特に誰と名指しはしないけれど、twitterあたりの半匿名でオープンなSNSで人がどんどん攻撃的になっていくさまを見ることがある。
見ていて残念な気持ちになりながらも、ちょっと傾向があるようなことに気づいた。がっつり想像も入っているけれど、こうなってるんじゃないかと思うことがあるので書いてみる。
まず、どういう人が攻撃的に変化していくかというと、ちょっと堅めの話題(社会問題とか政治とか技術とか)について、素人目にして鋭いなあと感じたり、経験に裏打ちされた自信がありそうに見える人。もちろんこういう人がすべてというわけではないし反例もたくさんあるけれど、たいてい実写アイコンであったり、名前をそのまま使う人が多い。
彼ら彼女らは自分の知らない世界の話や、自分では思いつかないようなことを書いている。たいてい実直で、歯に衣着せずにずばずばものを言うからこそおもしろいのだけれど、これはけっこう敵もつくる、というか被害妄想気質な人々は自分が否定されたと思って噛み付いたりもする。いわゆる荒らしのようになってしまう。
ネットだとそういう人が現れることは珍しくもないしスルーが推奨される。でも、彼らは素直なので毅然と応答したりする、そして荒らし側は匿名で失うものがないからか粘着的に絡んでくる。泥沼だ。その荒らしによってどんどん怒りが引き出されいて言葉も悪くなってきて見てられない。かといってこういうときに第三者が絡むのは火に油になるから傍観するしかない。
そういう対応はどうしてもストレスがかかるし、すさんでくる。そして、これが続くと怒りの表明のしきい値が下がってくる。次に誰かがつっこみを入れてくると、それが軽い茶々のつもりでも、以前の荒らしとの対応の学習からか、すぐに反撃するようになるような。言葉は丁寧でも慇懃無礼だったり嫌味ったらしかったりすることが多い。それがさらなる炎上というか暴言合戦になってしまう。
この攻撃的な態度は、一部のファンからは応援される。「気にしないでください」であったり、一緒に攻撃したり。これは、その攻撃を正当化して、当然だと思うようになってしまう。本人の実直さ、素直さの向きが変わってしまうような。
これが悪化すると、好意的なコメントばかりをRTして、批判的なものを晒して罵倒するようになる。ある種の信者的なグループを形成しているようにも見えてしまう人もいるし、なかにはその他者を罵倒するという行為に目覚めて、ソーシャル喧嘩師*1の一角を占めるようになる人もいる。
そしてネット上の狂犬教祖として好意的なコメントを集めるためのプチポピュリズムを体現する。
・・・
だからどうこういうわけでもないけれど。ちょっと思ったこと。
*1:なんでもソーシャルつければいいってものじゃない