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「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」(宮本常一)と観文研

もともとの日本奥地紀行は2013年に読んでいたので10年越し。 dai.hateblo.jp

イザベラ・バードは19世紀の大旅行家で、明治初期に彼女が日本を東京から北海道まで旅した旅行記民俗学者宮本常一が読んで解説していく本。イザベラ・バードが、日本の文化についてよそもの視点をもって、また細かいところもよくみ、日本や日本人についても先入観をもたずに書いているため元の旅行記も単体でおもしろいんだけれど、それを日本各地の文化や歴史を実地で知っている宮本常一が読むことで、自分には気付けなかった、ちょっとした記述から背景を読み解いていておもしろい。文化の分厚さを感じる。

たとえば、バードが泊まった宿では女主人が取り仕切っていたことから、この時代は昭和初期と比べても女性の地位は低くなかったのではないか、それは宗門人別帳と戸籍の掲載順と関係はないだろうか、とか性病と漁業の関係とかを洞察している。

本書を通じて日本奥地紀行を読み返すと、同じ日本・同じ米沢藩でも平地の豊かさと山間の貧しさとのすさまじい対比が印象深い。風呂には入ったこともなく、服もずっと同じものを洗わずに着ていて肌もあれている人々ばかりの様子には衝撃を受けた。また、外国人が来るとなると日本ではどの町でも人々が集まってしまう日本と、まったく関心をもたないアイヌの対比にはどうしても国民性めいたものを感じてしまう。アイヌの人の落ち着いた冷静な様子には現代的な個人主義にも通じるものを感じ、ガリヴァー旅行記の最後の国、アイロニーとして人間の野蛮さを強調している馬の国を連想したけれど、野次馬根性と俗にみえる日本人の好奇心が和洋折衷の工業化を駆動したのかもしれない、とも思った(安易な国民論に近くなってしまうが)。

本書のもとになった講読会は、近畿日本ツーリスト社内につくられた日本観光文化研究所で月一回開催されたものだそうで、いろんな若者が参加していたらしい。そういう場があるのはうらやましくも思う(いまだとオンラインでそういうのはあるかもしれない)。

ほかには古川古松軒の「東遊雑記」、野田泉光院の「日本九峰修行日記」、「菅江真澄遊覧記」で同じシリーズがあるそう。そのときの住人にとっては当たり前すぎてわざわざ記録にする人が少ないことを旅行者が書き留めたことが当時の文化を知るヒントになっているのはおもしろい。

この観文研についてはこの記事がよかった。 seitendo-journal.net

旅は見聞により人間の成長を促します。と同時に宮本常一は、「地元が自信を失ってたり、気がつかなかったものに、すばらしいじゃないですかっていう評価を与え」ていくような旅人、また、「国の外でも、中でも、にぎやかなところ、人のたくさん行くところに行くんではなくて、へんなところばかり歩いてるような。そういう姿勢」(『あるくみるきく』70号)を持った旅人との知的交流が、地方の文化に良い刺激をもたらすと考えていました。

このスタンスよすぎるし旅観が変わりそう。もっと旅して旅行記書かねば。