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「異常【アノマリー】」感想。いい読書体験だった

SF小説「異常【アノマリー】」を面白く読めたので感想文を書きます。 (末尾にスペースをあけてネタバレ感想を書いています。そこまではネタバレなし)

まず、その異様な表紙の写真に目が行く。荒野にいる2人の赤い服を着た黒人女性のようだけれどよくみると顔が、ない。AIがつくった失敗画像のようにもみえるけれど、この不穏で不気味な表紙から興味を掻き立てられて手に取った。

読んでみると、殺し屋や歌手、弁護士、子どもなど住んでいる地域も職業もばらばらな人たちのそれぞれの生活の様子が描かれている。ある種の群像劇。どこで交わるのかと思うと、数か月前に同じ飛行機にのっていたことが少しずつ示される・・・。

そこまでの描き方もうまいし、この事象について明らかになる場面では驚いてさらにページをめくる手がすすんでしまう。読書体験としてたいへんよかった。もし、ある事象が起きたら、というまさにスペキュレイティブ・フィクション/思弁小説としてのSFの傑作だと思う。 その事象への人類の対応を考えるために、科学者を結集させたり、各世界宗教の代表者を集めて議論させるところもおもしろい。

ただ、読書体験としてはよかったけれど、読み終わってから振り返るとちょっとした物足りなさも感じる。まず、創作にしては珍しいことにFBIが組織として善良で有能すぎることと、インパクトのある表紙と内容があまり関係なかったこと。

FBIが有能だったということでこの事象が起きる中である程度穏健なシナリオだったともいえるし、それによってフォーカスされるものも魅力的ではあるのだけれど、自分の下心としてはもっと混沌がみてみたかった。たとえば事なかれ主義が蔓延した日本で発生していたらどうなるか・・・と考えてみるとちょっとおもしろいかも。

著者のエルヴェ・ル・テリエはフランス人で数学者でもあって実験小説もいろいろ書いているらしい。多才ですごい。

ちょっと脱線します。本作のタイトルから連想したものに木城ゆきとの傑作SFマンガ「銃夢LastOrder」に登場した「アノーマリー/例外者」という怪物があります。これは自己増殖ナノマシンの暴走でナノマシンの海と化してしまった水星で発生した、人間をカリカチュアしたような造形をしている疑似生物で、行動原理は不明だったけれど、ある人物はそれを人間を模倣し暴力によってコミュニケーションをとろうとしているのではないか、と推測していました。そのときのセリフを引用します。

彼ら・・・とりあえず「水銀族(メルクリオン)」と呼ぶが、彼らは人類とコミュニケーションをとろうとしているのかもしれない。
非言語的アプローチが可能なZOTT*1という場に「アノーマリー」という大使を送り込み我々の姿形・・・そして本能的な行動を模倣させることによって・・・!!

だとするならば
科学者よりも・・・
政治家よりも・・・
軍人よりも・・・
宗教家よりも・・・

空手家!!彼らほどこの任務に適した人種はいまい!!

こうして超電磁空手の使い手、刀耳とアノーマリーが対決します。空手の「無用の術」、「愚」を体現していてたいへんおもしろかったのでSFマンガに抵抗のない方は機会があれば手に取ってみてください。

以上、アノマリーと名前が一致しているだけなんですが、印象深かったので共有しました。

さて、以下に本作のネタバレ感想












はい。ここからネタバレです。 本作で描かれる異常な状況とは、ある日、突然の嵐のなかから3か月前に着陸したのとまったく同じ飛行機が、パイロットも乗客もその3か月前の状態のままで現れる、というもの。これを管制が検知して、こうした異常事態向けに作成された手順(そんなの起こるわけがないだろう、ということで制作したSF好き科学者たちによってパロディだらけでつくられていた)に基づいて対応される。そして、複製されたクローンたちを社会がどう受け止めるか、また社会復帰できるように調整されていくなかで起きる混乱と社会の衝撃を、さまざまな人々の群像劇とすることで描いていくというもの。

人の手にも異星人の手にもよらない自然現象的なこの異常事態をタネに、人々の葛藤を描くというのが主眼な気がする。 だれかの超能力や発明、異星人をタネにする作品とは違って、人が主体だし、中盤になるまでこの事象が読者にも明かされないことでの不穏さを感じるはらはらするような読書体験だった。

ただ、この事象を検知してすぐに飛行機を隔離して個別にオリジナルを追跡して身分を保証しようとするアメリカとFBIが有能・善良すぎて泣ける。もし現実に起きたら、着陸時に飛行機のぐだぐだはありつつもなし崩し的に空港外に出ることになって混乱してしまいそう。その混乱を読みたかったようにも思う。

もしそうなっていたらどういう展開になっていただろう。 飛行機の中にいるうちに3か月タイムスリップしたと錯覚するだろうし、そうすると最初はオリジナルが定刻に到着していて3か月も生活しているなどとは思わないだろう。けれど、スマートフォンで見るメールやSNSなどでタイムスリップしていないオリジナルがいることにも気づくか、飛行機でトラブルにあったと家族や職場に電話して狂言と疑われて混乱のもととなるかもしれない。単身者だと家で鉢合わせになることで発覚するかもしれない(SIMがクローンされることで電話がどうなるかはわからないけど)。そうしたときに、個別の案件となってしまうと行政も腰が重そうでアイデンティティクライシスが起きそうだ。

そのままだと暗い話になりそうだけれど、世の中に、高度な専門家が2人いることになることではじめて解決できる問題があったり、家庭のトラブルみたいなものを2人に分裂することで穏便にできる場面を描けると、おもしろいかも。うーん・・・。

いくつか気になった文章を引用しておきます。

彼女がアンドレに伝えたいのは、彼女の柔らかい肌、すらりと細い脚、血の気のない唇、彼らが彼女の美と呼ぶもの、さらには彼女と付き合うことで味わえるはずの愉悦に心を躍らせて彼女を欲しがり、彼女のなかにそうした要素しか見ようとしない例の男たちすべてに、彼女がうんざりしているということだ。ハンターとして近づいてくる男たちに、狩りの獲物をこれみよがしに壁に掲げるように彼女を飾りものにすることを夢見ている男たちに、うんざりしきっているということだ。

魅力的で男をひきつけてしまうバツイチ子持ちのリュシーと、彼女への恋に落ちてしまう高名な建築家アンドレの関係性は危うさするものがある。アンドレの不安と、どうしようもない状況。サガンの「悲しみよこんにちは」を連想した。

「トト、ここはなんだか……」  声は待つ、じっと待つ。エイドリアンはうつろな声で言う。 「……もうカンザスじゃないみたい」

オズの魔法使いのセリフが合言葉になっている。

ベン・スライニーの仕事初めの日だ。 アメリカ連邦航空局 本土管制本部長に就いたばかりの彼は、歓迎会のコーヒーとドーナツを腹に収めた二時間後、四千二百機の飛行機を地上にとどめ置くという前代未聞の決断をひとりで下すことになる。人生にはそんな日もあるのだ。

これが実話だったということに驚いた。911のときの管制本部長。

「招集してほしい科学者のリストを三十分後にお渡しします」とティナ・ワン。「哲学者も二、三人必要です」 「えっ? それはなぜだ?」シルヴェリアがたずねる。 「なぜって、なぜ科学者だけがいつも夜なべ仕事をしなきゃならないんです?」

昨今の社会学の一部が学問の体をなしていないとするSNSでの批判を思い起こしてしまった。でもこういう倫理の問題でサイエンスコミュニケーションするためにも必要だよな~、と思いました。日本だとこういう枠のひと、誰なんでしょうね。大学で哲学研究している人とか、評論家ではないような気もする。

「〝エルピス〟──希望ですよ。これこそ悪のなかでももっとも始末の悪いものです。希望がわたしたちに行動を起こすことを禁じ、希望が人間の不幸を長引かせるのです。だってわたしたちは反証がそろっているにもかかわらず、〝なんとかなるさ〟と考えてしまうのですからね。〝あらざるべきこと、起こり得ず〟の論法ですよ。ある見解を採用する際にわたしたちが真に自問すべきは、〝この見解に立つのは単に自分にとって都合がいいからではないか、これを採用すれば自分にどんなメリットがあるのか?〟という問いです」

これはことなかれ主義の本質だよな~。そしてこの道徳感情によって思い込みが発生して冤罪もうまれる。

真実とは、それが錯覚であることを忘れられた錯覚である

ニーチェの言葉らしい。虚無主義にすぎる・・・。

*1:太陽系で大国の権力が確立したなかでのガス抜きのような興行