たまたまみかけて*1買って読んでみた村野雅義の「ドキュメント米づくり」(1987)がびっくりするほどおもしろかった。
1986年に福島県浪江町(!)の山側の標高600mほどのところにある、とある家族経営の農家のところに足しげく通って米作りを体験した著者による記録なんだけれど、その農家さんの人生や、(当時の)農業をとりまく状況について鮮明に描かれている。当時の、ひとつの零細農家の生活を追った農業エスノグラフィー(民俗誌)として傑作。
舞台となる菅野家は水田が50アール(5反)、畑が100アール(10反)、畑の半分がタバコ栽培、あとは自家用野菜と小規模で、主人の菅野清は代々農家だけれど、砕石の仕事と兼業で生計をたてている。 280pほどの本だけれど田植えをするのは100pを超えてからだったり、稲刈りしてからもたくさん仕事があったりと稲作生産者さんの生活を追体験できた。
特に印象深いのが、農家のあるじである菅野清の妻、光子さんの言葉。
「頭いじめらんねモンは、こうして身体いめじるしかねえんだぞーう」
「奥さん暮らしなんか、すこしもしたくなかったぞう」
(雑草を抜きながら)「ほーら、これがピチピチ草だぞう。三角草もあっぞなあ。博物館だあ、おれの田んぼ・・・」
「まだ仕事、いっぺえあんだ。くろぬりやんねえで、どないすんだべえ。いま帰って、そんで米をつくったなんて言ったら、日本中の百姓に笑われちまうぞーう」
「こうやって雨になると、おれの葉タバコがはかどるんだぞなあ。オヤジも家の中にいるっきゃねえから。手伝ってくれるからなあ」
(著者の「こんなにいっぱい肥料撒かなくてはならないんでありますか」に対して)
「んだ、んだ。ひとつ1900円ちょっとするだぞーう。お米のマンマは、人間のマンマよりもたけえんだぞなあ。たまんねえ」
ほんと働き者で愛嬌が伝わってくる。食文化も興味深い。
「ときどき、子供が入ったタニシがあってよう。口の中で、トロっとしてうまかったぞなあ。肉よりうめえぞう」
「ワラは、昔は、ワラジつくったりしたんだべえ。おれ、小学校のとき、ワラジだったえ・・・。あと、煮た大豆くるんでよう、地面に穴掘って、埋めてなあ、納豆つくったぞな。その納豆、正月に食ったんだあ。うめえぞう」(これは高野秀行の「謎のアジア納豆 そして帰ってきた日本納豆」で読んだやつだ!と思った)
「おれがちっちゃかったころだぞう。馬ぐぞ集めってあってなあ。雪がとけっと、道に馬や牛のくそがいっぱい出てくんだ。バッパが、馬ぐそ集めてこーいって言うんだ。チリトリとホウキ持って、かき集めたもんだぞなあ。箱ひいて、近所のくそまで集めたぞう」
2023年時点では89歳、お元気だろうか・・・。311の自身のあと、全町避難指示がでてちりぢりになっているように思うけれどどうだろう。。
ほか、菅野の言葉
「四つの田んぼ、それぞれに水はけが違う。土も違う。人間さまみたいに田んぼにも、一枚一枚、個性があんだべなあ」
「おれが百姓はじめたころは馬で耕してたんだな・・・。馬のうしろに太いロープつけて、そこに馬グワって木でできたクワつけてなあ。馬グワは死んだジッチが追ってたなあ、おれは馬の鼻につけたヒモ引いてカジとったんだ。小学校行ってた子供のころ、うまくカジとれなくてなあ。いつも叱られて、泣いてたべなあ」
そして田植えなど要所要所手伝いに来てもらっている息子との会話も味わい深い
「おれ、百姓なんかやりたくねえもん、あんなトラクターいらねえもん」「おれ、この広い土地使ってなにかもうかる商売してえんだ・・・釣り堀とか」
「馬鹿言ってるねねえ、こらーっ、マー(息子のこと)。ご先祖さまにバチがあたっぞー」
「まあ、おめえが百姓やりたくなったら、いつでもやれるようにしといてやっから・・・・、いつでも水境*2にもどってこいやあ」
ほか、著者は米づくりの作業をしながらでてきた疑問について、かなり遠出しても専門家に取材しているのもおもしろい。日本中から注文が集まる富山の種モミづくりの村の最長老、大嶋正一さん。28歳で水のかけひき(間断潅水)を考え出して単収857キロを記録し米づくり日本一として表彰もされた、当時63歳(1923年ごろ生?)の富山県高岡市の土肥敏夫さん。田植機開発の功労者、関口正夫や、箱育苗箱を考案した松田順次さん。福島の農業試験場種芸部長、農林1号を育種した並河成資にその元の種を送った1897年生まれの稲塚権次郎さんなど、現代農業をつくってきたレジェンドの雰囲気をよく表現している。もうとっくにお亡くなりになった方々へ飾らないインタビューできているというのはグッとくる。
自殺した並河成資氏のエピソードは鳥肌が立った。胸像内のガラス瓶におさめた種を、1000年ごと10000年後に開封するように指示している時間間隔がすごい。
多くの人々を救った水稲農林一号を育種した並河成資氏の胸像に封入された記念種子2瓶には、2952年と11952年に開封するよう指示があるという記述を読んで目を疑ってから鳥肌がたった。 pic.twitter.com/oSLZXU3pST
— だーい (@daaaaaai) 2022年9月16日
しかし米価は一等米が約30kgで18,505円、二等米が18,185円で事前売渡限度数量という制度で60袋しか売れないとの契約があり売上54万6031円。ほか葉タバコもあるけれどやっていけるのか・・・。5反なので反収10.4万円。。それは農業続ける人減っていくよなあ、という状況。この時代、いまよりも農業への風当たりは強かったのでは、と思うけれど、直接の補助はあまりなかったようだし(農地・水路整備や農機購入補助とかがメインな認識)、こうした兼業農業者がプライドで農地を維持し、農の多面的機能を発揮し続けてくれていることを思うと、ちょっと難しい感情になる。一部の論者がいうようにかれらの退場を早めたとして、軋轢をうみさえすれ、なにかいいことあったのだろうか。とも(平地では集約は進むかもしれないが、それでは単価が安くなるだけなように思う)。
農作物の価格については雑文を書いていました。
本書のおもしろいのは数字もよくだしていることで、稲刈り間際に一株頼んで抜いて穂やモミの数を数えて、836粒18.4gあるとしたこととか30kgの米袋に140万粒はいっているという推定とか。農業について風当たりの強かった時代、食管法のもとで振り回される農家のことが透けてみえる。ほか余枡といって、30kgの袋に余分に500gいれる明文化されていないけれどみな従う文化とか、くず米の選別基準とか知らないこともたくさん知れておもしろかった。令和版もだれかやってほしい。