東京に2年くらい住んでいるけれど山谷のことはほとんど知らなかった。
この時代の日本の、それも首都である東京にスラムのような場所があると聞いたのが興味を持つきっかけ。ただし、本を読んでみたり現地へ行ってみたり調べてみての結論から言うとスラムなんかではないし治安はいい。そして、自分も含めた多くの人が関係する、けれど気付かないか気付かないふりをしているかの場所なのではという気がしてきた。
足を運んでも本を読んでもあんまり現在の山谷についてはわからないけれど、気付いたこととか山谷の歴史について思うところを書いてみる。
山谷の歴史
知っている人も多いと思うけれど、一ヶ月前の自分に向けての説明ということでご容赦ください。
まず、ドヤ街とドヤ顔は関係ない。ドヤ街のドヤは宿(ヤド)を逆から読んだ隠語。山谷界隈は江戸時代から木賃宿と呼ばれる安い宿泊施設があり、付近には小塚原刑場や吉原遊郭、遊女の投げ込み寺などある。特に小塚原刑場などと関連する被差別民とも関係があるようだ。震災や空襲で貧困層や被災者が都の政策もあって移住し、そこに高度経済成長期に必要となった労働力をあてにして手配師と仕事が集まる、仕事があるから労働者が集まるという構造になっている。
そう、流動的な人が集まるから一時的な労働者を求める企業の手配師も集まっている。そしてますます労働者が集まり過ごしやすい環境が出来ていった。日雇いの仕事で日銭を稼ぐ労働者と、彼らの労働力を必要とする主に建設会社のマッチングの場としての寄せ場。
仕事があるから集まるというだけなら、ほかの町でも代わりが効く。しかし、こういった寄せ場での特徴は来歴を問われないでその日払いでお金を稼げるということがある。頼る家族も場所もない人が、これまでの生活を断ち切り体一つで働ける場所として移るというのが多い。60年代の最盛期は労働者30,000人を数えたという。
しかし体力仕事が多く、家族もない彼らは年をとったり病気や怪我で働けなくなるとホームレス化せざるを得ないこともあり、早死にするケースが多いようだ(あまりデータは見つからない)。
もちろん区や都、国の支援もある。ただ当然ながらその予算や人員には限りがあり救えない人間もいる。自由な経済である以上仕方ない、けれどその存在はもっとしられていてもよいと思う。
仕方ない、と書いたけれど社会主義よりは遙かにマシだとは付記しておきます。
特にバブル崩壊後は仕事の数も減って貧困にあえぐ人が増えているらしい。
下記の調査では80年代は3000人の労働者が仕事を求めて朝並んでいたというし90年代末には200人以下になっている。手配師が街角で斡旋するやり方ではないやり方が増えているのもあるだろうけれどバブル崩壊での建設需要低下が大きいようだ。
東京における日雇労働者 ― 山谷日雇労働調査(PDF注意)
また、こういったドヤ街・寄せ場は山谷以外にも大阪、名古屋、福岡などの大都市にはたいてい付随していてそれぞれに歴史があります。山谷はすでに地名がない街なので地名を出したけれど、他の場所は書かないでおきます。
山谷のいろは街商店街はあしたのジョーの舞台
見つけた看板。この前にお酒を飲んで寝ている人が居たり、ネグリジェ姿でカートを引いている高齢の女性がいたりしました。
ここのところ読んだ本や映画についてもメモ
山谷のフィールドワーク:山谷ブルース
アメリカ人の文化人類学者が山谷へ入っていって日雇いの仕事もやりながら山谷のことを観察・記録している本。
山谷の労働者、そこに住む人、支援する人たちへのインタビューは現実の重さを突きつけられる。戦災で家族と住む場所を失って以来山谷にいる人、事故で仕事が続けられなくなった人、裕福な家庭を持っていたけれど不義で出て行かざるを得なかった人などなど・・・。人情的なところと無慈悲さが同居する街という印象。
そこで働く人たちとの境界はなにもない。著者が日雇で高速道路をつくる現場に行ったり、オフィスビルをつくるところに行ったりするのを読むと、現代社会では彼らの力なしにはやっていけないな、とも思える。
あと、支援団体ではキリスト教系が多く、仏教や神道系の支援団体がないという指摘も興味深い。
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マンモス交番こと日本堤交番。機動隊も収容できるらしい。かつては暴動を抑えるために経験豊富で大柄な男性しか配属されず、労働者の思想と対峙するためにマルクスまで読んでいたとか。
おもしろいのは、ここは逮捕をしない交番とのこと。それは労働者たちを刺激しないためで、現行犯逮捕が必要な行為があった場合には浅草書まで連れて行ったとのこと。(本書より)
闘争と日常:山谷への回廊
80年代の山谷を切り取った夭逝の写真家、南條直子*1の写真集。特に金町一家と争議団との抗争の最前線で撮られた写真は迫力がある。こんな暴動が東京であったんだ・・・と思える。労働者が暴力団を追い出したというのは国内で珍しいと思うけれどそのエネルギーが描かれている。
著者の手紙の引用もちょっとおもしろい。
妥協して生きるってことは、決して本人の自己形成にとってもいいことではありませんね。屈服は屈服を生み、臆病さはさらなる小心を育て、自己嫌悪は私的生活の孤立へと自分を追いやります
(南條直子 家族への手紙より)
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監督2人が殺された映画:山谷 ー やられたらやりかえせ
1985年につくられた山谷についてのドキュメンタリー映画。タイトルは半沢直樹っぽい。今も季節毎くらいで上映会が開かれているようだ。
一番印象的なのは冒頭、暴力団、金町一家に監督の佐藤満夫が殺されて病院に搬送される様。そして金町一家や日本国粋会と労働者たちとの抗争、暴徒化する争議団と炎上する車。ジュラルミンの盾をかまえる警官との対立。ただ、経緯はよくわからない・・・。
貧しい労働者の姿だけでなく、夏祭りでの盛り上がりや建設会社や東京都との罵声飛び交う団体交渉。などなど。ほかにも山谷だけでなく横浜の寿町や名古屋の笹島、大阪の釜ヵ崎、福岡の築港などの全国の寄せ場を取り上げて、筑豊あたりの炭鉱もとりあげている。
また、この監督の佐藤満夫も、次いで監督になった山岡強一も殺されている。
ちなみにこの映画を都内に雪が積もりまくった2/8に観に行ったら中野の地下劇場に10人くらい。うち3組カップルがいて謎でした。
この雪の中、アオカン者*3はどうしているのだろうか・・・
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現在の山谷は・・・
ここであげた映画も本も写真集も80年代。
そこから30年たっている今の山谷はどうなっているのだろうか。ちょっと気になって調べたけれどあまりよくわからない。数字もないし、記事はあってもアマチュア写真家が下町を撮ったような感じで印象的ではあるけれど実態は見えない。
ドヤは安いビジネスホテルに代わり、いまは東京を観光する外国人が多く利用する街になっているようで仕事の量や労働者の数は減っている、と言われているけれど定量的にはあまり語られていない。
先日、平日にふと訪れる機会があった山谷では1月の寒空の下にもかかわらず玉姫公園やいろは商店街近辺には何十人かの地面に座り込んでお酒を飲んでいたり眠っている人がいた。
平日の昼で日雇いの仕事に出ている人たちはいないから活気がないのは当然なのだけれど、普段はどうなのだろう。今度は朝一でどろぼう市をやっていて手配師がいる時間に訪れてみたい。
ちなみに平成24年時点で東京都のホームレス数は2,368人で全国2位とのこと。これを多いとみるか少ないとみるか。
ホームレスの実態に関する全国調査(概数調査)結果について |報道発表資料|厚生労働省
長年続く平成不況やサブプライムローン問題で仕事を失う人は多く、入る仕事は少なくホームレスとならざるを得ない人は多いだろうけれど、そういう人はどこにいっているのだろうか。
大学を出ても就職できずに派遣やフリーターで先も見えない人も多い。なんとか就職してもブラック企業でひいひいに働かざるをえないものも多い。さらにこれからはTPPで外国人労働者が増えるかもな状況。大企業は大企業で高齢労働者の代弁者たる労組が覇権を握っていて効率化は進まないし炎上案件だらけで若手は疲弊すれどもスキルもつなかいしじり貧感ある。くそったれ。労働問題むずかしい。
こういう話をしてなんで山谷に興味をもったの?と聞かれて考えると、よくわからない。公共意識とかではなく恐怖が近いかも。
ボランティアとかに参加するとまた違うのが見えてくるのかもです。機会があれば行ってみたい*4。
以上。特にオチありません。