ぜぜ日記

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支配と抑圧の中華人民共和国史

今日は中国の正月である春節らしいですね。
最近読んだ中国現代史の本がめっちゃおもしろかったのでということもあって読書メモを公開してみます。


まず、中国という国にどんな印象を持っているだろう。
世界で最も人口の多い国、4000年の歴史、急成長する超大国、自己中心的中華思想、眠れる龍、共産主義国家、漢字文化圏毛沢東、漢文、世界の工場、烈海王三国志、遣隋使、孔子日清戦争満州事変と日中戦争反日デモ北京オリンピック尖閣諸島問題、etc・・・きりがない。



ソ連はとっくに崩壊したにもかかわらず中国では共産党政権がまだまだ続き、かつ経済的にも恐ろしいほどの成長を続けている。また、軍事大国でもあり周辺地域と軋轢を生んでいる。



そんなお隣の国なのに1949年に建国されて現在まで続く中華人民共和国の内部の話は断片的にしか知らなかったと思いこの「中華人民共和国史十五講」という文庫本なのに2000円もする本を読んだ。著者は天安門事件での学生側リーダー王丹。当局に収監された後、アメリカに亡命しハーバード大学で歴史を専攻して博士号をとって現在は台湾精華大学で教えているという。その講義をもとにした現代史なのだけれどかなり肉薄感がある。厚みと臨場感のある抑圧の歴史。



中国現代史は非公開情報や左右からのプロパガンダも多くてなかなか闇だし、手軽に読めるわかりやすいものがすくないので貴重だと思う。目次はこんな感じ。

1. 中華人民共和国の成立
2. 軍事/朝鮮戦争
3. 都市/「三反」・「五反」運動
4. 農村/「土地改革」から人民公社
5. 知識分子/思想改造から胡風事件、「反右派」運動へ
6. 党内/盧山会議
7. 外交/中ソ関係の破綻と中米合作
8. 「文化大革命」の発動と展開
9. 文化大革命の終焉―林彪事件から四・五天安門事件
10. 鄧小平時代の開幕
11. 八〇年代の改革開放―胡耀邦から趙紫陽
12. 六・四天安門事件
13. 経済と文化
14. 公民社会の成長
15. 六〇年の回顧

中華人民共和国史十五講 (ちくま学芸文庫)

中華人民共和国史十五講 (ちくま学芸文庫)



特に気になったところをピックアップしてみる。


毛沢東による支配

読む前の毛沢東のイメージはカリスマゲリラ指導者であり個人崇拝を強いた独裁者。国民党を倒した後は大躍進と文化大革命の失政のイメージなかったんだけれど、大衆のコントロールと猜疑心の強さによる深謀遠慮を感じられた。支配の天才と言ってもいい。それが善政かどうかはさておき。


彼の支配のやり方はこう。民主派なり党内右派、富農・ブルジョア階級などの思想的であったり政治的に対立する階層・グループを駆逐するために、大衆を焚きつけて、最下層の民衆や一般党員にその敵対グループと対峙するように仕向ける。これを数年おきに対象をかえて実施している。また、興味深いのはこの政治闘争によって、党内の訓練、選抜、規律の維持を兼ねて組織を強化し集権化をすすめていたということ。ここで確立した体制はいまだに生きているように思える。


対立グループを駆逐していく闘争のなかで特筆すべき事案をひとつ紹介しておく。1957年に毛沢東は、共産党員でないものであっても中央に問題のあるところをどんどん指摘・提案して欲しい、と呼びかけた。この一見、謙虚な姿勢に思える呼び声に応じて、建国時には民主制にするとの約束が達成されないことや各抑圧への不満のたまっていた民主派や知識分子が声をあげていくと、毛沢東は一転これは反体制運動だと指摘し、手のひらを返して反右派運動として大衆に弾圧させていく。これだけ堂々となされた政治的欺瞞はかつてなかったんじゃないかと思う。これに限らず、各手法のことを毛沢東自身の言葉では陰謀に比して陽謀といっていたという。


ほか、古典を読み込んでいた毛沢東は、広い中国では各地の有力者が力を蓄えると反乱することを知っており、中央に呼び寄せたり、右派なり反体制なり修正主義なり難癖をつけて上記のとおり大衆に運動をおこさせて失脚させたりと巧みに力を奪っていったことも共産党の安定につながっているようだ。


ほか、ちょっとだけ気になった毛沢東の言葉を孫引きしてみる。

小説を利用して反党活動を進めるのは、一大発明だ。およそ一つの政権を打倒するには、つねにまず輿論をつくりださねばならず、イデオロギー方面の工作をやらねばならないからね。革命的階級の常道だし、反革命的階級だって同じことだ。

中共第八期中央委員会第10回総会での毛沢東の講話より。中華人民共和国史十五講 247ページ

これは反体制的小説を弾圧するときの言葉だけれど、毛沢東が世論を味方につける重要性と方法を知悉していたことがわかる。


物事には反作用がつきものだ。高く吹き上がれば上がるほど、ひどい転び方をするものだからね。転んで粉々になるほうを選ぶとするさ・・・。それも大した問題ではあるまい。物質は不滅であって、ただ粉々になるだけなのだから。

毛沢東から江青への手紙より。同302ページ

マジック・ザ・ギャザリングフレーバーテキストに使われていてもおかしくない。


抑圧と安定

話はその後の大躍進に移っていくけれど、それそのものではなく、なぜ、大躍進によって一説に4000万人という空前絶後の餓死者を出したにもかかわらず反乱もおきず、中共の政権は安定していたのかを考えてみる。


読んでいくと、分散的で自主的な情報の統制があったからのように思える。まず、大躍進政策の趣旨としての農業生産性の向上では、各地区が同調圧力から自主的に過剰に申告して、中央はそれに応じて徴収することとなった。そして、飢饉が発生するも、各地区では生産量をコミットしているがために失敗を中央に伝えない。または伝えても途中で握りつぶされる。こうして、中央は各地の悲惨な状況を知ることはなく、各地区でも飢饉にあっているのは自分たちの地域だけだと思っていたそうだ。


この分散的・自律的な統制は悲惨の一言だけれど、ブラック企業的抑圧やDVと通ずるものはあるかもしれない。



これはプロパガンダかと思われるけれど、1966年の文革開始後に、ある養豚場の飼育員が新聞に寄せたという投書を引用する。

以前、わたしは豚に餌をやることと革命とを切り離していました。革命のために豚を飼うわけではありませんでした。だから、仕事に対する責任感をまったくもたず、豚の飼料が不足すれば、指導部に申し出て手に入れました。自分の頭を使って考えたり、手を動かして問題を解決しようとは思わなかったのです。
毛主席の著作を学習し、思想的覚悟を高めました。すると、すべての工作が革命のためであり、養豚もその一部として、革命精神で対処する必要があることがはっきりしました。飼料不足には自力更生を旨とし、自己の主観的能動性を発揮しようと決意したのです。飼料不足の問題が解決すると、精神が物質に変わりました。こうして、果敢に闘争し、果敢に勝利する思想品質と、確固とした作風を培いました。そのとき、物質はまた精神に変わったのです。

意識高い系やりがい搾取カルト資本主義ブラック企業とだぶってみえる。



ナチズムやスターリニズムトップダウン全体主義だとしたら、マオイズムは個人崇拝は同じだけれど、ボトムアップ(であるように見える)全体主義なのではないかと感じた。

ここあたりはもっとも精緻なディストピアSFにおける独裁国家建設の過程を見ているような気分になってくるけれど、これが現実に隣の国で起きてたんだよな。。


ちなみに、農業政策としては、人民公社による集団化農業の失敗が大きい。林毅夫(りんきふ)によれば、生産性向上のためには農民の自己統制に頼る必要があるけれど人民公社には脱会の権利がないために集団内部の能動性のメカニズムが働かなかったという。よくある社会主義への批判ですね。誰も自分のものじゃないものを大事にしない。


そして改革開放

その後、例の文化大革命での内乱状態が毛沢東の死とともに終わった70年代末から中国は改革開放の時代だった。
ただ、主要な成果である制度変革は国家の力によりもたらされたものではなく民間が自発的に始めたものが多い。国家の役割は追認と普及。これができる民の強さといったん動き出した後の独裁的な強さはいいと思う。
地方分権経済特区をつくって生み出された成功が、日本での道州制地方分権のモデルとして挙げられるかもしれないけれど、どうなんでしょう。
当時の中国にあって、日本にないものはなんだと思いますか。


天安門事件

改革開放は進んで民主制を求める動きもでてきたとはいえ、政治的にはまだまだ一党独裁。そこへの不満を持つ右派(民主派をこう表現している)と、それに危機感を覚える元老たち左派。

そんななか、開明的であったが失脚し失意のまま病死した胡耀邦の再評価と人民日報の学生のデモを反国家だと厳しく糾弾する社説の撤回をもとめた学生デモの結果、発生した天安門事件
ここは著者の王丹が当事者なだけあって読んでいるだけで冷や汗をかきそうな迫力がある。

そこは読んでもらうとして、王丹による天安門事件での学生側からの総括が単純だけれど興味深い。

どう見ても指導思想の欠落に有り、意見の表明がいつの間にか民主化運動に転化し、政治的目標を達成しなければおさまりがつかないところまでいっていたが、学生指導層はその違いを認識できていなかった。そして外部の期待をいいことに民主化運動の戦術まで決定してしまったが、政治闘争の技術としての妥協の重要性を理解できず、社会の各種勢力と連合する必要性も認識することができなかった。

これほどのまともな総括を60年代の日本の学生運動の指導者たちはしていただろうか。一時の熱狂に陶酔していた日本の学生運動と違い、直接抑圧されていた分、重みがあるように思える。


中華人民共和国はどこに向かうのか

経済は昇り龍のように発達しているけれど、共産党の統治はますます強固にかつ官僚的になっている。毛沢東時代は、非党員が党員を非難することは許容されているけれど、いまはそうなっていない。

また、共産党による度重なる政治闘争と相互批判によって信頼関係などの社会資本が失われてしまったことも現在中国の特筆すべき点かもしれない。先富論と党員による職権乱用、それによる国有資本の恣意的な分割やによるブルジョアの増加はかなり巨大な格差を生み出している。

ネットにあった言葉でこういうものもある。

共産党によって30年で命が失われ、20年で魂が失われ、20年で銭が失われる

格差と腐敗はどこかで民主主義的社会主義革命を生み出すかもしれない・・・。そのまえに中国バブル崩壊で世界がどうなるのか不安すぎるけれど。

おまけ:中国ネットスラングについて

いい感じにまとめようと思ったのだけれど、中国インターネット事情(ネットスラング系)で自分の知らないおもしろ話がいくつかあったので脱線して共有しておきます。

緑bar娘とは (リュイバーニャンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科


緑bar娘(りゅーばーにゃん)とは、中華人民共和国で開発されたネット検閲ソフト「緑壩・花季護航」の萌え擬人化したキャラクター。ネット検閲ソフトを萌えキャラ化するという風刺っぷりは日本にはあまりないよね・・・。工業情報化部がこのソフトに4170万元もの大金を投入したことから、身の代金4000万のお嬢様と呼ばれているんだとか。


ja.wikipedia.org



2009年に始まった、政府機関がネット上から低俗な言葉を一掃しようとした運動に対し、ネット検閲で削除されてしまう言葉に同音の漢字を当てはめて、架空の珍獣の名前を作り上げ、その生態を書いたもの。草泥馬という、中国語でのfuck your motherにあてはまる言葉をあてはめたアルパカからはじまって四大神獣、十大神獣と広がっている。なんだけれど、いろいろひどい。


この本に書いてあるのは、わりと風刺が多めなんだけれどWikipediaでは下ネタばかりすぎるしかぶっていない。なんでだろう。


とりあえずWikipediaで一番ひどかったものを引用する。

雅蠛蝶(ヤーミエーディエ、yǎmièdié) - 小さく可憐な蝶。日本製のアダルトビデオ(AV)などで出てくる日本語の「止めて」の発音から。





乾燥

さて、最後に脱線したけれどこの本は読みやすいしおもしろいし中国か歴史か共産主義か支配に興味があるなら読むとおもしろいとおもう。

ただ、どちらかというと中国共産党の戦後内紛史といってもいいかもしれない。
少数民族の問題はあまり書かれていないし、外交については米ソを除いてほぼ書かれていない(重要ではないといえばそうだけれど)。チベットの問題やベトナム出兵あたりもちゃんと調べたい。


ただ、共産党史をたどるのであればアヘン戦争からさかのぼっていく1919年の抗日運動(五四運動)までさかのぼる必要があるし、中国人の考え方の中心に近いところにある革命という概念をとらえるならアヘン戦争から考える必要があるんじゃないかと思ったりしている。

そこらへんを知るのに体系的にまとまっていてかつ読みやすい本はあまりわからないんだけれど建国にいたるまでの国民党や日本、アメリカとの駆け引きについてはこのビデオがおもしろかった。


これから大陸はどうなっていくでしょうか。