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うんこめも

自律分散うんこ製造システムについてのメモ

人造国家「満州帝国」の夢と闇 「阿片王」「甘粕大尉」「満州事変から日中戦争へ」

文化

満州*1という言葉にどんなイメージを持っているだろうか?
自分は世界史の授業で習ったことくらいしか知らなかった。満州事変、語感が良くて覚えやすい張作霖爆殺事件、映画にもなったラストエンペラー溥儀くらい。

けれど、当時の世界情勢の中でのそれらの事件の位置づけやその渦中にいた人々を少し調べてみると、この満州という地域がかなり興味深いところであることがわかってきた。

建国後13年で地上から消滅した人造国家である「満州帝国」。そこには戦後の高度経済成長のプロトタイプが存在していたという。最高時速130kmの超特急「あじあ号」、合理的な集合住宅、アジア初の水洗便所まであったそうだ。しかしその陰では統治のためになんでもやったという国策会社や特務機関の暗躍。素性の怪しい大陸浪人たちも大勢いたし現地民の虐殺や土地の収奪もあった。

なぜ日本は侵略しようとしたのか、どうして独立国をつくろうとしたのか。そしてずるずると日中戦争まで進んでしまったのか。
・・・


すこしまえに中国の9.18歴史博物館に寄る機会があってから満州という国への興味が沸いていろいろ本を読んでいる。知らないことが多くておもしろかったので簡単にまとめてみます。

行ってみたときの感想はこちら
九・一八歴史博物館に行ってきた話と満州事変について - うんこめも



まず満州国の成り立ちとその概要について詳細はWikipediaにわりとちゃんと書かれている(出典不詳)。ここを読んでみて気になる項目に飛び続けていると週末をつぶれそう。なので本稿では詳細には立ちいらずに気になった点を対象とします。まだ点と点をつなげられるほど咀嚼できていない・・・
満州国 - Wikipedia



満州を巡る争いと満州国

20世紀初頭、当時の中国では欧米列強と急速に近代化していた日本が帝国主義的な領地戦争を繰り広げていた。
第一次大戦を期に英仏露連合国が日本にドイツ植民地を攻めさせようとしたら日本がこれ好機とばかりに攻めすぎて逆に止められようとしたり、ロシア革命後にはチェコ兵を救う名目で出兵(シベリア出兵)していたりで牽制しあって隙を見せれば攻めるような状態。中国は帝国主義国家間の戦略ゲームの舞台という感じもする。これは陣取りゲーム的なダイナミズムと、人間や他国の領土を資源としかみない自信過剰さも含めてのゲームっぽさがある。その流れの中で日本が出す第21箇条の要求や、満州を支配するであったり人種差別などは当時の日本のかなりの傲慢さが窺える(今はどうだろう?)。これは新聞が部数を伸ばすために国民を煽ったことや陸軍が威勢を保つために行った宣伝が自家中毒しているような印象もある。


そして日本人が糸をひいて建国された満州帝国とその虚構。王道楽土と五族協和*2をうたって建国され、形の上では三権分立だったものの立法院は最後まで開設されず、政治は国務院が担っていた。その長である国務総理は溥儀の天津脱出から従っていた側近ナンバーワンの鄭孝胥だったけれど実権はなく、実質的には日本人が就任した国務院総務長官(のち総務庁次長)が首相に相当する権力を持っていた。また国務院の下には民政・外交・財政など八部が置かれその長を総長(のち大臣)として満州の実力者が就任したもののこれも実権は次長が持ちすべて日本人であった。さらに、じつは総務庁も重要事項については関東軍参謀長の承諾が必要で関東軍司令官満州国の独裁を担っていたという。

のちに海軍の青年将校に暗殺される犬養首相も満州建国には難色を示し、一方でマスコミは関東軍の勇猛さを賞賛していたというのは当時の空気の難しさを表している。


さらに、人口の10%にもみたない日本人だけれど学校では宮城遙拝を求めて日本語を教え、神社では脱帽・最敬礼を強要。1940年も日本に先駆けて主食穀物の配給制度が始まったものの、日本人はコメや小麦粉、朝鮮人にはコメとコウリャンを半々、中国人には官僚や医者などを除いてはコウリャンだけ。コメを食べたことがわかると経済犯として拘留されたという。それでいて王道楽土を謳うというなかなかのディストピアぶり。
日本の貧村から送られる武装移民による農地収奪も残酷だった。それもその行為だけではない。彼らへ日本から送り込まれた志願による花嫁は、後の戦争の激化で男がとられたあとは母と子どもとで敗戦を迎え残留孤児としてかなりの辛酸を嘗めている。


ここらへんは図説 満州帝国という世界史の資料集みたいな本がよくまとめていた。
本書では日清戦争からはじまってシベリア抑留や残留孤児までの満州の歴史と実情を豊富な写真で解説している。

図説 満州帝国 (ふくろうの本/日本の歴史)

図説 満州帝国 (ふくろうの本/日本の歴史)



さらに、脇道に入って調べると国家建設に携わっていた人間たちの魅力に気付く。表立っていた満州の建設に関わった石原莞爾ら陸軍の参謀連中や満鉄初代総裁のちの東京市長後藤新平満州の産業化を強力に推進し後に総理となる岸信介ら。
しかし表舞台に出ないなかにこそ魅力がある。


さて、満州国は建国当初の予算の見積を6400万元としいたのだけれどその15,6%は阿片の専売収入から計上していたという。その阿片の販売を一手に引き受けた日本人についての話がある。

阿片王 満州夜と霧

この本でとりあげられている里見甫は日本の統治政策の裏側、軍の嘱託を受け宣撫工作をすすめ阿片王と呼ばれるまでになった男だ。簡単に彼のことを紹介する。

福岡の中学を卒業後に留学生として上海の東亜同文書院に入学、卒業後は新聞記者からはじまり中国の地下組織や政治家、軍とのコネクションを厚くする。そして満州に聯合と電通の通信網を統合させた満州国通信社をつくり主幹兼主筆となる。このとき36才。軌道に乗せたところで職を辞し上海へ。ここで軍の資金調達のために大量の阿片を密輸し捌いていく。ここでの利益は特務機関や日本の傀儡であった汪兆銘政権の資金だけでなく蒋介石政権にも流れていたという。
さらっと書いたけれど、海外で大量の阿片を仕入れてそれを異国で販売するというのは当時でもかなり危険な仕事だしよほどの組織を構築し人心を掌握していないとできない。

彼を中心に混乱期だからこそ頭角を現した人物たちが描かれていて現代版の三国志か何かと錯覚するほど。しがらみもモラルもほとんどないところだけでしか開花させ得ない能力というのがあると思う。ほぼ統治がなされていなかった大地につくられた人造国家とそこに群がる人と金というのはITバブルでの狂乱騒ぎに似ているかもしれない。


阿片王―満州の夜と霧 (新潮文庫)

阿片王―満州の夜と霧 (新潮文庫)

この佐野眞一によるノンフィクション。まっとうな人物伝であった「旅する巨人」といった作品から実話誌系のあやしさをもつ「誰にも語られたくなかった沖縄」など書いている彼も満州にのめり込んでいるようだ。書き方としては佐野眞一後期の作品に見られるように下品な感じがあるし取材過程を前面に出しすぎて人物伝としては筋が見えないきらいもあるけれどテーマがいいから読ませる。



本書にもう一人、謀略者としてあげられていた男がいる。満州の夜の帝王と呼ばれた甘粕正彦である。

甘粕大尉

ほとんどの人は甘粕正彦のことを知らないと思うので簡単に紹介してみる。

1891年生まれで陸軍士官学校を卒業後に歩兵となるも怪我で憲兵に転科。麹町憲兵分隊長となった直後に発生した関東大震災の折に、アナーキストの首魁、大杉栄伊藤野枝、その7才の甥を殺害し遺棄したとされる。そして禁固10年の判決を受け、2年後に出獄、その後2年間フランスに留学する。その後に満州に渡り調査・謀略にかかわり偽装テロ事件や皇帝溥儀を極秘裏に移送し満州国樹立に関係する。建国後は警務司長や満州の唯一の政党である協和会の総務部長などを経て大陸での映画の配給や制作を担当する満洲映画協会の理事長になる。敗戦直後に自殺。


まず、大杉栄の虐殺について。これは裁判では甘粕が犯人という結論になっているけれど軍上層部からの命令でありその泥をかぶったのではないかという説が強そうでもある。これは事後に軍がフランス留学の費用を出したことなどからも推測される。ただ、この7歳児まで殺したという汚名は晩年まで付きまとい、それが彼の人生・考え方に大きな影を残しているようだ。その後の一見華やかなイメージがあるフランス留学はしかし、当時の手紙などからはフランスの田舎でやることもなく孤独でただ時間を消費するだけであった姿が浮かんでくる。

彼を慕うひとがその魅力としてあげた謹厳さと大局観には刑務所時代やこの留学時代のことが影響しているように思えてならない。

そういう訳ありな人たちが新天地としての満州にわたっていたようだ。
彼は皇帝溥儀を苦力に変装させたり行李に隠して運ぶような陰謀の担い手であるかと思えば、映画制作・オーケストラの結成や文化活動にも尽力し満州を本気で五民族の国にしようとしていたようだ(ただし、当時の一般の日本人と同じく、日本が主であるという考えからは抜け出せていない)。また、満州国関東軍司令部に好きなときに入れるような権勢をもちながらも、その硬骨漢ぶりから関東軍からは疎まれていたこともある。それまで利権機関として腐敗しきっていたという満映に理事長としてはいったあとの徹底した改革の経営センスとリーダーシップもあってそこで生み出した資金工作活動に使っていたということである。

ほか、満州建国ののち、欧州に5民族の代表を引き連れてムッソリーニナチスドイツ、イギリスなどに挨拶回りにいった際も低く見られないように服装にかなり気を遣っている描写もあったし。戦争末期、燃料が足りない軍が、北京の街路樹を切り倒そうとしたときに、美観を損ねないよう軍を止めたりしていたという美意識もおもしろい。彼は満州の多くの民族からも尊敬され、その死後は、当時の日本人には珍しく弔意を集めたという。


ほか柳条湖事件満州事変を起こした関東軍参謀の板垣征四郎(後の大将、陸相東京裁判にて死刑)や石原莞爾などとの話や、東条英機との師弟関係など興味深い話題が多い。人柄と満州の空気を描いた名人物伝。

しかし、弟が三菱信託銀行の社長にまでなっていたり、息子が三菱電機の副社長になっていたりするしこの時代に活躍した人から辿れる血脈の強さはなんなんだろう・・・。


甘粕大尉 (ちくま文庫)

甘粕大尉 (ちくま文庫)

ほか謀略にかかわっていたものとしては大手財閥が出資した軍のダミー企業である昭和通商や民俗学者を集めた植民地統治を研究する機関、有名なところでは満州鉄道調査部などもあるようでこれらもかなり興味深いところ。



さて、そこにいた人々も興味深いけれど、なぜ日本は満州事変日中戦争という泥沼に突っ込んでいったのか。

満州事変から日中戦争

高校の世界史の授業では日中戦争がどういう戦争だったのかよくわかっていなかった。
単なる侵略戦争だとしたらなぜ始まったのか。そもそも日本はいったいなにと戦っていたのか。軍閥時代の中国には国家的なものはあったのか。満州からはじまりすぐに南京、上海と足を伸ばすもののぜんぜん終了しない。ソ連が関わってきたりリットン調査団が訪れたりいまいち経緯が見えなかった。

広く太平洋戦争の一部としてとらえられることもあるけれど1937年の盧溝橋事件から開始でそのきっかけも1931年の満州事変に遡る。それも日露戦争日清戦争講和条約にすでに火種が埋め込まれていたり国民党を支援したりソ連が絡んだりとたいへんに複雑である。大きな流れとしては一番目に挙げた本を読むのが一番わかりやすいのだけれど、なぜ引き返せなかったのか知るには本書が詳しい。

まず、日本政府も中国国民党も、欧米各国も戦争を避けようとしていたというのだ。日本政府は関東軍を制御しようとしているし中国政府とも交渉しようとしていた。中国(国民党)も日本を刺激しないように現実的な対応をとろうとしていた。リットン調査団の報告書でも、満州事変以降を日本の侵略行為と断定しつつも実効的な対策として日本に道理はないものの緊張を避けるために譲歩すべきと主張していたようだ(ただし、日本国民からは逆に厳しすぎだとして国際連盟に反発されている)。詳細はここにまとめきれないくらい複雑。

日中戦争は不思議な戦争だった。日中双方ともに宣戦布告を行わないまま戦闘が続けられるいっぽう、裏面では太平洋戦争末期に至るまで、種々の対中和平工作が執拗に続けられていた。

双方が相手国に対し、国際不法行為を行ったと主張し、自らのとった強力措置は違法ではないと論戦し合う二国、それこそが1930年代の日本と中国の姿であった。

柳条湖事件のあと、命令なしに越境しての軍事行動をおこした関東軍の幹部はほんとは軍法会議ものなんだけれど閣議で「必要限度をこえないこと」「この趣旨に則り善処せよ」という曖昧対処でお茶を濁したから関東軍はどんどん口実を見つけて作戦地域を広げていったというのもね・・・。赴任したばかりの本庄繁軍司令官板垣征四郎石原莞爾らの参謀に説得されて「空気」に流されてしまったようにみえる。

これは個人的な印象ではあるけれどいろいろと裏目裏目に出ている。直接和平交渉を狙うことで逆に孤立していたり、中国側の穏健派交渉担当者と接触を厚くすることで彼が中国内で排斥されたり都合の良い方向にいこうと国民を扇動した結果、それに振り回されてしまった陸軍。中国に近づけば近づくほど抗日の勢いは増し、ついには国共合作を招く。


あと、天才戦略家と言われた石原莞爾が占領したあとの民衆の反感を過小評価していたというのがわかった。彼は戦術家としては天才的だけれど戦略は任せられない・・・という甘粕正彦の評価もうなずける。

どうすればよかったかも、まわりの国がどうすればその流れを止めることができたかもわからない。
過度の楽観主義と驕慢が無茶な行動を起こしてお互いに酷い目にあったことからは自分に都合の良い前提を持つのは危ないようには思えた。


まとめ

散漫といろんな本を読んでみたけれど満州には人を引きつける乱世と開拓地の魅力があるかもしれない。そしてそれが一方では日本人による虐殺や残留孤児である大地の子ら、シベリア抑留など悲惨なところにもつながり現代にも遺恨を残しているところも気になる。
自分は歴史からはあまり学べていないし教訓も抜き出せないしエンターテイメントを消費するような形でしか満州のことを受け止められていない。けれど、そこで人々が経験したことは知っておく価値はあるように思える。
次は石光真清あたりか残留孤児方面しらべてみようかな。


中国に行ったときに見た、どこまでも平らな大地に沈む大きな夕陽に取り付かれてしまったかもしれない。

*1:中国のポリティカリーコレクト的には偽満州中国東北部とするそうだけれど本エントリでは満州とします

*2:満州民族・蒙古民族・漢民族朝鮮民族日本民族