ぜぜ日記

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障害者による過激な組織「カニは横に歩く」

この時代の日本で、もっとも戦闘的な非合法の組織ってなんだろう。

ヤクザ?半グレ?某カルト?右翼標榜暴力団極左暴力集団
これらについてのコメントは控えておく事にするけれど、これらよりも尖っていてかつ捨て身のような危うさを感じる組織を知った。それは「こんな夜更けにバナナかよ」のなかで触れられていた青い芝の会。*1

その行動綱領を読めば、とんでもない組織だということがわかると思う。読むだけで鳥肌が立つような行動要領ははじめてだ。

一、我らは、自らが脳性マヒ者であることを自覚する。
一、我らは、強烈な自己主張を行なう。
一、我らは、愛と正義を否定する。
一、我らは、健全者文明を否定する。
一、我らは、問題解決の路を選ばない。

http://w01.tp1.jp/~a151770011/setumei.html

「愛と正義を否定する」も相当だけれど「問題解決の路を選ばない」というのは合理的な現代人にはにわかには理解しがたい。けれど、その理由を知るとその覚悟と苦労の大きさが窺える。

我々は、安易に問題解決を図ろうとすることが、いかに危険な妥協への出発であるか身をもって知ってきた。
我々は、次々と問題提起を行なうことのみが、我々の行ない得る運動であると信じ、且つまた行動する。

彼らはどんな経験をしてここに至ったのか、そもそもどういう組織なのだろうか。

この青い芝の会は脳性マヒ(CP)者たちによる組織で全国に支部がある。介護を受けなければ生きていけない彼ら彼女らは、福祉という考え方が希薄な時代から自分たちの主張と行動で権利を広げて生き抜いている。

このCP者たちの戦いについて、長年介護者をしてきた著者によるノンフィクション「カニは横に歩く」を読んだ。
著者の経験を元にしたものが多く関西中心でエピソードの集合という印象もなくはないけれど、編年体の歴史書のような重みと肉薄した迫力がある。自分は直接の知り合いに要介護な人もいないのでその苦労も実態も直接は知らないけれど印象に残ったところをメモしていく。

原動力

脳性マヒの息子を介護疲れの末に親が殺してしまうという事件があった。世間では親への同情から減刑運動が起きるけれど、それは脳性マヒ者にとってはまったく逆に受け止められる。脳性マヒ者は殺されても許されるのかという生存に関わる問題。それに対して主張していかなければというのが運動が広がっていくきっかけになっている。

その後に神奈川で撮られら脳性マヒ者のドキュメンタリー映画「さよならCP」は、そのフィルムが関西に渡ることがきっかけで人のつながりが生まれ運動が発生していく。この本ではその組織と運動の盛衰を多くの個性的な登場人物たち中心に語られている。

たとえば、バスの車いすスペース。今でこそ、どのバスにも当然のようにあるけれど、当時は車イスは乗車拒否される時代。そこへの闘争として川崎バスジャック事件が起きた。脳性マヒ者がバスに乗りこんで運行を止める。タイヤの前に寝そべる。バスの中で尿をまき散らす。消化器を振りまく。かなり過激だ。全国から集まったCP者が何十台ものバスを半日にわたって占拠した。警察に排除されたものの健全者が裏にいたと思われてか全員無罪放免になる。

あるいは、和歌山の介護施設の占拠。入所していた脳性マヒ者がいじめを苦に自殺した後に施設長が差別的な発言をしたことからそこを一晩にわたって占拠し、機動隊に排除される。これも車イスでないと移動もできない脳性マヒ者が組織化して行動している。


ほかにも厚生省の精神衛生課長による「私は医者でつくづく思うのですが障害者が一人も居なくなればこの世の中がどんなに幸せになるでしょう」という発言や自治体の長による「障害者は健全者に管理されて当たり前ですよ」といった発言に怒りの声を表明して徹底的に戦っていく。特に障害者の人権を軽視する発言をした兵庫県の県議に法スレスレのネガティブキャンペーンをして落選させ、その後も毎正月に実家周辺を街宣車で回ってまた出馬してもまた落選させるぞ、と放送したり。

ほかにも優生学的な思想、羊水検診、尊厳死にも反対の声をあげていく。

どうやって組織をつくったか、行動に至ったかは苦節と苦労があるけれどカリスマ性のある行動者とそれに続くものがいたからと言える。もしかすると全共闘運動に敗れた後の世代の活動家の入れ知恵のようなものもなくはなかったと思うけれどここあたりの苦労や経緯は別の本を読む必要があるかもしれない。

おもしろいのは、その闘争を通じ、はじめて一人前になれたと感じた障害者がいること。自分で何か行動してその結果、制度が変わるという成功体験があったということ。
こういうある種の自己陶酔は60年代終わりの学生運動にも共通しているしそこから闘争組織によくある精神主義に陥っていくのだけれど、学校にも十分に行けなかったし生活能力もない彼ら彼女らが全国組織をつくって行動していくというのは驚く。

介護者との関係

健全者文明と戦いながらも健全者の介護を必要とする彼らは、その介護者にも容赦はない。
不自由な被介護者と、それを無償で介護する健全者。ほっておくと健全者優位な関係になる。これは介護者が親であっても「本人のためを思って」行動を制御することが多々あるから。そういう関係には敏感で、たとえば文字盤の先読みなど介護者が主導権をとることには怒りを表明する。

そうした介護者たちとの闘争の一幕を紹介する。
もともと、関西では上で触れた映画の上映会を機にグループリボンという脳性マヒ者の組織と、その友人組織として健全者からなるグループゴリラという介護者組織が立ちあげられた。当初、そこそこうまくやっていたようではあるけれど些細にも見える軋轢が積み重なって関西青い芝ではグループゴリラをこれを解散するように決議。そして全国健全者連絡協議会の名称を「青い芝の会の手足となる健全者集団」に変更することを決定した。
「手足」というのは完全な主従関係だ。善悪はともかく、無償で介護する健全者に対してもこういうことを決めてしまえる薄氷の上のような捨て身の気概がすさまじい。

これについて関西青い芝の臨時総会の裏側での障害者問題資料センターりぼん社代表理事 河野秀忠による意見とそれに対するコメントを引用する。

「健全者の側にいろいろ問題があると思う。しかし、なぜゴリラを解散させるのか、健全者が納得できるよう青い芝(の会)は話が出来なかった。わけがわからないまま解散せよというのでは、混乱が起きてしまう。健全者はもちろんだが、青い芝ももっと勉強が必要なのではないか」

これはもっともだし自分もそう思う。

ただ、これに対してこのとき末期の胃がんを押して会場の兵庫までやってきた全国青い芝の会の横塚晃一会長はこう語っている。

「健全者を納得させる論理をCP者(脳性マヒ患者)がもてるなら、とっくに在宅障害者の問題などなくなっているよ。それができない、その上でやっているのが青い芝の運動ではないか。関西青い芝のやり方が一方的だといわれているが、CP者が健全者に対して一方的であるのは、場合によっては当然だ。CP者は、今まで健全者から”一方的”に現在の状態を強いられてきた。それを覆そうとするCP者の運動が健全者に”一方的”なのは当然ではないのか。健全者の理解を期待していたら、何も出来ない」

会誌では次のように結論づけられている。

「さて、グループゴリラ諸君、ここで我々リボンの言いたい事は、ゴリラはあくまで友人グループである以外に何物でもないと言う事を自覚して欲しい、この一点である。もしこの事を忘れる事があるならば、リボンとしては強固に自己批判を要求する。そして一日も早く、甘い幻想をすててもらう事を期待している。しょせんゴリラとリボンは、敵である事も頭のかたすみにおいてほしいと思う」


そして、西日本の障害者運動を牽引してきた関西青い芝が解散する。代表によれば障害者が健全者の顔色ばかり見るようになってきて、りぼん社のトップの意志は違うとしても、長く続く運動と組織拡大でりぼん社を頂点とした権力構造ができていた、みんなの目の色、血走りようをみて解散して組織をつぶしたほうが良い、と思ったからだそうだ。全国組織は残っているし各主張や行動は続いていくけれど象徴的。

こういう戦闘的な組織が激しい行動をしながらもその激しさが己をも貫いていくさまはある種の儚さと様式美を感じる。*2


組織は入れ替わっても行動は続く。もう2点ほど彼ら彼女らの行動を紹介する。

現在文明の否定

ある脳性マヒ者が電動車イスでの事故で死んだ後、現代文明を批判する流れも生まれていく。

電動車イス、補装具、障害者用トイレをはじめとする福祉機器産業の発達や、リフトバスなどの出現によって、障害者を地域で新たに特別扱いする風潮が作られ、それはあたかも障害者の願望を利用した健全者の発想を障害者に押しつけるものであって、脳性マヒ者自らの自由な生きざまを機械文明の中に囲い込むものに他ならない」(青い芝 No106 )

これも錯誤と捉えることは簡単だけれど、福祉のあり方の難しさを突きつけられる。

地震

時系列に書かれた本書を読み進めていくと唐突に阪神淡路大震災が発生する。

兵庫を中心に活動していた障害者のなかでも亡くなった人はいるしみな避難所生活に。そこでの記述で興味深かったのが、健全者も障害者も生きるのに必死になる状況で目立った障害者の資産である人的ネットワーク。

避難所にいる際、多くの住民は遅れるばかりの行政からの支援のみだったけれど、障害者は広い地域の介護者との繋がりで食べ物なども手に入ったし介護も普段より得られた。そういうローカルなつながりを健全者は持っていない。そして全国から障害者宛に届いた援助物資を捌くために炊き出しをしたり、全国から集まったボランティアたちも障害者だけにしぼらず現場の目で見て広く支援していく。

印象的なのが、知的障害者で重度の麻痺を持つ40代の子とその母親、震災で避難しているときがこれまでの人生で一番楽しかったと言っていた。介護してくれる人はみんな親切だし、ご飯の心配もないしいろんな人と知り合える、と。

「人のつながり」なんて曖昧だし無垢すぎる感じはあるけれどこういう話があると重要なんだなと思える。


ほかにも介護料をもらうための行政との交渉や障害者の子、痴呆の親による介護など多くの興味深い話がある。
介護とか人権とか興味ない人ほど読むとおもしろいと思う。

カニは横に歩く 自立障害者たちの半世紀

カニは横に歩く 自立障害者たちの半世紀

(とってつけたような)感想

もし自分が誰かの介護をしないといけなくなったらすぐにめげるかもしれない。いまや全日介護保障や生活保護もあって介護者を雇うこともできるけれど、無償のボランティアに頼らざるを得ない面もある。特に親であれば。そういう立場になったらとてもじゃないけれどやさしさや愛、奉仕精神とかではやっていけない。実際には義務感と同調圧力、慣れでやっているように思える。楽しさがあるかもしれないけれど「楽しさは介助を行うモチベーションになり得ても、拠り所にはなり得ない」(生活支援研究会連続学習勉強会資料 2004年)とも指摘されている。

サヨク風に言えば、健全者が生まれながら持っている差別性を自ら解体していくみたいな学びや他者との上っ面でない付き合いという学びの面もあるかもしれない。けれど、障害者を介護する事で学ぶこともあるという合理主義的な考えは、学びを得ることのできる障害者とそうでない障害者とで差別となる。その善し悪しは別としてそれを許せない障害者もいる(本書でも指摘されている)。

一方で、介護費や生活保護で被介護者はひとまず介護を受けられるけれど今後の財源はどうなるんだろうという話もある。生存権があるとはいえたいていの場合メシ代は誰かの税金からだし今後ますます苦しくなる。誰も食うに困らないユートピア幻想に頼りたくもなる。

人権とか差別とか理想主義な話もお金とマンパワーという現実的な話もあってみんなハッピーな答えは存在しない。とりあえずこういう問題があるってことを知っておくことが大事という月並みで役に立たない事しか言えません。
近場でボランティア介護者を募集しているところがあったら行ってみよう(自分から調べては行かない程度のチキン)

あと、自治体の福祉課の人らほんとたいへんだ。頭が下がります。


※最近は障がい者と記述することが多いようですが本書にならって障害者と記述しています。


これも意味深なタイトルとは裏腹にたいへん読ませる本だった。


映画「さよならCP」はYoutubeにもあがっていた。時間をつくって観てみよう。

Kazuo Hara- Goodbye CP (さよなら cp) - YouTube

*1:http://dai.hateblo.jp/entry/books-nov-dec

*2:ほそぼそと続いている過激派新左翼グループも見習って欲しい。