大学生のころ、東京行きの夜行バスに揺られて新宿で降りると、どんよりとした雲の下の街は吐瀉物の匂いが漂っているし、裸のおっさんが転がっているしでほんと恐ろしい魔の都だと感じた。しばらくのち、就職して東京駅まで新幹線でやってくると、震災の直後のためにエスカレータはどれも動いていないし照明は暗いし京葉線のホームはやたら遠いしで末法の都だと感じた。
そんな悪い先入観こそあったけれど、実際に数年住んでみると東京はいいところがたくさんある街だった。 もちろんわるいところも多いけれど、自分は東京好きなので特にいいところを3つ挙げてみようと思う。
1. 人が多い
これは最大のデメリットでもあると同時に最大のメリットでもある。 人が集まるから仕事が集まる。仕事が集まるから人が集まる。このポジティブフィードバックがぐるぐる歯止めなく回って夜行列車で金の卵がぞろぞろやってきて線路は延びてニュータウンが育って土地代が騰がってビルがにょきにょき生えている。人が多いから美人も多いし頭いい人も多いしセンスある人も多い。ついでに展示やイベントも多いし勉強会も多い。同郷同窓同好の友人も多く気楽に会いやすいしついでにテレビのチャンネル数もめちゃめちゃ多い。 東京沙漠と揶揄されることもあるけれど、人がつながっていることを感じる機会も多かった(参考画像:カイジの人間競馬シーン)
2. 図書館最高
自分が3年ほど住んでいた江東区も近隣の中央区や千代田区、港区も狭い土地ながら図書館がほんといい。雑誌の種類も多いし本もちゃんと選ばれている印象がある。座席も多く居心地が良いし企画も活発。
比較として、かつて住んでいた某府某政令指定都市の図書館をあげつらってみる。ここには区ごとに図書館があるけれど、自分が行った限りでは雑誌は置いていないし、本の数も少ないうえにセンスもいけていない(主観)。税収が違うから仕方ないのかもとは思うけれど、水族館とかハコモノはつくっているのになんだかなあ、と思ってしまう。
江東区でいえばひとつの区に11カ所もの図書館もある。駅近もあれば歩いて行けるところに3カ所もあってたいへん便利。また、公共の施設ではないけれど、某大学の図書館は区の図書館利用カードをもっていれば閲覧に使えるというのは専門書を気軽に手に取れてよかった。
そのほか、港区はどこも整備されているし本も豊富な印象。アクセスも便利。高い住民税払っているのでみんな使いましょう。 さんざ図書館持ち上げてからなんだけれど、いい本は著者の努力と研究に報いるために買うこと推奨です。ついでに図書館になければリクエストを出しましょう。 ただ、自分はいくつかリクエストだしたんだけれど、たいていの本はあるし、かなり遠くの区の図書館から調達してきたりして買ってはもらえませんでしたが。
3. 冬でもめっちゃ天気いい
これはもしかすると太平洋側なら同じかもしれないけれど、冬なのにスカっとした気持ちよい晴天ばかりでほんと爽快。雨はたまにしか降らないし雪は滅多に降らない。これはほんとすごいことで秋と冬の境目がないようにも思えてずっと秋気分でいられる。
自分の生まれ育った北陸の片田舎では冬には常に鉛色の雲が空低く立ちこめていたので、この晴天続きはかなり異常。同じ寒さでも、晴天だと身が引き締まるようなすがすがしい寒さに感じられる。
デメリットとか
都市特有の問題はあるんだけれど、それ以外の問題はラーメン/つけ麺がくどいのばかりということかな。 自分の住んでいたところに限られるけれど、交通の便はめっちゃいいのに電車は座れるし、家賃も工夫できていたし、地域コミュニティもいい距離感、街の雰囲気も心地よかった。ここらへんはまた気が向いたら書いてみたい。
- 作者: 藤原新也
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1990/06
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 3回
- この商品を含むブログ (9件) を見る
以下ポエム
はじめての東京
人生ではじめて東京にやってきたのは中学校の修学旅行でした。
この田舎の公立中学校の修学旅行では、青木ヶ原樹海をハイキングして洞窟に潜ったり、カメムシだらけのペンションに泊まったり、ディズニーランドでスプラッシュマウンテンに3回くらい乗ったり、ホテルでスーパーボンバーマン2をしたりといろんなことをしたのですが、一番印象に残っているのは東京での中小企業訪問。
これは、当時始まったばかりの総合的な学習の一環かなにかで、クラス横断で各テーマに分かれて調べ物して東京でフィールドワークをするというもの。他にどんなテーマがあったかは忘れましたが、わたしは「製造」コースを選びました。友達から誘われたからなだけであったような気もしますが、他のテーマと比べると男しかいなく、人数も8人と少ないことに自由さも感じていました。
白髪で生え際が後退しつつも自信に満ち精力的な風貌の美術の教師のもと、どんな準備をしたかはほとんど覚えていません。ただ、隣のクラスのタッキーが「製造業に必要なのは、消費者のニーズを知ることだよ」と言っていて、中学生なのに大人っぽいなあと思ったことが記憶に残っています。
紆余曲折を経て、私たちはダイヤモンドカッターをつくっている会社と、アルミ加工の会社に行くことになりました。どちらかが五反田でもう片方は蒲田だったように思います。
これは学校が狙ったことか、わたしたちの人数が少なかったからか、引率の先生もつかず生徒だけでの行動です。 滅多に電車に乗らない田舎の中学生をいきなり世界で最も複雑な東京の交通網に放り込むとどうなるか。山手線はほんとにあったんだと驚愕しながらも人混みの中をおっかなびっくり乗り換えて駅にたどり着くと、迎えに来ていただいてなんとかダイヤモンドカッターをつくっている町中の小さな工場にいくことができました。エンジニアの皆様はつくっているものについてたいへん親切に、丁寧に教えてくれました。ダイヤモンドカッターでガラスを切るデモや、小さい工場だけれど、技術があるからこの小さい製品がひとつ数十万円で売れるという話は刺激的でわくわくしたのを覚えています。ついでに、おみやげにダイヤモンドカッターの無骨な包丁研ぎをもらったことはとても嬉しく感じられました。
ただ、その次の工場に向かうとき、なぜだか乗り換えに失敗してか迷ってしまったのです。高いビルと知らない街と間、いつのまにか先ほどまでの人混みのないところまで来てしまい、見たことがないほどたくさんの線路をほとんど絶え間なく走る電車の音だけが響き空恐ろしさを感じました。いま思うと乗り換えをリーダーにまかせていた自分の不明を恥じるべきところだし、街行く人に頼るべきところでした。
公衆電話から電話で迷ったことを伝えましたが土地勘のない田舎中学生でうまく説明できずもどかしさを感じたのを覚えています。そうこうしているうちに時間が過ぎて、電話口でなんとか謝って、次の全体での集合場所に向かうことになりました。
その訪れる予定だった工場からは後日、アルミ板に中学校名を掘ってくれたものを学校に送っていただきましたが、当日、たどり着けていたら名前を彫ってくれていたと伝えられ、行けなかったことへの悔しさと、準備してくれたことへの申し訳なさはいまも覚えています。
ちなみに、自分たちの無知と無力を感じながら帰ったあとの報告会にて、タッキーは「ニーズとは消費者が必要とするものだということがわかりました」と言っていて、こいつじつはアホだったのかと思えました。
のちに東京に住むことになって、このときに迷ったのは品川駅と北品川駅の間あたりのようだとわかったのですが、なぜ蒲田と五反田の間をいくのになぜこのあたりを徘徊していたのかはいまでも近くを通るたびに疑問に思えます。そして、この東京での経験が多感な中学生にどういう影響をもたらしたか考えてしまうのです。