ぜぜ日記

ブログです

広島・宮島・呉。島めぐり

先日、YAPCというイベントに参加するために広島に出かけてきた。YAPC自体についてはこちらに書いたので省略しつつ、会期終了後に妻と3歳児とうろうろ旅行した話を書いてみます。

dai.hateblo.jp

YAPCが広島で開催されると知って、しばらく家庭Googleカレンダーに入れたまま放置していたところ、年始ごろに妻から広島行くの?勉強会ぜひいきなよ、そして一緒に行きたい!と後押ししてもらっていたのもあって家族旅行になった。自分は前夜祭に参加するため午後休をとって少し先行し、妻と3歳の子どもとは1日目の夜に合流して、YAPC終了後は妻のライフワークだという島めぐりをしてきた。

広島で平和記念資料館以外にどこに行くべきかはあまりアイデアがなかったので、身近な広島大出身者2名(どちらも超優秀です)に事前に広島観光おすすめスポットを聞くと、ひとりは東広島市しかわからないんで・・・とのことでもう一人は宮島の自動紅葉焼き製造マシンとのことだった。 GoogleMapを眺めていると、かねてから知っていた大崎上島の中原観光農園さん( https://organicfarm-nakahara.com/ )をみつけ、1-3月も「なんでも狩り」をやっているとホームページに書いていたので電話してみたけれど、この時期は寒くてやってないそう。秋がおすすめだということなので今後の宿題。妻も地図とにらめっこして、呉で泊まってレンタカー借りるのがよいのではと計画をつけてくれて、JRのレール&レンタカーで予約した。乗車券が1割安くなってちょっとお得。

そんなこんなで宿とレンタカーだけ抑えて行先は曖昧なまま出発しました。

広島市

山陽新幹線で通り過ぎたことはあったけれど広島に降りるのはじつははじめて。前乗りしている友人にTwitter(現X)で声をかけへんくつやというお店にいってきた。駅から路面電車でも行けそうだけれどバスが早いようだったので20分ほどバスに乗ったけれど、えんえんと都会のビル街が続いていて思っていた以上の都会を感じる。自分にとっての最寄り都会の京都は建物が小さい分そう感じるのかもしれない。分岐する路面電車や歩道の広い目抜き通りや巨大なブックオフを眺める。

大都会を感じる

へんくつやは17時半ごろでピークタイム前ということもあってか、左右のテーブルともに子連れでおおらかな雰囲気。片方の目算10ヵ月ごろの子どもはしばしば泣いていたけれど誰も気にしない。のちに、お好み焼きのお店は5つほどのれんをくぐったけれど(うち4つは満席で入れなかった)、どこも大阪・京都の個人経営のお好み焼き屋よりこじんまりとしていて、かつ地域の社交場になっているような雰囲気でおもしろい。

このへんくつやで食べた「名物焼き」はクリスピーな食感がおもしろく一番おいしかった。イカ天がいい仕事をしていそう。

へんくつやの名物焼き(手前)

前夜祭終了後は広島駅まで戻って妻と合流。広島駅のケータイの電波の入りにくさは通勤時間の京都駅よりもひどく連絡がつかずやきもきした。駅のスーパーでお酒やお惣菜を買っておく(いくつかおもしろいものがあった気がしたけれど、3歳児を追いかけるのに必死で記憶がない)。

翌日、YAPC当日には朝食にはアンデルセン広島。全国チェーンのパン屋さんだけれど、本店では立派なカフェレストランがある。本店でレストランもやっているのは、京都西京極の小川珈琲さん本店を連想する。子どももフレンチトーストとフルーツをもりもり食べていた。パンもなかなかおいしかった。

アンデルセン店内のおもちゃの兵隊。童話作家か、とある神父かどちらを連想するでしょうか

自分がYAPCに参加しているあいだ、妻は広島港から似島(にのしま)にいっていたそう。なんか釣り好きの大人びた少女と出会ったりいろいろおもしろかったそうです。第一次大戦後に捕虜としてつれてこられたユーハイムによって、日本で最初にバウムクーヘンが焼かれた地らしく、バウムクーヘンのお土産を買っていた(製造は千葉県船橋市のポニー製菓さんだったが)

広島、路面電車やバスも発達していて枝分かれした太田川が風通しをよくしていて気持ちよい街だった。知らない人は原爆が落とされた街とは気付かないだろうけれど、ところどころ痕跡が残されている。空前絶後の悲惨さと、再建した人々の力強さを感じる。

ホテルからの眺め。奥の山が似島の安芸小富士
ホテルからの眺め。奥の山が似島安芸小富士
転出超過で人口が減っているのは産業構造の変化なんだろうか。円安もあるし造船産業また元気になっていかないかな。

宮島(厳島

YAPCが終わった日曜日。ホテルのビュッフェで朝食をとって電車で広島港にいく。がんすと酒鍋がおいしかった。広島港は自動販売機で切符を買った後に受け付けで整理券をもらう不思議な形式。古い売店や喫茶店のほか中華とかインド料理とかあって多国籍な雰囲気だった。

ビリケンさんがいた

桟橋はゲートもないしタクシーもはいっているしオイル缶も積まれていて気楽な雰囲気。広島港から宮島へは、乗車率50%くらいかな、と気楽にしていたけれど、出発してすぐ到着したプリンスホテル港からどっさり乗ってきた。港すぐのプリンスホテルは夏とかは気持ちよさそうだけれど宮島に行く以外どう過ごすんだろうか。

フェリーはあまり揺れずにすぐ宮島へ。宮島、はじめは静かなところかと思ったけれど宮島口と10分間隔で往復しているフェリーの乗船場である建物までいくと人がひっきりなしに吐き出されていて驚く。なんとかコインロッカーに荷物を預けて出発。どんどん人が増えてくるし、厳島神社がまだみえないところでも参拝の行列が続いていたので、早々と参拝をあきらめて水上の大鳥居をバックに写真を撮る。今回、三脚をもってきていたけれどここでしか使わなかった。トラベル三脚便利。そのへんに鹿がいて子が自然に触ろうとしていたので止めたりした。

厳島神社の大鳥居

帰りに宮島のお店の並ぶ通りを通ると近年みたことのないほど、危険を感じるほどの人がいてびっくりした。それもほぼ日本人。宮島、こんなにホットな観光地なのかと驚く。どこの飲食店もにぎわっている様子だし10分毎のフェリーもどれも満員でシステマティックにさばかれている。

ほうほうのていで宮島口まで戻ったけれど、島での混雑のわりに宮島口駅や電車はすいていたのでみんな車できていたのかもしれない。宮島口駅から広島駅まで出て乗り換えて呉駅へ。海沿いの工場がいろいろ目につく。

呉市

呉。ややどんよりした天気。ホテルにチェックインして荷物を預けて商店街をうろうろする。ここの商店街はかなりユニークで、アーケードが広いし自転車や原付がとめられているし、テーブルやベンチも多い。土地にゆとりがあるからできるのだろうけれど、町の人も出やすくてゆっくりしやすそう。ほかの地方で商店街がさびれていくのを嘆くとき、まず無料の駐輪場をおいてみるのはありだと思った(もちろん放置自転車の撤去とか気にするコストはあるけれど)。あと清潔な公衆トイレも。

呉の商店街

古いお店もありつつ、新しいこじゃれたお店もあっていい商店街。雀荘、光倶楽部とか喫茶レイとか。

光クラブ事件を元にしているんだよね・・・

きらきらしたショーウィンドウに惹かれてきたらコーヒー屋さんだった。

山乃家
山乃家。すしは売り切れていたが細うどんは美味

お魚屋さんでちぬのこぶ締めを買ったけれどこれがおいしかった。

くれオイスターランドという不思議なお店で牡蠣を食べた。漁師がやっているそうで、店員さんが素朴であまり飲食店勤務経験なさそうな印象。子は牡蠣は食べなかったけれど牡蠣ごはんはもりもり食べていました。なかなかよい。

バケツはわりと上げ底だった

呉の牡蠣生産者が直営するカキ牡蠣小屋「くれオイスターランド」 | 呉産かき振興協議会

そしてからお好み焼き。れんが亭というお姉さん方がやっていて気軽な雰囲気でよかった。いい街だった。

倉橋島・鹿島・江田島

翌朝は快晴。山もみえる。「この世界の片隅に」のすずさんの家が山のほうにあるそうだけれど、地図をみると狭く、バスで行くことをおすすめされていたので断念して喫茶レストでモーニングを食べてから島へ。

すずさんちはあの山の中腹かな。眺めがよさそう

海上自衛隊の艦船や工場を眺めて倉橋島

ぬっと工場がでてきて迫力がある
工場が多く見慣れぬ景色を走る。ちなみに運転は内燃機関大好きな妻が全部してくれました。感謝。

白い幕に覆われたようにみえる島があって、なんだろうと思ったら塩が山積みされているようだった。

工業用岩塩におおわれたみつこじま
工業用岩塩におおわれた三子島

ちょっと集落に入ったり、先端の港までいってみたりしてから戻る。

海沿いにぽつぽつある小さな港町はどれも個性がある

お昼はお食事処かず。入口が2つあって右が魚系の定食、左は喫茶店というおもむきだけれど、どちらでも同じものを出しているというつくり。

ここの刺身定食・すし定食がなかなかよかった。カンパチのあぶり、梅と大葉の細巻きが好み。子はオムライスを半分。豚肉が入っていておいしい。

お食事処かずのすし定食。うどんがついている。出汁がよかった。
お食事処かずのすし定食。うどんがついている。出汁がよかった。

あとでシマダスを調べると、郷土料理に、鯛ソーメンと小イワシのシソ巻き揚げがあって気になる。

とってかえって江田島へ。豆の駅という、豆腐屋さんが繁盛していたり、江田島オリーブファクトリーがよかった。おみやげをいくつか購入。国産のオリーブオイルはいいお値段(収穫・選別の人件費かなあ・・・)。牡蠣イカダのようなものもめについておもしろい。

妻に撮りたまえ、と指示された看板

とびしま街道

高専を見物し、とびしま海道へ。下蒲刈島上蒲刈島、豊島、大崎下島、平良島、中ノ島を渡って岡村島思ったよりも近い。採石場が多かったり、変わった岩が露出していて不思議な雰囲気。海沿いを走って橋を渡って島をめぐる。

町と海と島が近い

最後には、愛媛県岡村島。時間の都合で岡村島一周は断念するけれど、海をみると潮の流れがみえるようで、ほんと水の道、水道だったんだなと実感する。

人待瀬戸展望台からの眺め
人待瀬戸展望台からの眺め

戻って大崎下島の小長港のお土産売り場へ。daidai cafe は冬季休業(みかんの仕事が忙しく、客も少ないのかも)。明石までのフェリーが1日10便あってびっくりしたけれど、これは兵庫の明石ではなく、大崎上島の明石だという。こんどはこの航路も使いたい。

感じの良い店員さんのいた売店でみかんジュースを2つ買う。 石積みみかんジュースと、大長(おおちょう)みかんジュース。石積みみかんは甘く、大長みかんジュースは酸味がみかんらしくて好き。3歳児も大事そうに飲んでいた。

右が大長みかん、左が石積みみかんジュース
友人が通っていた三角島(みかど、と読むけれどみなさんかくさんかく呼んでいた)を眺める。
豊島から眺める三角島
豊島から眺める三角島

上蒲刈島の、であいの館という道の駅のような直売所でまたお土産。藻塩煎餅がおいしかった。なぜか中国産のクワガタがいくつも売られていて3歳児はこの日一番興奮していました。

そして帰路。夕方の海岸線、呉を走る。

暴走族追放の町
たいへんな時代もあったんだろう

パーラー大学
大学に行く、と言っておいてパチンコにいくなどできそう

呉駅で能年玲奈さんも訪れたという森田食堂でごはんを食べてる。お惣菜を冷蔵庫から選ぶスタイルで、湯豆腐とか牛肉スープもおいしかった。田舎そばはぼちぼち。

森田食堂店内
森田食堂店内。プラ板があって反射している。

日本共産党の主張にも地域色があっておもしろい。台湾有事が発生したらどうなるだろうか・・・

子もおおむねご機嫌でいい旅でした。ちょっとせわしなかったのでまた来たい。とびしま海道どこかで民宿に泊まれるとよささそう。

島沿いをドライブするという旅行だったけれど、普段と全然違う雰囲気の町や地域に触れることができておもしろかった。ちなみに保育園で、宮崎の動物園にいってきたと話したそう。宮島の鹿を動物園だと思ったのだろうか・・・。自分が実家にいたころは県外への家族旅行は2回しか記憶にない分、子どもが旅行すること

次回、5月に沖縄で開催されるrubykaigiに妻が強い関心を持っているのでまた出費することになりそう。シマダスを眺めていろいろ思案している(今回の広島旅行でも事前にめくっておけばよかった)。

シマダス
以前、妻への誕生日プレゼントに買ったシマダス。行ったところに付箋が貼ってある。色によって意味が違うらしい

YAPC::Hiroshima 2024参加してきた

原爆ドーム YAPC(みな、やっぷしーと発音していた)とは、Yet Another Perl Conference というプログラミング言語 Perl を軸に世界的に開催されているカンファレンスです。近年ではその日本版毎年各地で開催されており、Perl に限らず Web を中心とするソフトウェア開発にまつわるもろもろを発表したり交流したりするおおらかなおもしろイベントです。じつは、住んでいるところから遠いところのカンファレンスには今回初めての参加でした。ほんと楽しかったし学びがあってやりたいことも整理できた。

YAPC::Hiroshima 2024

特に印象深かったのは LayerX CTOの松本勇気さんの「経営・意思・エンジニアリング」、ソフトウェア的思考は経営に生きるということ、事業の設計とは解くべき課題とその解決策を経済的に持続する形で実現することだという整理からはじまり、システム監視と経営管理、事業の不確実さに向き合うことはSREと通ずるというアナロジーも示唆深かった。新規事業の不確実性について、関連する法律・複雑な商習慣のなかでどうするかということを質問させていただき、エンジニアがその領域にディープダイブすると答えてくださりよかった。不動産証券なんたらや簿記などもっているエンジニアも多いそう。すごいぜ。

意思は言語化して強くするということや、短期的成果への重力に抗う原動力はミッション・ビジョンしかないということ、負債の返済について、決まった考えは仕方ない、誰が提案するかが重要というのもほんとうにそう。

アジャイル開発のノウハウで組織を動かすという点ではこの記事も連想した。こういう役立つ状況があってほしくはなかったけれど・・・ ウクライナ軍に入隊したアジャイルコーチが、さまざまなメソッドを駆使して中隊長としてのリーダーシップを実現した話(前編) - Publickey

speakerdeck.com

ほか、nishimotzさんの「What You Like May Not Be for Someone オープンソースアクセシビリティ」もよかった。環境改善のためにOSSをつくって政府の委員会にも呼ばれていてすごい。視覚障害者からの需要に比して、NVDAなどスクリーンリーダーが対応難しいかという質問をしたけれど、この答えは、健常者が使っているものであればなんでもという答えであって自分の不明を恥じました。

naoyaさんの関数型プログラミングについて、会場から、RDBとの境界はどうするべきか、というたいへん鋭い質問があり、これにはDDDでいうリポジトリパターンが境界になるのでは、という答えがあった。DDDも関数型ももうちょっと理解を深めたい。

speakerdeck.com

t_wadaさんの変更容易性と理解容易性を支える自動テストの回もよかった。largeなテストを減らしてピラミッド型にすべき、とのこと。 最近自分が経験した、システム間連携の不具合(さりげない変更が実は対向システムにも影響があった)問題は、どう防ぐべきだったかを考えると、モックで仕様を明確にしておくべきか、複数サーバのテストを書いておくべきだったかは悩ましい。

キーノートには、とほほのWWW入門で知られる、伝説のとほほさん。さらっとすごいことをしていたり、プログラミングや執筆をつづけていくモチベーションを知ることができた。好きを続けることが価値をつくっている。 とほほのWWW入門

聞けなかったセッションでもおもしろそうなのはいくつかあるけれど、また公開するそうなので楽しみ。 YoutubeLiveも無料で公開していたというのも本当にすごいし、Twitter上ではオンライン参加者のコメントもおもしろかった。

無料でもセッション自体は聞けるけれど、1万円と安くない料金の価値はあるかというと間違いなくある(付け加えておくと、スポンサーによる学生向けの参加費支援もあった)。オフラインカンファレンスのおもしろさとして、人が集まっていて偶発的なコミュニケーションや出会いが生まれることがある。たとえば、今回Twitterで友人に前夜祭前にごはん行きません?と誘うと、たまたまそれをみていた別の方も乗ってくださり3人で飲みに行ったり、ほか、懇親会では初参加の大学生ともしゃべることができたり、知り合いに別の方を紹介してもらえて話が広がってほんと楽しかった。こういうオフラインの場でのつながりおもしろい。 懇親会では見たことないほどの巨大舟盛りをみたり、揚げもみじを食べたり dankogai さんと2ショットを撮ってもらったりできた。 巨大な舟盛り

スタッフ・登壇者・スポンサーのみなさま、ほんとありがとうございます。 スポンサーブースではtimeeさんのキャラクタをもらったんですが、同行した3歳児がキイロちゃんと呼んでいたく気に入っていました。ありがとうございます。fastlyさんのくじでもらったUSBケーブルもたいへん助かりました。 YAPC::Hiroshima スポンサー

こういう、ボトムアップなコミュニティが運営しているイベントが毎回アップデートされて続いているのは本当にすごい(自分が関わっていたひとつは継続につまづいている・・・)。メインホールの司会をしていたpastakさんがブログに書いているように、まだまだなにかできる余地がありそう。 YAPC::Hiroshima 2024でコアスタッフをやってオリジナルビールを振る舞ったりしました / ハレの場としてのYAPCについて - ぱすたけ日記

ちなみに今回は妻と3歳の子も同行していました。YAPC当日はアンデルセン本店のカフェで朝ごはんを一緒に食べて、翌日以降は広島観光もできてなかなかおもしろかった。詳しくは別に書こうと思うけれど、船と島が大好きの妻は、YAPC当日にはフェリーで似島にいったり、翌日からは一緒に島めぐりをました。なんとか一行にまとめると、まず日曜日は広島港から宮島にいって、宮島口から呉に電車でもどり、月曜にはレンタカーを借りて呉から倉橋島、鹿島、江田島と走り、また呉に戻ってとびしま海道下蒲刈島上蒲刈島、豊島、大崎下島平羅島、中ノ島、愛媛の岡村島までいって帰ってきた。高速に移動しつつも、おいしいもの食べてたくさん見物できて3歳児もご機嫌でよかった。こういうついで観光できるのもカンファレンス現地参加の楽しさかも(YAYAPCという非公開アフターイベントもたいへん盛り上がっていそうでしたが)

5月のrubykaigi沖縄、行こうかなあ(ハードルを感じている自分よりも妻のほうが乗り気)

rubykaigi.org

早期教育には消極的という話

子の教育環境を求めて何度も引っ越したという孟子の母の逸話があったり、学んだことは誰も奪うことができない、というような意味の格言は世界中にあるし、学ぶことは大事だ、という価値観はそこそこ一般的だと思う。それでも、うちの3歳児には早期教育をあまりしなくていいのではないか・・・と思っている。特に想定しているのは、小学校で座学で学ぶようなもの。

大きな理由は、先取り教育をして、小学校低学年で授業で、すでに知っていることを聞くのは退屈で、授業を軽視して逆に学習習慣がつかないのではないか、というのと、同級生より知っていることでまわりを見下す人間になってほしくないから。

早期教育によって、未就学児のうちから学習習慣をつけたい、とか、能力を育てたいという意図はわからなくはないけれど、単なる学習アプリで先取りすることは安直なのではないか。

音楽なんかについては人々の経験的に未就学児から学ぶとよいとされているし、あまり反対する理由はない。世界が違いすぎるけれど小学校受験とかする場合は知らないです。とはいえ、強く反対しているわけではなく、習いごとにいっている間は親が楽できるとか、ずっと動画にかじりついているのをやめさせたいという理由なら前向き。

英語はできるようになるに越したことはないけれど業者のステマだらけで判断しにくい。 信頼できる情報のひとつとして、日本言語学会166回大会 公開シンポジウム「言語学から見た子どもの英語習得」はたいへんおもしろかった。

www.youtube.com

早ければ早いほうがいいというわけではない、ということと長い接触時間の確保が重要、さらに、早くから触れたほうが、最終的な到達点は高くなる可能性はある、とのことであったので時間を確保しやすい環境ならいいんじゃないでしょうか。

もちろん時代や子の特性、環境、親の財力によって変わるため正解はないし、うちの今のところの方針でしかない(将来意見が変わるかもしれない)。違うご意見をお持ちの方もいると思うし、なにか実体験とかおもしろエビデンスあれば教えてください。

「美食地質学」入門~和食と日本列島の素敵な関係~ (2011, 巽好幸) 、日本列島の成り立ちと食。

マグマ学者でグルメ野郎でもある巽好幸先生の書いた本。大陸運動という大きな力と、それによって日本列島がどう成り立ったか、そしてこれが日本の食文化にどう影響しているか書かれている。知らないことも多くおもしろかった。ただ、瀬戸内海の海苔の色落ちイカナゴの不漁の要因を貧栄養価と言い切っていてこのあたりは少し不安ではあるけれど・・・。

特に、この2024年元旦に大地震が発生した能登半島がどう形成されたかも書かれていて驚いた。なんでも、能登半島周辺に存在していた断層が、大陸と本州に挟まれ逆断層として活動するようになり断裂帯に挟まれていた能登半島が隆起し始めたという。地震のメカニズムと、これまでの日本がぞう構成されたかからつながっていることを感じる。

また、海溝型巨大地震によって、沈降域と隆起域がある仕組みについてもしることができた(図なしでうまく説明できるほど咀嚼はできていないが・・・)

気になったところメモ

いくつかおもしろかった話を抜き書きする。

まずは、300万年前にフィリピン海プレートの進行方向が変わり中央構造線が動いたことで西日本の地盤に大きなしわをつくり、瀬戸内海は、狭い瀬戸と広い灘が規則的に続くようになって、これによって潮流が速くなり砂地に酸素がいきわたり甲殻類が育ち、それを食べる鯛も育ったという。瀬戸内海のアナゴの漁獲高減少などは河川の環境悪化や藻場など成長過程の環境などもっと論点はあるとは思うけれど、その基礎として興味深い。

また、ブイヨンをつくるときはカルシウムを多く含む水を使った方がより清浄になるということ。いっぽうで肉料理には不向きな軟水は和食出汁の基本の一つである昆布の旨味成分グルタミン酸を効果的に抽出できるという。ヨーロッパの水の多くがカルシウム豊富な硬水だけれど、欧米のレシピを日本で再現しても同じではないし、ラーメン屋の海外進出もいろいろ工夫があるんだろう。

そして、これら水の違いの原因は、日本列島には石灰質の地盤が少なく、そして何より山国で急峻な地形が多い島国であるために、流れ下る水にカルシウムやマグネシウムが溶け込む暇がなかったからという。

日本列島で火山活動を起こすマグマは、地下数十 ㎞ の深さで発生するのだが、このマグマが地表に達して火山となるのはほんの一部、おおよそ1~2割でしかない。ほとんどのマグマは火山の下で固まってしまうのだ。その結果、マグマ活動が続くと地殻は厚くなってゆく。地殻はその下にある流動性に富む「マントル」に比べると軽い物質からなっているので、あたかも水に浮いた木片のような状態にある。(中略)変動帯・日本列島では、海溝からプレートが沈み込むことによってマグマが発生して火山が密集している。マグマが地下で固まることで地盤が厚くなり、これにプレートからの強い圧縮が相まって、日本列島は山国となっている。そのために河川は急流となり、地盤中のカルシウムやマグネシウムを溶かし込む時間がないために軟水の国となった。

と、日本列島形成までさかのぼる。これによって、ほかにも豆腐発祥の地である中国と日本では豆腐の製造方法が違うことにもつながるそう。

まず大豆を水につけて柔らかくした上で細かく砕いて「 呉」を作る。日本ではこの呉を煮て豆乳を搾る「煮搾り」が一般的であるが、中国や沖縄(島豆腐)、それに日本の各地に残る堅豆腐の一部では、呉を煮ずに豆乳とおからを搾り分ける「生搾り」が主流

硬水を用いて製造した呉には、すでにタンパク質を凝固させるこれらの成分が含まれている。煮絞りは、大豆に含まれる成分をさらに抽出するために加熱する。だが、硬水呉を加熱するとタンパク質の凝固が進みすぎるため、搾りカスであるおからと同時にタンパク質も取り除かれてしまうのだ。(中略)だから、硬水呉では生搾りを行う方が大豆タンパクの多い豆乳を作ることができるのだ。とはいえ、煮搾りの豆乳に比べるとやはりタンパク質の量は少なく、収量も悪くなる。だから、凝固物に含まれる多量の液体成分を絞り出すために強い圧搾が必要となる。その結果、生搾りで作られた豆腐は堅くずっしりとしている。

沖縄も急峻だけれど、サンゴ礁の地盤が多く硬水優位なのだそう。

一方で沖縄以外にも「堅豆腐」は残っている。例えば、九州では熊本県・五木や宮崎県・椎葉、四国では土佐豆腐、中部地方では石川・岐阜・富山県境付近の白山、五箇山、利賀など、そして関東では神奈川県の大山豆腐などである。なぜこれらの地方では堅豆腐文化が継承されてきたのだろうか?(中略)日本列島に点在する石灰岩の元となった火山島のサンゴ礁は、一体いつどこでできたものだろうか? このことを明らかにしようと、私たちは石灰岩と一緒に産出する玄武岩化学分析を行った。その結果、これらの石灰岩玄武岩の大部分は、現在の南太平洋で数億年にわたって続く火山活動で誕生した火山島起源であることが分かった。(中略)その年代はおよそ1億年前と3億年前。このころに南太平洋で起きた火山活動によって火山島が誕生し、それらはサンゴ礁を乗せながらプレートに運ばれて、現在は太平洋の周囲の陸域に付加されたのだ。

1億年以上前というとんでもない長さの地学的現象によってローカル食文化も生まれていたというのおもしろすぎる。

島豆腐の沖縄には、そのほかにも素晴らしい硬水食文化がある。その一つが沖縄そば。この麺はもちろんソバではなく小麦が用いられるのだが、出汁にも大きな特徴がある。出汁の旨味の重要な担い手が、昆布ではなく豚であること

沖縄は琉球時代から本州北方や北海道産の昆布を中国へ運ぶ拠点であったために、昆布文化が広がった。しかし、それは出汁文化ではなく、むしろクーブイリチーやウサンミなど、食べる昆布文化であった。もちろんその原因は、硬水であるために昆布の旨味成分を抽出することが難しかったからだろう。一方で、この硬水の特性を生かして、豚を丁寧に灰汁をとりながら煮ることで、ブイヨンと同様に旨味たっぷりのスープができあがったのだ。  

これ、もしかして、中華料理の茹で豚とかも同じようにはできていないのか・・・

世界各地では様々な発酵食品が発達したが、大雑把に分けると、西洋ではパンやビール、ワインのような酵母による発酵や、チーズにヨーグルトなど乳酸菌を利用したものが多い。一方で、東アジアではカビを用いた発酵食品、例えば 紹興酒 やテンペ、それに醤油や味噌などが特徴的

たしかに。 その他、水の鉄分やカリウムが日本酒や醤油文化にも影響を与えているという。どこでもやれるものではないんだな(これまで各地でやろうとして失敗した人も多数いるんだろう・・・)

利根川水系の水は関西と比べると、カルシウムやマグネシウムの多い中硬水。(中略)この関東硬水は関西で行われるように昆布で出汁をとるには向いていない。その代わりに、鰹節や 味醂 と「関東濃口醤油」を使った江戸前寿司に必須の「ツメ(煮詰め)」、鰻蒲焼の「タレ」、そして蕎麦の「ツユ」など、関西とは一線を画した関東特有の食文化を生み出した

そうなの?和食料理人のコメント聞いてみたい。

綱吉が鷹狩で訪れた小松村(現在の江戸川区小松川)の青菜の美味しさに感嘆し、地名をとって「小松菜」と命名したという。この小松川地区は、荒川の氾濫原が広がる「東京低地」にあり、関東ロームとは異なる土壌が広く分布する

火山灰などの風塵由来の不毛の関東ローム層とは違う。

千葉県が日本一の産地である落花生は、豆類に特有の根粒菌の働きで痩せた土地でも育つ

へー

下仁田ネギは下仁田の中でも馬山地区が栽培の中心だ。下仁田町内のみならず、あちこちで栽培が試みられたのだが、どこもうまくいかなかった。(中略)盆地である下仁田地域はからっ風が上空を通過するために、関東ローム層が堆積していないのだ。このような特有の地質と地形が、ほかの地域と違う

そうなんだ。ほんとに馬山地区だけなのかはちょっと謎(ほんものの下仁田ネギはそんなにユニークなんだろうか

讃岐平野には大河川がない。そのために水不足は深刻であった。弘法大師が造ったといわれる満濃池をはじめとして、1万以上、全国の約8%ものため池が密集するのはそのせいだ。このような状況では多量の水を必要とする稲作は困難を極める。一方で小麦は、稲に比べると乾燥には強い

うどん県にはそういう背景もあった。ただ、現在は小麦の作付けが往年よりは下がってきているのは市場の影響かな。なにに置き換わっているんだろう(調べていない)。

約300万年前には四国山地に源を発する川が讃岐平野に流れ込んでいた。つまり讃岐山脈は存在せず、この辺り一帯が平坦であったことになる。しかしその後、山脈が隆起したために、この川は流路を変えざるをえなくなり、山脈に沿って東へと下り、現在の吉野川になった

関東平野の地下には巨大なお椀状の凹地が存在している(中略)関東山地から房総半島南部の 嶺 岡山系、そして銚子の犬吠埼茨城県ひたちなか市、さらには八溝山地足尾山地と、関東平野を取りまく地域には基盤岩が露出している。この縁から東京湾の真下に向かって基盤岩の深度は4000m以上も深くなっている(中略)。フィリピン海プレートは、相模トラフから関東地方へも沈み込んでおり、1923年の大正関東地震関東大震災)、1703年の元禄関東地震などの海溝型巨大地震が繰り返し発生してきた。これらの相模トラフ沿いの海溝型巨大地震でも、プレートの跳ね返りによって海溝の陸側に隆起域が形成されたとすれば、房総半島周辺の隆起現象をうまく説明することができる。実際に大正関東地震ではこの辺りの海岸で隆起が認められた。そうであるならば、東京湾直下に存在するお椀状の地下沈降盆地は、相模トラフ沿いで起きてきた海溝型巨大地震によって、逆L字型の隆起帯の陸側にペアで造られた沈降域と考えることができよう

関東平野の地下、かなり興味深い。次の首都直下でもいまの能登半島に近いような隆起もありえるのだろうか・・・

ウェザーニュース発表の2021年雨・雪なし日数ランキングによると、山梨県は202日と堂々の国内第1位である。年間の6割にあたる日で傘が要らない

なんとなく瀬戸内かと思っていた。これによって山梨はブドウの産地としてうまくいっている様子。

コアユは他地域のアユに比べて縄張り意識が強く、友釣りを行うには好都合であるそうだ。そのこともあってコアユは全国各地の河川で放流されて、太公望を魅了している。しかし海水耐性を持たないコアユが両側回遊のアユと交配して誕生した稚アユは海に降っても翌年遡上しない。だから太公望の欲望を満たすためだけにコアユの放流を続けると、天然海産アユの資源減少を招くことになる。古事記万葉集にも登場するアユは、日本の食文化を支えてきたといっても過言ではない。私たちがこれからもアユとともに文化を育んでいくためにも、アユの資源保護は必要不可欠であろう。

知らなかった。やはり放流は生態系上もよくない・・・

その他、紀伊半島富山湾、日本酒の水など多数の話題があっておもしろい本でした。

頭痛外来でねぎらわれた話

長年、2種類の頭痛に苦しんでいた。最近、頭痛外来という存在を知って思い立っていってきたところ診断もついて対策も教えてもらえた。ほんとうに治るかどうかはまだこれからだけれど、なかなかおもしろかったので頭痛外来での話を書いてみます。

まとめ

  • 頭痛外来でCTとレントゲンを撮って診断
  • 緊張型頭痛とそれによる後頭神経痛ではないか
  • 姿勢が悪くストレートネックになっているのが原因。姿勢改善と運動で直していくしかない。

これまでの頭痛

これまで2種類の頭痛があった

1.後頭部がぶち・じゅわーとなる頭痛

  • 年に1-3回、突然 (10年ほど?)
  • 痛みは10秒程度でおさまる
  • 血管か?と怖いけれど特に体に問題はないので放置してた

2.ずーん、とくる頭痛

  • 月に2-3回(10年ほど)
  • 左こめかみだったり頭のやや右上方だったり
  • 午後から数時間(2時間~寝るまで)持続する
  • 天気は関係なさそう
  • 曜日は関係ない(仕事のストレスではない?)
  • 緊張からの解放は多少関係あるかも
  • コーヒーとか仮眠・散歩・頭痛薬(カロナール)は効果なく

緊張からの解放については、第31回日本医学会総会2023東京 博覧会 第2回オンライン市民公開講座の「頭痛を正しく知ろう!-怖い頭痛となおる頭痛の特徴と対応-」で知った。

www.youtube.com

この講座では、片頭痛といっても片方じゃないのが4割あるであったり、さまざまな原因があって、そのひとつにストレスからの解放もあるなどなかなか興味深かった

頭痛外来を知る前、健診の資料だったかなにかで「脳ドック」という自由診療で頭部のMRIをとったりする、数万円する人間ドックの脳バージョンの存在を知って興味をもったのがきっかけ。たまたま知り合いの内科医と雑談する機会があって聞いてみると、そんな高いのより頭痛外来に行ったら?とすすめてもらって、頭痛専門医のいる病院を探して行ってきた。

認定頭痛専門医一覧│日本頭痛学会

頭痛外来

自分の行った病院では、頭痛外来は時間をかけるから午前に3人しか見ないとかちょっとこだわりのあるように思え、おそるおそる行ってきた。説明しやすいよう、これまで頭痛がおきたときを日記に記録していたので抜き出して1枚にまとめて持参したところあとで褒められた。

まず、問診票を書くのにボールペンではなくシャープペンを渡されたが、これは筆圧をみるためとのこと。身長体重血圧を測ったのちの最初の診察で、即、肩がすくんでいることで姿勢がわるいことを指摘され、適用がある云々でCTを撮ることに。

レントゲンは首を前にまげたときと、上をみたときの2回。真上を見るのがこんなにつらく可動域狭かったっけ、と感じた。CTでは頭を固定してドーナツ状の機器のなかを動く。

診断では、まず、まじめですね、がんばってますね、と労われて泣きそうになる。 自覚症状では肩こりはなかったけれど、見ただけで凝っているとわかるとのこと。典型的なストレートネックで肩をすくめている。緊張型頭痛とそれによる後頭神経痛ではないか、緊張型頭痛は筋肉痛のようなもので痛み止めは効かない。後頭神経痛は、腫瘍などによる場合もあるがこれはCTで除外でき、緊張型頭痛によるものだろうとのことだった。

CTやレントゲンの映像をディスプレイに映したときに、写真に撮ってもよいとのことだったので撮らせてもらった(末尾に有料で掲載しています)。

対策としてエクササイズを2つ教えてもらった。あまりYoutubeでみつからなかったので文字で説明します。

1.両手を後ろにまわして片方の手でもう片方の手の手首を握って引っ張る。片方5秒(肩を落としたまま)
2.両腕をまげて、肩を中心に肘を回転させる。肩を落としたまま、胸を開くイメージで15秒ほどかけて
これを1時間に1回!

枕の高さも聞かれて、答えると高すぎる、とタオル2枚くらいの厚さでもよいとのこと。また、背が高い人にも多いそう。自分もやや背が高いんだけれど、あまり威圧感をもたれないように背中を丸め気味にしていたのもよくなかったようだ。あとはモニターの高さを目にあうようにして姿勢があうような椅子を使うことをすすめられた。薬もいるか聞かれて、答えるとロキソニンともう2つもらった。会計はしめて6,900円ほどで保険診療のありがたみを感じる。

頭痛が深刻なものではなかったということでひとつ安心。 ちなみにCTによって、鼻道が曲がっていることがわかり、右の鼻がつまりやすいことを見抜かれた。鼻道の奥も耳の奥も、炎症や悪いものは見当たらないとのこと。

頭痛に苦しむデスクワーカー・ソフトウェアエンジニアは多そうなので困っている方、気軽に頭痛外来に行ってみるとよいと思います。

せっかくなので有料でCT画像とレントゲンをおいておきます(プライベートを切り売り)。興味ある人はどうぞ。100円です。

この続きを読むには
購入して全文を読む

「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」(宮本常一)と観文研

もともとの日本奥地紀行は2013年に読んでいたので10年越し。 dai.hateblo.jp

イザベラ・バードは19世紀の大旅行家で、明治初期に彼女が日本を東京から北海道まで旅した旅行記民俗学者宮本常一が読んで解説していく本。イザベラ・バードが、日本の文化についてよそもの視点をもって、また細かいところもよくみ、日本や日本人についても先入観をもたずに書いているため元の旅行記も単体でおもしろいんだけれど、それを日本各地の文化や歴史を実地で知っている宮本常一が読むことで、自分には気付けなかった、ちょっとした記述から背景を読み解いていておもしろい。文化の分厚さを感じる。

たとえば、バードが泊まった宿では女主人が取り仕切っていたことから、この時代は昭和初期と比べても女性の地位は低くなかったのではないか、それは宗門人別帳と戸籍の掲載順と関係はないだろうか、とか性病と漁業の関係とかを洞察している。

本書を通じて日本奥地紀行を読み返すと、同じ日本・同じ米沢藩でも平地の豊かさと山間の貧しさとのすさまじい対比が印象深い。風呂には入ったこともなく、服もずっと同じものを洗わずに着ていて肌もあれている人々ばかりの様子には衝撃を受けた。また、外国人が来るとなると日本ではどの町でも人々が集まってしまう日本と、まったく関心をもたないアイヌの対比にはどうしても国民性めいたものを感じてしまう。アイヌの人の落ち着いた冷静な様子には現代的な個人主義にも通じるものを感じ、ガリヴァー旅行記の最後の国、アイロニーとして人間の野蛮さを強調している馬の国を連想したけれど、野次馬根性と俗にみえる日本人の好奇心が和洋折衷の工業化を駆動したのかもしれない、とも思った(安易な国民論に近くなってしまうが)。

本書のもとになった講読会は、近畿日本ツーリスト社内につくられた日本観光文化研究所で月一回開催されたものだそうで、いろんな若者が参加していたらしい。そういう場があるのはうらやましくも思う(いまだとオンラインでそういうのはあるかもしれない)。

ほかには古川古松軒の「東遊雑記」、野田泉光院の「日本九峰修行日記」、「菅江真澄遊覧記」で同じシリーズがあるそう。そのときの住人にとっては当たり前すぎてわざわざ記録にする人が少ないことを旅行者が書き留めたことが当時の文化を知るヒントになっているのはおもしろい。

この観文研についてはこの記事がよかった。 seitendo-journal.net

旅は見聞により人間の成長を促します。と同時に宮本常一は、「地元が自信を失ってたり、気がつかなかったものに、すばらしいじゃないですかっていう評価を与え」ていくような旅人、また、「国の外でも、中でも、にぎやかなところ、人のたくさん行くところに行くんではなくて、へんなところばかり歩いてるような。そういう姿勢」(『あるくみるきく』70号)を持った旅人との知的交流が、地方の文化に良い刺激をもたらすと考えていました。

このスタンスよすぎるし旅観が変わりそう。もっと旅して旅行記書かねば。

「冤罪と人類ー道徳感情はなぜ人を誤らせるのか」(管賀 江留郎)はすごい本だった。人間は過ち続ける・・・

最近でも湖東病院事件、大川原化工機冤罪事件、プレサンス元社長冤罪事件と冤罪事件は続いているし、IT関連ではPC遠隔操作事件や、岡崎市立中央図書館事件など誤認逮捕のような事件も起こり、いち国民としても司法制度大丈夫だろうか・・・となんとなく思っていた中でみかけたこの本を手に取りました。 (あとはちょうど100年を迎えた関東大震災朝鮮人虐殺事件も関連している)

タイトルから進化心理学あたりの知見で処罰感情とかを論じるのかな、と思ったけれど、内容は太平洋戦争前後に静岡で続いたいくつかの大きな冤罪事件と、それにかかわる警察や司法、行政や法医学者などに切り込んでそこから人類のもつ問題を抉り出している。Wikipediaや事件好きなら静岡の拷問王こと紅林麻雄のことは知っていると思うけれど、彼や彼がまつわる事件についてかなり深堀りされているし、その周囲にいた迫力のある人間がたくさんでてきて内務省や司法省の権力争いも絡んで読み物としてもおもしろい。

まず、これだけ熱が籠った前書きはそうない。

いや、凡人が間違っていることを示そうというのではない。極めて稀な天才の出現は、隕石の直撃の如きたんなる偶発的な事故に過ぎないが、多数派である凡人の能力には、そうでなければならない必然があるのだ。目の前の現実をありのままに受け止められない凡人が正しく、天才のほうが人間として間違っているのである。この人間の本性こそが、ときに恐ろしい結果を招いてしまうことにもなるのだ

冤罪とは、人間が自分を取り囲む現実世界をどのように認識しているかをそのまま炙り出す問題なのである。だからこそ、これは殺人や冤罪について書かれた本ではあるのだが、嫌でもそこから大きくはみ出すことになってしまう

紅林も初めから問題があったわけではなく、成功体験から自信過剰に陥り、まわりからのプレッシャーによって独善的になっていったことがわかる(紅林は日本で最初の検事総長賞を受賞している)。殺人など重大な犯罪がおきた後、住民の不安が高まるだけではなく、捜査本部がたちあがって捜査員が県下だけではなく隣県からも集められていくことでその経費がどんどん積み重なっていく。これらは責任者に事件収束・犯人検挙への圧力となる。

犯人を検挙すると表彰されるし世間も喜ぶけれど、その逆に犯人をあげられなかったときに批判されることも冤罪への圧力になりうる。自分も、重要事件で犯人を検挙できなかったら警察を批判しそうにはなるけれど、このスタンスは悩ましい。

また、組織の論理を優先させて冤罪の可能性を考慮しなくなっていることもある。裁判官に対してプレッシャーをかけられた人間がいともたやすく偽証してしまうということを体験させるのがよいのでは、と書かれていたけれどそういう研修が必要なのかもしれない。

事実、この紅林の絡む冤罪事件をひっくりかえした最高裁の判事たちのうち4人が、過去に不当ともいえる退任要求をつきつけられていたことや、1人は学生時代に罪もない中で取り調べを受けていたという経験があったことが指摘されているのは興味深い。

本書の著者がブログで紹介していたことをきっかけに紅林麻雄がテレビでとりあげられた際、匿名掲示板の2chTwitterでどういう反応があるかを観測すると、その冤罪を起こした紅林刑事の親族も死刑になるべきだ、などと極端な、冤罪を生んだのと同じ処罰意識をもっていた投稿者もいたという。ただ、これは総数では5%程度でそれぞれの場所でたしなめられていたそうではある。ただし、ふだんは少数の極端な意見として黙殺されることが、関東大震災直後という極限状況で暴走してしまったし、エコーチェンバーを生み出しやすいSNSでは歯止めが効きにくい問題はありそうに思える。

おしいのは、紅林麻雄が部下にどう圧力をかけていたか、警察内のプロセスがあまり描かれていなかったこと。これは参照にたる情報がないのだろうとは思うけれど。ただ、それでも冤罪や事件を扱うノンフィクションとして傑作だったし、警察・司法にかかわる人は読んでほしい。

ちなみに著者の管賀江留郎さんは「かんがえるろう」と読むという冗談みたいな名前だけれど2001年ごとから少年犯罪のデータベースを(最初はミラーサイトとして)運用している古参のネットユーザ。 http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/51340863.html

解説も公開されているのでお忙しい方もこれを読むとよいと思う。 https://honz.jp/articles/-/45975

ちょうど、元裁判官で弁護士をしている西愛礼さんが冤罪学という本を出すそうなのでこちらも気になるところ。

以上。

以下気になったところ抜き書き

わたしの信念でいうなら、犯人はどんな兇悪犯人であってもいや兇悪犯人になればなるほど拷問なしで自白する。人間はそんなにタフに出来ているものではない。良心の苛責というやつは人間の宿命だ。  調べ室に向き合ってじっと目をみつめる。 「おまえ、お父さんお母さんに会いたいだろう」  こう一言やさしくいってやると、ワッと泣きくずれて、 「刑事さん、助けて下さい。頼みは刑事さんだけなのです、そうです、わたしが殺りました──。」 と一さいの泥をはき出すのが大ていの犯人だ。

紅林刑事の談話。こわすぎでしょ。

見渡す限り畑しか見えない農村地帯の浜名郡でさえ駅ごとに芸妓屋が並び立って繁盛しているというのは、いまから考えてみても異様な状況ではある。昭和初期の農業恐慌も戦争景気によって一掃され、農家も豊かになっていた。また、この地域は農業とともに織物産業も盛んで、戦争特需があった

こういう時代があった。戦争の裏での帰還兵と社会との軋轢もこれまで意識していなかった。

戦時中の事件には戦時体制が大きな影響を及ぼしているが、それは一般に考えられているような戦争による重苦しい抑圧ではなく、まったく逆に浮かれて弛緩したバブル世相によるものだった。  日本人で戦場に行った者は少数であり、日米戦がはじまっても徴兵率は六割に上がった程度。日本がほんとうの戦争状態になったと云えるのは、B 29 による本格的な空襲がはじまる昭和一九年一一月からのわずか十ヶ月間で、それでさえ都市の中心部だけ。じつはほとんどの日本人は戦争を体験しないまま終戦を迎えている。

*

そんな時代背景を元に、帰還兵や変質者たちが次々逮捕されて、ヤギを盗んで獣姦したうえに絞め殺して井戸に投げ捨てた帰還兵( 28 歳) なども挙げられている。この男は中国出征中に上官を剣で刺し、帰国してみるとそれまで聞かされていた銃後の緊張はなく、闇商売で儲けたりして贅沢をしていることに反感を持って裕福な家に放火したり投石したりして鬱憤を晴らすなど、典型的な例だった。  軍隊内部での上官への暴力事件は軍が重大視して『大東亜戦後ニ於ケル対上官犯ノ状況』(陸軍省 昭和一七年) などの記録も残している

ここらへんの当時の感覚はあまりわかっていない

静岡県警は昭和二〇年三月に、『濱松事件』という部外秘の内部文書を編纂している。一一六ページに渡る詳細なる内容である。  第三事件に駆け付けた捜査員が血の海で苦悶している被害者たちの惨状を目撃したことや、養蚕の時期で他の部屋や土間には一面に蚕棚が並んでおり、「 蚕 の桑食う音がムシムシと惨劇の後の静寂の中に聞こえている」という生々しい描写もあった

迫力を感じる

近衛が推し進めようとしていた〈新体制運動〉の目標は多岐に渡るが、それらの改革を成し遂げるためにも結局一番必要なのは、軍だけではなく各省を完全に抑えることのできる首相の権限強化だった。省の都合よりも自分の云うことを聞く者を大臣に据えたい。とくに司法を抑えておくことは重要だった

たしかに近衛をこういう視点でもみることもできる

松阪広政検事総長は、東條英機首相から政敵である 中野正剛 を起訴して議会に出席させないようにと命令を受けたのだ。しかし、証拠不十分であり、仮に容疑があっても代議士を 造言 蜚語 くらいの軽い罪で会期中に身柄を拘束して議会に出席させないことは憲法違反ともなるのでできないと、松阪検事総長はきっぱり拒否する。 「総理大臣は甚だ失礼ながら、中野のことになると感情でものを言っておられる」

東条英機憲法わかっていなかった

東條内閣が倒れた日に開かれた次期首相を選定する重臣会議では、戦時なのだから軍人が相応しいと云う近衛文麿平沼騏一郎ら文官に対して、米内光政海軍大将は以下のように述べ、文官が首相になるべきだと主張した(『木戸幸一日記』)。 「元来軍人は片輪の教育を受けて居るので、それだからこそ又強いのだと信じている」

知らないことの強さはある・・・

尾崎幸一は元々キャリア官僚ではなく、大阪府警の巡査採用で叩き上げの警部補だった。〈浜松事件〉勃発の半年前、内務官僚に登用されている。府県警優秀警官から抜擢のノンキャリアとして吉川技師の部下になっている

*

のちに法務大臣となった秦野章は、日本大学専門部の夜間部政治科を出て警視総監まで昇り詰めているが、卒業後にキャリア官僚として内務省に入ったので、巡査から出世した尾崎とは立場が違う

*

似たような経歴に、英国の〈M・O法〉を研究して来いと相川勝六を派遣して、のちに読売新聞の主筆や副社長になった高橋雄豺がいる。高橋は中学卒で警視庁の巡査となり、警察勤務をしながら独学で高等文官試験を一番で通って内務省キャリアに任官、警察幹部を歴任した上、内務省任命の香川県知事となっている。

こういう、ノンキャリアだったり、現場上がりだったりで苦労しつつも出世して影響力を発揮していた官僚がいたというのは良いな。組織が大きくなって安定してくるとなかなかこうはいかず官僚主義の弊害が大きくなってくる印象がある。

読書メモ「わが盲想」目が見えないながら日本留学した著者の奮闘記

ハメド・オマル・アブディンさんの「わが盲想」を読みました。 スーダン生まれで12歳で目が見えなくなった著者が19歳で日本留学し福井で鍼灸点字、日本語を学んで挫折したり乗り越える過程の描写がうまくておもしろい。

自分の地元の福井の盲学校のひとが受け入れにきっといろいろがんばってくれたんだろうというところ、ホームステイ先の人や多くの人がやさしくてうれしくなる。日本語を覚えはじめてすぐに触れた福井弁のイントネーションはたいへんそうでしたが。 あとは歩行訓練士の大槻先生が会ってすぐに、これまで誰も気づかなかった、著者が靴ひもを結べないことで苦労していることを看破して一緒に練習するところもよかった。

ホームステイ先で学んだおやじギャグで同音異義語を学んだり、粘土で漢字を覚えたり、小説やラジオで文化もつかんだりと学習プロセスも興味深い。本書のタイトルもヒトラーの「わが闘争」とかけているやや悪趣味おやじギャグ。

おそらく、著者が留学したのは国際視覚障害者援護協会(IAVI)という、発展途上国視覚障害者の自立とリーダー養成のための日本留学を支援している団体の支援なんだと思う。こういう団体が活動していることは嬉しく思うし、、日本政府が支援していることは納税者として誇らしい。

社会福祉法人 国際視覚障害者援護協会

また、ソフトウェアエンジニアとしては目が見えない人でもWebページやアプリを利用できるようにするアクセシビリティの重要さも改めて感じた。しっかりやっていきます。

友人のpastakさんの発表もよかった。 手を動かして始めるアクセシビリティ改善 - Speaker Deck

デジタル庁もガイドラインを出している。 ウェブアクセシビリティ導入ガイドブック|デジタル庁

Spectator vol.49「自然って何だろうか」を読みました。

Spectatorという雑誌(?)をはじめて買ってみた。年3回くらい出しているカウンターカルチャーっぽい雑誌です。 どの記事もおもしろかったんですが、特に坂田昌子さんという、宮本常一網野善彦に学んで高尾山でネイチャーガイドをして圏央道トンネル工事反対運動などに取り組んできた方のインタビューがずけずけ回答していてすごかった。ちょっと要約しにくいので自然保護運動に関心ある方読むと得るものあるかも(自分が知らなかっただけれ有名な方?)。

私はいろんな運動の現場を見てきたけれど、言ってしまえば自分を愛してしまっているだけの人たちがすごく多い。

なんとなく想像はつく・・・

媚びずに対等に話すことがロビー活動では重要

はい。

ほか、内山節のインタビューで、環境問題を環境問題として語ってしまうと外部の話になってしまい解決不可能になる、という指摘がおもしろかった。自分ごとではないことで遠くなってしまう。あとは「思想が現実に先行することはない」とも

冒頭の特集(マンガ)のアメリカの自然観・環境保全運動史もよかった。

ボトムアップな動きがここまで法律や社会を変えてきたとは知らなかった。今の、生物多様性を守る運動(希少生物生息地の開発反対とか、魚の遡上しにくい河川工事とか)がなかなか行政に響いていないのを、いち市民として外野から感じてしまうけれど、ちょっとだけ期待を持てた。エコモダニズム運動のブックガイドもよい。

ジオエンジニアリングなどの強引な方法、かなり消極的には思うけれど今年の夏の猛暑を受けて、異常な金持ちが異常なことをしようとしたときに社会が制御できるかどうかと考えると暗い気持ちになる・・・

傑作ファンタジー「ウィッチャー」を読んだ。ダークで旅する神話

ゲーム化されて世界中で大ヒットしてNetflixでドラマ化もしているウィッチャーの原作小説を読みました。自分は原作もドラマも知らないので小説が初ウィッチャー。基本読書さんのブログで気になって買って一気に読みました(kindle版、2巻から5巻までは解説がついているのに1巻はなくて残念)。

huyukiitoichi.hatenadiary.jp

※ 前半はネタバレなしの感想で、後半に間をとってネタバレ感想を書いています

ダークなファンタジーで最近流行りの異世界ものというとわかりやすいかもしれない。中世ヨーロッパのような大地を舞台にした剣と魔法の世界。ただし、魔法があるといってもその力も限られているうえに魔法使い自体の数も少なく、国同士の戦争ではほぼ存在感がないし、一人で戦いの趨勢を決めるような英雄もいない。そのために、戦場は泥臭く、血なまぐさい。

主人公のゲラルトは怪物殺しを生業とするウィッチャー(Witcher/魔法戦士とも訳される)で、幼いころから薬で体を変化させて変異体(ミュータント)として恐れられつつ蔑まれる存在で、かれと運命づけられた少女シリをめぐって大きな陰謀と物語がすすんでいく。ゲラルトは怪物殺しで日銭を稼いでいるけれど、読んだ中では怪物を殺すことは少なく、むしろ怪物の背景を調べたり、ときには対話して殺さずに問題を解決させることのほうが目立つのがおもしろい。

凄惨だし、残酷な場面も多いんだけれど会話や宴会のかけあいも巧妙で、生き生きとしたキャラクターを感じて楽しく読めてしまう。また、物語のなかでも旅の道程に紙幅が割かれており、山々や川、鬱蒼とした森や生き物、距離やぬかるみを感じる街道や平原の描写もすばらしい。怪物や魚なんかの生息数とかも言及されていて生態学みもある。森にすむドルイドたちは魚の生息数を守るために網の目の大きさを広げるよう要請するけれど、人間たちは応じないところとか笑えた。中盤から後半にかけての2組の旅はどちらも苦しい旅なんだけれど、ロードムービー的に楽しめてもしまう。

時間軸や場面の入れ替わりもちらほらあるし登場人物や地名も多いものの、かなり読みやすくテンポがよく全体としては読みやすい。ファンタジー好きはもちろん、異世界もののラノベ好きな人も一段重厚な作品として楽しめそう。あと、凄惨な珍道中というところでは、傑作マンガのゴールデンカムイを好きな人は好きかも。弓の達人娘も出てくるし、粗にして野だが卑ではない男どももどっさりでてくるのは通じている気もする。

ちなみに本編5冊のほかに短編集が2冊あります。どちらを先に読むかは悩ましいんですがプロローグとして短編集を読んでからのほうがなるほどとなっていいかも。でも本編がおもしろいので本編からでもあり。一部の謎は短編集で解決されるんですが、ゲラルトの描写がけっこう違う。

著者はポーランド出身のアンドレイ・サプコフスキで訳者の川野靖子、天沼春樹の訳もいい。無数の悪態をいい感じに表現されていました。ほかの本も訳されてほしいのでみんなウィッチャーシリーズを買って読んでください。感想をしゃべりたいのでメッセください。 凄惨な描写が真にせまっているのは、いくども大国に侵略されたポーランドの経験もあるのかもしれない(と、ポーランド出身作家はみな言われがちかもしれませんが・・・)。

(以下ネタバレあり感想)

(ここからネタバレあり)

いやー、おもしろかったですね。一巻ごとに感想をかけるとよかったのですがまとめてやります。 最後の決着のついた後の余韻、死の予兆のさびしさもよい。ゲラルトをベルセルクのガッツのイメージで読んでしまったけれど、あとで検索するゲームのゲラルトはもっと老いている感あるしオールバックだった(1巻の表紙もそうだったけれど、kindleで読んでいたのであまり意識しなかった)。

転移の生み出す、別れと孤独の物語としては無職転生も連想した。これもネタのようなタイトルからは想像できないよさがある転生ものだった。

魔法使いたちのパーティや、カヒルが釣った大きな魚を囲むところやレジスの酒でぐだぐだになるドワーフたちやゲラルト、トゥサンの宴会でのもじもじしていたミルヴァと無口な老貴族の会話など会食のシーンが印象深かった。1巻では唐突にシャニとベッドにいたゲラルトおもしろい(短編集を読んでいたら受け止めやすかったかも)。

運命が大きなテーマで神話的な伝説になっているなかでは以下は謎として残っているけれど、些末なものか。

  • ヒルがシリを夢みたのは、シリの能力?なにがかれを運命づけたのかわからなかった。カヒルの最後はあっけなく、悲しい。
  • ニムレがシリに時間をさかのぼるポータルをひらくことができたのはなぜなのだろう。彼女らの後の話も知りたい
  • 天体の合とは何だったのか
  • アヴァラックがアイン・エレにいたのはなぜか。異界のエルフの考え方の人間との断絶は心冷えた
  • トゥサンからヴィルゲフォルツのスティガ城までゲラルトたちはどういったんだろう。トゥサンで思いかけず盗聴したのはなんだったんだろう

短編集

  • ゲラルトの母はだれだったんだろう
  • トリスとゲラルトは過去になにがあったんだろう

短編集ではパヴェッタ・シリがらみの話はおもしろかったし永遠の炎がよかった。

いくつか印象に残ったところ引用します

「つまり、王たちの奏でる音楽に合わせて踊れというのか?」アルトードが顔をしかめた。 「そうだ、アルトード」ヴィルゲフォルツはアルトードを見て、目を光らせた。「彼らの音楽に合わせて踊るか、もしくは舞踏場から立ち去るか。オーケストラの指揮台は、よじのぼって別の曲を弾いてくれと頼むには高すぎる。そろそろ、そのことを理解したほうがいい。別の解決策があると思ったら大間違いだ。夜の湖面に映る星々を天国と思ってはならない」  

えがおもしろい。ヴィルゲフォルツのこれまでも気になる。

女魔法使いはどんなときも行動するの。正しかろうと間違っていようと、結果はおのずとわかる。でもまずは行動し、勇気を出して人生をその手でつかむの。いいこと、お嬢さん、何もせず、迷い、ためらっていても後悔するだけよ。

女魔法使いたちが自立していて強い。 イェネファーの印象は短編集と本編では全然違うけれど・・・。

だからゲラルトは美しいことだけを考えた。イェネファーを喜ばせるようなことだけを。爆発するようにまぶしい日の出。夜明けに山の湖にかかる霧。透明の滝のなかを銀色に光りながら飛び跳ねるサケ。露をたたえたゴボウの葉を叩く温かい雨粒。

いい・・・。

「カネは祖国を持たない、ゲラルト。商人は金儲けさえできれば統治者が誰であろうとかまわないし、ニルフガードの役人は税金をかける相手が誰であろうとかまわない。死んだ商人は金儲けもしなければ税金も払わない」

どこかで使いたい。

結論を言えば、知性を支配するのにもっとも効果的なのは、支配的な知性をこっぴどく侮辱することだ。

はい

どうしてもわからないのは、なぜ人間の悪態と侮蔑語の多くが官能的領域におよぶのかということだ。セックスは美と幸福と歓びを呼び起こすすばらしいものであるのに、なぜ生殖器の名前が下品な悪態がわりに使われるのか

そうだね

「謝らないで。謝る男には我慢できない」 「どんな男なら 我慢できる?」  フリンギラは目を細め、ナイフとフォークを短刀のように構えたまま、ゆっくりと言った。 「言いだしたら長くなるわ。些末な話であなたを退屈させるつもりはない。ただ、愛する人のためなら地の果てまで、恐れも知らず、冒険や危険にもひるまず向かってゆく人が高位を占めることだけは確かね。そして、どんなに成功の見込みがなくても途中でやめない男」

と、言葉にはされるが・・・

「絶対ここに娼館を建てるべきだって。やるべき仕事がすんだら、ここに戻っていかがわしい 館 を開こう。街を見てまわった。ここにはなんでもそろってる。床屋だけでも十軒あるし、薬屋は八軒。でも売春宿は一軒きりで、よくある安宿よりしけたあばら屋だ。競争相手はいない。豪華な娼館を開くんだ。庭つきのでかい屋敷を買い取って――」

アングレームもいい。最後悲しい・・・

路地の突きあたりに見える穀倉の壁に、斜めにかしいだ白文字で〝 戦わずに愛し合おう〟と書いてあり、真下に誰かが小さい字で〝 そして毎朝クソしよう〟と落書きしていた。

戦争の描写は迫真だった

おまえたち年寄りは驚くかもしれんが、おれは風に向かって小便するのは愚かだという結論に達した。誰かのために自分の首を賭けるのはバカらしい。たとえカネを出されても。実存哲学とこれはなんの関係もない。

ゲラルト節よすぎる

ここからは短編集

「またか? 今度は誰だ? ヘレヴァルド大公か?」 「いいえ。こんどはダンディリオンよ、お友だちの。あの、のらくら者の、居候の、ろくでなしの、芸術の使徒にしてバラッドと愛の詩の輝ける星。いつものように名声で輝き、豚の 膀胱 みたいに胸を張って、ビールのにおいをぷんぷんさせている。会いたい?」 「もちろん。なんといってもわが友人だ」

まじでよい。

ある日、馬に乗っていたら何を見たと思う? 橋だ。その橋の下に一匹のトロールが座り、渡る人すべてに通行料を求めている。拒んだ者は片脚、ときには両脚にケガを負う。そこでおれは町議のもとに出向く。〝あのトロールを殺せばいくらになる?〟。町議は驚き、こう言う。〝何を言っている? トロールがいなくなったら誰が橋の修理をする? トロールは定期的に橋を修理している──額に汗して、りっぱに、一流の仕事を。

トロールが溶け込んでいる・・・

呪文のひとつやふたつ知っているのがどうした? たいしたもんだ。ぼくが知っている宿屋の主人は、いいか、十分間、一度もとぎれずおならをしつづけ、讃美歌《われらを出迎えよ、出迎えよ》、《おお、明けの明星よ》を演奏してみせた。このたぐいまれなる才能を無視すれば、いいか、彼はまったくどこにでもいるふつうの男だ。妻がいて、子どもがいて、麻痺のある祖母がいて──」

はい・・・。

武生に行ってきた。越前市・菊人形・OSK

武生の街並み

11月のあたまに妻と3歳児とで福井県越前市で開催されていた「たけふ菊人形」を見物にいってきた。このあたりは越前町南越前町と似た名前の地名があってわかりにくく、2005年の合併までの地名である武生(たけふ)市のほうがまだ知られているようにも思う。特急も止まる武生駅もあるし進学校の武生高校もあるし、2024年3月に開業する北陸新幹線の駅も越前たけふ駅だ。なにより、関西の一部スーパーでも売っている、武生製麺という製麺所の蕎麦がおいしい(見つけたらお試しください、寒い時期でも冷たくして食べることおすすめします)。

そんな武生はどんな街かというと、有名な観光地があるわけではないし、福井のイメージでもある海もちょっと距離があるしやや地味。でも、歴史ある街並みや田園、福井市とローカル鉄道でつながっていておもしろいところです。

前泊では、赤星亭というローカルホテルに泊まりました。2F建てでエレベータのない古いホテルですが、清潔で快適です。多くの部屋は風呂トイレ共有ですが、今回は奮発して?キングサイズベッドのあるスイートルームに泊まりました。とはいえ公式価格1人7000円でまあ安価。 共有の大風呂、貸し切りにできてなかなか快適でした。女将さんも感じがよかった。

料金プラン – ホテル赤星亭

注意点として、近くに飲食店はあるけれど、ホテルのまわりは田んぼで暗いこと。夕食を食べてはきていたのですが、妻は呑みにいこうとしていたものの断念していました。ルームサービスで近所の寿司やのものをとることはできそうです。

朝食もよくて煮つけも甘さ控えめでいい味だし、お味噌汁もごはんもおいしかった。

たけふ菊人形

たけふ菊人形
たけふ菊人形
正直、菊人形のよさはあまりわかっていません。

菊の花自体が立派だし育てるのも苦労しただろうとは思うけれど、菊をつかうことの意義がよくわかっていない。娯楽が少ない時期からの伝統、という側面があるとは思うんですが、もっと菊ならではのアートをつくることはできないのでしょうか・・・(でも田んぼアートみたいに地味かなあ)

武生中央公園 ただ、会場の武生中央公園は遊園地のようになっているし無料で遊べる長い滑り台のある立体遊具も立派で子どもが無限に遊んでいられそうです。駐車場も無料。すぐそばにスターバックスもあるので親御さんもゆっくりできそうだし、図書館もある。無料の駐車場も広いし一日遊べそう。

かこさとしふるさと絵本館「砳(らく)」

ただ、自分が一番目当てにしていたのは大絵本作家のかこさとし加古里子)の記念館です。武生中央公園からすぐそばで無料で入ることができ、無数の絵本や資料を閲覧できます。 かれの有名な作品として、「からすのパンやさん」とか「だるまちゃん」シリーズとか、「海」とか多数あり、読んだことのないひとのほうが少ないくらいではないでしょうか。じつは東大工学部卒で博士号ももっているバリバリの理系ながら、戦後すぐの川崎でセツルメント活動として子どもに紙芝居を読んだりつくったりすることをやって絵本作りの腕をみがいたということは知りませんでした。偉人すぎます。

かこさとしさん以外の絵本も多数あり子に何度もせがまれて何冊も読みました。その分、あまりゆっくり展示はみれませんでしたが・・・。子にとっては一番印象深かったようです。

越前市かこさとしふるさと絵本館「砳(らく)」 ホーム - 越前市

OSK

そして今回の旅行を強く推し進めた妻にとっての狙いは、たけふ菊人形の目玉のひとつ、かつての大阪松竹歌劇団として知られるOSKによる第43回たけふレビューです。全席チケット2000円で宝塚やほかの観劇を経験した身からするとかなり手ごろ。

レビュー自体はなかなか華やかで踊りも歌もいい感じ。Calling Moonというタイトルで、かぐや姫の舞踏は、単衣(?)を効果的につかっていてなかなか艶やかで印象深く、どうしても男役をたてる構成になる宝塚と比べても女性が目立っていた気がします。

カートを押した高齢者の途中入場もあったり、「ヨッ、ニッポンイチ!」という合いの手も聞こえ、緊張感のある宝塚とくらべると牧歌的です。宝塚が殺伐としているわけではなく、暗黙のコードやマナーが多いからそう感じてしまうだけでみなお優しいとは思うのですが・・・。 (最近のトラブルについてはどこかでなにか書くかも)

食事

行きたかったお店は、イベント出展でお休みだったので、妻がみつけてきたカフェ「かくれんぼ」で軽食。外からみると敷居が高かったのですがかなりいいお店でした・・・ 喫茶かくれんぼ

コーヒーは注文してから豆をひいてからのハンドドリップでかなりおいしい。3歳児が頼んだトマトジュースにはレモンスライスも入っている。焼うどんもいい具合。 喫茶かくれんぼ店内

こういうお店、家の近くにもあってほしい。

たけふ新駅

北陸新幹線の新駅、たけふ新駅はすぐそばに道の駅もあり、寿司屋もありました。15-17時は休みで入れませんでしたが、大好きな武生製麺の直営の蕎麦やがあり嬉しい。天ぷらもおろしそばもよかった。なぜか道の駅にある魚屋の品ぞろえもよかったのでまた寄りたい。 福井、いい魚があるはずなんだけれどスーパーの魚は微妙で街中の魚屋もあまりみないので西武以外でいい魚を買える場所あまりわかっていない。 越前たけふ駅

ほか、打ち刃物の里とかも気になるけれど今年は行けず。武生、関西からだと、京都市から高速で2時間半、下道でも湖西道路で3時間ほど、電車だとサンダーバードで90分とまあ近い距離でおすすめです。

OSKとあわせて恒例行事にしたい。

「スローフード宣言」(アリス・ウォータース)読書メモ

アリス・ウォータースはカリフォルニア州バークレーで「シェ・パニーズ」という、アメリカでもっとも予約の取れないといわれるお店(出典不詳)を立ち上げた方として知られてる伝説的な人物です。NHKの番組にもなっていたらしく、日本でも知られていそう。

当時、ファストフードや食の工業化が世の中に広がり、また前向きに受け取られていた中で、その地域の、旬の食材を使ったシンプルな料理が多くの人の心をつかんだらしい。ミーハーなので行ってみたい気持ちはある。

シェパニーズ - Wikipedia

公式HPもシンプルでかっこいい。

Chez Panisse

彼女を知った経緯は本屋さんで「アート オブ シンプルフード」という立派で魅力的な本をみかけたから。自分はソフトウェアエンジニアとして日銭を稼いでいるんだけれど、業界で最も有名な出版社オライリーは「アート・オブ・プロジェクトマネジメント」などアート・オブから始まる名前の本もいくつか出していて同じように惹かれたのかもしれないし、この業界ではシンプルさと、シンプルを保つことが重要だとはさまざまなところで語られ、自分も仕事をするなかで痛感しているというのもある。

この「スローフード宣言」は、著者の考えてきたことのエッセンスを短いエッセイとして多数まとめている構成になっている。まず、スローフードというとゆとりのあるお金持ちの趣味ではと思われたり、オーガニックというと(一部の行儀が悪い業者やインフルエンサーの誤った言説のせいで)疑似科学な印象をもつ人もいるかもしれないけれど、本書はそうではなく、人間性を大切にすることを中心にしていて多くの人に受け止めやすいように思える。

そうだよな~、と思うところは多かったけれど、特に印象に残ったのは「いつでもあるのがあたりまえ」の章。あらゆる野菜がいつでもあることによって、本当の旬がわからなくなってそれによって喜ぶも減るという指摘はたしかに自分にもあてはまってる。これは栽培技術や輸送技術の発達もあって、素晴らしいことでもあるんだけれど、感覚をにぶくさせているようにも思う。

ひとつだけ注意しておくと、本書ではエディブルスクールヤードという、学校での食育が大事だと説かれているけれど、料理人視点での取り組みなので、生産者の経営や物流、また食料供給についてはあまり気にされてはいない。かなり抑制的に記述されているので間違いではないけれど、本書を読んでこういう農業やろう!と就農するとかなり厳しいだろうし、生産者に給食向けに出してよ、と気軽に言うと想像以上の負荷をかけることになる。でも消費者として地域の、いい生産者のものを選んだり、食の現場に触れたりするのはコミュニティのためにもなるし、なにより楽しい。こういう飲食店が近くにあってほしい。

ちなみにオーガニック給食に関心がある人はAgriFactのこれらのシリーズは必読です

agrifact.jp

おもしろかったところいくつか抜き書き(引用じゃない項目は要約です)

自分の食べ物を育てることは、お金をするようなものだ

ロン・フィリー(ゲリラ・ガーデン)の言葉の引用。いい。

鶏一羽で6種類の料理が出来る

ホセ・アンドレスの言葉。「ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室」でもこれに近い記述があったけれど丸鶏を調理する文化はちょっとうらやましい。日本では丸鶏はあまり売られていないし日本語でのさばき方ほとんど見ない。

スローフード文化を伝えるための言葉選びにはいつも苦戦します。この文化を定義する言葉(コミュニティ、寛容さ、協力など)は使い古され、マーケティングにも利用されてきたため、それだけを聞いても人の心が動かなくなってしまったのです

これはある・・・。サステナブル/持続可能とかも近いよな~。グリーンウォッシングともいうけれど、コピーは簡単にコピーされてしまい力を失ってしまう。

  • 劣化している現状では、維持するだけのサステナビリティでは足りずリジェネレーション(環境再生)が必要(ロン・フィリー)

この視点は大事だけれど、アメリカの環境再生型農業はちょっと日本の土壌・気候とは違うし受け止め方が難しい。

いちばん好きなトマトは、八月の暑い盛り、カリフォルニアのポープ・バレーの東にあるグリーンアンドレッド農園が乾地農法で育てたアーリーガールトマト

気になる。自分の押しトマト、ちょっといえないな~。ナスはあるけど。ちなみにこのあと、イタリアのサンマルツァーノをカリフォルニアで育てることを批判している・・・。

知らなかった

手は心の器官である。縫い物も、材料を混ぜることも、リンゴを収穫することも、すべての手仕事は瞑想的なのだ

モンテッソーリの言葉。身体性が大切だとは思う。

  • イラクにあったシードバンク、2003年の侵攻寸前にシリアに移されさらにレバノンに移送された。近年カンザス旱魃がつづいて乾燥に強い種をもとめてこのシードバンクにあった種が役立った(「抵抗の種」マーク・シャピーロ)

おもしろい。

  • 米国で35歳以下の農家の数が増えたのはこの100年で2度目、というワシントンポストの記事があった

へー。

  • (単調作業がちな)キューバの葉巻製作者、毎日の繰り返し作業の中で、話が得意な同僚を工場の中央に立たせ、全員に向けて読み聞かせをする仕事をつくって賃金を払うことをみんなで決めた。何を聴きたいかは労働者みんなで決める。

おもしろい。

  • セールスフォースでの講演での質問「企業として明日から始められる人間的な一歩で、ビジネスにも変化をもたらすものは何かありますか?」には 「ランチを一緒に食べること」 と答えた

わかる

毎日の料理に欠かせないベースの食材は、両手で数え切れるほどしかありません。オリーブオイル、ニンニク、酢、塩、レタスとハーブ、アンチョビ、スパイス、小麦粉、卵、レモン。私の場合は、これだけあれば何でも作ることができます

どうつくるんだろ・・・。洋風お好み焼きが想起された。アンチョビは常時使いたいが高い・・・

本書で紹介されていた未邦訳だけれどきになる本。本書がヒットしてついでにこれらも訳されてほしい。

  • 「小さな土地と少ない水で想像より遥かにたくさんの野菜を育てる方法」ジョン・ジェポンズ
  • 「小さく考えよう」(ウェンデル・ベリー)
  • 「山々に語らせよ 川を走らせよ」(デイビッド・ブラウワー)
  • 「抵抗の種」(マーク・シャピーロ)
  • あとエリザベス・デイヴィッドとかジュリア・チャイルドのレシピ本

育児雑感 2023年秋

いつのまにか子も3歳になってきて、生まれてすぐはこまめに書いていた育児日記も途絶えて久しい。 途絶えた理由として、子をみていても、保育園でほかのキッズをみていてもかなり個性の差を感じてきていることがある。 子育てをしているとおもしろエピソード(親はつらいことも多いけど)がぽこぽこ生まれるけれど、なにげなく書いてしまうことがなにか子のプライベートをさらしてしまうような気がしてしまうのです。

そう、友人の子や保育園のクラスメイトをみていても1-3歳時点でもかなり個性がはっきりしている。もちろんみな幼児だからこらえ性はないし、甘えたがりだしわがままなんだけれど、たとえば、情け深さとでもいえるような人をかわいがる気持ちのある子もいたり、おもちゃを片付けるのに几帳面だったり、(ほかの幼児を)しきろうとしたり、マイペースだったり、ちょっとこずるかったり。 このあたりの性格のようなもの、長じて変わることもあるだろうけれど、持続してしまうような気もしてしまう。

そのため、子のおもしろ話をそのまま書くと子の特性が透けてみえるものも多そうなのであまりTwitterやブログなどパブリックインターネットには書かないつもりです(でも気が変わって書いて自慢したり愚痴ったりすることもあるかもしれません)。 自分のTwitterで子のふるまいとか性質を知ってそれからリアルであってそのままの挙動をしたときに「お父さんのTwitterのまんまだね」と言われたら傷つきそうかな、と・・・。

特性があまり関係ない偶発的なものとか、学習プロセスについてのものは書くこともあるかも。 例えばこれとか。

ただ、ほかのみなさまの書くものは楽しみにしているので遠慮しないでおいてください。

ちなみに、性格だけではなく、ほとんどの子は1-2歳くらいの段階で大きくなってからの顔だちを想像できる子どもも多いです(自分の子だけはなかなか想像しにくいんだけれど、これは実子だからかな?)。

「物価とは何か」(渡辺努)を読んだ。物価、なんなんでしょうね・・・。

農作物の価格がなかなかあがらないなあ、ということに関心を持っている流れで読んでみました。 東大の経済学部教授でかつ物価情報を配信する株式会社ナウキャストの創業者の渡辺努先生による、インフレや物価理論、中央銀行の取り組みを紹介する本です。ただ、昨今の値上げが目立ち始める前、ロシアのあの蛮行直前の2022年1月に出版された本のため、このところの日本の物価高は反映されていなく、日本はずっとデフレだね、なかなか物価上がらないね・・・という論調ではある。

とてもすべては理解できなかったけれど、簡単に理解したところをメモしてみます。

まず、身近で重要だと思った概念は屈折需要曲線。これまで、需給で価格が決まるのはなめらかな曲線だと思ってきたけれど、マーケットによってはこの需要曲線は屈折しているという。これは一定より値段があがると需要は急激に、屈折して下がっていくというもの。たとえば、原価の多少の上昇があったときに、ひとつの事業者が販売価格に転嫁して値上げするとライバル企業に顧客がいっきに流れてしまうため、需要は急減してしまう。そのため原価の上昇がさほど大きくない場合は、価格据え置きのほうが必ず利益が高いという。これがあるから各社は仕入れ値があがったとしても価格に転嫁することを躊躇してしまう。

そしてステルス値上げといわれるような小細工をしてしまう。いまは、耐えきれなくなった大手が続々値上げをしているので状況は変わっているかもしれないけれど、この仕入れ値向上から値上げまでにかかる時間は悩ましい。

ひとつの解決策の例として、米国の大恐慌期のデフレにおいて当時のルーズベルト政権のとったデフレ脱却のために企業のカルテル行為を一時的に容認するという措置は参考になるかも。これは独禁法などを扱う分野である産業組織論の研究者からは間違いだったとの主張がある一方で、マクロ経済学の最近の研究では、必要悪だったとされているとのこと。ただ、消費者からは不況下に値上げを誘導する行為でどう受け止められたんだろう。

また、物価の硬直性の原因として、メニューコスト仮説として、カタログやメニュー表を変更するコストがあるからというものがある、これはわかるんだけれど、特にB2Bではどういうメカニズムが動いているか、例えば巨大な自動車メーカが仕入れ先の部品メーカにどう値下げ圧力が働いているときに、それを乗り越えて価格をあげるにはどうしたら、とかも深堀してほしかった。

これから海外での物価高と合わせての円安によって日本も引きずられて物価高になっていますが、これからどうなるでしょう。数十年のデフレ下で値上げプロセスになれていない事業者と消費者がいるなかでどういう経過をたどるかは気になっています。

以下その他の読書メモ

  • デフレがなぜ問題なのか。消費者にとっては価格が安くなってうれしいけれども、大事なのは企業が価格支配力を失っていき活力を失ってしまうこと。

  • 物価を計測する手段としてレジのPOSデータを集計していくことがあげられていたけれど、それだとAmazon楽天、また生協などのECや通販は補足できなく、これが影響の大きい分野のものは正しく計測できないのでは、と感じた。

一匹の蚊の飛び方を研究して完全に理解できたとしても、それは蚊柱を理解したことにはなりません。たくさんの蚊がたがいに適切な距離を保ちながら移動し蚊柱を構成する仕組み、つまり集団としての蚊の振る舞いを知る必要があります

この物価を蚊柱にたとえる比喩はおもしろい(初出は岩井克人の「ヴェニスの商人資本論」、10年前に読んだはずだけれどまったく覚えていない・・・)

価格の協調、とくに値上げ方向への協調は、一歩間違えばカルテルで犯罪行為です。しかし、米国の大恐慌期のデフレでは、デフレ脱却のために企業のカルテル行為を一時的に容認するという思い切った措置を、当時のルーズベルト政権はとりました。これについては、独禁法などを扱う分野である産業組織論(ミクロ経済学の一部) の研究者からは間違いだったとの主張がある一方で、マクロ経済学の最近の研究では、必要悪(価格のフリーフォールからの脱出に役立った) との主張がなされている

不況期にやると消費者から反感をもちそうだけれど、どう合意をとったのかは気になる。

(要約)物価水準の財政理論(FTPL)では、貨幣の裏付けは国家の徴税権にあると考える。これによると物価が上がる将来の税収見込みが減ったときという。

将来減税すると政府が決めたり、橋や道路の建設に大きなおカネをつぎ込むことを新たに決めたりすれば、貨幣(と国債)の裏づけに使える税収が減ります。そうなると貨幣の魅力が薄れ、需要も減り、その結果、物価が上がります。この典型的な例は戦時インフレです。

減税によって物価が上がるというのは、たしかに手元にお金が残るなら物価も上がるか、と思ったけれど、そうなら今の税収過去最高・物価高はどうなんだろう。

1970年代からの高インフレで苦しんでいたブラジルは、貨幣量抑制しようと金利を引き上げたが、インフレは収まらなかった。これは金融引き締め時点ですでに債務残高がきわめて高かったため財政収支の悪化が大きくなったからと考えられる。

債務残高の高い日本で高インフレになってしまうとあとがたいへんそう・・・

人々の協調行動と、その背後にある予想が重要な役割を果たすのは、スーダンの事例だけでなく、高インフレの他の事例も同様です。ハイパーインフレの事例を調べた研究では、高インフレを起こす仕組みとして、①物価がX%の率で上がると皆が予想し、②その予想を踏まえて企業や店舗が値札を書き換える、③その結果実際にその率で物価が上がる、というメカニズムが考えられるようになりました。  この仕組みは、人々が予想したことが実際に実現されるので「自己実現的予想」とよばれています。これによって起こるのが「自己実現的インフレ」です

人々の予想が織り込まれるということは株価と同じ?

インフレを実現するには、二つの条件が必要ということがわかりました。第一の条件は、人々がそれを予想し、その予想が社会のコンセンサスになることです。第二の条件は、中央銀行がだぶついた貨幣を吸収するオペレーションを行うことです。二つのいずれが欠けてもインフレは起こりません。

貨幣吸収というのはインフレ対策としての金融引き締めということでもあると思うんだけれど、うまく腹落ちできなかった。

景気がよくなって失業率が下がると賃金上昇率が高まるという関係がはっきり見えます。この関係が最初にアルバン・ウィリアム・フィリップスによって発見されたのは一九五八年のことで、「フィリップス曲線」と名づけられました

失業率とインフレ率が関連するというのはおもしろい。

貨幣量の増加は、短期的には望ましい効果をもつが、長期的には有害(高インフレ) 無益(失業率の改善なし) ──一九七〇年代初には、こうした理解が経済学者とポリシーメーカーのあいだのコンセンサスとなりました

いまの日本のような少子高齢化で失業率が低くなっている状況はどうなんだろう。

価格が硬直的であるからこそ、貨幣量の増加で失業率が改善する

うーん・・・

ポリシーメーカーと経済学者は、この半世紀のインフレとの闘いの果てに、インフレ率のコントロールにはインフレ予想の安定が不可欠という理解に到達し、そのためのツールとして予想に働きかける政策を編み出してきました

IR的な?

一九八七年から二〇〇六年までFedの議長を務め、マエストロと称賛されたアラン・グリーンスパンは、一九九四年の議会証言で、中央銀行が目指す物価安定とは何かに言及し、「経済主体が意思決定を行うにあたり、将来の一般物価水準の変動を気にかけなくてもよい状態」と定義しています。

この、意識されないのが目標というのは危機対策組織と似ているのかも?

そんな感じです。

「異常【アノマリー】」感想。いい読書体験だった

SF小説「異常【アノマリー】」を面白く読めたので感想文を書きます。 (末尾にスペースをあけてネタバレ感想を書いています。そこまではネタバレなし)

まず、その異様な表紙の写真に目が行く。荒野にいる2人の赤い服を着た黒人女性のようだけれどよくみると顔が、ない。AIがつくった失敗画像のようにもみえるけれど、この不穏で不気味な表紙から興味を掻き立てられて手に取った。

読んでみると、殺し屋や歌手、弁護士、子どもなど住んでいる地域も職業もばらばらな人たちのそれぞれの生活の様子が描かれている。ある種の群像劇。どこで交わるのかと思うと、数か月前に同じ飛行機にのっていたことが少しずつ示される・・・。

そこまでの描き方もうまいし、この事象について明らかになる場面では驚いてさらにページをめくる手がすすんでしまう。読書体験としてたいへんよかった。もし、ある事象が起きたら、というまさにスペキュレイティブ・フィクション/思弁小説としてのSFの傑作だと思う。 その事象への人類の対応を考えるために、科学者を結集させたり、各世界宗教の代表者を集めて議論させるところもおもしろい。

ただ、読書体験としてはよかったけれど、読み終わってから振り返るとちょっとした物足りなさも感じる。まず、創作にしては珍しいことにFBIが組織として善良で有能すぎることと、インパクトのある表紙と内容があまり関係なかったこと。

FBIが有能だったということでこの事象が起きる中である程度穏健なシナリオだったともいえるし、それによってフォーカスされるものも魅力的ではあるのだけれど、自分の下心としてはもっと混沌がみてみたかった。たとえば事なかれ主義が蔓延した日本で発生していたらどうなるか・・・と考えてみるとちょっとおもしろいかも。

著者のエルヴェ・ル・テリエはフランス人で数学者でもあって実験小説もいろいろ書いているらしい。多才ですごい。

ちょっと脱線します。本作のタイトルから連想したものに木城ゆきとの傑作SFマンガ「銃夢LastOrder」に登場した「アノーマリー/例外者」という怪物があります。これは自己増殖ナノマシンの暴走でナノマシンの海と化してしまった水星で発生した、人間をカリカチュアしたような造形をしている疑似生物で、行動原理は不明だったけれど、ある人物はそれを人間を模倣し暴力によってコミュニケーションをとろうとしているのではないか、と推測していました。そのときのセリフを引用します。

彼ら・・・とりあえず「水銀族(メルクリオン)」と呼ぶが、彼らは人類とコミュニケーションをとろうとしているのかもしれない。
非言語的アプローチが可能なZOTT*1という場に「アノーマリー」という大使を送り込み我々の姿形・・・そして本能的な行動を模倣させることによって・・・!!

だとするならば
科学者よりも・・・
政治家よりも・・・
軍人よりも・・・
宗教家よりも・・・

空手家!!彼らほどこの任務に適した人種はいまい!!

こうして超電磁空手の使い手、刀耳とアノーマリーが対決します。空手の「無用の術」、「愚」を体現していてたいへんおもしろかったのでSFマンガに抵抗のない方は機会があれば手に取ってみてください。

以上、アノマリーと名前が一致しているだけなんですが、印象深かったので共有しました。

さて、以下に本作のネタバレ感想












はい。ここからネタバレです。 本作で描かれる異常な状況とは、ある日、突然の嵐のなかから3か月前に着陸したのとまったく同じ飛行機が、パイロットも乗客もその3か月前の状態のままで現れる、というもの。これを管制が検知して、こうした異常事態向けに作成された手順(そんなの起こるわけがないだろう、ということで制作したSF好き科学者たちによってパロディだらけでつくられていた)に基づいて対応される。そして、複製されたクローンたちを社会がどう受け止めるか、また社会復帰できるように調整されていくなかで起きる混乱と社会の衝撃を、さまざまな人々の群像劇とすることで描いていくというもの。

人の手にも異星人の手にもよらない自然現象的なこの異常事態をタネに、人々の葛藤を描くというのが主眼な気がする。 だれかの超能力や発明、異星人をタネにする作品とは違って、人が主体だし、中盤になるまでこの事象が読者にも明かされないことでの不穏さを感じるはらはらするような読書体験だった。

ただ、この事象を検知してすぐに飛行機を隔離して個別にオリジナルを追跡して身分を保証しようとするアメリカとFBIが有能・善良すぎて泣ける。もし現実に起きたら、着陸時に飛行機のぐだぐだはありつつもなし崩し的に空港外に出ることになって混乱してしまいそう。その混乱を読みたかったようにも思う。

もしそうなっていたらどういう展開になっていただろう。 飛行機の中にいるうちに3か月タイムスリップしたと錯覚するだろうし、そうすると最初はオリジナルが定刻に到着していて3か月も生活しているなどとは思わないだろう。けれど、スマートフォンで見るメールやSNSなどでタイムスリップしていないオリジナルがいることにも気づくか、飛行機でトラブルにあったと家族や職場に電話して狂言と疑われて混乱のもととなるかもしれない。単身者だと家で鉢合わせになることで発覚するかもしれない(SIMがクローンされることで電話がどうなるかはわからないけど)。そうしたときに、個別の案件となってしまうと行政も腰が重そうでアイデンティティクライシスが起きそうだ。

そのままだと暗い話になりそうだけれど、世の中に、高度な専門家が2人いることになることではじめて解決できる問題があったり、家庭のトラブルみたいなものを2人に分裂することで穏便にできる場面を描けると、おもしろいかも。うーん・・・。

いくつか気になった文章を引用しておきます。

彼女がアンドレに伝えたいのは、彼女の柔らかい肌、すらりと細い脚、血の気のない唇、彼らが彼女の美と呼ぶもの、さらには彼女と付き合うことで味わえるはずの愉悦に心を躍らせて彼女を欲しがり、彼女のなかにそうした要素しか見ようとしない例の男たちすべてに、彼女がうんざりしているということだ。ハンターとして近づいてくる男たちに、狩りの獲物をこれみよがしに壁に掲げるように彼女を飾りものにすることを夢見ている男たちに、うんざりしきっているということだ。

魅力的で男をひきつけてしまうバツイチ子持ちのリュシーと、彼女への恋に落ちてしまう高名な建築家アンドレの関係性は危うさするものがある。アンドレの不安と、どうしようもない状況。サガンの「悲しみよこんにちは」を連想した。

「トト、ここはなんだか……」  声は待つ、じっと待つ。エイドリアンはうつろな声で言う。 「……もうカンザスじゃないみたい」

オズの魔法使いのセリフが合言葉になっている。

ベン・スライニーの仕事初めの日だ。 アメリカ連邦航空局 本土管制本部長に就いたばかりの彼は、歓迎会のコーヒーとドーナツを腹に収めた二時間後、四千二百機の飛行機を地上にとどめ置くという前代未聞の決断をひとりで下すことになる。人生にはそんな日もあるのだ。

これが実話だったということに驚いた。911のときの管制本部長。

「招集してほしい科学者のリストを三十分後にお渡しします」とティナ・ワン。「哲学者も二、三人必要です」 「えっ? それはなぜだ?」シルヴェリアがたずねる。 「なぜって、なぜ科学者だけがいつも夜なべ仕事をしなきゃならないんです?」

昨今の社会学の一部が学問の体をなしていないとするSNSでの批判を思い起こしてしまった。でもこういう倫理の問題でサイエンスコミュニケーションするためにも必要だよな~、と思いました。日本だとこういう枠のひと、誰なんでしょうね。大学で哲学研究している人とか、評論家ではないような気もする。

「〝エルピス〟──希望ですよ。これこそ悪のなかでももっとも始末の悪いものです。希望がわたしたちに行動を起こすことを禁じ、希望が人間の不幸を長引かせるのです。だってわたしたちは反証がそろっているにもかかわらず、〝なんとかなるさ〟と考えてしまうのですからね。〝あらざるべきこと、起こり得ず〟の論法ですよ。ある見解を採用する際にわたしたちが真に自問すべきは、〝この見解に立つのは単に自分にとって都合がいいからではないか、これを採用すれば自分にどんなメリットがあるのか?〟という問いです」

これはことなかれ主義の本質だよな~。そしてこの道徳感情によって思い込みが発生して冤罪もうまれる。

真実とは、それが錯覚であることを忘れられた錯覚である

ニーチェの言葉らしい。虚無主義にすぎる・・・。

*1:太陽系で大国の権力が確立したなかでのガス抜きのような興行