すごい本を読んでしまった。
- 作者: ピョートルワイリ,アレクサンドルゲニス,沼野充義,北川和美,守屋愛
- 出版社/メーカー: 未知谷
- 発売日: 2014/11
- メディア: 単行本
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何かの折に評判を聞いて、ずっと読んでみたいと思っていた本なんだけれど、Amazonマーケットプレイスで20,000円超だったので気が引けていたところで新版が出ていたので手に取ってみた。出版から18年たって新版が出るってすごいと思う。
内容はソ連からアメリカに亡命した著者が現地でロシア料理を説明する流れ。 ただの料理本と違って、その過程で西と東で手に入る食材の違いや、文化と文明、料理と生きることについても触れている。食欲をかきたてられながらも、共産主義ジョークのようなキレのあるレトリックのユーモアに笑わされ、祖国を離れざるを得なかった筆者の文化を見る鋭い目からは切なさも感じる。料理本の姿をした優れた文明批評なんじゃないだろうか。
もちろん料理本としてもきっちりつくられている。ただ、ロシア料理につかえるような、マジョラムやサワークリームといった香辛料のほか、ヤマドリタケやビーツなどの食材、壺や大きなオーブンのような調理道具が手に入りにくくまだ試せてはいない。
気になったフレーズのいくつかを引用してみる。
まず、本文の一行目からやばい。
p7 愛を打ち明けるとき、日本人は手のひらを胸にではなく、胃のあたりに当てるという。日本人は魂が腹に宿っていると信じているのだ。だからこそ、ハラキリをして魂を外に解き放ってやるのだろう。自分の形而上的な本質を確かめるための、なんと苦しくも痛ましい方法だろうか。
切腹にそんな意図があるなんて知らないしニンジャスレイヤー感もある。
p15 お茶はウォッカじゃない。たくさんは飲めない。
アッハイ
p23 およそ文明が考え出したもののなかで、人間の尊厳にとってダイエットより屈辱的なものは何もない。禁酒にだって何らかの意味がある。例えば経済的な意味だ。
この仰々しい言い回しの小気味よさはなんだろう。ダイエットとか糖質制限とかやめよう。
p45 料理人は、たとえ素人であっても、しっかりした倫理的基盤をもたない意気地なしになる権利はない。誰でも好きなように食べればいいじゃないか。などという道徳的相対主義は、料理の道とは相いれないものだ。
この厳しい倫理をもって料理するアマチュアみたことない・・・。
p46 いい料理とは、不定形の自然力に対する体系(システム)の闘いである。おたま(必ず木製のでなければならない!)を持って鍋の前に立つとき、自分が世界の無秩序と闘う兵士の一人だという考えに熱くなれ。料理はある意味では最前線なのだ・・・。
たしかに料理は複雑系をコントロールする戦いなのかも・・・。自分ももっと気合いれていこう。
p47国際主義の理想が我らの祖国で実現したのは、料理の分野だけだった。
共産主義ジョーク・・・
p51 けっして誰もが白状するわけではないけれど、誰でも甘いものは大好きだ。とりわけ、大男とウォッカを飲む女は、この欠点を恥ずかしがる。
胸を張って甘いもの好きと宣言しよう
p53 (引用者注:シャルロートカという、甘くて脂っこくてとってもおいしそうな食べ物のつくりかたを紹介した後に)もちろん、シャルロートカを食べて痩せることはない。そのうえ、パンをたくさん食べるのは体に悪そうだ。しかし、人生とはそもそも有害なものなのだ——なにしろ、人生はいつでも死に通じているのだから。でも、シャルロートカを食べたら、この避けがたい前途ももうそんなに恐い気はしない。
これ、ほんと甘そうで美味しそうなので食べてみたい・・・つくるしかないかな。
p59 単純な人たちに言わせると、アメリカ国民の魂はベースボールに宿っているということになる。しかし、誰の目にも明らかだと思うのだが、合衆国の国民的スポーツはなんと言ってもバーベキューではないだろうか。天気のよい日曜日には無数の焼き網からの煙が、昔の開拓時代のように空に立ちこめる。アメリカ料理はステーキを崇拝しており、グリルはそのステーキの預言者だ。
たしかに連中のBBQ愛は熱狂的・・・。
p98 料理のできばえは準備に手間をかけるほどよくなる
はい。
p105 ロシア人とフランス人は、いったいどこが違うのか。答は簡単。フランス人はカエルを食べる。だからロシア人の方が明らかに優れているのだ。
これこんどフランス人話するとき使ってみたい。
p115 料理と人生、つい比較してしまう。どちらにおいても「人は生きるために食べているのであって、食べるために生きているのではない」という格言は正しい。しかし、本当のことを言うと、人は美味しく食べるために生きているのだ。 仮に、日常生活と冷めてしまったマカロニを比較してみよう。そのどちらにも意味を与えるのは刺激だと、すぐに思いいたるはず。予期せぬ恋、トマト・ソース、危険な冒険、唐辛子、宝くじ、ニンニク。
普通のひとは料理と人生を比較しないようにも思うけれど、いいこと言ってる。
p115 香辛料を好む民族は、生活も派手だ。カーネーションを売ってぼろ儲けはするし、ハイジャックはする、血で血を争う復讐には夢中になる。反対に、薄味の料理を好む民族は、無気力と絶滅の運命にある。ラトビア人やサーミ人がそうだ。
はい
p121 野菜スープは、レシピを厳密に守らなくてもよい。まるで自由詩のように自由だが、自由詩同様、趣味の良さと節度の感覚を必要とする。
いいこと言う。 たしかにレシピを厳密に記述することはできないので調理人の節度の感覚が必要だよなあ、とは思う。
ほか、料理とソ連、アメリカをネタにした評論はユーモアにあふれつつも情緒豊か、切り口鋭くて何度も読みたくなる。最後の章は涙がでてきそうになるほど。
繰り返すけれど、笑いと切なさを併せ持つ、稀有な料理本。つくるのは道具面食材面でハードルが高いのでこんど誰かロシア料理食べに行くかがんばってつくる会、やりましょう。