劉慈欣先生ありがとうございます。太谢谢你了。翻訳者のみなさまありがとうございます。 三体を生んだ文化、読める文化、これまでの人生すべてに感謝。
※ 本記事では、前半にはネタバレはありません。後半、空白で区切ってネタバレ感想を書いているのでご注意ください(追記)
もうすごすぎる。
2019年ごろに噂を聞いて紙で1巻を買って、文化大革命からはじまるところに面食らって、魅力的なキャラクターやVRや突飛なガジェットがおもしろいな、と思いつつも2巻以降は手に取らずに、1巻を当時中学生だった末弟に譲っていたきりだったんだけれど、この年末年始に帰省したところ、三体IIIまでそろっていて2歳下の弟と高校生になった弟が三体の話で盛り上がって絶賛していたのでkindleでポチって、かなりの勢いで読んでしまった。
この感動を多くの人に味わってほしい。ある種のファーストコンタクトもので異星人との争いが主なテーマだけれど、II、IIIとスケールが大きくなっていってとてもネタバレなしに説明できない。
ちょっと前に、NHKで再放送されたプラネテスのアニメに関連してTwitterで荒れていた元JAXAの人こと野田篤司さんの2013年のブログでSFについて書かれていたんですが、この条件にかなり近いと思うので、少し長いですが引用します。
以前は、私自身無名だったので、誰が要望しても、どんな内容であっても、SFの科学・技術考証を引き受けていた。しかし、手伝った作品が星雲賞受けたのも幾つかあるように、それなりに実績ができたので、選り好みをさせてもらう。
今後は、次の事項に該当するSF小説・漫画・アニメの科学・技術考証なら引き受けよう。・主人公は、主体的に人類は自らの意思で、自ら生み出した科学・技術で宇宙へ乗り出す。
できれば、太陽系外・恒星の世界へ
・テーマは、純粋な科学・技術への挑戦
良い例:「重力の使命」「龍の卵」「マッカンドルー航宙記(除く終盤)」
・人間ドラマは入れない。
・未熟な主人公が単純なミスをしたり、引きこもったりしない。
・権力争い、訴訟、裁判、特許などの紛争を入れない。
・政治、予算獲得など入れない。
・妬み嫉妬や恋愛感情を入れない。
(多少のラブコメは良いか・・)
・必要な科学理論・技術は人類自身が創りだす
・人類に超技術を教えるような宇宙人は出ない。
・対等の宇宙人とのファーストコンタクトは可
・魔物も出ない。
・宇宙戦争は起きない。独立戦争もしない。宇宙海賊も出ない。
・人類は滅びない。太陽系の危機も起きない
主人公は追い立てられて宇宙へ出るのではない。
・減点方式でリアリティを語らない。
・「どうせ無理。できるわけない」は NG。
・ハードSFであっても、少なくとも一つの「嘘」を許す。
・科学技術を肯定的に語る。
・陰々滅滅にならない。以上、言ってみれば、当たり前のSFだろ?
でも、今、こんなSF無いんだぜ。
どうでしょう。これをかなり満たしている小説、気になりませんか。 それに加えて、魅力的なキャラクターたちや異常な状況のカタルシスがすさまじいです。
これだけスケールの大きいSF、ほかにはなにがあるだろうと考えてみると、自分の浅い読書経験では、小川一水さんの、「天冥の標」(全17冊!)や「導きの星」を連想した。これらも間違いなく傑作なんだけれど、問題の巻もあって全17冊は人には勧めにくいんですよね・・・。読んだ人ならこの気持ちはわかると思います。
あとは、鯨を主人公とするところからはじまりつつ、すさまじいインフレを鮮やかに描く天野邊さんの傑作SF「プシスファイラ」が比肩しうるとは思う。こちらはもっと評価されるべきSFナンバーワンなのでみんな読んでください。三体III好きだった人はたぶん好きだと思う。
書評書きました。
というわけでみんな読んでください。そんで感想を教えてください。
以下ネタバレ感想と印象深かったフレーズ抜粋を共有しておきます。
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まず、三体II黒暗森林、冒頭のアリの描写がめちゃめちゃ壮大なSF映画のような情景を思わせて緊張感もあったんですが、やはり国連や全世界を舞台にした面壁者(ウォールフェイサー)4人、めちゃめちゃすごくないですか。
あらゆるコミュニケーションが智子によってつつぬけになるからこその、頭の中だけで戦略を描き、世界の巨大なリソースを公的に使える存在である面壁者を設定したというのがすごすぎる。そのなかにはアメリカの元国防長官や、政治家としても手腕を発揮したトップ脳科学者、南米のテロリストの首魁もいたりとしてその最後にいるのがわれらが羅輯(ルオ・ジー)。そして破壁人(ウォールブレーカー)という言葉の響きもよい。
1巻から通しででてきた大史(ダーシー*1)に頼って、現実逃避しつつも、ついにアイデアを思いつくところからのカタルシスもすごいし、この超法規的な存在に頼らざるを得ない状況を、智子という制約がつくったという物語がすごすぎる(もう語彙がなくてすごすぎるしか書けない)。
妻になる荘顔の登場は、ご都合主義がすぎると感じる人もいるとは思うけれど、ルオ・ジーの幼さ/自分勝手さを描くことと、かれがどう接していいか迷うところは読者にうしろめたさをも持たせていることに成功しているとは思う。「その後」をあっさりとしか描かれなかったことでほっとしました。
場面転換のための冬眠で時代をがらっと変えていく腕力とその描写、近未来の技術とそれによる人類社会の楽観的なムードもよい。 そして、水滴攻撃による破滅・・・。なぜ艦隊を全集結させたんだ・・・とは思うけれど、そのときの章北海のクーデターや、それまでのかれの敗北主義への警鐘とが恐ろしくも強い意思を感じるところ。自然選択(ナチュラルセレクション)という艦名の暗喩もぞっとする良さがある。
あと、全体の話の流れとは関係ないけれど、ルオ・ジーが物語をつくるために人物を想像していたくだりもほんとよかった。なにかはかない美しさがあった。 エピローグの平和の描写も穏やかでよかったんだけれど、三体IIIではどうしてあんなことに・・・(ただ、彼女らが描かれてしまったら後味は悪かったとは思う)。
小ネタ的には、冬眠直前に、ルオ・ジーの遺伝子に反応して強毒化するウイルスメタルギアソリッドのターゲットウイルス、FOXDIE(フォックスダイ)を連想しました。みんなしますよね。
よかったセリフ
天文学は、ドリルの刃を受けつけない鉄の板みたいなもので、穴を開ける場所が見つからない。それにくらべたら、社会学なんか、木の板みたいなもんです。ちょっと薄くなっているところを見つけて穴を開けたら、割とかんたんに紛れ込める
さりげない社会学dis。しかし、社会学がこれほど機能したSFはあっただろうか(まあ、実際には宇宙社会学はゲーム理論的ですが。ゲーム理論と言えば、アシモフのファウンデーションとかもかな(未読)
「文学が人物を描く過程には、最高の状態がある。その状態になると、作中人物は作家の思考の中で生命を得て、作家は彼らをコントロールできなくなる。しまいには彼らの次の行動が予測不能になる。作家はただ、好奇心にかられて彼らのあとをついていき、彼らの生活の細部を覗き魔みたいに観察して記録する。それが名作になるのよ」 「文学っていうのは、変態じみた行為だったんだね」
これによる生活崩壊ぶりもすごい
「いいえ、違います。大部分の人間の恋愛対象も、想像の中に存在しているだけです。彼らが愛しているのは現実の彼・彼女ではなく、想像の中の彼・彼女に過ぎません。現実の彼・彼女は、彼らが夢の恋人をつくりだすために利用した鋳型でしかない。遅かれ早かれ、夢の恋人と鋳型の違いに気づかされます。もしもこの違いに適応できれば、ふたりはともに歩むことになるでしょうし、適応できなければ別れる。そういう単純な話なんです。あなたが大多数の人々と違っているとしたら、あなたには鋳型が必要ないという点ですね」
これはわりと恋愛について核心をついている気もする。
そして三体III死神永生はますますすさまじい。 時代が三体危機発生直後に戻って混乱したけれど、冬眠で時代を飛んでいく描写と、文明の成熟、三体人による支配の苛烈さなどもいいんだけれど、なによりなによりSF描写がすごい。 まず、いまの人類が真理だと考えている物理法則「光速は一定である」というのは現在の法則であって、もともと10次元から始まった宇宙ではもっと速かったものの、物理法則を書き換える手段もとられた星間戦争によって低次元化と光速の低速化を繰り返した結果だという発想が異常すぎる。
程心の上司であるウェイドの襲撃がそれまでとそのあとの周到さを考えると杜撰に感じたけれど、それだけ執剣者(ソードホルダー)のタイミングが限られていたと考えると仕方ないか。ヴァヴィロフやPIAメンバーも魅力的でした。
マシーナリーとも子さんらによる書評会ではIIはBLでIIIは百合だと喝破しておられるのも慧眼。 『三体』三部作が完結したのでマシーナリーとも子と「三体面白かったよね会」をやりました:マシーナリーともコラムSPECIAL(1/2 ページ) - ねとらぼ
全体としては、すさまじいの一言で全然瑕疵ではないんだけれどいくつか気になったことをメモ。答えに気付いた方教えてください。 まず、冒頭の、落日のコンスタンティノープルはなんだったんだろう。魔法とは4次元を意味している? そして終盤の、双対箔、なんとか回避できないかと思ったけれど不可避でしたね・・・。この「種」の文明はなにを目指していたんだろう。あと<万有引力>が、広大な宇宙空間の中で四次元にコンタクトできたことはなにか必然性はあったんだろうか。智子のブラインドゾーンとあわせてここはすこし強引すぎた気もする。最後のデスラインと関一帆もんだったんだ感はあるが、勢いがあるので問題はない。
いくつか印象に残った節を引用
「生命なんか、この惑星の表面にへばりついている、もろくて柔らかな薄皮でしかないと思ってる?」 「違うの?」 「正しいよ、時間の力を計算に入れなければね。米粒サイズの土くれを倦まずたゆまず運びつづける蟻のコロニーに、十億年の時間を与えたら、泰山をまるごと動かすこともできる。じゅうぶんな時間を与えるだけで、生命は岩石や金属よりも強固になるし、ハリケーンや火山よりも強力になる」
しかしその散逸構造ともいえる秩序のもろさも感じるけれども。
「すべての村は消え失せ すべてのタイアハは折られた。 わたしたちはここで、 飲み、食べ、花を愛でた。 だがおまえたちは、ただ石を撒いた」 フレスが吹くディジュリドゥと同じように、この詩は程心の心に響いた。 「二〇世紀のアボリジニ詩人、ジャック・デイヴィスの詩だよ」
寂しい怒りの詩。
「生きているだけですでに、ものすごく幸運なのよ。これまでの地球がそうだった。いま、この残酷な宇宙では、昔からずっと、生きているだけで幸運だったの。でも、いつからか、人類は幻想を抱くようになった。自分たちには生きる資格があり、生きていることは空気のように当たり前のものなんだという幻想をね。それが、みなさんの失敗した根本的な理由。進化の旗が、いままたこの世界に掲げられ、みなさんはこれから生存のために戦うことになります。ここにいるみなさん全員が、最後に残る五千万人に含まれることを祈ってるわ。みなさんが食べものを食べることも祈っています。食べものに食べられるのではなく。」
これは作中でも、現実にも痛烈。ほんと、いま人権・自由を当然のものとして生活してしまっているけれど、薄氷の上でなりたっているような感覚もある。
関一帆「でも、それになんの意味があった? 彼らも、土地も、あとかたもなく消えてしまった。大宇宙では、あれから数億年が過ぎ去った。だれか、彼らのことを覚えていると思うかい? 土地と故郷に対するこの執着、もう子どもじゃないのに故郷を離れたがらない永遠の思春期──きみたち地球人類が滅亡した根本的な原因はこれなんじゃないかな。気を悪くしたら申し訳ないけど、これがぼくの本音だよ」
はい。読んだ後なんだか呆然としてしまっている。これを書いたのも、読んでから1か月たってからだった。 またSFを読んでいこうと思うけれど、これまでと同じ気持ちで向き合えないような気もする・・