ぜぜ日記

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通勤読書メモ ガープの世界、有頂天家族

5月の晴天にも関わらず、ぼくは寮の部屋にこもりきりであった。いろいろ人生について物憂げに考えるふりをしたり、将来を見据えてなにかしようと考えるだけ考えたり、独り身の寂しさを嘆いてみたりという不健全で不衛生な一日だ。課題は一瞥だけし、開きもせず、先週のぼくがこれをやるぞう、と決意したものにも手がつかない。かといってテレビをだらだら見たり、ゲームしたり、ネットサーフィンしたりという分かりやすい娯楽に逃避するわけでもない。この、一見するところ非生産的の極みのような生活は、じつはとても貴重で充実した時間なのだと思う。(以下略)


ここしばらくで読んだ本について、感想というかメモ程度に残してみます。
いつにもよって、本はほしいひとは気軽に連絡ください。


バルタザールの遍歴 佐藤亜紀
第二次大戦前のウィーンを舞台にしたとある奇妙な没落貴族の転落を描いた不思議な作品。
アゴタ•クリストフの悪童日記などの一連の作品とモチーフも舞台も似てる、けど立場が大きく違うし、暗さの方向も違う。こちらは大人の話なのに戦争の不穏さはまったくない。テンポが良くて、やや退廃的で、自由。ウィーンの耽美的な暗さと、ハーウィヤの空虚な明るさ。そしてお酒。
なぜか酒で味を持ち崩してもよいかな、と思えてしまった・・。
設定がやや唐突な気がするし本筋に絡んでいないのが気になる。作者は一部の論争から推測するにかなり攻撃的で好きになれないけど、作品はおもしろい。

ネイチャージモン6巻
肉とクワガタの聖典。いま唯一新刊を購入している漫画。やたら濃くて今回もヒートアップしてる。
どんな漫画か説明するのは難しいのだけど、こんな漫画。
「あなたの死亡率は100%です!残念ながら人は必ず死ぬのです。だから、だから、今日を、この時間を、この一瞬を一生懸命に生きよう。楽しもう。感じよう。やりたいことを、今から全力で思いっきり味わおう!」byネイチャージモン
読みましょう。そして食と生を謳歌しましょう。


有頂天家族 森見登美彦
京都を舞台にした人と狸と天狗が織り成すホラ話。勧善懲悪で、回収していない伏線もあるけれど、娯楽小説としてとても秀逸。絵本的。男兄弟の母親に読ませてみたかったりする。もしかして続くのかな?

69 村上龍
タイトルは性的なものでなくて、1969年という意味。中身は童貞高校生レベルの性的描写あり。
反戦運動をファッションと割り切る、単純だけど強かな高校生が主人公の青春小説。素直に反思想。いまの高校生がこれを読んだらどう感じるだろうか?もしかしたら毒薬かも。従順で自立することを知らなかった高校生の頃の自分が読んだらどうなってたかな。。高校は家畜の選抜機構とかちょっと古いモチーフも多いけれど、なにかに反発したくなる。時代感もおもしろくて長崎弁が移りそうになる。

ガープの世界 ジョン・アーヴィング
ある作家の生涯を描いた話。性欲・不倫・強姦や暗いモチーフにまみれているけれど、重く感じさせずに、むしろユーモラスにどんどん読める。なにかが得られるわけではないかもしれないけれど、おいしい小説。悲劇的な滑稽さ。登場人物たちの、一風変わったがんこで、しかしスジの通った考え方・世界の捉え方はおもしろい。やや長めだけど、この長さが読者を物語に没頭させる機能をもっている気がする。そのうえでのエピローグはかなり良質なカタルシスを与えてくれる。読後感の、他にないような不思議な気持ちよさがとても好き。これほどのまるで自分が直接体験したかのうような文章を書けるというのはすごい。アメリカではミリオンセラーということだけれど、それもわかる気がする。

いろいろおもしろい言葉があるのだけど、ひとつだけ。これと同等かそれ以上のレベルの示唆に富んでいそうなの言葉がそこかしこに溢れている。
立派な食材を使って、手抜きをしさえしなければ、だいたいなにかうまい料理をつくることができる。ときとして、自分の食べるものが、その日一日のなかで自分の産み出した唯一の価値あるものであることもある。創作の場合は、わたしの経験からしても、じゅうぶんな素材とたっぷりの時間、気配りをかけてなおかつ、なにも産み出せないことがある。それは恋愛もまたしかりである。それゆえ、懸命な努力をする人が正気でいられる場所は台所である。



なんだか小説ばかりだな・・・。
ちょっと現実逃避が過ぎたかも。これからはもっと技術書・専門書読んでいこう。

小説を読むことについて少し今の考えを整理してみる。
http://tundaowata.info/?p=11914
こんな文学理論の話もあって、こういうのを知るともっと深く小説を読めて楽しいのかもしれないけれど、自分は美味しいから読んでいる。手元に美味しいお菓子があるし、それを食べる時間的金銭的があるから読んでいる。根暗の趣味かもしれないけれど、外を歩くのと同じくらい小説も思索に満ちている。読むことによって、なにかを得ようとは思っていないけれど、経験少なく単調な日々を送りがちな自分にとっては思考を拡張するのに役立つのではないかとすこし期待してなくはない。もしかしたら人生観が比較的ふわふわしている18歳までの読書とは性質も違うかもしれないけれど。
コンテンツを消費しているだけかもしれないけれど、他のたいていの趣味と同じくらい非生産的だとは思っています。