ぜぜ日記

ブログです

ミス・サイゴン感想 戦争による別離の悲劇を描くトリッキーな名作

ミュージカル「ミス・サイゴン」を観てきた。
妻が観劇仲間と行く予定だったのが彼女らの都合が悪くなったことでお鉢が回ってきたのがきっかけ。 日本では1992年に帝国劇場でやったそうで、妻は、幼少期にテレビで紹介されているのを観てから気になっていたらしい。 自分は作品については史実以外にほぼ予備知識なしで観てきたので感想を書いてみる。

1989年にウエストエンドで初上演されて以降、世界中で演じられていることからもわかるとおりすごい作品なのは間違いない。音楽も歌も演技もダンスも大道具も小道具もレべが高い。日本でも1000回以上は上演されているので観た人も多いかもしれない。

けれど、物語にはいくつか釈然としないところがある。これは自分が観劇の方法をわかっていないからかもしれない。もうちょっとあらすじを知ってから観ると各動作の意味や文脈を理解できてより楽しめるような気もする。

まず、ネタバレにならない点について紹介してから、間をあけて物語について書いてみる。

小道具や大道具はほんとすごい。妻につきあって劇場にもいったししばしばDVDや配信で横から眺める宝塚大劇場作品の5倍くらい手間とお金がかかっていそう。これはツアーで公演されることを見越して投資されている分もあるし、宝塚の数か月のみの上演とは違うから仕方ない。

そして、それらの大道具も小道具も暗さと照明をかなり効果的に利用している。 光に照らされないところを残した薄暗さは谷崎潤一郎の陰翳礼讃を連想した*1。 特に、ナイトクラブの喧騒と夜の街角の静けさの対比、色街の猥雑さはみごと。

また、宝塚とかでは使っていないものとして、花火や蝋燭、タバコ(のようなもの)がある。これほんとにツアーで各会場でやっているのだろうか・・・どう安全対策しているかは気になる。蝋燭はあんな小さな火なのにゆらゆら揺れる炎の儚さと緊張感が印象的。

大道具としては、巨大ホー・チ・ミンやメカ自由の女神はちょっと謎でしたが・・・。ホー・チ・ミン、本人は個人主義にならないように配慮していたけれど死後、都市名に冠されたりシンボル的には扱われてきたのかも。

役者さんについてはあまりわからないけれど、みなすごい。クリスもエレンもアメリカ人にしかみえなかった。エンジニアは役自体の怪しさを十二分に発揮していたように思う。ほかの兵士やナイトクラブの従業員も迫真。 あとあと、2歳児役の4歳児(パンフによると4人もキャストがいる!)が重要な役割をしていたのですがめちゃめちゃしっかりしていてすごかった。カーテンコールでの登場時もすごい。こんな下着姿の女性が踊りまくって売春もするナイトクラブが舞台の作品で練習しているのすごいと思う。現代でやると物言いがつきそう。

以下、物語についてネタバレありの感想です。









本作はベトナム戦争末期のサイゴン南ベトナム首都、現ホーチミン市)を舞台に、米兵と戦争で両親を失くした女性との出会いと、戦争に振り回される人たちを描いている。

主要な人物は米兵であるクリスと、生きるために娼婦になった戦災孤児のキム、そして野心のある女衒のエンジニア(これが人名というのが最初わからなくて混乱した)、さらにベトコンのトゥイと立場がさまざま。ベトナム人側の関係も複雑だし、戦火にあえぐベトナム人と先進国の住人の関係が物語を動かしている。

先進国であるアメリカ人は子は母親と一緒にいることが幸せと思うけれど、戦後の混乱にあえぐベトナム人からは、子どもだけでも世界一豊かなアメリカで暮らしてほしいという親心があることのギャップが本作の核だと思う。エンジニアの渡米の野心もこのため。

ただ、やっぱり、そのためにも最初のクリスとキムが恋に落ちるという背景をうまく描いてほしかった。 冒頭、キムが街角で一人待っていたところ銃撃?があって、女衒(エンジニア)に半ば強引に引っ張られて売春もするクラブで働かせられることになったけれど、この経緯や不本意さがあまりわからず、流されて売春するようになったようにみえた(ここらへんのセリフが聞こえにくかったのもあるかも)。 単純にみると、米兵仲間にのせられて買春することになったクリスと、その客に売春宿で恋してしまう娼婦というのはちょっと都合が良すぎるように感じてしまう。まあ、時代もあったし、お互いに純粋というか「ウブ」だったというのもあるだろうけれど。だからこそ、キムと婚約していてアメリカに連れて行こうとしていたにもかかわらず、のちにエレンと結婚していることも流せる。

また、ちょっと時代がわかりにくかったのもある。第一幕をみているときは、きっとアメリカ軍が血みどろのジャングル・クルーズ*2をしていたころに休暇でサイゴンにいてクラブに遊びにつれられてきたのだろう、だからクリスが簡単に恋に落ちた背景には過酷な戦場でのトラウマもあったのかも・・・仕方ない、と解釈しそうになったけれど、あとでパンフをみると1973年にアメリカ軍が撤退した後の1975年が舞台ではあるし、若い兵士という描かれ方をしていたのでちょっと違いそう。
(もしかしたら歌詞やセリフで表現があったかもだけれど聞き取れていないかもはしれない。第1-第2幕あたりはわりと聞き取りにくかった)

とはいえ、ここらへんは設定と解釈の話なので仕方ない。

ただ、サイゴン陥落とそれによるクリスとキムの別離を、回想シーンとして後半にもってくるという時系列の入れ替えはどういう効果があったのだろう。サイゴン陥落での別離をヘリの迫力ある演出とあわせて後半にもってきたほうが別離の悲しさを強調できると思ったのだろうか。観ていると、いつのまにかクリスがいないとなったり、いつのまにかキムに子どもがいた!と感じてしまった。もしかすると、この入れ替えがあることで、クリスがキムのことをおいて結婚したことを自然に受け入れやすくはなったかもしれないけれどトリッキー。この物語上の悲劇の種である、キムをおいてエレンと結婚してしまったことを、観る人の倫理観を刺激しないように導入するために入れ替えたのだとしたらさすがだとは思う。

サイゴン陥落の際に引き離されたキムとクリス。2年後に手紙からキムに子どもがいると知った同僚のジョンと、クリス・エレンの夫婦はキムがいるというタイに向かって、行き違いでエレンと先に会って結婚を知るキムの絶望を思うとつらい。そして、子だけでもアメリカに連れて帰ってほしいという願いは、子は母親といるのが幸せという考えで断られ、それでも子をアメリカにという思いでキムは命を絶つ。
どうしていたらキムも生き延びることができて、クリスもエレンも前向きでいられただろう・・・。戦争による別離の悲劇でもあるし、先進国の感覚と戦火に焼けた地の人の強い気持ちの差を感じてしまった。

ちなみに、米兵でベトナム人と結婚して渡米した戦争花嫁は Wikipedia によると8040人いるらしい。おそらく、現地に妻子を残してきた米兵はもっといるだろう・・・。
参考: 戦争花嫁 - Wikipedia

そういう悲劇を軸としつつも、エンジニアの野心ががいい味を出していてただ悲劇だけにおわらなかった。
このエンジニアというのは重要な役なんだけれど、初出ではキムをナイトクラブで強引に働かせる女衒だし、名前がいつ初出かわかりにくかったし、女衒であることもあって(現代人的感覚から)すげー悪いやつという見え方に囚われてしまっていた。そのため、キャスト一覧ではクリスやキムよりも最上位に位置されていてびっくりしたし、これによって、ただキムとクリスの別離と再開という悲劇的なロマンスという単純な話でなくなったのはあるのだけれど、これも描き方がトリッキーなように感じてしまう。「主人公」的な役割ではないし悪役的なのに、主役的にスポットライトがあてられてしまっているというか。

こういう、時系列の入れ替えがトリッキーだったり、役者へのスポットライトの当て方が妙だったり、シナリオの教科書的には避けるべきとされそうな点があるんだけれど、演劇として観客に混乱と衝撃を与え、最後の悲劇に向けての緩急をつくるのに効果的なのかもしれない。

本作を観てから調べなおすと、やっぱりベトナム戦争アメリカが参入したのは、防共という目的があったにせよ、他国の防衛で58,000人の米兵の死者を出すのはほんと愚かな失敗だった。これは「ベスト・アンド・ブライテスト」が書いていたように、もっとも聡明な人々のしでかしたというのが暗澹たる気持ちになる。*3

そしてこれは過去の話ではない。今年の2月から始まったロシアによるウクライナ侵略も、序列をつけがたく国家の愚かな行為(独裁者の野心はあるけれど、それを支えた組織的傲慢さは共通)。ソ連崩壊までは同じ国だったウクライナとロシアの間での戦争ということもあり、ここでも悲しい別離がたくさんあるだろうしそう考えると本作をどう受け止めるべきか、悩ましくは思う。

とはいえ本作は名作なのは間違いない。 観劇後、近所のベトナム料理屋に妻とのりこんで飲み食いして振り返ることができたのもよかったです。 ほかにもパンフレットを広げているテーブルが複数あってよかった。ブンチャーを食べ損ねたのでまた行きたい。

サイゴンビール

ちなみに、こういう演劇の感想を書いたのは、北村紗衣先生の「批評の教室」を読んだことがきっかけ。 本記事は批評にはなりきれていなく、「感想」と書いているけれど、批評という観点で作品をみたり、どう感想を書こうか考えてみるとなかなかおもしろかった。

saebou.hatenablog.com

その他

  • 米軍撤退後、サイゴンまでたどり着けるだろう距離にあったキムの村が焼かれたということは、その実行者は北ベトナム側、つまりベトコンだと思うのだけれど、もし本当にそういうことがあったなら、親の決めた婚約者でのちにベトコンとしてサイゴン陥落が近いと語ったトゥイを拒絶していたのもわかる。
    • けれど、そこから2年でベトコンの将校として出世していたのすごい(そんなことあったのか?)
    • そもそもトゥイという名前、作中にでてきたっけ(聞き漏れただけかもしれない)
  • パンフレットがめちゃめちゃ豪華。80ページあってさまざまなインタビューもあって読ませる。歌詞は全部載っていなくて残念(仕方ない)
  • 8-9割くらいの観客は女性だった。

ミスサイゴン パンフレット

余談

ほんとどうでもいいけれど、1997年に発売されて、自分も小学生のころにやりこんでいたファイナルファンタジータクティクスというゲームがあって、そのストーリーと関係のないやりこみ要素のディープダンジョンを思い出しました。この全10階層あるディープダンジョンでは、階層ごとに名前がついていて、 terminateとかvalkyries, bridge, horror, end など思わせぶりな名前があるんですが、そのなかに nogias 、 mlapan という聞きなれない言葉を2つあったのです。当時、なんだこれ、辞書にもないし、とずっと思っていたけれど、あとになって調べると、これは Saigon と napalm (ナパーム)を逆から書いたものとあって意図はわからないけれど印象に残っていました。これらは地獄の黙示録(1979)をモチーフにしているという説もありますが、それだけベトナム戦争がさまざまな創作に影響を及ぼしているのは複雑な思いがある。