ノンフィクション作家のジョン・トーランドが1970年に世に出した1936年から太平洋戦争終結までを描いたノンフィクション*1。原題は The Rising Sun: The Decline and Fall of the Japanese Empire 。これは、ギボンのローマ帝国衰亡史 The History of the Decline and Fall of the Roman Empire とかけていそう。この作品によってトーランドはピュリッツァー賞の一般ノンフィクション部門も受賞している*2。
トーランドはすぐれた戦記作家で、さらに自身が太平洋戦争に従軍していただけではなく、妻が日本人だったことや多くの人の助けで戦後のまだ存命だった日米多くの高官にインタビューできていること、多数の資料をもとにしていることもあってかなり読ませる。複雑な開戦の経緯を日米トップの動きや軍や重要な事件をまとめていて、これまでエピソード的・断片的に語られがちな人物や事件の事情をすこし理解できたと思う。戦争や政治、組織に関心のある多くの方におすすめ。
全5巻のうち、まだ1巻の真珠湾奇襲直前までしか読めていないけれど、これからもっと情勢は複雑になるだろうし、ひとまず現時点、真珠湾攻撃までの感想を書いておきます。
大きなポイントはなぜ日本は開戦を選択してしまったのか。これは陸軍若手将校のクーデター機運と、上層部(統帥部)・政権がそのエネルギーを制御できなかったことがまずあって、開戦を防ぐために多くの人々が動いていたけれど、いくつかのすれ違いなんかでうまくいかなかったことがある。
相互の誤解、言葉の違い、翻訳の誤りなどといったものが、日本的な日和見主義、下剋上、非合理性、名誉心、プライド、恐怖、そしてアメリカの人種偏見、東洋に対する不信と無知、硬直化した態度、独善、面目、国家的な自負と不安などといったものによって増幅され、戦う必要のない戦争が、いままさに開始されようとしていた。
開戦への背景を自分なりにかみ砕いてみる。
- 人口増・景気悪化からの農村の貧困に影響を受けた青年将校らがクーデターを起こしていた(五・一五事件、二・二六事件)
- 国民からかれらへの同情からか厳しく処罰されず、増長してしまった。また陸軍・統帥部はこれをコントロールできなかった
- そして、張作霖爆殺事件や盧溝橋事件から日中戦争に入っていった
- そして外交のすれ違いによるアメリカからの経済封鎖
- ヒトラーとの同盟によって制約されてしまったこと(戦争を防ぐための同盟であったのに・・・)
- 外交のすれ違いはエキセントリックな外務大臣の松岡洋右や国務長官ハルの頑迷さ、翻訳の拙さににもよる
- 開戦前に首相で、軟弱と思われていた近衛文麿はよくまとめようとしたし、開戦時の首相として戦争を推進したと思っていた東条英機も陸相だったころはさておき、開戦を止める、つまり軍を抑えることを期待されて首相兼陸相となったときには、実際に開戦阻止に向けて陸軍を抑えようとしていたことはあまり知らなかった
どこで防げただろうか。ひとつひとつの問題がなければで開戦が先送りにはされても、統帥部の独立と、陸軍の権益を安全に解体することはできたのだろうか。
あるいは、開戦が防がれていたら、日本はどうなっていただろう。 マッカーサーによる財閥解体もなかったから戦後の新興メーカーの勃興もなかったかもしれない。満州は傀儡国家として残っていただろうし、中国の共産主義化はここまで成功はしていなかったとも思う(これの良し悪しは現代人の尺度ではわからない)。大日本憲法が残っていることで軍隊も健在だろう。
・・・と考えてしまった。
また、よくいわれる、兵站や情報の軽視(中東でヒトラーと合流する、と息まいていた軍関係者もいたらしいし暗号はアメリカに解読されていた)していたり、名誉を重んじるあまりサンクコストに振り回されること(すでに中国で兵士が死んでいるのに撤退できない)とかは現代日本にも通じるように思う。
ただ、かなり読みやすくまとまってはいるけれど、戦争に至るまでの各国、各勢力や経済状況、文化など戦争に至るまでの動きはかなり複雑で記述しきれるわけはなく、いろいろ省かれていることには留意する必要がある。
書かれていないことで特に気になったのは、当時のメディアや世論、経済状況あたりかな。ただ、注釈も用語集もおもしろいのでここから広げることはできそう。個別の話では満州についてより興味が出てきた(新書で「甘粕正彦」とか「謀略の昭和裏面史」とかでエピソード的には知っていたけれど)、また、なぜ南京で虐殺が起きたのか、というのも気になる。本書では、日本の将校に煽っていたものがいたのでは、程度でしか書かれていなかった(日本軍が虐殺したことは疑いはないです為念)。
ローマ帝国衰亡史が欧米の教養人の愛読書になったように、本書も読まれ続けてほしい。
1970年時点で、34年前の1936年から、25年前の1945年までを描くというのは、2023年からみると、バブルの1989年のことから1998年までを描いているということで、当時の読者にとってはかなり「最近」のことを描いているように思う。本書が日本とアメリカでそれぞれどう大衆や専門家に受け止められたかは気になる(しかし図書館で探るほどではないけれど・・・)。 その後50年の研究でわかったことや後世の研究者からの批判とか、補足あれば読んでみたい。
いくつか引用
極東問題の権威タイラー・デネットは一九二二年に次のように書いた。「アメリカも含めて、すべての民族が、今日の極東問題を形作っているいろんな悪をつくり出すのに一役買った。われわれはみんな自分だけが正しいのであって罪のないのに迷惑をこうむったというようなポーズをきれいさっぱりと捨て去って、神妙に事実に直面した方がよかろう」
現在の、これまでのロシアへの宥和的な態度のことを思ってしまう
国家経済は一年に約百万人も増加する人口を吸収することができなかった。生産価格の低落に伴い、飢餓に瀕した農民は、抗議組織を作りはじめた。都市では何十万人という労働者が失業した。このような土壌の上に、左翼政党や労働組合が生まれ、勢力を伸ばしていった。
いま起きているアフリカの人口増とかはこのあたりの問題を起こしてはいないのか気になった。
陸軍首脳は徐々に政治的な主導権を拡大していったが、これは軍の第一の目標ではなかった。彼らが目指したのは、第二の二・二六事件が起こることを防ぐことにあった。彼らはいかなる規律をもってしても、貧困と腐敗を一掃しようという理想に燃えた青年将校の情熱を抑えることはできない、ということを知っていた。解決策は不満の原因を取り除くことであった。そして、その方法は反乱将校たちが自由経済が生む悪と考えたものを正すこと以外になかった
正義感に燃える軍隊の危うさを感じる。井上準之助ががんばっていたら違ったんだろうか・・・(このへんは、城山三郎の「男子の本懐」がおもしろかった)。現在の経済学者からどんな財政・金融政策をとっていたらよかったとか書いたものがあれば読みたい。
この時代には、全世界が共産主義に対して恐怖を抱いていたため、中国で共産主義が蔓延することが、日本に対する最大の脅威であると統制派がみなしたのも驚くことではない。というのは、中国の共産主義者はアメリカやヨーロッパにおけるものと異なり、たんに政治結社の党員であるだけでなく、国民政府に対する事実上のライバルであり、独自の法と活動地域をもっていたからだ。
日本に共産主義が広がるのを恐れていたのかな。
しかし、日本を毒してきた二つの悪──日和見主義と下剋上──が再び頭をもたげてきた。まず第一に、中国において日本軍がまた大きな勝利をおさめたというニュースが届いたために、杉山陸相は交渉条件をきびしくした。第二に、北支派遣軍司令官が、近衛や参謀本部のはっきりとした命令を破って北京に傀儡政権を樹立してしまった。参謀本部は、石原に動かされて蒋介石との交渉を続行するように主張したが、トラウトマン(引用者注:在華ドイツ大使)の努力はむだに終わった。
サンクコストに振り回されてコントロールできない軍隊の恐ろしさ・・・。
(引用者注:日露戦争の講和、ポーツマス条約をめぐって)この講和条約によって最も有利な条件を獲得することができた。しかし歴史のいたずらで、このアメリカの友好的な斡旋がかえって両国間の親密な関係に終止符を打つ結果になったことは皮肉である。日本国民は、日本が戦争中に破産に瀕していたということを知らされていなかったので、条約のなかでロシアが日本に賠償を支払わないという項目に憤激した。反米暴動が全国いたるところで爆発し、東京では戒厳令まで布かなければならなかった。しかし、このように事態が悪化しても、日本政府は国民に対して、あのときルーズベルト大統領が日本を窮地、おそらく災難から救ってくれたのだとひとことも説明しようとしなかった
このあたりの意図の説明を省いているのは現代日本も同じように感じる・・・。説明下手というか、国民への説明のパスがないのかな
一九二四年、アメリカ議会が日本人のアメリカ移民を禁止する移民法(*) を可決すると、世論の支持を受けるようになった。この法案の成立は、傷つきやすい日本人の誇りに対する作為的な挑戦として受け取られ、親米派であった人々でさえも動揺せざるをえなかった。ある日本の高名な学者は「日本はあたかも突然、なんの前触れもなく、親友に頬を打たれたように感じた。」
このあたりのアメリカのアジア人差別もひどかった。
なぜ、アメリカではモンロー主義の存在が許されるのに、アジアに対して「門戸開放」の原則を強制しようとするのか? 日本が匪賊の 跋扈 する満州に乗り出すことは、アメリカがカリブ海に武力介入するのとなんら変わらないではないか( 2)? アメリカのような広大な国家に第一次大戦以来日本の発展を阻んできたいろいろな問題を理解できるのか? イギリスやオランダがインドや香港、シンガポールおよび東インド諸島を領有することは、これを完全に認めることができるが、日本が彼らのまねをしようとすれば罪悪であると糾弾する根拠はどこにあるのか?
これも取り扱いが難しい。既成事実になってしまっている。いまの中国の拡大志向もこのあたりを持ち出されうる?
西洋の論理は、筋道のたった結論を導くために公理や定義や証拠を用いて正確を期するが、生来の弁証法論者である日本人は、どのような存在にも矛盾があるという立場をとる。日常生活において、日本人は本能的に相対するものの矛盾について考え、それらを調和させる術を心得ている。正と邪、精神と物質、神と人──これらのすべての相対立する要素が調和を保ちながら統合される。だから、物事は同時に善でもあり、悪でもありうる
曖昧なものをそのままとらえられたらかっこいいけれど、単に思考停止しているだけなことも多い・・・
杉山参謀総長は当惑しきっていた。「あれは敵機が撃墜される前に輸送船団が進発したからであります。あのような事態は起こらぬはずであります」 それでも天皇はねばった。「ほんとうに計画どおりにやる自信があるのか。汝は日華事変が起こったときの陸相だったが、蒋介石はすぐかたづけますと言った。それがいまだにかたづいていないではないか」 「中国は奥地が広うございますので……」──杉山は、しどろもどろだった。 「中国が広いことはわかっておる。しかし南洋はもっと広いではないか。どのような根拠で、五カ月間でかたづけるなどと言えるのか」天皇はいらいらし、焦燥が顔に出ていた。 杉山はなんとかして答えようとした。
はい・・・
こうして、共産主義者に支配されるアジアへの危惧を共有していた二大国が、やがて衝突する軌道の上に乗ったのである。いったい、どちらが責められるべきか──アメリカか日本か? 満州をわがものにし、中国を侵略し、中国人に残虐行為を働き、さらに南方へ進出するという一連の行動によって自らをアメリカとの対戦に至らしめたという点において、日本は、ほとんど一人で責任を負わねばならない。しかし、日本のこうした侵略行為は、第一次大戦後に日本を経済的な競争場裏から追放しようとした西欧諸国の努力、大恐慌、日本の人口の爆発的増加、そして一等国としてとどまるために資源と市場を探さねばならない必然性などから帰結した、避けることのできない結末でもあった。これに加えて他に例を見ない不思議な「天皇」という存在があったし、下剋上が果たした破壊的な役割があったし、日本人が偏執狂に近い恐れを抱いている共産主義の脅威がソ連と毛沢東の両方から迫っていた。
このあたりの情勢の価値判断は難しい。不況と人口増からの不安定化は怖い。
アメリカが口にする正義は、結局は自己の目標を貫かんがためであり、アメリカが唱える道義は、その奥底においては自らの利益のためであった
これをアメリカ人のトーランドが書けるのすごいと思う。本作は日本人には書けただろうか。
責められてしかるべきはただ一つ──それは「時勢」だった。第一次大戦後のヨーロッパで起こった社会・経済的な混乱、共産主義とファシズムという二つの巨大な革命的イデオロギーがなかったなら、日本もアメリカも永久に戦争の縁に立つようなことはなかったことだろう
第一次世界大戦の後始末が悪い・・・
(一大奇襲で一気に勝負を決するという概念は、日本人の性格にも深く根ざしている。彼らの愛好する文学形式の一つである俳句は、感覚的イメージと直観的に思い浮かんだことを、わずか十七文字の中に歌いこむ詩の一種である。それは規律に従って表現されるぴりっとした諷刺と、日本的仏教の中で追求されてきた知的ひらめきを特徴としている。同じように、柔道、相撲、剣道の結着も、長い準備的な段階の後、一瞬の攻撃によって決する
ニンジャスレイヤー的
この1巻は、まだ政治劇、外交劇的なおもしろさがなくはないけれど、2巻以降は悲惨で泥沼な場面が増えていくんだろうな……