いていないのは残念だけれど小さい自治体だと仕方ないのかなあ。 また、地方創生するぞ、ということでお金や企業版ふるさと納税を整備したものの、市場が成熟し、隙間の少ない現代社会では難しく、逆に、補助金目当ての事業者がきれいなプロポーザルを書く技術を磨くことが競争力になってしまっている倒錯も感じる。

自治体の動き方が垣間見えるのは面白いけれど予算消化インセンティブが微妙であることが根本にありそうな気がする。あと、間違いを認めにくい無謬主義は、訴訟対策だったり、失敗者を過剰に叩くメディア対策でもあるのかもしれないけれど改善につながりにくく難しい。どうするのがよいんだろう。

ただ、広いタイトルのわりに、ワンテーブルがらみの案件群のみしか取り上げられていないことには物足りなさは感じました。 各自治体の案件をどの企業がいつどれくらいとっているか、分野ごとにわかるデータないのかなあ(ほとんどが建設や福祉関係になるだろうからそこから異常値を発見するのは難しそうだけど、公募型プロポーザルに限るとなにかみえるかも?)

あと新聞記者話法もすこし鼻につく。たとえば

そんなのは間違っていると思うのは、私だけだろうか。

とか。

SNSやブログは盛んになって、告発とかもたまにあるけれど、やっぱり社会の木鐸であるオールドメディアの役割はすごい。そして、これからのビジネスモデルが心配ではある・・・。

自治体というのは独特で、入札案件になると一円でも負けたら負けなんですよ。そんなやつと友達にはなりたくないし、仕事はやりたくない。だから君たちは民間に見捨てられて、誰も構ってくれない田舎の自治体なんだと、そういうふうに教育していくわけです。一年か二年か。そうすると、二年くらいリードタイムがあって、仕込みが。そして三年かけて予算化させて、予算化の時に『島田先生』は、『ワンテーブルの島田』になる。入札案件というよりは、プロポーザル案件にさせる。ノリノリなところは随意契約でやるんですが、金額が大きくなるといろんな問題が出てくるから、逆に僕のほうから『やばいからプロポーザルにしよう』って言って。仕様書っていろいろありますけど、町の地方創生交付金の申請書は僕が作っているんです。あれが作れないんですよ、自治体職員は。(中略)
無視されるちっちゃい自治体がいいんですよ。誰も気にしない自治体。誰も手をつけないやつ。でももうかるっていう。過疎債ってあるんですよ。いわゆる(補助率が) 七割引きなんですよ。今回国見町は、都市地域から栄えある過疎地域に指定されたんですよ。ナイス! って俺ら言って。過疎債ばんばん発行できる。インフラ取れるから。ランニングでもうかるわけですよ

悪役すぎる・・・

読書メモ「雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら (東畑 開人) 」

評判だった本を読んでみた。考えてみれば当たり前なんだけど、こころのケアを必要とする人であっても、専門家に頼ることができる時間はきわめて限られていて、家庭でも職場でも、自分のような素人がなんとか一緒にやっていかないといけない。その手引きとして、さまざまな理論と実践を紹介してくれている。

こころのケアに関する理論というのがどれくらい科学的なものかはわからないけれど、こういう切り口でみると現象を説明できる、というようなものなんだろう、と受け止めました。 たとえば、これまで、怒っている人と接すると、自然とこちらも引っ張られて嫌味をいったり挑発してしまいがちだったのだけど、これを、「転移」という理路で説明し、そういうものだということと、PSポジション(paranoid-schizoidの略で、日本語にすると「妄想─分裂」)で人の感情が極端になることがある、ということを知って、ちょっと冷静に受け止めることができるような気がしてきています。

「雨の日」が、精神科医にかかるべき状態なのかどうかの判断はできないままでよいのか、とは気になった。ただ、晴らす方法を書いた本ではなく、身近な人が雨の日に入ってしまいうる現代社会で、それに向き合い続けるための心構えとして有意義なようには思えます。

いくつかメモ

ケアとは何か。一言でズバリ答えましょう。   ケアとは傷つけないことである。 (中略) ケアとはニーズを満たすことである。(中略) ニーズを満たすとはそういうことだと思います。相手が必要としていること、相手の負担になっていることを肩代わりする。  肩代わり。これを次のように言い換えることができます。   ケアとは依存を引き受けることである。

はい。

セラピーとは傷つきと向き合うことである。(中略) ケアがニーズを満たすことだとすると、セラピーではニーズを保留にすることで、変化を狙っています。   セラピーとはニーズを変更することである。(中略) ケアなしでのセラピーは暴力になる  仮病を使う時点で、こころの具合が悪いんですよ。  学校が楽しくて、健やかな気分で過ごしていたら、仮病なんか使わないじゃないですか。うつっぽくなっていて、元気が出ないから、仮病を使うわけです。

ここの加減はむずかしい。

ひきこもるって、一見おとなしく見えるし、あまり破壊的じゃないように思われるかもしれないのだけど、実は非常に攻撃的です。というのも、周りとのつながりを遮断しているからです。(中略) ケアが難しくなるのはこういうときです。なんとかつながろうとしているのに、相手はひきこもってしまっている。関係性がどんどん遮断されていき、こちらのケアしようとする気持ちも冷たく死んでいく。  孤独に触れると、こちらも孤独になります。孤独は連鎖する。そういうとき、ケアは危機に 瀕するし、ケアする人をケアすることが必要になる。  だけどね、タナトスとの出会いは不可避だと思うんです。  孤独になっている人とつながりを作っていくのが雨の日のケアだからです。

しかし遮断していくひとをケアしつづけていくのはむずかしい・・・。これについて本書では、聞く技術として触れられている。徒労感が積もってきて難しいんだけど・・・

「気まずい」と感じていること自体がコミュニケーションです。話しにくいことがある、言葉になりにくいことがある、という不安を伝えているわけです。だから、その不安をぐっと我慢する。何がそんなに不安なんだろうって考えておく。その間に、こころが少しずつ消化されて、言葉になっていく。  沈黙は金。でも、そんなに難しくないから、安い金です。ただしゃべらなきゃいいだけ。それだけで相手の話を、今よりもずっと聞けるようになりますよ。  でも、五分くらい沈黙が続いたら、ちゃんとしゃべりましょうね(笑)。  それはそれでケアです。相手としてはしゃべってもらった方が気が楽なときもありますから。「気まずい沈黙だったね」とか言ってみたりしてもいいかもね。ケース・バイ・ケースなんですよ。雰囲気を見て考えましょう。

はい。

転移とは話をきいてもらっているうちに、相手との人間関係にもともとあった困りごとが再現されてしまう現象のことです。  たとえば、誰かに恋愛相談をしているうちに、その人のことを好きになってしまう。  あるいは、「上司からひどいことされている」と相談をしているうちに、目の前の相談相手からもひどいことをされているような気持ちになる。  僕らの人間関係というものが、過去の繰り返しであるということです。(中略) ちなみに、これの逆バージョンが逆転移です。  患者が治療者に対して抱く感情を転移だとすると、逆転移というのは治療者の側に起きてくる感情の変化です。つまり、ケアする側がいろいろな気持ちになってしまうのが逆転移。  たとえば、冷たいお父さんの話を後輩がしている。そういう話をきいてるうちに、「こいつ勝手なことを言うなぁ」とか「子どもっぽいよなぁ」と、友達に対して冷たい気持ちになってくることがある。あなた自身が冷たいお父さんのようになってしまうわけです。

これはかなりある・・・。

聞く技術と聴く技術の高難易度テク、参考になります。

最後に、聞く技術の中では一番難しいやつを紹介しようと思います。  スルーしたい話ほど勇気を出す。これです。  どういうことかというと、会話してて、「ん?」って思うような一言が挟まることってあるじゃないですか? 話の本筋には影響ないから、そのまま流れていっちゃうんだけど、でも違和感のある言葉がぼそっとつぶやかれることがある。

これはある程度できそうかなあ。

最後に、聴く技術の一番難しいやつを紹介しましょう。  自分たちの関係性について話してみよう。これは最高難易度のプロの技です。  たとえばですよ、恋愛相談を受けているうちに徐々に相手が自分に対して恋愛的な好意を向けていることを感じるようになったら尋ねてみる。 「私のことを好きになってて、困っていない?」  破壊力あるでしょ? 関係が一気に緊迫します。(中略) あるいは、母親の介護をしていて、相手がイライラし始めているのがわかったときに、「俺に怒ってるんだと思うけど、どんなこと考えてるの?」と尋ねてみる。これも緊迫しますね。  なんでもいいんです。好きでも嫌いでも、尊敬でも軽蔑でも、目の前の関係性に宿っている気持ちについて話してみる。

これは勇気がいるけれど使えそう。

あと、語りがうますぎる。 笑ったのは、著者が心理学を学んでいることに対して、

「こころ読めるの?」って聞かれたら、「読めるよ、当たり前じゃん」が正解です。  すると、相手は「じゃあ俺が今考えてること読んでみてよ」みたいな感じでニヤニヤしながら言ってくる。  そこで「今俺がこころ読めないと思って、若干馬鹿にしてるよね」って言ってあげると、「ほんまやん! 心理学やばいわ!」となって、飲み会が盛り上がってくるわけ。

と書いていること。さすがすぎるけど、これツッコミ側もいい。

万博サテライト巡り(小豆島→高松→バンドー→徳島→和歌山)

この1月になかなかおもしろい旅行ができました。 万博にドはまりした妻が和歌山と徳島にサテライト会場のスタンプ*1を押しにいくのに5歳児と一緒についていくことになったのがはじまり。和歌山から徳島へはフェリーが出ているけれど、また同じ道を戻るのは味気ないよなあ、と地図を眺めていると、なんか一周できそうだと思いつき、さらに妻がフェリー時刻表を調べて反時計回りでいったほうがおもしろそうと旅程を組んでいきました。

こんなルート(国土地理院地図に加筆)

深夜のフェリーで小豆島へ

まず神戸港を深夜1時に出るフェリーに乗ります。子がいるので夜の10時ぐらいに着いて、待合所で寝かせながら待ちます。 1990年就航のりつりん2、なんか赤めの絨毯とシャンデリア状の照明や金色の手すりなど、バブル的ゴージャスさを感じますが、最大の特徴はうどんを食べられること。立ち食いですが、子も眠い目をこすりながら食べました。早速うまい。 船内いたるところにうどん食禁止マークがあっておもしろかった(子を抱っこしていたので写真を撮り損ねました)。

なんとか眠りについて、高松で乗降があってから引き返して朝7時に小豆島。すぐ出発するので急いで降りる必要があります。

船からの朝焼け

小豆島の坂手港のさかてらすは2025年4月にオープンしたそうでたいそうきれい。朝焼けけもみえるし、ヤノベケンジさんの躍動する「シップス・キャット」もみれます。キッズルームの絵本は海関連のものばかり、ブリッタ・テッケントラップさんの「なみのむこうに」がよかった。

躍動するシップス・キャット

ジャンボフェリー旅行メモ

  • 神戸三宮フェリーターミナルはポートターミナル駅からはまあまあ離れています。三宮からバスか連絡バスを使うのがおすすめ
  • 子がいたのでタクシーを使いました。運転手さんからは高松行き?と聞かれてすぐわかってくれた。1000円程度
  • 待合室はかなりきれい。ポートタワーもみえます
  • フェリー、プレミアムのびのびという+500円のシートを使いましたがほぼ埋まっている。自由席向けには行列もできていています。旅行するなら早めに予約したほうがよさそうです
  • 常に夜に運航しているフェリーとちがって睡眠環境は悪いです。ブランケットもないし、明るいし、広いから音も多い
  • 旅慣れた方々は毛布やファミリー向けの寝袋を用意していました
  • うどんは2:30まで、あと高松についてからまた再開していました
  • 印象では7割ぐらいの人は高松でおりていきます。今回はそこからそのまま引き返して小豆島の坂手港に7時すぎに着きました

小豆島

港の近くには休日のみ、朝7時半からやっているiineカフェがあって、ここで朝食。なんかスパイシーなカレーがけっこう本格的でおいしかったし、子はピザとちゃぼだんごを食べた。 https://www.instagram.com/iine_cafe/

あと、ここで飲んだまめまめビールの黄緑がかなりよかった。今回はレンタカーではなくバス移動なので夫婦で飲酒できます。こんど小豆島にきたら坂手港からほど近い醸造所にも行きたい。

デジタル大臣とゲームセンター
ここでスタッフの方といろいろお話しでき、旅程を話して高松では一鶴だよね、と妻と意気投合し、徳島の金時豆入りのお好み焼きも教えてもらったりしました。知見を感じる。

妖怪バス

世界で一番狭い海峡や迷路の町とあるように路地が多くてたのしい。妖怪美術館なんかもありました。

路地が楽しい街

途中、かなりいい感じのジェラート屋さんがあって休憩。 リコッタチーズのジェラートが美味しかったし、あとできた常連さんがリコッタチーズを大量に持ち帰っていて当たりっぽかった。 東京とかだと値段倍とかでもありそう。サンカンシオン、おすすめです。

Instagram

エンジェルロードはもう干潮から終わるところで渡れなかったけれど、浜辺でいろいろ貝も拾えてたのしい。海最高。

エンジェルロード、突然観光客が増えて驚きました

近くの、ひしおラーメンも美味しい。

テラス席もあって夏は気持ちよさそう

さらにバスで移動し、おおみねのうどん屋へ。 日も高くなってあたたかく、ぶっかけ冷がおいしい。地元の人がお雑煮で食べるという、あんもちをトッピングできて嬉しい。

ぶっかけ冷 あまりうまく撮れなかった・・・

さらに近くの木場製麺所さんでは、そうめんを乾燥させているところも見学させてもらえて感激。 たいへん感じの良いご夫妻がやっていました。そうめんはその場で注文。まだ、ふしめんしか食べていないけれど美味しい。

そうめんを乾燥させているところ

交通手段と時間が限られていたけれど、小豆島はほんとよい。シーズンオフだったからかの気軽さもいい。またレンタカーで島を巡るか、2泊くらいしたい島。

港のお土産売り場で子がドイツあんで、と言ってみつけた。たしかにドイツ館・・・

高松へのフェリーは1時間ほどのんびり。 ヤドンラッピングと、からかい上手の髙木さんラッピング。かなり髙木さんだったのでファンの方は嬉しいかもしれない。

小豆島旅行メモ

  • バスはまあまあ限られています
  • そして1月とオフシーズンだったけれど、土庄港内のレンタカー屋さんは車が出払っていました。旅行される方は早めに確保するかフェリーに車を積むかしたほうがよいかも
  • サイトの時刻表はわかりやすくて便利 https://www.shodoshima-olive-bus.com/dia/ ICカードも使えます(後述するJR四国や徳島のバスは使えない・・・)
  • 特に、坂手港から土庄港行きではエンジェルロードに近い国際ホテルに行かない止まらないバスがあるのでご注意を
  • ただ、その場合のエンジェルロード最寄りの土庄本町は、世界で一番狭い海峡や迷路の町もみることができて楽しかった。元気があるならうろうろしたするとよさそう
  • いろいろいい感じのカフェがある https://www.town.tonosho.kagawa.jp/kanko/gourmet/1752.html

高松

高松港へ向かうフェリーからは高いビルや観覧車もみえて都会感がある。そしておもしろフェリーがいくつかある。

なおしま

んおめ

ついて早速、妻はいつか高松拠点で島めぐりをしたいとのことであった。 官用船のみ便がある大島青松園も行ってみたい。

琴電で一駅の旅館にいく途中、高松築港駅のホームがお堀すぐそばにあること驚いた。

琴電からお堀を見る
そして、片原町商店街も広くていい感じのお店が多くてうれしい。古めかしくも立派な旅館だった。

電車もカラフル

旅館の夕食でおなかいっぱいになり、前夜のフェリーのつかれもあってすぐ寝てしまった。

翌日はアーケードや三越を通りつつ、11時に骨付鳥一鶴へ向かう。

アーケードも立派だし横にのぞく路地も魅力的

プッチーニの小路、とあるが像にはプッチーニの紹介しかなく、この小道がなんでプッチーニなのかは謎

骨付鳥なら一鶴一択とのことで、妻もかつて来たことがあるそう。 11時開店の5分前にはもう20人近く行列ができていたけれど、なんとか一巡目で入ることができた。おいしい。

親鳥。いい味してる
地元の料理、しょうゆ豆も甘すぎずによかった。ここで苦渋の決断としてとりめしを頼まずにおき、高松駅近くのセルフサービスのうどん、めりけんやで食べた。美味しい。昨日の暖かさとは大違いで寒い。

めりけんやの釜玉

今回は夕食付プランが安かったから選んだし、味もよかったけれど(すきうどんもついていたし)、玉置標本さんの記事にあったようにうどん夕食をさがしてもよかったかも

香川県でさぬきうどんを食べ歩く2泊3日14杯の旅 (1/3) :: デイリーポータルZ

高松駅から特急うずしおに乗って池谷駅(いけのたに)に向かう。

なぜ高松から徳島へのうずしおがあんぱんまん号なのかはわからない

高松旅行メモ

  • 都会なのでだいたい大丈夫
  • 特に徳島方面へはICカードが使えないので注意
  • 日曜休みのお店が多いかもしれない
  • 一鶴でランチをやっているのは土日祝のみとのこと

バンドー(鳴門市大麻町)

徳島市への間でぜひ寄りたかったのは協同組合の始祖、賀川豊彦の記念館。救貧活動や平和運動、教育にもかかわったキリスト者でまあ偉人なのですが、ノーベル文学賞・平和賞の候補にもなったり、ワシントン大聖堂に像があったりとエピソードがすごすぎるわりに知名度が低く、実態をみたいという思い。 ついでにそのすぐ近くにある鳴門市ドイツ館へも訪問する。

ただ、徳島はほぼICカード使えないことに気づかずにうっかり高松駅からICカードで載ってしまったことで(特急はe5489で電子チケットを買っていたし、駅のICカード乗り場で警告がなかった気がした・・・)、さっそく焦る。 ただ、車掌さんに現金精算し、乗車記録をだしてもらうことでいったん事なきを得ました。ICカードをリセットするのは和歌山まで待つ必要があったけれど・・・。

さて、高松駅からはうずしおの止まる駅のなかでは最寄りの池谷駅(いけのたにえき)からバスに乗る。 池谷駅は特急も止まるし高徳線と鳴門線の乗換駅でまあまあ賑わっているかと思いきや、1日の乗降客数は100人台でまあまあ厳しい*2。子は初めてボットン便所を使ったけど、うまく使えてよかった。

珍しい3股歩道橋

1日に5本程度のバスは細い道を抜けて進んでいく。途中、霊山寺というお寺がみえて、看板でお遍路四国88箇所の第1番であることを知る。意外と近い。 賀川豊彦は肉筆や講義を書いた紙なども見ることができてよかった。撮影禁止なのなかのことが外に伝わらなくてもったいない気もする。 大宅壮一が影響を受けて米騒動に加担して中学を退学していたり、神戸のスラムでの運動にも参加するほど親交があったのは知らなかったし、日本農民組合の立ち上げ中心にいたり(その後、急進的な運動が組織内に入って分裂したり・・・)とか農業学校を作ったりとかもしていたのはすごい。

賀川豊彦記念館

すぐ隣には、立派なドイツ館と道の駅がある。

鳴門市ドイツ館
鳴戸では第一次大戦で数百人のドイツ人の捕虜が生活して楽器をてづくりしてコンサートをしたりといったことがあり、50人ほどが帰国せずにバンドーとして愛着を持たれていたようであった。

収容所での生活の様子をうかがえたのはおもしろかったけれど、明るい面ばかりなのは気になった。でも遠足にいったりもしていたそうだし、自分から残っていた人たちもいるしで牧歌的な時代だったのかもしれない。イギリスが日本軍を収容していたアーロン収容所とは大違いだ。

dai.hateblo.jp

謎の小芝居オブジェとか巨大なビアカップとかがあって良かった。コンサートのパンフレットも気合いが入っているし、帰国する船にも印刷機を持ち込んで新聞を印刷していたとかが国民性を感じて笑えた。 気になったのは、本国に帰ることができるとなったあとも残った50人ほどがどうなったのか。調べると別の収容所からはアウグスト・ローマイヤーやカール・ユーハイムといった起業家がでたようだけど、ふつうの人々は太平洋戦争に入っていく異国で幸せに暮らせただろうか。あとは、建物に『第九が日本で初めて演奏された地』とサブタイトルがついているけれど、いろんなコンサートをやってほかに日本が初演のものもあっただろうになぜ第九がフィーチャーされているんだろか。まあ人気か・・・。このとき、地元の人も参加できていたのかどうか、参加できていたとしたらどんな反応だったのかも気になった。 ここも写真撮影禁止でもったいない気がする。

そんでさらにみんな元気だったので、限られたバスに乗らずに霊山寺まで10分歩く。 夕暮れということも相まってかなり雰囲気のあるお寺でよかった。

急に薄暗くなってきた

いい

そして12分ほど坂東駅まで歩く。

GoogleMapに案内される道がよくて嬉しい(妻には白い目で見られた)

坂東駅はなかなかしぶい。トイレがあるけれど、なんか家庭ごみの持ち込み?が続いたからと大便器は閉鎖されていて厳しい。待合室も扉がなく寒い・・・。

夕暮れの坂東駅

次の電車まで40分ということに音を上げてすぐ近くの坂東タクシーさんのチャイムを鳴らして池谷駅へ。鉄路と違って地元のタクシー会社は元気なので、賀川豊彦記念館や霊山寺に行く時も気軽に呼んだらよいと思った。 感じの良いローカルタクシーでした。

そんなこんなで再び池谷駅

夕暮れの池谷駅

鳴門市(大麻町・坂東)旅行メモ

  • 電車とバスは楽しいけれど、タクシーを使ったほうがよいと思う・・・。坂東駅から池谷駅は1,000円程度でした
  • 鳴門市、大塚国際美術館にも行きたかったけれど遠い・・。ほか行きたいところに行くには車が必要

徳島

池谷駅からは普通列車で徳島駅へ。徳島駅でも電車内での現金払い。寒さと暗さであまり記憶がない。 駅では当初の目的のスタンプを押すと、先客が3名いてまだ万博は終わっていなかったのか、と思ってしまった。不適切なたとえだけれど、戦場の熱狂を忘れられない兵士が次の戦場を求めてしまう、みたいなことを連想した(もっとよい例えないだろうか)。

ネットで評判のよいお店はとてもはいれないなかで駅近の「酒と飯のひら井」さんを店構えで選んだのはかなりよい判断であった。 地酒も、ゆず塩ぶりや、釜揚げ半田そうめんもおいしい。1人や夫婦なら高くて美味しいお店はあるかもだけど、子連れで入りやすい居酒屋でした。

ちなみに、徳島のお好み焼きは金時豆が入っているというのを聞いて行きたかったけれど、日曜休みの個人経営っぽいお店が多そうでした(子連れ旅行ではお好み焼きも入りやすくて好き)。

ホテル、安かったのにかなりいい部屋だった。自分と子は疲れもあってお風呂に入って寝てしまったけれど、妻は24時に徳島ラーメン東大の本店に行っていて元気すぎる。お酒にはあまり合わないラーメンだったらしい。

兵庫ローカル放送局のサンテレビで朝から美味しんぼをやっていて子が見入っている。この前はじゃりン子チエだったらしいし、どうなってるんだろう。 美味しんぼはトップクラスに暴力的な回だったが・・・

スパイスの秘密

朝は商店街を歩いていく。徳島、川に囲まれていて水の町。吉野川の三角州で中州はひょうたん島と呼ばれているらしい。 かなり冷えていて、京都でも最近は見ないほど池が凍っていて子は氷を割って遊んでいた。 祝日の朝でお店はしまっていたけれど、アーケードは広々している。

クリスマスからそのまま正月に転用したと思しきイルミネーション

いかりや珈琲店に行きたかったが時間の都合であきらめて徳島フェリーターミナルへ。 謎の萌えキャラがいたり食堂は閉鎖されていて、今回の旅行で一番さみしい港だった(これは和歌山フェリーターミナルで塗り替えられます)。

好きっぷという、ふつうのフェリーチケット2500円のところ、同じ料金で和歌山港駅から南海のどこの駅までも乗れるというチケットを買う。料金設定あってるんだろうか・・・。

徳島旅行メモ

  • 都市なので困ることはあまりない
  • バスの数は多いけれどICカード使えないので要注意
  • QRコードでバス料金を払うアプリがあるっぽい
  • 繁華街もまあまあ広がっていて徳島駅からはバスを使うのが便利かも

和歌山

フェリーかつらぎで和歌山への2時間。まあまあ渋い船内。ビールの自販機もあって便利。淡路島がみえたり楽しいです。

寒いので外にいるのは飲酒している妻だけだった。奥の階段は展望デッキへ行けるとのことだったが閉鎖されていた

ご当地キャラの高野きららさんは2011年にできたらしい*3。なんかゼロ年代かと思ってしまったけれどそんなものか。

高野きららさんとクレーンゲーム

フェリーの本棚が古くて渋い。

好きっぷを活用するために、和歌山港駅からは電車に乗らずに、バスでJR和歌山駅までいきます。

みその商店街はかなりいい。抜けて和歌山ラーメンの井出商店まで歩く。

豚骨美味しい。 さらにここは寿司が有名らしく、早すしという鯖寿司と巻きずしを食べる。持ち帰りで巻きずしを頼んだつもりが帰り道あけると早すしだった。。。

早すしと巻すし
巻きずし素朴でたいへんよかった。古く狭いお店ながら子連れも多く居心地よかった。

そしてタクシーでわかやま歴史館に行く。GOですぐタクシーを呼ぶことができて都会でした。

手裏剣を無料で投げさせてくれます。 和歌山、そんな忍者文化あったっけ、城だから?

子が投げた手裏剣を回収する忍者

スタンプも押せました。 ナショナルの初代製品や、川端龍子のカラフルすごろく、南方熊楠のマインドマップ的メモ(複製)をみることができてうれしい。

和歌山市駅の近くは開放感があった
そんで特急サザンに乗って帰る。海が見えて嬉しい。

和歌山旅行メモ

まとめ

そんなこんなで行ったことのない県庁所在地3か所を通って楽しい旅行でした。 うどん、そうめん、ラーメンと麺ばかり食べた気がする。 それぞれじっくり過ごしたい街でした。次は鳥取です。年始からとばしています。

*1:京都、滋賀、奈良、兵庫、和歌山にくわえて、三重、徳島、福井にスタンプが設置されています

*2:https://opendata-web.site/station/36/map/?s=2644&lat=34.152925&lon=134.528685

*3:https://www.kaijipress.com/news/old/2011/06/137187/

「BIG THINGS どデカいことを成し遂げたヤツらはなにをしたのか?」読んだ

高速鉄道や巨大建築物といった大きなプロジェクトは、成功するものもあるけれど失敗するほうが多い。 それはなぜか、という問いに経済地理学者で、オックスフォード大学やコペンハーゲンIT大学で教えているプロジェクトマネジメントの研究者が答えた本*1。

巨大プロジェクトの失敗率を調べて失敗と成功の差を調べていておもしろい。地下鉄や巨大建築物を念頭に置いた知見が多いけれどそう巨大ではないプロジェクトでも役立ちそう。

ノウハウとして、ピクサーの映画撮影では、脚本をつくってから簡単な絵コンテで通してつくってスタッフで声もあてて内部で通してみてからシナリオを修正するというループをたくさんまわすことで、実制作の手戻りを避けているとか、ビルバオ・グッゲンハイム美術館をつくったフランク・ゲーリーは設計を3D CADでつくって試行錯誤・検証してから建築を開始することで施工中のトラブルをなくすという本書では「しっかり計画する、そして素早く実行する」と表現しており、これを映画でも建築でも使われている。そうしないことで、あいまいな計画をもとにすぐに着手してしまい失敗したのはシドニー・オペラハウスがある。

そして、プロジェクトの失敗率の高さと、失敗時の損失の大きさ(ファット・テールと表現していた)はやっぱり大きい。システム開発プロジェクトを見慣れていると、よくあるよね、と思っていてもやっぱりたいへん。国家プロジェクトでは見積もりを小さく見せたい政府の意向で失敗率もさらに増えてしまうという問題もある。

本書 p271 より引用

中でもITプロジェクトのリスクの高さは、ほかのプロジェクトと比べることで改めて驚かされる。巨大な建築物や航空宇宙プロジェクトにも匹敵しているのは衝撃的。

この本ではITプロジェクトについてはあまり深堀りされていないけれど、スタートアップについてはエリック・リースの「リーン・スタートアップ」をひいて計画の重要さにふれている。最終成果物がみえないなかで、実験し学習しながら探索的にプロダクトをつくっていくというのも広義の計画だという。生成AIで開発自体がはやくなっている現在、より重要かもしれない。

エリック・リースは、スタートアップの置かれている環境が「とてつもなく不確実」なため、開発したプロダクトが市場に受け入れられるかどうかを事前に知ることは不可能だと指摘する。 「顧客がほしいと口で言うものや、ほしがると私たちが考えるものではなく、彼らが本当に求めているものが何なのかを学ぶ必要がある」と彼は書いている。そしてそれを知るためには、「実験」をするしかない。

そして、これは、シリコンバレー的プロジェクトだけではなく、アポロ計画のような巨大プロジェクトで、ロケットを周回軌道にのせる、乗組員が月着陸船に移動する、着陸船と母船をドッキングする、といったステップをひとつひとつ検証したことと通じているという。

ほか、おもしろエピソードとして、イギリスで高速鉄道をひく巨大プロジェクトHS2のコンサルタントとなった著者がいくつかのリスクを洗い出した結果、工事中に歴史的遺物がでてしまい計画が遅れることの対策として、事前に専門の考古学者全員と顧問契約を結び即対応できるようにするというのがよかった。安くはないけれど、プロジェクトを中断するコストに比べればずっと安くすみ理に適っていたという。そしてイギリス史上最大級の考古学プログラムとして大々的に宣伝し、イメージアップを実現したという。

読んでいての疑問としては、知見も少なかっただろうなかでの東海道新幹線や東京タワーといった、高度経済成長期の巨大プロジェクトはなぜうまくいったのか、というものがある。もめがちな土地確保リスクが少ないとか、環境リスクアセスメントをまったく気にしていなかったとかはあるだろうし、黒部ダムのように今より命が安かったというもあるかもしれない。満州や戦争で経験を積んでいた技術者が多かったこととかもあるだろうか?

最近だと、中央リニアや北陸新幹線延伸はかなり厳しそう。これはプロジェクトマネジメントというよりも、土地制約のなかでの地中掘削の限界とも感じるし、この本のノウハウがあったとしてもどうあるべきだったかはわからない。いっぽう、大阪関西万博は、なんとかかろうじて間に合って結果的にある程度は成功したけれど、開催にこぎつけるまでのプロジェクトマネジメントがどうだったのかは知りたい(まあ訴訟リスクなどもあるだろうので公開されることはしばらくはないかもしれないけれど)。

最後、巻末にあった11のコツを引用する

1「マスタービルダー」を雇おう

マスタービルダーとは、中世ヨーロッパの大聖堂を建設した熟練した棟梁に与えられた称号とのこと。これが一番重要とのこと。経験には価値がある。 しかし人はどうマスタービルダーになるのだろう。マスタービルダーのもとで経験を積むのがよいのだろうけれど、そういう観点で職場を選ぶのはよいかもしれない。

2「よいチーム」を用意しよう

マスタービルダーと一緒に仕事をしてきたチームが一番とのこと。それはそうなんだけど・・・

3「なぜ?」を考えよう

プロジェクトの目的を明確にする。新技術の検証なのか、既存資産の利用なのか、そうではなくて顧客の体験なのか。手段にこだわるとつらいプロジェクトになるというのはわかる。

4「レゴ」を使ってつくろう

モジュール化し分割することでリスクを減らせる。ヒースローのターミナル5や、中国のコロナ病棟など。

クルミドコーヒーの影山さんの「ゆっくり、いそげ」を連想した。かなりいい本だと思ったけど内容全く覚えていない・・・、また読み返そう。

5 ゆっくり考え、すばやく動こう

計画時点で試行錯誤し、実行は早く。実行が長いとそれだけリスクにさらされるとのこと。ただ、これはそれはそうだけど、だれもゆっくり実行しようとは思っていないのでは・・と思った。

6「外の情報」を取り入れよう

みな、自身のプロジェクトをユニークだとは思うけれど、近いプロジェクトはあるはずでそれにかかったコストを調べることで見積もりの精度はあがる、ということ。 しかし内製するITプロジェクトで費用や期間を集計するのはたいへんだ・・・。

7「リスク」に目を向けよう

はい

8「ノー」と言って手を引こう

ITプロジェクトマネジメントの重要な方法論。

9「友好な関係」を築こう

問題が起きていないうちから関係者たちとリレーションをつくっておくことで、いざというときに助けてもらう

10「地球」をプロジェクトに組み込もう

はい

11 最大のリスクは「あなた」

楽観主義と自信過剰に注意しなければ・・・

プロジェクトマネジメント本としては大昔にNASAの本を読んだのもおもいだした。 巨大プロジェクトを常勝させる組織力・人間力・技術力を身につけたいものです(しかし巨大プロジェクトは心身に悪い・・・)

dai.hateblo.jp

*1:著者肩書の 「オックスフォード大学第一BT教授・学科長、コペンハーゲンIT大学ヴィルム・カン・ラスムセン教授・学科長」というのどちらもよくわからなかったけど調べてみるとどちらも寄付講座のことのようだった