「批評」という言葉にはマイナスなイメージを持つ人も多いと思う。
大学入試の国語の難解な問題であったり、なにも創っていない外野が無責任に作品をあげつらったり。
ただし、ときには鋭い視点にはっとさせられたり、自分が信じていたことに疑いの目を向けるきっかけを与えてくれたり、その批評された作品を深く味わう材料をくれたりもする。
そうした批評のプラスの面を知りたくて、また自分もそういった批評をしてみたいと思い「高校生のための批評入門」という本を手に取ってみた。

- 作者: 梅田卓夫,服部左右一,清水良典,松川由博
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1987/04
- メディア: 単行本
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これは1ページから8ページ程度の古今東西、種々の文章が51編入っている批評集。ところどころ「批評」についてもコラムもあり、これもたいへんおもしろい。
本書の冒頭の言葉によれば、批評というのは評論を読んだり論説文を書くことではなく、もちろん他人の欠点をあげつらうことでも知性を示して利口ぶることでもない。
それは違和感から出発するものだという。他人に対して、物事のあり方に対して、あるいは自分自身の言動に対してふとつまづくようにある抵抗の正体を追求していくことが必然的に鋭い批評になり、ひいては「私の流儀」を確立することになる。
高校生のための、というタイトルではあるが大学受験に出てくる難解な評論を解くためのものではなく、先人の考え方を読むことで自己を確立するためのヒントやきっかけとすることを狙っているとのことだ。
批評家が書いたものだけというわけでない。有名どころでは、藤原新也や森毅、チャップリン、安部公房、中上健次、水木しげる、ボーヴォワール、手塚治虫、黒澤明、澁澤龍彦、岩井克人、阿部謹也、カフカ、サン=テグジュペリなども書いている。これだけ羅列するだけで作者買いしたくなってくる。もちろん名前だけではない。さらっと書いてあるのに、これまでの常識をなにかしら揺さぶられる文章ばかり。
ひとつ印象に残っている言語と文化についての文章を簡単に紹介する。
brotherという英語は日本語では兄か弟か区別されない。これは日本文化では長幼の別に気を遣っているということを示している。一方で、日本語で女性を呼ぶときには「だれだれさん」で済ます一方で英語圏ではMissとMrsで既婚かどうかを識別する文化になっている(現在はMsという言葉が人為的につくられて流通している)。これらの例から言語と文化が不可分であることがわかると思う。そして、差別用語でも差別する側に立つ人は無意識に、悪意なくその言葉を使ってしまう。つまり一般化している言語/思考のパターンに身をまかせていると自分の誤りが見えなくなることがあるという。この結論は当たり前ではあるんだけれど、言語が自分の考え方を縛っている具体例を簡潔に指摘していて考えるヒントになった。
また、本書は1987年出版ではあるが、51編中一番最後にチェルノブイリ事故が起きた後の原子力発電のリスクについて触れたものを置いているのには、なにか震撼させられる。特に、脚注のチェルノブイリの原発事故の項では事故の概要について説明したあとに「わが国の原子力産業界は、事故が発生した直後、原因についての情報はないまま、タイプの違いを理由に『日本ではあり得ない事故』と強調した」と締めくくられているところにぞっとする寒気を覚える。
思考停止に気付き、違和感を掘り下げて言語化することができるということの大切さと、その難しさを本書とは別に現実が教えてくれていて暗澹たる気持ちになる。
これきっかけで読んだ藤原新也の「東京漂流」もよい。

- 作者: 藤原新也
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1990/06
- メディア: 文庫
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