ぜぜ日記

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「冤罪と人類ー道徳感情はなぜ人を誤らせるのか」(管賀 江留郎)はすごい本だった。人間は過ち続ける・・・

最近でも湖東病院事件、大川原化工機冤罪事件、プレサンス元社長冤罪事件と冤罪事件は続いているし、IT関連ではPC遠隔操作事件や、岡崎市立中央図書館事件など誤認逮捕のような事件も起こり、いち国民としても司法制度大丈夫だろうか・・・となんとなく思っていた中でみかけたこの本を手に取りました。 (あとはちょうど100年を迎えた関東大震災朝鮮人虐殺事件も関連している)

タイトルから進化心理学あたりの知見で処罰感情とかを論じるのかな、と思ったけれど、内容は太平洋戦争前後に静岡で続いたいくつかの大きな冤罪事件と、それにかかわる警察や司法、行政や法医学者などに切り込んでそこから人類のもつ問題を抉り出している。Wikipediaや事件好きなら静岡の拷問王こと紅林麻雄のことは知っていると思うけれど、彼や彼がまつわる事件についてかなり深堀りされているし、その周囲にいた迫力のある人間がたくさんでてきて内務省や司法省の権力争いも絡んで読み物としてもおもしろい。

まず、これだけ熱が籠った前書きはそうない。

いや、凡人が間違っていることを示そうというのではない。極めて稀な天才の出現は、隕石の直撃の如きたんなる偶発的な事故に過ぎないが、多数派である凡人の能力には、そうでなければならない必然があるのだ。目の前の現実をありのままに受け止められない凡人が正しく、天才のほうが人間として間違っているのである。この人間の本性こそが、ときに恐ろしい結果を招いてしまうことにもなるのだ

冤罪とは、人間が自分を取り囲む現実世界をどのように認識しているかをそのまま炙り出す問題なのである。だからこそ、これは殺人や冤罪について書かれた本ではあるのだが、嫌でもそこから大きくはみ出すことになってしまう

紅林も初めから問題があったわけではなく、成功体験から自信過剰に陥り、まわりからのプレッシャーによって独善的になっていったことがわかる(紅林は日本で最初の検事総長賞を受賞している)。殺人など重大な犯罪がおきた後、住民の不安が高まるだけではなく、捜査本部がたちあがって捜査員が県下だけではなく隣県からも集められていくことでその経費がどんどん積み重なっていく。これらは責任者に事件収束・犯人検挙への圧力となる。

犯人を検挙すると表彰されるし世間も喜ぶけれど、その逆に犯人をあげられなかったときに批判されることも冤罪への圧力になりうる。自分も、重要事件で犯人を検挙できなかったら警察を批判しそうにはなるけれど、このスタンスは悩ましい。

また、組織の論理を優先させて冤罪の可能性を考慮しなくなっていることもある。裁判官に対してプレッシャーをかけられた人間がいともたやすく偽証してしまうということを体験させるのがよいのでは、と書かれていたけれどそういう研修が必要なのかもしれない。

事実、この紅林の絡む冤罪事件をひっくりかえした最高裁の判事たちのうち4人が、過去に不当ともいえる退任要求をつきつけられていたことや、1人は学生時代に罪もない中で取り調べを受けていたという経験があったことが指摘されているのは興味深い。

本書の著者がブログで紹介していたことをきっかけに紅林麻雄がテレビでとりあげられた際、匿名掲示板の2chTwitterでどういう反応があるかを観測すると、その冤罪を起こした紅林刑事の親族も死刑になるべきだ、などと極端な、冤罪を生んだのと同じ処罰意識をもっていた投稿者もいたという。ただ、これは総数では5%程度でそれぞれの場所でたしなめられていたそうではある。ただし、ふだんは少数の極端な意見として黙殺されることが、関東大震災直後という極限状況で暴走してしまったし、エコーチェンバーを生み出しやすいSNSでは歯止めが効きにくい問題はありそうに思える。

おしいのは、紅林麻雄が部下にどう圧力をかけていたか、警察内のプロセスがあまり描かれていなかったこと。これは参照にたる情報がないのだろうとは思うけれど。ただ、それでも冤罪や事件を扱うノンフィクションとして傑作だったし、警察・司法にかかわる人は読んでほしい。

ちなみに著者の管賀江留郎さんは「かんがえるろう」と読むという冗談みたいな名前だけれど2001年ごとから少年犯罪のデータベースを(最初はミラーサイトとして)運用している古参のネットユーザ。 http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/51340863.html

解説も公開されているのでお忙しい方もこれを読むとよいと思う。 https://honz.jp/articles/-/45975

ちょうど、元裁判官で弁護士をしている西愛礼さんが冤罪学という本を出すそうなのでこちらも気になるところ。

以上。

以下気になったところ抜き書き

わたしの信念でいうなら、犯人はどんな兇悪犯人であってもいや兇悪犯人になればなるほど拷問なしで自白する。人間はそんなにタフに出来ているものではない。良心の苛責というやつは人間の宿命だ。  調べ室に向き合ってじっと目をみつめる。 「おまえ、お父さんお母さんに会いたいだろう」  こう一言やさしくいってやると、ワッと泣きくずれて、 「刑事さん、助けて下さい。頼みは刑事さんだけなのです、そうです、わたしが殺りました──。」 と一さいの泥をはき出すのが大ていの犯人だ。

紅林刑事の談話。こわすぎでしょ。

見渡す限り畑しか見えない農村地帯の浜名郡でさえ駅ごとに芸妓屋が並び立って繁盛しているというのは、いまから考えてみても異様な状況ではある。昭和初期の農業恐慌も戦争景気によって一掃され、農家も豊かになっていた。また、この地域は農業とともに織物産業も盛んで、戦争特需があった

こういう時代があった。戦争の裏での帰還兵と社会との軋轢もこれまで意識していなかった。

戦時中の事件には戦時体制が大きな影響を及ぼしているが、それは一般に考えられているような戦争による重苦しい抑圧ではなく、まったく逆に浮かれて弛緩したバブル世相によるものだった。  日本人で戦場に行った者は少数であり、日米戦がはじまっても徴兵率は六割に上がった程度。日本がほんとうの戦争状態になったと云えるのは、B 29 による本格的な空襲がはじまる昭和一九年一一月からのわずか十ヶ月間で、それでさえ都市の中心部だけ。じつはほとんどの日本人は戦争を体験しないまま終戦を迎えている。

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そんな時代背景を元に、帰還兵や変質者たちが次々逮捕されて、ヤギを盗んで獣姦したうえに絞め殺して井戸に投げ捨てた帰還兵( 28 歳) なども挙げられている。この男は中国出征中に上官を剣で刺し、帰国してみるとそれまで聞かされていた銃後の緊張はなく、闇商売で儲けたりして贅沢をしていることに反感を持って裕福な家に放火したり投石したりして鬱憤を晴らすなど、典型的な例だった。  軍隊内部での上官への暴力事件は軍が重大視して『大東亜戦後ニ於ケル対上官犯ノ状況』(陸軍省 昭和一七年) などの記録も残している

ここらへんの当時の感覚はあまりわかっていない

静岡県警は昭和二〇年三月に、『濱松事件』という部外秘の内部文書を編纂している。一一六ページに渡る詳細なる内容である。  第三事件に駆け付けた捜査員が血の海で苦悶している被害者たちの惨状を目撃したことや、養蚕の時期で他の部屋や土間には一面に蚕棚が並んでおり、「 蚕 の桑食う音がムシムシと惨劇の後の静寂の中に聞こえている」という生々しい描写もあった

迫力を感じる

近衛が推し進めようとしていた〈新体制運動〉の目標は多岐に渡るが、それらの改革を成し遂げるためにも結局一番必要なのは、軍だけではなく各省を完全に抑えることのできる首相の権限強化だった。省の都合よりも自分の云うことを聞く者を大臣に据えたい。とくに司法を抑えておくことは重要だった

たしかに近衛をこういう視点でもみることもできる

松阪広政検事総長は、東條英機首相から政敵である 中野正剛 を起訴して議会に出席させないようにと命令を受けたのだ。しかし、証拠不十分であり、仮に容疑があっても代議士を 造言 蜚語 くらいの軽い罪で会期中に身柄を拘束して議会に出席させないことは憲法違反ともなるのでできないと、松阪検事総長はきっぱり拒否する。 「総理大臣は甚だ失礼ながら、中野のことになると感情でものを言っておられる」

東条英機憲法わかっていなかった

東條内閣が倒れた日に開かれた次期首相を選定する重臣会議では、戦時なのだから軍人が相応しいと云う近衛文麿平沼騏一郎ら文官に対して、米内光政海軍大将は以下のように述べ、文官が首相になるべきだと主張した(『木戸幸一日記』)。 「元来軍人は片輪の教育を受けて居るので、それだからこそ又強いのだと信じている」

知らないことの強さはある・・・

尾崎幸一は元々キャリア官僚ではなく、大阪府警の巡査採用で叩き上げの警部補だった。〈浜松事件〉勃発の半年前、内務官僚に登用されている。府県警優秀警官から抜擢のノンキャリアとして吉川技師の部下になっている

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のちに法務大臣となった秦野章は、日本大学専門部の夜間部政治科を出て警視総監まで昇り詰めているが、卒業後にキャリア官僚として内務省に入ったので、巡査から出世した尾崎とは立場が違う

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似たような経歴に、英国の〈M・O法〉を研究して来いと相川勝六を派遣して、のちに読売新聞の主筆や副社長になった高橋雄豺がいる。高橋は中学卒で警視庁の巡査となり、警察勤務をしながら独学で高等文官試験を一番で通って内務省キャリアに任官、警察幹部を歴任した上、内務省任命の香川県知事となっている。

こういう、ノンキャリアだったり、現場上がりだったりで苦労しつつも出世して影響力を発揮していた官僚がいたというのは良いな。組織が大きくなって安定してくるとなかなかこうはいかず官僚主義の弊害が大きくなってくる印象がある。