ぜぜ日記

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傑作ファンタジー「ウィッチャー」を読んだ。ダークで旅する神話

ゲーム化されて世界中で大ヒットしてNetflixでドラマ化もしているウィッチャーの原作小説を読みました。自分は原作もドラマも知らないので小説が初ウィッチャー。基本読書さんのブログで気になって買って一気に読みました(kindle版、2巻から5巻までは解説がついているのに1巻はなくて残念)。

huyukiitoichi.hatenadiary.jp

※ 前半はネタバレなしの感想で、後半に間をとってネタバレ感想を書いています

ダークなファンタジーで最近流行りの異世界ものというとわかりやすいかもしれない。中世ヨーロッパのような大地を舞台にした剣と魔法の世界。ただし、魔法があるといってもその力も限られているうえに魔法使い自体の数も少なく、国同士の戦争ではほぼ存在感がないし、一人で戦いの趨勢を決めるような英雄もいない。そのために、戦場は泥臭く、血なまぐさい。

主人公のゲラルトは怪物殺しを生業とするウィッチャー(Witcher/魔法戦士とも訳される)で、幼いころから薬で体を変化させて変異体(ミュータント)として恐れられつつ蔑まれる存在で、かれと運命づけられた少女シリをめぐって大きな陰謀と物語がすすんでいく。ゲラルトは怪物殺しで日銭を稼いでいるけれど、読んだ中では怪物を殺すことは少なく、むしろ怪物の背景を調べたり、ときには対話して殺さずに問題を解決させることのほうが目立つのがおもしろい。

凄惨だし、残酷な場面も多いんだけれど会話や宴会のかけあいも巧妙で、生き生きとしたキャラクターを感じて楽しく読めてしまう。また、物語のなかでも旅の道程に紙幅が割かれており、山々や川、鬱蒼とした森や生き物、距離やぬかるみを感じる街道や平原の描写もすばらしい。怪物や魚なんかの生息数とかも言及されていて生態学みもある。森にすむドルイドたちは魚の生息数を守るために網の目の大きさを広げるよう要請するけれど、人間たちは応じないところとか笑えた。中盤から後半にかけての2組の旅はどちらも苦しい旅なんだけれど、ロードムービー的に楽しめてもしまう。

時間軸や場面の入れ替わりもちらほらあるし登場人物や地名も多いものの、かなり読みやすくテンポがよく全体としては読みやすい。ファンタジー好きはもちろん、異世界もののラノベ好きな人も一段重厚な作品として楽しめそう。あと、凄惨な珍道中というところでは、傑作マンガのゴールデンカムイを好きな人は好きかも。弓の達人娘も出てくるし、粗にして野だが卑ではない男どももどっさりでてくるのは通じている気もする。

ちなみに本編5冊のほかに短編集が2冊あります。どちらを先に読むかは悩ましいんですがプロローグとして短編集を読んでからのほうがなるほどとなっていいかも。でも本編がおもしろいので本編からでもあり。一部の謎は短編集で解決されるんですが、ゲラルトの描写がけっこう違う。

著者はポーランド出身のアンドレイ・サプコフスキで訳者の川野靖子、天沼春樹の訳もいい。無数の悪態をいい感じに表現されていました。ほかの本も訳されてほしいのでみんなウィッチャーシリーズを買って読んでください。感想をしゃべりたいのでメッセください。 凄惨な描写が真にせまっているのは、いくども大国に侵略されたポーランドの経験もあるのかもしれない(と、ポーランド出身作家はみな言われがちかもしれませんが・・・)。

(以下ネタバレあり感想)

(ここからネタバレあり)

いやー、おもしろかったですね。一巻ごとに感想をかけるとよかったのですがまとめてやります。 最後の決着のついた後の余韻、死の予兆のさびしさもよい。ゲラルトをベルセルクのガッツのイメージで読んでしまったけれど、あとで検索するゲームのゲラルトはもっと老いている感あるしオールバックだった(1巻の表紙もそうだったけれど、kindleで読んでいたのであまり意識しなかった)。

転移の生み出す、別れと孤独の物語としては無職転生も連想した。これもネタのようなタイトルからは想像できないよさがある転生ものだった。

魔法使いたちのパーティや、カヒルが釣った大きな魚を囲むところやレジスの酒でぐだぐだになるドワーフたちやゲラルト、トゥサンの宴会でのもじもじしていたミルヴァと無口な老貴族の会話など会食のシーンが印象深かった。1巻では唐突にシャニとベッドにいたゲラルトおもしろい(短編集を読んでいたら受け止めやすかったかも)。

運命が大きなテーマで神話的な伝説になっているなかでは以下は謎として残っているけれど、些末なものか。

  • ヒルがシリを夢みたのは、シリの能力?なにがかれを運命づけたのかわからなかった。カヒルの最後はあっけなく、悲しい。
  • ニムレがシリに時間をさかのぼるポータルをひらくことができたのはなぜなのだろう。彼女らの後の話も知りたい
  • 天体の合とは何だったのか
  • アヴァラックがアイン・エレにいたのはなぜか。異界のエルフの考え方の人間との断絶は心冷えた
  • トゥサンからヴィルゲフォルツのスティガ城までゲラルトたちはどういったんだろう。トゥサンで思いかけず盗聴したのはなんだったんだろう

短編集

  • ゲラルトの母はだれだったんだろう
  • トリスとゲラルトは過去になにがあったんだろう

短編集ではパヴェッタ・シリがらみの話はおもしろかったし永遠の炎がよかった。

いくつか印象に残ったところ引用します

「つまり、王たちの奏でる音楽に合わせて踊れというのか?」アルトードが顔をしかめた。 「そうだ、アルトード」ヴィルゲフォルツはアルトードを見て、目を光らせた。「彼らの音楽に合わせて踊るか、もしくは舞踏場から立ち去るか。オーケストラの指揮台は、よじのぼって別の曲を弾いてくれと頼むには高すぎる。そろそろ、そのことを理解したほうがいい。別の解決策があると思ったら大間違いだ。夜の湖面に映る星々を天国と思ってはならない」  

えがおもしろい。ヴィルゲフォルツのこれまでも気になる。

女魔法使いはどんなときも行動するの。正しかろうと間違っていようと、結果はおのずとわかる。でもまずは行動し、勇気を出して人生をその手でつかむの。いいこと、お嬢さん、何もせず、迷い、ためらっていても後悔するだけよ。

女魔法使いたちが自立していて強い。 イェネファーの印象は短編集と本編では全然違うけれど・・・。

だからゲラルトは美しいことだけを考えた。イェネファーを喜ばせるようなことだけを。爆発するようにまぶしい日の出。夜明けに山の湖にかかる霧。透明の滝のなかを銀色に光りながら飛び跳ねるサケ。露をたたえたゴボウの葉を叩く温かい雨粒。

いい・・・。

「カネは祖国を持たない、ゲラルト。商人は金儲けさえできれば統治者が誰であろうとかまわないし、ニルフガードの役人は税金をかける相手が誰であろうとかまわない。死んだ商人は金儲けもしなければ税金も払わない」

どこかで使いたい。

結論を言えば、知性を支配するのにもっとも効果的なのは、支配的な知性をこっぴどく侮辱することだ。

はい

どうしてもわからないのは、なぜ人間の悪態と侮蔑語の多くが官能的領域におよぶのかということだ。セックスは美と幸福と歓びを呼び起こすすばらしいものであるのに、なぜ生殖器の名前が下品な悪態がわりに使われるのか

そうだね

「謝らないで。謝る男には我慢できない」 「どんな男なら 我慢できる?」  フリンギラは目を細め、ナイフとフォークを短刀のように構えたまま、ゆっくりと言った。 「言いだしたら長くなるわ。些末な話であなたを退屈させるつもりはない。ただ、愛する人のためなら地の果てまで、恐れも知らず、冒険や危険にもひるまず向かってゆく人が高位を占めることだけは確かね。そして、どんなに成功の見込みがなくても途中でやめない男」

と、言葉にはされるが・・・

「絶対ここに娼館を建てるべきだって。やるべき仕事がすんだら、ここに戻っていかがわしい 館 を開こう。街を見てまわった。ここにはなんでもそろってる。床屋だけでも十軒あるし、薬屋は八軒。でも売春宿は一軒きりで、よくある安宿よりしけたあばら屋だ。競争相手はいない。豪華な娼館を開くんだ。庭つきのでかい屋敷を買い取って――」

アングレームもいい。最後悲しい・・・

路地の突きあたりに見える穀倉の壁に、斜めにかしいだ白文字で〝 戦わずに愛し合おう〟と書いてあり、真下に誰かが小さい字で〝 そして毎朝クソしよう〟と落書きしていた。

戦争の描写は迫真だった

おまえたち年寄りは驚くかもしれんが、おれは風に向かって小便するのは愚かだという結論に達した。誰かのために自分の首を賭けるのはバカらしい。たとえカネを出されても。実存哲学とこれはなんの関係もない。

ゲラルト節よすぎる

ここからは短編集

「またか? 今度は誰だ? ヘレヴァルド大公か?」 「いいえ。こんどはダンディリオンよ、お友だちの。あの、のらくら者の、居候の、ろくでなしの、芸術の使徒にしてバラッドと愛の詩の輝ける星。いつものように名声で輝き、豚の 膀胱 みたいに胸を張って、ビールのにおいをぷんぷんさせている。会いたい?」 「もちろん。なんといってもわが友人だ」

まじでよい。

ある日、馬に乗っていたら何を見たと思う? 橋だ。その橋の下に一匹のトロールが座り、渡る人すべてに通行料を求めている。拒んだ者は片脚、ときには両脚にケガを負う。そこでおれは町議のもとに出向く。〝あのトロールを殺せばいくらになる?〟。町議は驚き、こう言う。〝何を言っている? トロールがいなくなったら誰が橋の修理をする? トロールは定期的に橋を修理している──額に汗して、りっぱに、一流の仕事を。

トロールが溶け込んでいる・・・

呪文のひとつやふたつ知っているのがどうした? たいしたもんだ。ぼくが知っている宿屋の主人は、いいか、十分間、一度もとぎれずおならをしつづけ、讃美歌《われらを出迎えよ、出迎えよ》、《おお、明けの明星よ》を演奏してみせた。このたぐいまれなる才能を無視すれば、いいか、彼はまったくどこにでもいるふつうの男だ。妻がいて、子どもがいて、麻痺のある祖母がいて──」

はい・・・。