ぜぜ日記

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日本沈没、気候変動、進化する植物

Washington Allston: Elijah in the Desert
Washington Allston: Elijah in the Desert
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まとめ

  • 最近続けて読んだ3つの本がジャンルも違うけれどつながって人類社会の危機について触れていたので紹介します
  • 小松左京の「日本沈没」は、タイトル通りの危機に直面する社会を描いたSF。読み応えがあり古さを感じません。コロナ下のいまと通ずるところもあり、災害下のケーススタディにもなりそうです
  • 中川毅の「人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか」は気候の調査からこの数千年がたまたま安定していたことや予測の難しさが書かれています。古代文明の衰退の一因に短期的な気候の動きが影響しているのではないかという指摘があり、現代文明の危うさを感じました
  • 稲垣栄洋の「たたかう植物」では、植物の進化の工夫をおもしろく描いています。そのなかでも恐竜が植物の進化に翻弄されて絶滅した説があることや、人類との共進化で生き残ってきた作物が気候変動にどう耐えるかが気になりました
  • 大きな気候変動は人類社会に、コロナウイルス以上の危機をもたらしうるけれど、ぼくらはどう備えられるのでしょうか

日本沈没

─災厄は、何事につけても、新旧のラジカルな衝突をいやがる傾向のあるこの国にとって、むしろ人為的にでなく、古いどうしようもないものを地上から一掃する天の配剤として、うけとられてきたような ふしがある。この国の政治も、合理的で明晰で図式的な意志よりも、無意識的な皮膚感覚の鋭敏さに、より多くのものを負うてきた、この古くからの高密度な社会における政治においては、誰一人意識的にそうするわけではないにもかかわらず、結果的には、 災厄を利用するという国民的な政治伝統がそなわっているみたいだった。

まず一冊目は小松左京日本沈没
1973年出版なので50年近く前の古い作品だけれど、400万部以上売れて何度か映像化もされているので知っている人も多いと思います。 むしろ、作中で起こる衝撃的な事象そのもののタイトルを耳にしたことがない人は少ないかもしれません。

具体的な結末を書名にもってくる小説はめったにないような気もしますが、日本沈没というオチがわかって読んだとしてもそのとてつもない破局が簡単に想像できない分だけ強い印象になるように思います。平和な日常から描かれつつも、破局に進んでいくのが読者にはわかってしまいながらも、どうしてくのだろうと引き込まれていきす。

時代を感じる描写もあるけれど、はなしの本筋や人間と組織の描写は全然古くなくとても読みやすい。 特に、都市部で発生する地震と、そのあとの流通や経済活動への影響などの描き方は迫真。そして、この想像を絶する危機に対する政府の危機管理や世間の動きは、今のCOVID-19の危機に対応する各国政府や右往左往する人々ともかぶります。

そしてこれはケーススタディになるかもしれません。
自分がこの危機のさなかにいたら、生活や事業はどうなるだろうか、そしてどう行動するべきか、あるいは事前にできることはなにかあるだろうか。と考えながら読めました。 もっとも、首都直下地震や富士山噴火による中長期の都市部の物流断絶に個人でできることは限られているのですが・・・。

日本が沈没するという事象について、作中では理屈付けがありましたが、実際に起りえないものです、ただ、こういう地学的な事象を考えると、1815年のインドシアの火山噴火では「夏のない年(Wikipedia)」として世界的な不作になったし、フィリピンのトバ火山などや阿蘇山が噴火すればより長的な影響があるはず。 地球の46億年の歴史からみたら人類の歴史なんてほんの瞬きほどでしかなく、自が仕事としても関わっている農業はさらに短いことの薄氷を踏むような危うさもじます。 安定した四季のもと代々選ばれてきた農作物と農業は、そういった破局にどう立ち向かえるでしょう? そのときのためにも、種と農法の多様性があることは人類の生存につながるのかもなあ、とぼんやりと考えながら次の気候についての本を手に取りました。

日本沈没 決定版【文春e-Books】

日本沈没 決定版【文春e-Books】

人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか

昨今、コロナウイルスによる経済活動の低下により、短期的にではありますが世界的に化石燃料の消費が大きく減って、各地でスモッグが減ったというニュースが報じられています。もし仮に、これが続いたとして、これで異常気象・地球温暖化は止まるのでしょうか? この本を読んでいくと話はそう単純ではないことがわかります。

本書で一番はっとさせられたのは、異常気象(Climate Change・・IPCCのCCですね)とはなにかを考えるためには、正常な気象とはなんなのかを考える必要があるということ。

じつは、現代は何億年かのスケールのなかではむしろ寒冷な時代であって、今から1億年前から7000万年前頃のように北極にも南極にも氷床が存在しない時代とは比べられないほど寒冷。いっぽうで、数十万年のスケールでみると、9割ほどの期間はいわゆる氷期だったことを考えると現代は例外的に暖かいことがわかっています。そしてそのなかには、1万1600年前ごろのように、全世界で氷期が突然おわったあとわずか数十年で5度から7度も気温が上がったくらい変動が激しかった瞬間もあるそうです。こうみると私たちが考える正常な気象というのは地球の歴史からみたらほんの瞬きほどの数千年のものでしかないのかもしれません。

とはいえ、IPCCが予測しているような、これからの100年で5度気温が上がるかもしれないと予測されているほどの急激な変化はこの1万年とはまったく異なるため、経験則もさらに通用しないとも指摘されています。

さらに、別の説では、人間が関わる地球温暖化はなにも産業革命からだけではなく、有機物の発酵を促しメタンが放出される水田や、森林伐採などによって、8000年前からはじまったという考えもあるそうです。そして、これらによる地球温暖化によって、「とっくに来ていた」はずの氷期を回避していた可能もあるとか。まだ一つの説でしかないようですが、もしそうだとすると、これまで地球温暖化を防ぐため、という目的が崩れかねません(それとは別に限りある化石燃料の節約は必要とは思いますが・・・)。

日本が沈没するほどではないですが気候を通して人類に大きな影響を与える事象として火山があります。 火山には、その名の通り火の熱いイメージがある人もいると思いますが、実際には大量の噴煙や噴火物は太陽光を遮断し気温を下げます。核の冬と同じですね。たとえば1782年から続いた天明の飢饉を長期化、深刻化させたのは1783年のアイスランドラキ火山の噴火と言われていますが、これはヨーロッパでも冷害を発生させ食糧供給の不足と物価の高騰を引き起こし、一説によると、これによって生じた社会不安が1789年からはじまったフランス革命の遠因であるとも言われています。東日本大震災の先例として注目された貞観地震が約1150年前であることを考えると、天明の大飢饉ははるかに直近です。

火山以外にもエルニーニョ現象などによってもたらされる干魃は予測しにくく、人類にも大きな影響を与えています。1980年代にアフリカで発生した干ばつは、4年にわたって継続したことで300万人の命を奪ってもいますし、さらに、栄華を誇ったマヤ文明の衰退も、過去の気候の調査でほぼ同じ時期に、9年の間に6回もの干ばつに襲われた時期があったことがわかっており、これが原因になっていることが考えられるそうです。

この現代に長期化する干魃や、火山による長く続く冷害が発生したとしたら、どんな影響があるでしょうか。農業に生存の基盤を置いた社会が深刻な影響を受けるのは間違いないと思います。そのとき、農業や流通はどう適応して人類社会を支えるか考えるとうすら寒いものがあります。

たたかう植物

上記で暗い気持ちになったので、おもしろい本を読もうと思ったのが本書。まず、章立てが最高。この章立てをつくった時点でもう勝ちです。 「植物vs植物」からはじまって「植物vs環境」「植物vs病原菌」「植物vs昆虫」「植物vs動物」そして最後は「植物vs人間」。

ほんとうは弱い雑草が生き残るための戦略や、菌類との共生、共進化ともいえる虫との進化は興味深いのですが、特に、気になったのは恐竜の絶滅についてのくだり。

恐竜が絶滅した理由は、寒冷化と関係しているとされている。しかし、いくつかある恐竜絶滅を説明する説の中には、それ以外の理由で恐竜が絶滅に向かって衰退していたのではないかと考えるものもある。その原因の一つが植物の進化である。恐竜が繁栄を遂げていた中生代ジュラ紀後期から白亜紀にかけては、植物も劇的に進化を遂げた。ジュラ紀には、大型の針葉樹が繁栄していたのに対して、白亜紀になると花を咲かせ、やがて実をつける被子植物が広がっていったのである。(中略)大型の針葉樹は、時間を掛けて巨大な体を作る。一方、草本被子植物は、速やかに成長して花をつける。そして昆虫が花粉を運ぶようになったことによって、効率良く、確実に受粉が行えるようになったからとのこと。その結果、短いサイクルで世代交代を繰り返しながら、進化を遂げていったと考えられている。(中略)恐竜は、被子植物を消化するための酵素を持っていなかったために、恐竜たちは消化不良を起こしてしまったとも言われている。

進化のスピードに追いつかなかった恐竜が滅びたというもの。 サイズ感が違って全然比較に意味はないのですが、今の人間と、進化の早いウイルスを連想してしまいました。

気候変動と人類

「たたかう植物」にも触れられていますが、米や麦や野菜は、人間が形質を選りすぐって育種してきたものです。 これの選抜には、安定した気候の中で数百・数千年の時間がかかってきたことを考えると、「人類と気候の10万年史」で触れられていた急速な気候変化に耐えられるのでしょうか。 とれうる対策は限られていて、大勢の人間が飢饉に直面することになるかもしれません。一つ、根本的な解決策ではありませんが、さまざまな工夫で戦っている植物のはなしを読んで思ったのは、生き残る人間をすこしでも増やすためにも、世界中でさまざまな作物が育てられていることが役立つかもしれないということ。いろいろ育てていれば、ひとつでも気候変化に対応するものがある確率は増えます。そういう意味でも、生物多様性は重要だと思うのです。

いま人類は、新型コロナウイルス感染症への対策やそれで露呈した経済問題、格差、差別、デマのはびこるネットや権力の腐敗など深刻な問題と向き合っていますが、もしかすると、急激な気候変動という巨大な危機も迫っているかもしれません。これにまともに立ち向かうためにも(もちろんそうではなくとも)、この現代の諸問題をすこしでも解消してもうちょっと科学的・合理的なアプローチがとれる社会にしていきたいものです。ちょっと中高生のころ思っていたような理想主義に過ぎるかな・・・

日本沈没のセリフを引用して終わります。

敗戦 は日本にとってとんでもない幸運をもたらした。あれによって、明治以前から維新ののちもかかえこんでいた、もろもろの古い社会の殻をふっとばしてしまったからだ。軍事力さえ、大っぴらには持たないことにしたんだからね。──だが地震はちがう。こいつは、社会構造や、国家シンボルの変革などひき出さない。だから、さまざまの矛盾や危機が、社会構造の変化を通じて、社会に吸収されず、矛盾はいっそうはげしくなる